あたしを見て
数々の性癖が渦巻く萌え訓練をどうにかこうにか終わらせた俺は、重たい足を引きずり自室へ帰還した。
想像以上に拗らせていた組員さんらの相手は非常に疲れた。が、おかげで自分が出来る、自分ならではの萌えキャラ像が掴めた気がする。
ふかふかのベッドに入りたがる本能を抑えて、俺は机に向かい訓練で学んだことや気付いたことをノートに書き留めた。
「明日からは、このアイディアを詰めてレッスンしていこう……ふわぁ」
さすがに限界だ。そろそろ寝るか……ん?
「そういや何か忘れているような」
喉に何か引っかかった感を覚える。このまま放置しておくと面倒事になりかねないものがあったような……
う~ん、思い出せない。
まあ、いいか。大事なことだったら、
お、音無さんだ。すっかり頭から抜け落ちていた。
「やべぇ」
南無瀬組・中御門出張班の中で唯一、音無さんだけが俺の萌え訓練を受けていない。
これはブチ切れ案件ではなかろうか?
「一言謝っておいた方がいいよな」
早めに手を打たないと、音無さんが凶暴化の一途を辿ってしまうだろう。明日の朝あたり人間をやめているかもしれない。
彼女がノケ者になったのは、仮眠を取っていたからだ。俺の夜の警護役をするために……ってことは、今、部屋の前にいるのだろうか?
俺はおそるおそる、自室のドアを開けた。
「音無さん、いらっしゃいますか?」
廊下に顔を出し、おっかなびっくり様子を確認するが……
「いない?」
萌え訓練の喧噪はすでになく、辺りはシンと静まり返っている。誰の姿もない。
まさか、ショックのあまり職務放棄して寝込んでいるのか?
念のために廊下を右へ左へ歩いて、音無さんが出没しないか期待するも、やはり人の気配はない。
直接部屋を訪ねるか……それとも。
悩んだ末、ホテルの内線で彼女の部屋に電話することにした。
面と向かうのが怖いからじゃないぞ……と、誰に言うでもなく言い訳して、自室の前へ移動する。
鍵を開け、ドアノブに手をかけた――時である。
「……ミイケサン」
「っっっぅつっ!!」
人間、本当に驚いた時は声がつっかえるものかもしれない。
誰もいないと思っていた背後。そこから急に怨念めいた声がした。
「おとなひゃさんっ」
振り返って盛大に噛む。
果たして、音無さん……らしきモノは、そこに存在していた。
可視化出来るほどの闇を纏い、幽鬼のごとく佇む姿。ノーメイク、ノーCGでホラー映画の主演を張れそうな陰鬱さを醸し出している。
無駄に元気でパワフルな彼女の面影、その一切を闇は呑み込んでいた。これほど綺麗な闇墜ちがあるのだろうか。
「こ、こんばんは」
ともかく挨拶である。相手が地球外生命体だろうと世の理から外れた怪異だろうと、コミュニケーションの第一歩は挨拶である。
「…………」
返事はない。音無さんは下を向いて一ミリも反応していない。
言葉でのコミュニケーションが不可能な生命体なのだろうか。俺がボディランゲージに切り替えるべきかと悩んでいると。
「……祭り」
耳に入れるだけで呪われそうな声が返ってきた。
「ま、まつり?」
「祭りって、準備や本番が楽しい分、終わった後に悲しみがこみ上げてくる……じゃないですか?」
「え、ええ」
「けど、もっと悲しいのは祭りの告知がされず、寝ている間に終わっていた時じゃないでしょうか?」
「う……っ」
「みんながみんな、顔面をデレデレさせているし……静流ちゃんに至っては見せつけるかのようにルンルンステップで部屋中を駆けているし……あは、あははは。何なんですか、この仕打ち。笑うしかないですよ……あははは」
闇墜ちと言ったらコレッ、と言わんばかりの乾いた笑い声である。
音無さんは、今晩の警護のため睡眠を取っていた。
二十四時間対象を護衛するダンゴとして、睡眠も立派な職務である。
その間に、お楽しみの祭りがあっていたとなれば……彼女の無念は計り知れないだろう。
「仲間外れにされた悲しみはお察ししますが、今日の萌え訓練は店仕舞いなんすよ。またのお越しを」
などと言えば、どんな惨劇が降りかかるか分かったものではない。
訓練を延長するしかないな。
「音無さんが、俺に望むことは何ですか?」
身を固くして訊く。
「…………」
さあ、どう出る?
ルンルンと同様に俺の裸体、もしくは呼び名か。真矢さんのように身体を接触してのマッサージか。それとももっと凄いものを……
音無さんはたっぷり時間をかけて、ゆっくり口を開いた。
「……もっと、あたしを見てくれませんか」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
音無さんを部屋の中に案内する。
防音がされた室内に彼女を招待するのは危険かもしれないが、話の内容的に他の人には聞かれない方がいいだろう、と判断した。
備え付けのティーセットでお茶を用意し、彼女に手渡す。
「ありがとうございます」
ふぅ~ふぅ~冷ましながら飲む音無さん。
いつもの彼女なら「三池さんお手製のお茶キタ! あたしの中を三池さん成分が駆け巡りますよ!」と目の色と顔の色を変えるところだが。
「……あたたかい」
今の音無さんは、実に大人しくお茶を味わっている。
こうして無害そうな彼女を見ていると、とても惜しい気分になってくる。
大きな目に大きな口に、とにかく派手な顔だが、パーツの配置が絶妙で美しい見た目。
胸のボリュームは南無瀬組でトップクラスだし、腰や足の肉付きは健康的でエロス。
洗濯掃除はお手のモノで、何より作る飯が美味い。
ほんと性欲さえ前面に出なければ、最高物件である。
そんな彼女のしおらしい姿は、無敵に思えてならない。
「……最近の三池さんって、あたしに塩対応ですよね」
カップをテーブルに置いてから、音無さんはポツポツと語る。
「会ったばかりの頃は、あたしの行動一つ一つにツッコミを入れてくれたのに。言葉でも何でも三池さんから入れられるのは、あたしにとって至高のひとときでした。それが近頃はスルーが基本みたいで……」
「そんなことは……」
ありませんよ、とは言えない。今回の萌え訓練でも、音無さんはスルーする気満々だった。
「雑な対応は、それだけ三池さんとの間に遠慮がなくなったんだって、自分に言い聞かせていました。でも、今回のことは、さすがに受け止めきれません」
「うぅ……」
罪悪感が押し寄せてくる。思い返してみると、優しい態度を見せればすぐ発情する彼女だから、と酷い扱いをしていた。
「こんなこと言ってすみません。三池さんは悪くないんです。あたしの理性が
「ええ、まあ、そうですね」少しか?
