【ジュンヌ氏、死す! 恐るべし三池氏】

いよいよ、ジュンヌ氏の最期――もとい、ジュンヌ氏演じる『婚約者』と三池氏演じる『早乙女たんま』のシーンが撮られることになった。


まずは二人の初対面。


「たんま、挨拶しなさい」

「ね、姉さん。こちらの男性は?」

「あなたのお義兄さんになる方よ」

「……え……それって」

「ふっふふ、ついにお姉さんはお見合いに成功したの! ブイッ! さっ、粗相のないよう挨拶して」

「まあまあ、プレッシャーを掛けるのはいけないよ。はじめまして、たんま君。いきなり義兄と言われても困るよね? ゆっくりでいいから仲良くしてくれると嬉しいな。よろしくね」

「…………よろしく、おねがい……します」


以上が脚本中のやり取り。

不穏しかない、バッドエンド氏がニッコリな出会いである。


このシーンのNG数は八回だった。

仲介人であり惨劇の火付け役でもある『早乙女家長女』――を演じる祈里姉さんが幸先良くNGを三回出して場を温める。

「ご、誤解ですわ。私が急に倒れたのは横になって心を落ち着かせようとした結果でして」

心肺停止の言い訳としては落第点の祈里姉さんはこの際置いておこう。


「まあまあ、プレッシャーを掛けるものではございません。お初にお目に掛かります、たんま様。あなた様の卑しき偽兄になることを何とぞご容赦ください」

眼前のヒットマンによって、ジュンヌ氏が命乞い口調でNGを五回獲得したのも些細な事柄である。


そんなことより私が注目したのは『早乙女たんま』、彼だ。

リハーサル時のたんまは突然現れた姉妹の婚約者に敵意剥き出しで、不本意さがにじみ出る出会い方をしていた。


それが本番ではどうだ。

幸せそうな姉と見知らぬ男性、言葉を交わす前からその組み合わせに不安になるたんま。

姉の口から婚約者という単語が飛び出し茫然自失。

『冗談だよね?』と希望に縋る表情は、婚約者の挨拶により砕かれ顔を青くする。

「よろしくね」と馴れ馴れしい婚約者に、ほんの一瞬だけ『こいつッ』と敵意が生じるものの、姉に嫌われたくない一心で物分かりの良い弟を演じようと我慢。

最後に悔しさを懸命に押し込めての「…………よろしく、おねがい……します」


わずか一シーンで、三池氏は様々な感情を表現してみせた。早乙女たんまの動揺ぶりがありありと伝わる名演である。


深い。

リハーサル時のたんまは浅く、負の感情が外へ溢れ出ていた。

しかし、今のたんまは負の感情を溜めるだけの深さを持ってしまった。器が広いや度量がある、とポジティブに処理してはいけない。ネガティブな感情は溜めれば溜めるほど爆発の衝撃は激しいものとなる。

『その時』が来たら、たんまは……三池氏はどうなってしまうのか。私の背筋を冷たい汗が流れた。



パイロットフィルム上で、たんまと婚約者の絡みは三シーン存在する。順番通りに撮っていくはずだったが。


「監督、次は三番目のシーンにしましょう」

下半身を弄びながら撮影風景を眺めていた寸田川氏はもういない。至極真面目な顔をして監督に進言している。私も彼女の提案に同意だ。

二番目のシーンから撮ってしまったら――終わる。三番目は撮影不可能となる。


三番目というのは、物語が一気に血生臭くなる決定的なシーン。

たんまと婚約者が邸宅の庭で遊んでいたところ、二階のテラスに置かれていた鉢植えが突如落下して婚約者に直撃する。倒れ伏す彼に駆け寄り、涙目になりながらも介抱するたんま。騒ぎを聞きつけた早乙女家姉妹は、その光景に悲鳴を上げて――


ここをパイロットフィルムに入れずしてどこを入れるのか! そんな盛り上げ所だ。

この後、婚約者は病院に運び込まれ一命を取り留める。創作物とは言え、男性を残酷に死亡させてはマサオ教あたりが発狂するのでギリギリ助かる設定だ。が、この出来事により早乙女家と男性との婚約はお流れになる。


