【メイド、上陸する】
「はぁ~」
と、吐き出した息で窓が曇りました。今日も外は寒く、風光明媚な天道屋敷の庭に冬化粧が施されています。
掃除中に溜め息をつくのはメイドとして如何なものですが、現在の天道家の沈んだ空気を想うと、溜め息の一つでもしたくなります。
祈里様も咲奈様も顔色が優れません。
祈里様が落ち込んでいるのは、お見合いの失敗回数がついに三十の大台を越えたからです。同時に歴代当主のお見合い失敗ランキングでトップ3入りを果たしました。
誠におめでとうございます。これからも上(下?)を目指していただきたいと内心のエールを惜しまない所存でございます。
咲奈様が落ち込んでいるのは、日課としていたタクマさんとのお電話がないからでございます。
タクマさんは『南無瀬市百貨店襲撃事件』で負った心の傷を癒すため休養を取っておられるとのこと。
何でも南無瀬島から出て、違う場所でのんびりされるそうで……そのため、しばらく咲奈様との電話レッスンが行われていません。
私が溜め息をついた理由も、この電話レッスンにあります。
レッスンの休憩時間を見計らって、お茶やタオルを咲奈様に差し入れし、咲奈様が休んでいる隙をついてタクマさんと言葉を交わす……わずかな時間しかなく、会話とも言えない挨拶程度ですが、それが私の生き甲斐でした。
世界で唯一の男性アイドルが私の方を(画面越しとは言え)向いて、私のためだけの言葉をお口になされる。
これを幸せと言わずに何と言いましょう!
タクマさんと顔を合わせている時ほど、女としての幸福を感じずにはいられません。
それだけに電話レッスンの中止が痛とうございます。ええ、もう本当に。
さらに溜め息を重ねて、窓拭きの腕を動かし始めた時でした――私の携帯電話が鳴ったのでございます。
仕事用の電話ですから、天道家に関わる人でございましょう。
ハンカチで手の汚れを拭い、メイド服のポケットから携帯電話を取り出します。
表示されている相手は――紅華様?
「もしもし。どうかなさいましたか、紅華様」
『あっ、もしもし……今、いい?』
おや、紅華様のお声が弱々しく感じられます。いつもの歯切れの良さがまったくありません。
昨日、紅華様が出場するはずだったコンテストが中断になったと聞いております。詳細については
コンテストのことで、何かお悩みがあるのでしょうか?
そんな私の想像とは裏腹に、紅華様がおっしゃたのは……
『あの、あのね……人探しを手伝って欲しいの』
「人探し、でございますか?」
『ごめん! 忙しいと思うし、こんなこと仕事の範囲外だと思うけど、他に頼れる人がいなくて』
私は先代の頃から天道家に仕え、今の祈里様、歌流羅様、紅華様、咲奈様のお世話を昔から任されてきました。
厳しい芸能界に身を置く祈里様たちのフォローをすることは珍しくありません。メイドの範疇を逸脱するお願いを叶えたことも一回や二回ではございません……が、人探しとは初めてのことです。
「落ち着いてくださいませ。誰を探せばよろしいのか、どうして探そうとしているのか、それを教えて頂かなければ承諾も拒否も出来かねます」
『そ、そうだよね。うん……あたしね、東山院で運命の出会いをしたの』
運命の出会い!?
何ですか、その夢見がちで世間知らずな子どもが言いそうなフレーズは!? 俄然、香ばしい愉悦臭が漂ってきます。
私は紅華様のお話を一語一句漏らさないよう、携帯電話を耳に押し付けました。
『あの人と会ったのは、お見合い会場の観覧ルームでね――』
紅華様の話を聞き終え、私の胸の内で渦巻いたのは激しい憤りでございました。
何たることっ! 私の目が届かない場所で、そんな面白いことが起こっていたなんて!
紅華様にファザコンの気があるのは承知しておりましたが、それが良い感じに開花して悪化しているとは
ぜひ、間近で観察しなくてはいけません。
「事情は分かりました。コンテストの途中で行方不明になったミスター様を探せばよろしいのですね?」
『うん、お父さんがあたしに断りもなく居なくなるなんて……よっぽどの理由がある。そうじゃなきゃおかしい!』
おかしいのは他人をお父さん認定して追いかけ回している紅華様ですが、傍から見て
それにしても、そのミスターというお方。
何者でございましょうか?
