アイドルを続ける理由
「咲奈さん、俺はもうあなたの弟にはならない」
姉欲にまみれた少女へ退弟届けを提出するのには、膨大な勇気が必要だった。
しかし、俺はついに言ったのだ、言ってやったのだ!
「……どうして? お姉ちゃんの何が悪かったの? わけを話してよ。お姉ちゃん、頑張って直すから」
「無理だよ、俺の方が年上って事実は直しようがない」
「年齢なんて関係ないよ! 祈里お姉さまが言ってた、人間は生きた時間より何を
その名言、使い所が絶対間違っているぞ!
俺はフルフルと首を横に振り、拒絶を示す。
「あっ!? 弟にはならない、だってお姉ちゃんの夫になりたいから――つまり、そういうことだよね、タッくん!」
ちげぇよ! なんでいちいち名言っぽく返してくるんだよ。姉弟プレイは
「弟にも夫にもならない。俺は天道家の一員にはならないし、当然結婚もしない……天道家の婚活事情は聞いているよ。今回、俺に近付いたのもお姉さんと俺をくっ付ける気だったんでしょ」
そして、姉妹制を適用させ、俺を姉妹全員の夫にする気だったと……
「祈里お姉さまとタッくんをくっ付ける?」
レイ○目で小首を傾げる天道咲奈。
え、違うの?
「――ああ、そういえばそうだった」
ポンと手を叩いて「お姉さまにタッくんを差し出すなんて……前の私ってほんとバカ」
あの、小声で恐ろしいことを呟いていませんか。
眼前の少女から裏切りや下克上の匂いがプンプンする。
……と、
天道姉妹の仲を心配するより、言うべき事を全部言おう。
「俺には目標があるんだ、この
アイドルに結婚は鬼門だからな。結婚報道で一気に仕事がなくなったアイドルの多いこと多いこと。
彼らと同じ道を辿るわけにはいかない。
それでなくても男に対して過剰反応がデフォな世界だ。肉食女性たちが、世界唯一の男性アイドルの結婚をどう受け止めるのか……うう、想像しただけで胃が痛い。
「いいの? 大変だよ? トップアイドルになるのなら
不知火群島国のどの島にも独自の特色がある。この南無瀬領は漁業が盛んというホッコリな特徴だが、残りの島は癖の強い個性をお持ちで、アイドル活動の多難さを感じずにはいられない。
それでも――
「どこだって行くさ。そこに男性アイドル・タクマを待つ人がいる限り」
コラボ劇の突貫作業の夜に椿さんからもらった言葉を思い出す。
「三池氏、自信を持って欲しい。今、目の前に広がるのは、あなたが作った光景。あなたのこれまでのアイドル活動で救われた人たちが、今度はあなたを救いたいと集まって出来た光景」
こんな世界で黒一点アイドルをするのは貞操的に危険極まりない。だが、同時にこれほどのやりがいを俺は他に知らない。
目立ちたいからだとか、日本に帰るためだとか、あくまで自分本位で始めたアイドルだったけど――今は。
「難題ばかりの俺の活動だけどさ、文句一つ言わず支え、応援してくれる人たちがいる。俺を見て元気になってくれる人たちがいる。そんな人たちのためにも、俺はアイドルとして頑張っていきたい……そう思うんだ」
自分の胸中を包み隠さず、
「……そっか」
考え事をするように天道咲奈は瞳をしばらく閉じ、次に開けた時。
「ごめんなさい、タクマお兄ちゃん」
その目は暗黒に染まっておらず、初対面の時のようにキラキラしたものに変わっていた。
タッくん呼びじゃない、ということは。
「タクマお兄ちゃんは天道家が独り占めしちゃいけない人なんだね」
天道咲奈が周囲を見渡す。
南無瀬組の人たちが少し離れた所からこちらを心配そうに窺っている。
十歳の少女の説得に、ダンゴや黒服さんを引き連れるのは情けないから距離を置いてもらっているのだ。
事情を知らない参加者の中には「なにあれ? もしかしてタクマさんと一対一でお話が出来るブース!? おっしゃぁぁ、次は私だぁ!」とクラウチングスタートの構えを取る人もいるが……そんな人の傍らにはスゥーと黒服さんが近寄り、ポンポンと肩を叩き、いずこかへと連行していく。
「こんなにもたくさんの人に慕われているだもん。
「咲奈さん……」
意外と簡単に納得してくれたな。正直な気持ちをぶつけたのが良かったのか。
「でも、一つだけお願いしていい?」
「えっ?」
「わたしもタッくマお兄ちゃんを応援する人の中に入れてくれないかな?」
天道咲奈がニコッと笑った。
天使の笑み、そんなタイトルを付けて額縁に飾りたいほど素晴らしい笑顔だった。
――ただ、なぜだろう?