「ダンゴ局の池上さんも言っていました。あたしの発情っぷりは度を超しているって。これじゃあ、そのうちダンゴを解雇されるって。三池さんのダンゴを辞めることになったら……あたしは……あたしは……」
音無さんの闇がさらに濃くなる。
「だ、大丈夫ですよ。俺が音無さんをクビにするなんて……」
「三池さんに甘えていたら、あたしはもっとダメになります。だから、最近は自己鍛錬に
「自己鍛錬?」
「三池さんの写真を見ても脈拍が危険域に突入しないよう抑えたり、干してある三池さんの服は見るだけで我慢したり、三池さんの使ったお茶碗に付着するご飯粒は三粒までと決めていますし」
「ふ、ふ~ん」
鍛錬前はどれほど無法だったのか、と訊かない方が音無さんにとっても俺にとっても幸せだろうか。
「そういうわけで、こんなあたしですけど、日々成長しています。あたしを怖がらず、もっとあたしを見てください」
闇属性の音無さんだが、目だけは『信頼してくれ』と懇願する光を放っている。
――もっと、あたしを見て、か。
強く残る言葉だ。
需要を意識するように、と咲奈さんから言われていたのに……俺は見たい物だけを見て、視野を狭くしていたのかもしれない。
心髄に刻まれた音無さんの願いは、萌え演技云々だけでなく、不知火群島国での生き方そのものに多大な影響を与える気がした。
「――了解しました。俺も反省します。知らず知らずにお世話になっている人を傷つけていました。すみませんでした」
「あっ、あの、そんなに頭を下げないでくださいっ。全面的にあたしが悪い話ですから……じゃ、じゃあ護衛任務に戻ります。お茶、ありがとうございましたっ!」
「待ってください」
そそくさと椅子から立ち上がった音無さんを呼び止める。
「音無さんのアドバイスのおかげで、萌え演技のアイディアが固まった気がします。実践で試してみたいので、評価してくれませんか?」
「へっ? あたし、なにかアドバイスしました? そ、それより良いんですか!? こ、こんな時間に二人っきりの密室で『萌え』するなんて!?」
「成長した音無さんなら耐えられますよね?」
ニッコリと笑ってみせる。
このまま彼女を帰すのは悪い気がする。結局、萌え訓練の相手にしていないし――
それになんだかんだ、これまで俺の傍にいながら乱暴狼藉を働かなかった彼女である。信じてみよう。
「ぐぅ……ちょ、ちょっと待ってください!」
ダンゴ用装備が入っているウェストポーチをゴソゴソ漁り、音無さんが腕時計のような物を取り出した。
「なんですか、それ?」
「池上さんから支給された脈拍計型電気ショック装置です。万が一の時はこれを付けるようにって。あたしが興奮したと感知すれば、容赦なく電気を流します」
説明しながら装置を腕に付ける音無さん。
「電気って……危なくないんですか?」
「危ないですよ。でも、それが何です! 三池さんの信頼を裏切るくらいなら黒焦げになった方がマシです!」
見上げた根性である。では、こちらも手加減せず行くか。
「す~は~すぅ~。っし! どうぞ三池さん! 思う存分、萌えさせてください! 何が来ても耐えてみせますから!」
もう音無さんに闇はなかった。理性と本能の狭間で必死に戦う一人の人間が、身体を晒していた。
「それでは、失礼して……」
俺は自分の寝巻に手をかけた
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「ねえ、タクマお兄ちゃん」
「なんだい?」
「スッキリした顔をしているね。悩み事がなくなったの?」
「ああ、咲奈さんの助言のおかげさ。需要に応える萌え、ってやつが掴めたんだ」
「わぁ、良かったぁ。役に立ったなら何よりだよ」
収録はもう間近である。
咲奈さんと最後の稽古をしながら、俺は確かな手ごたえを感じていた。
「ところで……タクマお兄ちゃん」
「ん?」
「南無瀬組の人たち、何かおかしくない?」
「そ、そうかな?」
「マネージャーさんはツヤツヤで五歳は若返った感じになっているし」
「きっと良いリラックス方法を見つけたんじゃないかな」
「ダンゴさんの一人は、髪の毛にお花を挿しまくって、ずっとステップを踏んでいるし」
「きっと春が待ち遠しいんじゃないかな」
「もう一人のダンゴさんは、漫画みたいに頭を黒焦げのモジャモジャにしながら、なぜか満足げだし」
「きっと山を乗り越えて一つ成長したからじゃないかな」
「う~ん……」
「俺たちも、このドラマを乗り越えて一つ大きくなろうじゃないか! さっ、練習練習」
と、急かすように言う俺であった。
そうして、ドラマの収録が始まった――
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