【老人ホームの悲劇】

「リーダー! もう無理です!」


「諦めるのは早いわ。『無理』と言うのはね、嘘吐きの言葉なのよ」


「そんなブラックな発言、聞きたくありません! わたしたち二人じゃどうにもなりませんよ!」


ご高齢の方々が四十人住む、特別養護老人ホーム『やすらぎの海』。現在ここに、やすらぎはない。


おさげ髪の新人ちゃんが半泣きになっている。肩で息をして、衣服を皺だらけにしているのは、先ほどまで彼女が格闘していたためだ。


相手は、わたしたちが介護すべき年配の方。

今夜四度目の脱走を食い止めた新人ちゃんは見るからに疲れ切っている。


逃げだそうとする四十人の老女たちを、私と新人ちゃんの二人で阻止するのは骨が折れるどころではない。全身骨折しそうだ。

コストカットで夜勤者を減らした施設長め、明日絶対に抗議してやる。


「なんで皆さん、あんなに俊敏なんですか! 老人の動きじゃありませんよ! しかも、わたしたちの目をかい潜ろうとする悪い意味での頭の良さ! どこに介護の必要があるんですか!?」


「あなたは、まだここに来て日が浅かったわね。以前は皆さん歩くのも難しくて、大なり小なりの認知症を患っていたのよ」


嘘だッ!!

と、言いたげな新人ちゃんだけど事実だ。


数ヶ月前までの『やすらぎの海』は普通の特別養護老人ホームだった。


「ああ……身体が痛い。ベッドから出られやしないよ」


「はいはぃ? はぇ、なんと言いました? すみませんねぇ、耳が遠くて聞こえやしません」


「…………あ~、飯はまだですか? え、もう食べましたっけ?」


身体が不自由な方や認知症の方を介護するのは大変だが、やりがいはあった。

こういうものだと思って就いた職だし、覚悟もあった。


しかし、全ては変わってしまったのである。

『タクマさん』がテレビに出るようになってから――



週に一度、決まった時間になると食堂の大画面テレビの前に、入居者全員が集まる。

タクマさんの出る『みんなのナッセー』を観るためだ。


当初、椅子に座って大人しく――はないが、それなりに節度を持って鑑賞していたご高齢の方々だったが、放送回が増えていくと、どんどんアグレッシブ視聴をするようになった。

今ではテーブルや椅子を撤去した食堂で、みなさんハチマキをしてハッピを羽織り、ぎょたく君の動きに合わせて激しく踊っている。


タクマさんの番組は網羅するのが当たり前、タクマさん関連の記事をファイリングするのは嗜み、コンピューターおばあちゃんになってネットでタクマさんの情報と通販グッズを漁るのは生命活動。

皆さん時間があるので、日がな一日、タクマさんの映像やグッズを愛でたり、居間で他の入居者とタクマさん談義に華を咲かせるようになった。

若い頃より青春しているようだ。


そんな日々の中で。


「ヨボヨボの身体が恨めしいねぇ。腹筋百回でバテるようじゃあ、グッズの店頭販売で若いモンに当たり負けちまうよ」


「タクマさんのお声も素晴らしいんですが、時折漏らす吐息もそそります。耳を澄ませれば聞こえるじゃないですか。『はぁはぁ』とか『ひえっ』とか。あれが良いのですよ」


「三週間前の週刊誌、一四ページの九行目からのタクマさんのインタビューがお気に入りなんですよ。ええ、もちろん一字一句記憶していますよ。『ファンのみんなに楽しんでいただけるのが、俺の幸せであり、そういう意味で前回の舞台は――」


タクマさんの影響で入居者たちに目に見えて、と言うか気付かないほうがおかしい変化が起こった。

寝たきりだった人が筋トレを始め、耳が遠かった人は離れた所で落ちる針の音を感知し、物忘れが激しい人は(タクマさん関連に限って)ことごとく記憶してしまったのである。


老人ホームの担当医師は、タクマさんによって彼女たちの細胞活動が活発になり、劇的な若返りを果たしたのではないか、と人体の神秘を投げやり気味に説明していた。


ともかく、介護すべき人たちが元気になるのは喜ばしい。

仕事がやりやすくもなるし、何より暗くせっていた人たちが毎日笑顔なのは、接している方としても心が温かくなる。




そう思っていた、今夜を迎えるまでは。


「部屋に戻ってください! 歩いてご自宅に戻るだなんて無茶ですよ! どのくらい距離があると思っているんですか!」


「離してくれぇ! あたしゃ家でタクマさんをお迎えするんじゃあ!」


入居者のおばあさんの胴に手を回し、廊下の窓から外に出ようとするのを防ぐ。今夜はこんなのばっかりだ。


「『やすらぎの海』にタクマさんが来るかもしれません。ベッドに入って静かに待ちましょうね」

「本当かのう? 確率論で納得させておくれよ」


くっ皆さん、なまじ頭も体も元気になったばかりに面倒臭い。


「リーダー! 時間差攻撃です! 他の人をオトリにして、みんな逃げ出していますっ!」

「ったく、ずる賢いわね! 絶対に捕らえるの! でも、怪我をさせたら後で大問題になるから全力を出しつつ手加減するのよ!」

「ひいいい、だから無理ですってぇ!」

 

次々と発生する逃亡を食い止め、脱走犯をそれぞれの部屋に戻す。

不幸中の幸いは、入居者たちの部屋の窓が小さいことだろう。これが人の通れる大きさだったら、皆さん自室から好き勝手に外へ出ていただろう。そうなれば、逃亡阻止のため入居者を大部屋に集めて軟禁する他なかった。


