ファザコンと模擬デート

ファザコン、教壇に立つ。


「あたしが来たからにはもう安心! お父さんの授業は成功間違いなしね!」


大した奴だ。

教室の面々、それにカメラの向こうにいる世界中の人々と相対してなお、紅華は威風堂々としている。


父狂いの変態だから忘れそうになるが、こいつは不知火群島国きっての実力派アイドル。この大一番で緊張はなく、ごく自然にファザコンをこじらせてやがる。


模擬デートの相手は消去法で紅華しかいないが、意外と最適な人選かもしれない。

なにしろ紅華は演技で飯を食っているプロだ。素人を登壇させるよりは頼りになるだろう。


「なぜ、ここにいるのか疑問は尽きませんが……紅華さん、あなたの力をお借りしましょう。先生の相手役をよろしくお願いしますよ」


「はい! お任せを!」


喜色満面の紅華に嫌な予感を持ってしまうが……だ、大丈夫だ。

紅華だって状況は理解しているはず。きっと真面目に演技してくれるはず……だよね?


「今までの授業は聞いていましたか? それをこれから再現しますが」


「バッチリです。ずっと覗いて見ていましたから」


不法侵入の上に覗き魔……っと。

授業後に紅華がどんな処罰を受けるか気になるところだ。どう考えても逮捕不可避だからな……もし、模擬デートをしっかりやってくれたら、減刑の擁護をしよう。



教卓を隅に寄せて、動き回っても差し支えない空間を作り、紅華から三メートルくらい離れて位置取る。


「先ほど教えたことを、先生と紅華さんで実践していきます。復習のつもりでしっかり観てくださいね――では、デートの始まり、女子が男子の家に迎えに行くところから」


まず、動き出したのは紅華の方だ。


門前のチャイムを鳴らし、

「ごめんください」の後、インターホンの向こうにいる男子の親に挨拶している。


実際にはここにチャイムもインターホンもないが、紅華がやるジェスチャーのレベルが高いため、観る者を一気に模擬デートへと没入させる。

やはり、ただのファザコンじゃないな。さすがだ。


「今のように男子の親御さんへ挨拶し、さらにデートの行き先や予定帰宅時間を伝える。これはとても重要なことです。結婚は男子だけでなく、その家族と繋がりを持つことになります。常に相手の家族から信頼される人物であるよう心がけてください」


紅華の行動に合わせて、俺は説明を入れる。

それをフムフムとメモしながら聞き入る女子たち。

理想的な流れだ、このまま行きたいところだが。


紅華の演技は続き、男子の親からの了承を得て、家の中に足を踏み入れた。


そろそろ出番だな。


紅華が俺の部屋をノックする……ような動きをしたので。


「どうぞ」と、招く。


ここから初々しくも節度のある男女の会話をして、いざデートへ向かうのである。


扉を開くジェスチャーをした紅華が、俺を見て嬉しそうに言った。


「こんにちはっ! お父さん!」

「ちょっと待とうか」


紅華の手を引っ張って教室の隅に移動する。

トム君たちの怪訝そうな視線が背中に当たり、痛くもあり恥ずかしくもある。


「えっ、何かいけなかったですか?」


まったく心当たりがないと言いたそうな紅華。

アカン、やっぱりこいつはアカン。


俺は声量を抑えつつ、指摘する。

「ダメじゃないか。今の私と君は父娘ではなく、同年代の少年少女なんだ。『お父さん』は不適切だよ」

「…………………………………………ああっ」


ああっ、が遅いな。すぐ気付いてくれよ。


「私のことは『ミスター君』と呼びなさい、いいね?」

「任せて! お父さんの娘として、もうヘマしないから」


うわぁ、これほど期待が出来ない返事も珍しい。



ともかく今は公開授業中だ。いつまでも紅華とコソコソ話をするわけにもいかない。


俺は、生徒たちの前に戻った。

「まだ紅華さんとの呼吸が合っておらず、お見苦しいところを見せてしまいましたね。すみません……ええと、では次に移りましょう」

 





