さらば、いやらしのダンゴ (後編)

急に呼び出されてタク臭平均台に挑戦しろ、と言われれば如何に俺狂いのダンゴたちでも不審に思うだろう。


そこを「音無さんと椿さんのちょっとイイトコ見てみたい」とおだてケシかけたところ、二人は「しょうがないにゃ~」という感じでタク臭ボックスへとリズミカルに入って行った。

チョロいにも程があるぞ。


二つ用意されたボックスに収まった二人。

ケモノに興奮剤をぶち込み強制的に野生解放させる倫理なき所行である。扉からどんな化け物が飛び出して来るのか、俺は気が気でなかった。


「そろそろ一分やな」

真矢さんが腕時計を確認したのと同タイミングで、二つのボックスが開かれ、音無さんと椿さんが野に放たれた。

用心のため、俺は距離を取る。


二人は顔を下に向けているので、どのくらい興奮しているのかは定かではない。


「はよ平均台を渡るんや。拓馬はんに近付いたら失格やで、ええな!」


真矢さんの厳しい指示を受け、ダンゴたちは平均台へと進んでいく――意外と大人しいな、タク臭の影響を受けていないのか?


まずは、音無さんから挑むようだ。

平均台に彼女の足が――


「よっと」


足じゃない……だとっ!?

訂正だ、音無さんは平均台に『手』を置いて、逆立ちしたまま渡り始めたのである。

幅約十センチの上をスイスイとバランスを崩すことなく進む様は、軽業師顔負けだ。


あっという間にゴールして、逆立ちを解く音無さん。

あまりにも余裕のある態度だが。


「ふぅ、こんなもんですね……」

音無さんの顔はドヤッておらず、不満の色が見えた。


「椿静流、出る」

次は椿さんの番か。彼女に視線を移した俺は、またも驚愕した。


どこから持ってきたのか、椿さんはタオルで自らの目を覆い、そのまま平均台を渡り始めたのである。

その歩みに淀みはなく、何でもない様子で平均台を踏破してしまった。


「……むなしい」

タオルを顔から外して、言葉通り虚しそうに言う椿さん。


「お疲れさん。大したもんや、見直したわ」

「そうですよ、まさかこんなに楽勝だなんて」


脱落かと思われたところで、予想外にダンゴたちは有能だった。平均台から戻ってきた二人を、俺と真矢さんは心から出迎える。

だのに、音無さんと椿さんの顔は未だ晴れない。


「あたし……とてもショックを受けています」

「ガッカリと言わざるを得ない」


「ど、どうしてですか?」


「匂いですよ! 三池さんの匂いが充満している、って聞いて期待してボックスに入ったのに何ですか! あの低濃度!」

「私たちが護衛している時に嗅ぐ三池氏の匂いより当私比で四十パーセントもダウンしている。ふれこみ詐欺で訴訟もの」


「えぇ……」

まさかのクレームだと。


「真矢氏、タク臭ボックスの匂い源は?」

「あ、あれはやな。拓馬はんが着とったインナーシャツや。それをボックス足下の収納スペースに入れ、温度と湿度を機械管理して、匂い分子が飛びやすいよう調整しとるんやで」

「ふむ、ちなみにそのインナーシャツ、何日目?」

「拓馬はんが着て、二日目や」

「洗濯は?」

「当然、未洗濯の物。脱臭したら試験にならへんやろ」


今、明かされるタク臭ボックスのシステム。出来れば、タク臭と一緒に永遠に封印されていて欲しかった。


……あれ、ちょっと待て。なんで都合良く洗濯していない俺の下着が用意出来たんだろ? 二日前なら普通、洗っているよな?