三番目のシーンでNGは出なかった。明らかに一番目より難しい場面なのに、出なかったのである。

ジュンヌ氏は元から倒れる一歩手前の状態だったので脚本通り上手く地に伏す(鉢植えが当たる箇所は合成映像で処理)。これはいい、想定内。

それより三池氏だ。このシーンのたんまは、相当な技量がなければ演じることが出来ない。


言うまでもないが、鉢植えを落として婚約者に大怪我を負わせたのは、たんまの策略である。

婚約者を落下地点まで誘導、離れた場所から釣り糸のトリックで鉢植えを落とす、スケープゴートとして野良猫を屋敷内にあらかじめ放っておく――など様々な罠を張った結果の惨劇。だが、これらはパイロットフィルム中で描写しない。冗長になりかねない要素なので、テンポが重要なパイロットフィルムには入れないのだ。それに……


「いやあああぁ!! お願い、目を開けて!」

「それ以上揺らしちゃダメよ姉さん、傷に障る!」

「救急車! 急いで電話しなくちゃ!」


混乱に陥いる姉妹と同じく、たんまもパニックになっている。だが、彼女たちの意識が完全にたんまから離れた瞬間……ほんの僅かな間、たんまは浮かべる――邪魔だった羽虫を叩き落してスッキリした表情を。

それだけで十分。たんまの暗躍シーンがなくても、彼が婚約者を陥れたことは十分に伝わる。


一連の困難な演技を三池氏はいとも容易たやすくやってのけた。しかも、浮かべた表情は今までの彼が見せたことのない残酷で色気に満ちた笑み。


ゾクゾクゾクッ! なに、この感覚……


「はえぇぇ、身の毛がよだっているのに気持ちイイィ……」

隣の凛子ちゃんも未知なるエクスタシーに酔いしれている。


これがヤンデレ……これがヤンデレの醸す魅力だと言うのか。

私はヤンデレを侮っていたのかもしれない、危険すぎる。




三番目のシーンの撮影を終え、小休止が挟まれた。

役者、撮影スタッフ、南無瀬組員、誰もがビクンビクンになってしばらく動けない、休憩して精神と下半身を整えねば。

例外として、加害側のため平気な三池氏と、断頭台にスタンバって違う意味でビクンビクンのジュンヌ氏がいたのはご愛嬌。


そして、ジュンヌ氏の命運をかけた二番目のシーンを撮る。


「……もう一思いにお願いします」

すっかり疲弊して別人のようなジュンヌ氏。おいたわしくて見ていられない。


二番目のシーンは実にシンプル。脚本だけ読めば一番楽な撮影と錯覚してしまうだろう。ただ婚約者とたんまが喋るだけの場面なのだから。

初対面から日が経ったらしく、二人の会話には親しみや慣れ慣れしさが垣間見える。


「おっと、たんま君と話すのが楽しくて時間が……そろそろお姉さんたちの所へ行かないと」

「引き留めてしまってごめんなさい。居間の方でみんな待ってますよ~」

「ありがとう。それじゃね、たんま君」

二人は微笑みながら別れる。


背を向けて歩き出す婚約者。たんまは表情を一変させ、憎悪に満ちた目で見送る。

ここでたんまに明確な殺意があると判明し、三番目のシーンへと繋がるのだ。


なぜ二番目が最後に撮られるのか、論じるまでもない。

完全にたんまとシンクロする三池氏からこんな視線が照射されれば、どんな装甲も紙きれと化す。


二番目のシーンもNG回数はゼロだった。そもそも撮り直しなど不可能。


「あっ――――」


あれほど泣きわめいていたジュンヌ氏だったが、最期は間の抜けた声を残して昇天クランクアップした。

お疲れさまでした。



第一の被害者が出てしまった。

三池氏の怨敵となってしまうとは……ジュンヌ氏の身の不幸を嘆かわずにはいられない。

この場にいる女性一同、逝ってしまった彼女に黙祷を捧げる。良き来世を。


だが、後から思えばジュンヌ氏は幸せだったのかもしれない。



「寸田川先生、ちょっと相談があるんですけど」

「な、なにかなタクマ君。出来ればちょっと離れてくれないかな……今の君、凄んでいるようで怖いんだけど」

「それより脚本のこの部分なんですが……弱くないですか?」

「よわい?」

「はい、愛する姉と妹が別の男に夢中になっているんです。奪い返そうとするならもっと過激な発言や動きをするはず。脚本のたんまは危機感がなくて弱いです」



やはりジュンヌ氏は幸せだった。

ヤンデレの恐ろしさはむしろこれからで、それを味わわずに済んだのだから――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る