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





幸先悪く始まった紅華との模擬デートだったが、その後の展開もお察しの一言だった。


「今日は暑いね。ミスター君? は喉乾いていないの? あたしはもうカラカラ~」

「ミスター君? の服は渋いね。あたし、そういうの好きだよ」


紅華の演技は申し分ないのだが、俺を呼ぶ時だけは腑に落ちない喋り方をする。

他の部分が上手い分、そこだけが異様に目立つ。聞いている生徒たちも『ミスター君?』に戸惑う有様だ。

おそらく紅華の中のファザコンが、お父さん呼びじゃない事に拒否反応を起こしているのだろう。


呼び方だけならまだ目をつぶることが出来た。

だが紅華は調子に乗った。


「えへへ、ミスター君? もっとくっ付こうよ」

手を握るだけでは飽き足らず、奴は腕を組んでくる。


「これはいけませんね。男子の誘拐防止のため手を握るまでは良いでしょう。しかし、腕を絡めるのはやり過ぎです。初デートですし、男子が怖がってしまいますよ――紅華さん、これは先ほど口頭で伝えたはずですが」

「あえて悪い例を出しました。必要悪です」


こやつめ、ぬけぬけと!



紅華は全力で楽しんでいた。

不知火群島国では女子が男子をエスコートするのが常識だ。しかし、奴は俺を父親として見ているようで、とにかく甘えてくる。

そんな紅華の態度は授業の流れに沿っておらず、生徒たちを微妙な顔にさせていた。

まずいぞ、これでは授業がグダグダになって、パラダイムシフトが失敗に終わる。



「次はどこへ行こうか? ねえ、おと……ィスター君?」


ちっ、一旦仕切り直すか。


「すみません。少しの間だけ時間をください。紅華さんと模擬デートの打ち合わせをしますから」

俺は早口でまくし立て、トム君たちの返事より先に紅華の腕を取って廊下に出た。


セミナー室の扉はしっかり閉め、ある程度の距離も置く。よっぽどの大声でない限り、こちらの声が室内の少年少女に聞こえることはないだろう――と、いうことで。


「紅華さん、これでは困る。公開授業は絶対に失敗できない。それを君は分かっているのか!?」キツメの調子で説教をする。


「ご、ごめんなさい、お父さん」


「その『お父さん』を止めてくれと言っただろう。私たちは本当の父娘じゃない、それを肝に銘じて欲しい」


「あたしが、お父さんの娘じゃない……っ」


紅華の瞳が闇に染まった。天道家お得意のレイプ目だ。咲奈さんもそうだったが、天道家の連中はお手軽にこの目をするからタチが悪い。


いつもの俺ならここで甘い態度を取ってしまうだろう。しかし、切迫した状況のため心を鬼にして断言する。


「そうだ。私と君は、血の繋がりのない赤の他人だ」


「やめて! 父娘の間に血縁なんて関係ない! 気持ちの問題だよ!」

いやいやと耳を塞ぎ、首を横に振る紅華。



なんか、すごく面倒くさい。

今は公開授業の真っ最中なんだぞ。世界を相手にした負けられない戦いの途中なんだぞ。


だのに、どうして俺はファザコン対応に難儀しているのか。


もうさ、もうね……


『ミスターの正体をバラしても良いんじゃないかな』


俺の中の冷めた部分がそう提案した。


紅華は、ファザコンである前に天道紅華である。

そう思っていた。だが、間違った認識だった。


紅華は、天道紅華である前にファザコンなのだ。

ファザコンに手足をやしたのが紅華なのだ。

短時間で人格矯正出来るレベルじゃないのだ。


なら、荒療治を用いたくもなる。


ミスターの正体がタクマだと分かれば、紅華のファザコンは崩壊し、やっとまともな模擬デートが出来るかもしれない。


懸念すべきは、紅華がタクマを嫌っていること。

憎い相手が愛する人に化けていた――あいつは激怒するだろう。

果たして、「よくも騙したなぁぁ!」と、怒り狂う紅華が模擬デートに協力してくれるのか……


考えがまとまらない俺に、その声はかけられた。


「悩む必要はございません」


「えっ? あ、あなたは……」


振り返ると、メイド服を着た女性が立っていた。

見覚えがある、咲奈さんとのテレビレッスン中に毎回飲み物やタオルを差し入れするメイドさんだ。

この人も交流センターに侵入していたのか。


「私は天道家の管理を仰せ付かっているメイドです」

そう自己紹介して、メイドさんは薄く笑うのであった。

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