「薄い! 臭膜薄いよ! 何やっているんですか! こんなスカスカなものであたしたちを試そうだなんて、舐めないでください! でも、下着は舐めさせてください!」


「せやかて、入組試験の基準濃度が厳し過ぎたら誰も合格出来へん。その分、新人は拓馬はんにあまり近付けへんようにして、遠くから徐々に慣らしていく決まりにしたんやで」


「あたしたちは新人じゃありません! 三池さんのダンゴとして板に付いてきた自負があります!」

音無さんが腰に手を当て、自信あり気に胸を張る。


「と、言うことで真矢氏。再試験を求む」


「再試験って、お二人の理性が凄いのは分かりましたから、もう止めても……」

池上さんが監査している手前、これ以上波風が立つようなことはしないでくれ。


「いいえ、三池さんはあたしたちに言いましたよね? 良いところが見たい、って。こんなのじゃ全然あたしたちの凄さが伝わりません!」

「凛子ちゃんの言う通り。試験難易度を上げることを提案。具体的に言えば、三池氏の一日前のインナーシャツを所望」


……ん、この二人。もしかして……

俺の中で生まれた疑念は一旦放置で、音無さんと椿さんの再試験が行われることになった。


使われるのは、俺の一日前の未洗濯インナーシャツ。すでに洗われているんじゃ……と思ったが、またもや用意出来てしまった。


洗濯は組員さんにお任せしていたが、よくよく振り返ってみると、洗濯物の返還が数日遅れになることが多々あった気がする。

これが終わったら、俺の服がどう洗濯されているのか調べる必要がありそうだ。



二回目の試験。

ボックスでタク臭を吸引した音無さんと椿さんが「やっぱこれだね」と、つうぶった顔をしているのが気になるものの――その後、二人は発情の影響なく平均台を渡り終えた。


「ごちそうさまでした」

「堪能」

「試験の感想として思うところはありますけど、おめでとうございます。本音を言うと、意外な結果で戸惑っています」


いつもハァハァしていた二人が、ここまで我慢強いとは……俺、ちょっと感動している。


「ちゃうで、拓馬はん。よく見るんや……音無はんも椿はんもバッチリ発情しとる」

「えっ……あ、たしかに」


なんてことだ。

華麗に平均台を突破するから勘違いしてしまったが、音無さんも椿さんもハァハァ呼吸が荒いし、目がギラついているし、涎が垂れているじゃないか。つまり、いつも通りじゃないか。


「三池さんも真矢さんも、この試験のことを誤解していますね」

音無さんが腕組みをして、知的キャラを演じている。相変わらず発情モーションは続けているが。

「タク臭平均台、発情する人を落とす仕組みみたいですけど……あたしに言わせれば、発情しても良いんですよ。クリア出来れば、全てがオッケーです」


なん、だと……っ。


「発情して前後不覚になる者は三流。発情を抑えて二流。しかし、一流は発情すらも力に変える。私と凛子ちゃんは『濡れ場の馬鹿力』を完全に我が物にしている、むふふ」


椿さんの言葉の意味は分かりたくないが、とにかく凄い自信だ。


「――ってことで、三池さん。最終試験をしましょ♪」


「最終試験って……も、もう十分でしょ? ほら、一日前の俺の下着に耐えたんですから、これ以上何に耐えるって言うんですか?」


「まだ、ある。脱ぎたてホヤホヤを希望」


ちっ、嫌な予感が当たった。

あっさりタク臭平均台の試験を了解した時に警戒すべきだったんだ。音無さんと椿さんは、最初からこの展開に持っていこうと考えていたのか。


「調子に乗るのも大概にせぇや! そないな事、許すわけないやろ!」

「……真矢さんが怒るのはもっともです。でも、あたしたちはここで、自分の有用さを証明しなければなりません」


音無さんが、いきなりシリアスな顔つきになった。涎も止まっている。


「通常の人間が堕ちる快楽を受けても、屈しないことを示さなければ、三池氏のダンゴをクビになるかもしれない――そこの監察官によって」

椿さんが冷たい目つきで、タク臭平均台の横にいる池上さんを見た。


「えっ……」気付いていたのか、池上さんのことを。


「ダンゴの領分から外れた初めてのおつかい、帰ってみればノリノリの三池さん、それに予告なしのタク臭平均台試験が重なれば、裏で何が起こっているのか分かりますよ」


「加えて先ほどの真矢氏の言葉。『新人は拓馬はんにあまり近付けへんようにして、遠くから徐々に慣らしていく決まり』だと言うのに、そこの見かけぬ組員は、応接間の時から三池氏の傍にいた。と、なれば正体は知れる」


