新生ぎょたく君

勝負の日が来た。

俺が南無瀬領でアイドル活動を始めて以来、最もプレッシャーのかかる日がやって来たのだ。


「やあ! グッドモーニング! 実にイイ朝だ。太陽はまだ昇っていないが、ボクが朝と言ったら朝なのさ。ちゃんと眠れたかい? 下半身の方も元気にしているかい?」


怒濤たる一日の始まりは寸田川先生の挨拶セクハラからだった。徹夜明けだろうに最高にハイッになっている、それだけに満足な仕事が出来たようだ。


「さあ読んでくれ、新しい台本さ。タクマくんの魅力を全解放する会心の作品になったよ」


寸田川先生渾身の脚本を翻訳し、俺は昨晩の己の過ちを心の底から悔いた。

なぜ俺は、寸田川先生の挑発に乗って「完全無欠な悪役になってみせる」などと宣言してしまったのだろう。

代役志願をして心が高ぶっていたとはいえ何たる失態!


幼児対象番組で愛されキャラだったぎょたく君が、新脚本の中ではグレにグレている。

暴力に訴える単純な悪役キャラならまだ可愛げがあるだろうに、寸田川先生が再構成したぎょたく君はえげつない、とにかくえげつなく書かれていた。


こんなん舞台に上げてお客さんの精神は大丈夫なのか、演じる俺の精神は脚本を読んだだけで限界に近いぞ。

だが――


「タッくん! 全力でお姉ちゃんに寄りかかっていいからね。全部受け止めるから!」

自称お姉ちゃんから正規お姉ちゃんにクラスチェンジし、やる気に溢れる天道咲奈を前にして、覚悟を決める以外の選択肢はなかった。



午前中に猛稽古を行い、少しずつ手応えを感じ始めた俺は、同時に新ぎょたく君の恐ろしさをも感じるようになった。

さすが鬼才の寸田川先生、なんてキャラを作るんだよ。


昼頃に一度、委員長や姉小路さんらモニターを集め、新ぎょたく君のお披露目を行ったところ……

姉小路さんはその場で昏倒し、委員長はトイレの人になってしまった。他のモニターたちも似たような反応だ。

まだ新コスチュームが完成しておらず、ジャージ姿で演技してこの威力。衣装も着て完全体になってしまえばどれほどの戦闘力を有することになるのか……やはり新ぎょたく君は危険すぎる。


急ぎ演技を修正しなければ!

と、いきたいところだが、

「良いね、良いねぇ、最っ高だね~」

演出にも口を出すことになった寸田川先生の辞書に『自重』や『ブレーキ』という言葉はない模様。

このまま変更なしのフルスロットルで本番へ突っ込む気だ。おうふ。


俺の心に広がる悲しみは別として。

役者たちは新脚本を読み込み自分のものとし、音響は新しいサカリエッチィの声を手に入れ舞台用に編集し、照明はサカリエッチィの映像を映すスクリーンを用意し、大道具小道具は新たなストーリーに必要な物を作るなり購入するなりし、衣装はオツ姫さんを主体として新ぎょたく君のコスチュームを製作し……

全スタッフ、全助っ人の懸命な作業の末に……開場時間と時を同じくして全ての準備は整った。


「みんな、昨日からよく頑張った。無謀と思えるような突貫作業だったが、全員の力を合わせればこれほどのことが出来る。そこに自信を持ってほしい。あとは手伝っていただいた南無瀬領の人たちの期待を裏切らず、本番をきっちりこなしていこう。大丈夫、私たちなら出来る!」


劇団コマンドの団長さんが熱いスピーチをする。団員たちのほとんどが睡眠不足だが、士気は最高潮と言っていいだろう。

新参者の俺にもこの場に漂う一体感が伝わってきた。

スタッフの心が一つになっている。イケる、これなら (新ぎょたく君関連に目を背ければ)イケるぞ!


そして、その時が来た。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「ぎょぎょ、本日はようこそお越し頂きました。ボク、ぎょたく君です」


『みんなのナッセー』でおなじみのぎょたく君姿で、俺がぺこりと頭を下げると劇場内に大歓声が巻き起こった。狂乱ではなく秩序ある大歓声だ。

ファンクラブの広報活動のおかげで、俺が『魔法少女トカレフ・みりは』の舞台に立つことは周知されている。


「公演に先立ちまして、皆様にお願いがあります。本公演はフィクションです。実在の人物や魚、団体とは一切関係ありません。くれぐれも我を忘れないようにしてください。もし、暴走して舞台を荒らすようなことをしたら……そんな人、ボク嫌いになっちゃうからね」