新人ちゃんが「すみませんリーダー。ちょっと休憩させてください。水だけでも飲ませてください」と言ってきた。電灯の光が彼女の額に浮かぶ玉の汗を輝かせている。

ベテランの私でもツライ夜だ。この子は、経験が浅い割にはよくやっている方だろう。


「そうね、まだ夜は長いわ。交代で休憩を取りましょう」

「あ、ありがとうございます!」


食堂の方へ行く新人ちゃんを見送り、私は入居者たちが自室から出ないか廊下に陣取り警戒した。


それからしばらく――


「………………遅い」


新人ちゃんが帰って来ない。

まさか、ブラック過ぎる仕事が嫌になって逃げたか……弱気だけどガッツのある子だと見直していたのに。


食堂に様子を見に行きたいが、ここを離れれば要介護の方たちを野に放つことになりかねない。

どうしたものか……と私が迷っていると。


「り、りーだー」

向こうの廊下の角から新人ちゃんが顔だけ出してきた。


「あなた、そんな所で何をしているの? 休憩が終わったのなら持ち場に戻りなさい」

「そ、それなんですが……ちょっと転んでしまって。足が痛くて、これ以上動けないんです」


よくよく考えなくても不自然な話である。

ここから食堂までの道のりでどこに転ぶ場所があるのか。足が痛いにしてもなんで廊下の角なんて中途半端な所でギブアップしているのか。

そもそも、新人ちゃんは痛々しい表情を浮かべていない。

なんだろう、あれは――まるで『己の快楽のために恩人すらも売り払う』ような顔つきだ。


だが、この時の私は入居者の脱走ばかりに気を張っていて、苦労を共にする味方として新人ちゃんを認識していた。

甘かったのである。


入居者たちの部屋に動きがないことを確認し、

「大丈夫なの?」

廊下の角までのこのこやって来た私は、さぞ狩りやすい獲物だったのだろう。


「――へっ?」

気付いた時には手を後ろに回され、声が出ないように猿ぐつわを噛まされ、私は黒い集団に囲まれていた。

新人ちゃんも同様な姿で、厳つい黒服の女性に拘束されている。


ご、強盗!? やだ、うちみたいにお金のない施設にどうして!?

私の頭の中が恐怖で一杯になった。が、それは一瞬で。


「手荒な真似をしてすみません。お仕事中なのにご迷惑ですよね」

強盗たちをかき分けて一人の男性が現れ、ぺこぺこと頭を下げる。


「ふぁぶぅう!!」

私は口を塞がれているのにも関わらず、大声を上げようとした。


た、タクマさんだ……っ!! モノホンだ!

私がいつも見ている夢にはない圧倒的なリアリティ! 顔は言うに及ばず身体付きも意匠をこらしまくって、妄想の上を行っている。

匂いは消臭剤を使っているのかフローラルな香りに隠されているが、放たれているエロいオーラは簡単に隠せるものではない。


僥倖だ、圧倒的幸運だ! タクマさんが職場に来てくれるなんて――これまで大して幸福でなかった私の人生は、この時のための帳尻合わせだったんだ。

私は職務中なのを喜んで忘れ、拘束を振り切ってタクマさんに飛びつこうとした――が。


「コーホー」「コーホー」

絶妙なまでに怪しいマスクをした女二人がタクマさんをがっちりガードしている。

なんだあいつらは!

優秀そうな護衛なら邪魔されても諦めがつくが、あの変態たちに道を阻まれれば悔しさも一入ひとしおだ。


「姉さんな、拓馬はんに唾つけんなら骨の一本二本は承知やろうな?」

黒の集団の首領らしき女性が私を睨む。

「むぐっ」

カタギじゃない、タクマさんのためなら法律も良心も肉親も捨てて犯罪行為に勤しむ修羅の目をしている。


「まっまっ、悪いのはどう考えても俺たちですから、これ以上の過激行為は止めましょう。介護士の方を無力化しちゃったら、おばあさんたちのお世話をする人がいなくなっちゃいますよ」

本当にすみません、とまた私と新人ちゃんに謝るタクマさん。


なんてお優しい人なんだろう。

介護したい、タクマさんの傍に張り付いてシモからナニまで全部介護したい。


「拓馬はんがそう言うなら……ほんなら、介護士のお二人はん。うちらが入居者にプレゼントを配り終えるまで食堂で待ってもらうさかい。勘弁してな」


首領女性の命令で、黒服の数人があたしと新人ちゃんを縛ったまま連れて行こうとする。

そんなぁ、まだタクマさんを近くで感じていたいのにぃぃぃ!


と、未練たらたらな私の耳に、タクマさんの聞き捨てならない言葉が入ってきた。


「あっちが、おばあさんたちの部屋ですね――静かだな、もう寝ているみたいですね?」

「好都合やな。マスターキーは用意済みやし、手早く済ませるで」

「はい、行きましょう」


――えっ?


私は急いで耳を澄ませてみた。

本当だ、静かだ。入居者の自室がある方向から何の音もしない。

脱走はもちろん、部屋にいても「あ゛あ゛、なんて残酷な日なんじゃ~」「タクマさんをお迎えも出来ないとは歳は取りたくないの~」と大声で愚痴を吐いていた年配の方々。

そのエリアが無音になっている……


こ、これは……ま、まずいっ! あの人たち、タクマさんの気配に勘づいて待ち伏せをしている!


「むぅぅぅむーー!!」

私はこの危機を何とか伝えようとするが。


「えっなんです……ああ、安心してください。おばあさんたちに危害は加えませんから」

と、タクマさんは勘違いして、その優しさを遺憾なく発揮するだけだ。つくづく素敵ッ! けど、ちょっと待ってぇ!


結局、私はタクマさんを止めることが出来なかった。

私が食堂に連れ込まれるのと、ほぼ同時に……


「ううううわあああああああっっ!!」


タクマさんの悲鳴が、施設中に響いたのだった。

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