紅華様曰くナイスミドルで、大勢の前で歌を披露する精神力と技術の持ち主。一般的な男性とは明らかに異なります。
そのようなお方が、これまで露出していなかったとは……引っかかりますね。
強い精神力と高い技術を持つ男性、まるでタクマさんのようです。
タクマさんと言えば、現在南無瀬島を離れて療養中……もしそこが東山院だとしたら……
「ミスター様の居場所で何かヒントになることはありませんか?」
『ヒントねぇ……あっ、そうだ。タクマなら知っているかも!?』
「はっ? タクマさんが?」
『そうなのよ。コンテストの前日にね、お父さんが歌の練習をしていたスタジオにタクマがいたの。なんとあいつってお父さんの弟子らしいわ、あたしを差し置いて生意気よね!』
タクマさんに師匠がいたとは聞いておりません。電話レッスンの時もミスターという男性から師事を受けている、などとタクマさんは一言も口にしていませんでしたし……ガセ臭いですね。
「ちなみにその時、ミスター様とはお会いになれたのですか?」
『それが、タクマの奴が頑なにお父さんに会わせなくて……せっかくスタジオに忍び込んだというのにさぁ』
仕える主が不法侵入の罪を犯しているようですが、それは置いておいて――私の脳に一つの推論が浮かび上がりました。
ミスター様ってタクマさんじゃね?
おっと、私としたことが雑な言葉遣いになってしまいました、反省。
帽子にグラサンに髭……ミスター様の風貌は変装で十分再現出来そうですし、『タクマさん=ミスター様』の可能性は高いように思えます。
ともかく東山院に向かう理由が増えました。
紅華様の
さらにタクマさんと直に出会えるチャンスもあるとなれば……東山院、行かざるをえません!
紅華様に明日には東山院入りすると言って電話を終え、私は屋敷主の祈里様に事情を説明しました。
ミスター様のことは適当にボカし、紅華様の仕事に問題が発生したのでフォローしに行く――との旨を言うと。
「分かったわ。解決するまで屋敷のことは臨時のヘルパーに対応してもらいます。紅華のこと、よろしくね」
祈里様はすぐさま私の東山院行きをお認めになりました。妹想いのお優しい姿は、家長の
男性が絡まなければご立派ですね、祈里様。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
翌日。半日の船旅の末、私は東山院に到着しました。
タラップを降りて、港のゲートをくぐると。
「こっちこっち」
ゲート出口で、ツバの広い帽子を深く被り伊達メガネをした紅華様が手招きしていました。
「わざわざ迎えに来てくださり、ありがとうございます」
「あたしの方から頼みこんだ事だもの、気にしないで。それより、その格好……」
紅華様が私を見て、何か言いたげな表情を作っておられます。
「格好、ですか……ああ、いつものメイド服に似ていますが、きちんと防寒仕様となっています。冬空の下でも問題ありませんよ」
「いや、そうじゃなくて……屋敷でもないのにメイド服だと凄く目立つんだけど」
言われてみれば、中御門を旅立った時から周囲の視線を感じていました。
「おほん、これはワザとでございます」
「ワザと?」
「周囲の目を私に釘付けにして、その分、トップスターである紅華様の存在を薄める……そういう作戦でございます。紅華様がどんなに変装しようとも、そのカリスマ性は十分に隠せませんから」
「へぇ……あなたってメイドの鑑ね。あたし、感心しちゃった」
チョロアマでございます。祈里様同様、天道家の皆様はこんな感じでいつまでもポンコツであることを望まずにはいられません。
ちなみに私がメイド服なのは紅華様云々関係なく、ただの趣味です。
「あっ、それよりさ。今朝のニュース見た?」
「籠城事件のことでございますね。船上で確認いたしました」
「ど、どうしよう……お父さんが見つかったのは良いけど、まさか事件に巻き込まれているなんて……」
「ネットでは彼が首謀者という声も上がっていますが……」
「そんなわけないっ! お父さんは優しい人よ。きっと男子に人質に取られているんだ、何とか助け出さないと!」
前代未聞の男子が起こした籠城事件。
タクマさんと思しきミスター様は、加害者なのか被害者なのか。
「ねえ、何とか交流センターからお父さんを助け出せないかな?」
警察や仲人組織の警戒網を突破し、男子の目を掻いくぐり、ミスター様を救出する。
紅華様の願いは途方もないことではありますが――
「ご心配なく。私にお任せください」
実に面白いです。ファザコン様とミスター様が遭遇した時、どんな事が起きるのか……考えるだけで色々な所が熱くなります。
『主の願いを叶える』、『己の快楽を満たす』、『両方』やらないといけないのが「メイド」のつらいところですが、久しぶりに本気を出すとしましょう。
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