寸田川先生から俺の活動は周囲を抑えることばかりに気をかけて守りに入っている、と批判された手前、新脚本に口出しはしなかった。

しかし、だからと言って観客を抑えることを放棄するつもりはない。こうやって脚本以外のところで観客に浅はかなことをしないよう釘を刺すのだ。

昨日悪質な一部のファンがファンクラブから除名された、と観客の多くはすでに知っている。「嫌いになっちゃう」発言が冗談ではないと分かっているはずだ。


俺の言葉に観客たちが苦しそうに胸を押さえている……よしよし、釘刺しは成功っと。

急遽本番前にねじ入れた注意事項コーナーが無駄にならないようで一安心である。



俺の退場に合わせて、舞台の緞帳どんちょうが上がった。


劇の前半部。みりはが魔法少女になるくだりは、当初の脚本通りなので問題なく進行中だ。

天道咲奈のフレッシュかつ巧妙な演技が、観客たちを劇にどんどん没入させていく。天才子役とはまさに彼女のためにある言葉だろう。

ほんと、俺よりずっと年下のなのに素直に尊敬してしまうぜ。


中盤。平和な街に突如サカリエッチィの部下たちが現れ、男を漁りつつ暴れまわるシーンになった。

ここが俺の初登場シーンだ。

一般の人々に混じって俺も逃げ惑う。

どうして一般人の中に半魚人がいるのか、むしろ見た目怪人の半魚人なら敵側ではないのかとツッコんではいけない。


戦闘員たちは一般人を蹴散らし、ぎょたく君を取り囲んだ。

いくら性別がオスだからと言って、人間ではなく魚をターゲットにするとは趣味の悪い奴らである。

みりはが駆けつけるものの間に合わず、ぎょたく君はサカリエッチィ一派に連れ去らわれてしまった。


「ああ、ぎょたく君が……」


観客席から小さな悲鳴が漏れていたが、前日の『みんなのナッセー』特別公演のように悪者キャラへ「ぶっ○してやる!!」とか「SATSUGAIせよ!」など暴言は聞こえてこない。

良かった、注意事項を俺の口から言ったことが効いているようだ。

そのまま落ち着いて観劇してくださいよ、と祈るばかりである。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




ストーリーがクライマックスへ向かう中、舞台裏で俺は新ぎょたく君へとコスチュームチェンジした。


「タクマくん……ぎょたく君のこと、よろしく頼むわよん。なるべく綺麗なまま帰って来てね」

俺のメイクを担当してくれたオツ姫さんが必死な形相でお願いしてくる。

『みんなのナッセー』のスタッフである彼女にとって、ぎょたく君は可愛い我が子のようなもの。

それが新脚本では良くない高校デビューを果たしたように描かれており、親として心配で仕方ないのだろう。新脚本を読んで「ぶくぶく」と泡を吹いていたようだし。


「人間、汚れを知って大人になっていくもんですよ」

「そんな世知辛いこと言わないでん! ぎょたく君は大人にならなくて良いのよぉ」


すみません、オツ姫さん。どう頑張っても綺麗なまま終われません。ぎょたく君のイメージがぶっ壊れるのは明らかです。

でも、犠牲が最小限になるよう頑張りますから、どうか乾いた笑顔で見守ってください。




もうすぐ再登場のシーンである。早鐘を打つ心臓に手をやり舞台袖で出番を待っていると、

「三池さん」

「三池氏」

「拓馬はん」

音無さん、椿さん、真矢さんが俺の名を呼んだ。

三人とも顔が赤くなっている。彼女たちは精神安定剤を服用しているはずだが、それでも今の俺は刺激が強いらしい。


「三池氏の思う悪役を好きに演じるといい。それが一番」

「拓馬はんならやれる。うちは信じとるで」

「あたしから言えることはありませんけど、しいて言うなら終わった後その衣装ください」


椿さんと真矢さんの激励は短い言葉だったが、それでも胸が軽くなった気がする。

「……はい、行ってきます」

二人に感謝の気持ちを込めて返事をし、俺は舞台に向けて一歩踏み出すのであった。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「ここまでよ! 観念しなさい、サカリエッチィ!」

『やるな、魔法少女みりは。だが、私には奥の手があるのだ』


みりは乱舞によって戦闘員たちが床に倒れ、勝敗が決したかと思われた時。

舞台上空のスクリーンに映るサカリエッチィが不敵な声でこう叫んだ。

『行け、我が科学によって生まれ変わった最高傑作! 新生ぎょたく君よ』


BGMが木管楽器のオーボエが奏でるようなものに変わる。音の高低が小さく、何だかねちっこいメロディ。

洋画のラブシーンで流れそうな曲だ。


それと共に俺は登場した。セクシーに腰をふりふりしながら。

ざわ! ざわざわ! と観客席から動揺が発生する。


悪に染まったぎょたく君には、これまでにない特徴をいくつか持っていた。

最初に目に付くのがスリットスカートであろう。

スカートの切れ目から覗く生足が非常に煽情的である、と劇団の人たちは言っていた。

あれ、そもそもぎょたく君は裸がデフォルトな格好だから、常に生足じゃないか……と、俺は思うのだがスカートを取り入れたことで生まれたチラリズムがイイとのこと。上級者共め。


さらにナチュラルメイクだった顔には、濃いめのアイシャドウや真っ赤な口紅が塗られ、遊女的な妖艶さを醸し出している。

アクセサリーが至るところに付けられ、ゴージャス感一杯だ。

また、某魚に超詳しい人みたいに頭に被っていた魚を模した帽子は、ピンクの派手な魚に変わっている。


総じて言うとエロい。これまでにないエロさを持ったアダルティックなぎょたく君になったのだ。


「ぎょ、ぎょたく君! どうしちゃったの、その恰好は……!?」

「ふふふ」


自分の手でスリットをあえて広げながら、俺は艶めかしく言った。


「ねえ、みりはちゃん。今からボクと楽しい遊びをしよっ。ねっ♪」

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