突然の明瞭なる考察に、俺と真矢さんは言葉を失った。代わりに聞こえてきたのは、パチパチという池上さんの拍手だ。


「素晴らしい。状況から事態を察する想像力、気配を殺していた私に注目する観察力。どちらも男性身辺護衛官には欠かせないものです。私は存在感のなさに定評があったのですが、こうも見抜かれるとは……なるほど、見かけによらず優秀ですね」

俺たちの方へ歩み寄りながら、褒める池上さん――だが、表情はピクリとも笑っていない。

「……ですが、護衛対象への情欲が強過ぎる、看過できないほどに」


「そのご心配を拭うための最終試験ですよ! あたしたちは三池さんに発情します。それは純然たる事実です」

「だが、自分を見失わない。それを示す……三池氏、協力して欲しい」


「――分かりました」

緊迫した表情のダンゴたち。何が何でも最終試験に挑戦するため、池上さんすらダシに使ったのではと深読みしてしまうが……ここでNoと言えば、音無さんと椿さんを見捨てることになってしまう。一肌でも二肌でも脱ぐしかない。


俺は自室に戻り、別のシャツに着替えると、脱ぎたてを持ってタク臭平均台へと帰還した。

ダンゴたち、真矢さん、池上さん、その他のサポート組員さん。

熱い視線が、俺の手にある下着に注がれている。


「これをボックスの下に置けば良いんですね?」

他の人にやらせるのは危険だと判断した俺は、自らボックスに入り、設置場所に下着をセットした。


それから――ボックス内の湿度と温度によって、下着の匂いが最高のパフォーマンスを発揮する時を俺たちは待った。



しばらくして。

「まずは、私が匂いを確認します」


危険度MAXになったタク臭ボックス、先に臨むのは監察官の池上さんだ。

彼女はゆっくりボックスに接近し、その扉を開け――


「ぐおっ!?」

見えない拳に殴られたかのように、後ろに吹っ飛び、大の字になって地面に倒れた。


「あかん! みんな息を止めるんや! 池上はんの救出と、開けっ放しの扉の戸締り。すぐ取り掛かるで!」

真矢さんの迅速な命令と、素早い組員さんの行動がなければ、池上さんに続き多くの組員が犠牲になったかもしれない。


「し、仕事を放棄しようと思ったのは初めてです。搾りたい、急ぎ帰って搾りたい」

半刻ほど経って、まともに話せるようになった池上さんの第一声がコレである。

俺は、池上さんの旦那さんが明日のニュースを飾らないことを祈らずにはいられなかった。


「認めましょう。この最終試験に合格すれば、あなたたちは正真正銘のタクマさんの男性身辺護衛官です」


監察官から保証された難易度ルナティックの最終試験。

「逝ってきます!」「大丈夫、問題ない」

音無さんと椿さんは凶悪なるボックスへと姿を消して行った。


「心配あらへん。あの二人は発情を力に変える一流や」

「ですね……」


俺に出来るのは信じることだけ。

思い出せ、音無さんと椿さんとの日々を……二人はどんな時でも俺を守ってくれたじゃないか。

発情はしようが、それはそれとして仕事を全うしてきたじゃないか。


自分を見失わず、俺を襲わず、立派に―――




――あれ、そうだったっけ?



結構見失ってなかったか?

直近で言えば、先ほど俺のウィンクを喰らった時に自我を失っていたし。


それに襲ったと言えば、二人からセクハラ紛いに抱き着かれたことは何度もあった。


急激に俺の中で不安が募って来る。

どうして、虚言癖のあるダンゴたちの言葉を全面的に信用してしまったんだ。話半分で聞き流すのが作法なのに。


音無さん、椿さん。

最終試験、本当に大丈夫なんですか?




俺の懸念だが……結論から言うと。



――まったく大丈夫じゃなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る