マイサンことジョニーは、最後まで対姉欲少女への鎖国政策を緩和しなかった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
お世話になった人たちに挨拶に行く、という天道咲奈と入れ替わる形で。
「お話し合い、上手くいったみたいですね!」
「上々の結果で、私の気分も上々」
「ひとまず大きな問題にならんでホッとしたわ」
南無瀬組男性アイドル事業部の面々が、こちらへ駆け寄ってくる。
「ふぅ~、舞台を終えた時くらい疲れましたよ」
近くのテーブルに手を突いて、体勢を楽にする。
「では! 三池さんのご心労を吹き飛ばすべく、あたしがとっておきの宴会芸を披露しますよ!」
音無さんが豪語する。
そういや『みんなのナッセー』の特別公演の打ち上げで、宴会芸をするって言ってたな。結局、打ち上げは今日まで延期されて日の目を見ていなかったけど。
「何をするんですか?」
「うふふ、手品ですよ。物質消失マジックです! 時に三池さん、ハンカチを貸してくれませんか?」
「いいですよ」とポケットからハンカチを出して渡す。
「ありがとうございます! これをテーブルに置いて……次に私のハンカチを広げて」
「おお、凛子ちゃん (のハンカチ)が三池氏 (のハンカチ)に覆い被さっている」
誤解を生む言葉の省略やめぇ。
「で、イチ、ニ、サン、でハンカチを取ると……!」
「おお、凛子ちゃん (のハンカチ)が三池氏 (のハンカチ)を食べた」
悪意のある言葉の省略やめぇ。
「へえ、本当にハンカチが消えてる」
テーブルの上や手品師の手を観察するが、音無さんのハンカチは健在で俺の物だけ影も形もない。
「えっへん! 凄いでしょ」
「確かに、音無さんにこんな特技があったなんて知りませんでした」パチパチと拍手を送ってから「あの、それで俺のハンカチ、返してください」とお願いする。
「あっ、ごめんなさい。三池さん、これ物質消失マジックなので本当になくなっちゃったんですよ。代わりにあたしのハンカチをプレゼントしますから、物々交換ってことで」
「なにが物々や! けったいな方法でパクッてるんやないで!」
真矢さんが音無さんの背後を取り、ダンゴ制服の後ろポケットから俺のハンカチを救出する。いつの間にあんな所へ? 真矢さんもよく気付いたなぁ。
「ああぁ!? 今月のオカズがぁぁ」
「おいたわしや、凛子ちゃん。この時のために頑張って練習していたのに、私も後で使わせてもらいたかった……」
「二人とも大概にせんかい! また罰として掃除をさせまくるで!」
ぎゃあぎゃあ騒いでいる女性陣に呆れつつ、俺は天道家の誘いを断った理由をもう一つ見つけた。
――そうか、俺はこの賑やかなメンバーと一緒に、これからもアイドル活動をやっていきたいんだ。たとえ、この先の道が苦難の連続だろうと、みんなと泣いて笑って乗り越えていきたいんだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「せや、拓馬はん」
ハンカチを取り戻した真矢さんが、こんなことを言った。
「劇団コマンドから今回の舞台を撮影した映像データを販売したい、って話が来とるんや。拓馬はんが代わりに出た舞台って、あの一回きりの幻の舞台になるやろ。見られなかった人たちからクレームが殺到しとるんやって」
『魔法少女・トカレフみりは』の舞台はこれからも続く。しかし、魔性のぎょたく君がこれからも舞台に立つことはない。代役をやったのはあくまで緊急事態に対処するためで、さすがにずっと舞台に縛られるわけにはいかないのだ、俺には他の仕事もあるし。
次の公演までには一週間の猶予があり、破損したサカリエッチィのマスクを何とか修理出来そうだ、という話を耳にしている。サカリエッチィさんの様態も快方に向かっているそうで、もう新生ぎょたく君の出番はないだろう。
「映像販売の件は構いませんよ……あ、でもそうなると。最後のシーンで、俺のパンツがはみ出している所が、たくさんの人たちに観られるわけですよね」
なかなかに恥ずかしいが、まあ耐えられないほどじゃない。不知火群島国の女性が耐えられるか、そこは心配だが。
「うっ」真矢さんが一瞬で真っ赤になった。俺のパンツを思い出してしまったようだ。
「だ、大丈夫や。その辺はモザイク処理して誤魔化すさかい」
おい、待ってくれ!
股間の近くにモザイクなんかしたら、パンツよりも恥ずかしいモノがはみ出しているようじゃないか。そこまで行くと魔性じゃなくて変態だから!
後日。
俺がしっかり監修したコラボ舞台の映像データが発売されることとなった。
懸念だったパンツ問題は、謎の光が横から差して上手いこと股間部を隠す、という手法で切り抜けた。なんだか神々しい変態になってしまった感はあるが、モザイク処理よりはマシだと自分に言い聞かせておいた。
だが――
新生ぎょたく君が活躍する舞台の映像データ、こいつが不知火群島国のある島を揺るがす大騒動の切っ掛けになるなんて……
そして、当然のように自分も巻き込まれていくなんて……
俺は想像もしていなかった。
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