消え行く者たちへ

「待っていたぜェ!! この"瞬間とき"をよぉ!!」


!?



現れたのは『自分、ツッパってます』と自己主張の激しい格好の少女だった。

毛先は金色だが根本は黒のパサパサ髪を振り乱し、丈の長い服を着ている。

見た目からして、この子が姉小路さんを襲ったという『特好ぶっこのみのタク』のメンバーか!?


あらかじめ真矢さんから、様々な状況のデータを取るため十人十色のモニターを集めた、と聞いていたけど……そうか、こういう過激な人もいるわけね。


内心慌てる俺だが、ファンはファンだ。

アイドルスマイルで歓迎しよう。


「シャァァァ!! モノホンだ! モノホンのタクマさんだぁぁぁ!!」


事前に観せた映像も、聞かせたBGMも、嗅がせた匂いもまるで効果がなかったようで相手は興奮状態である。

リラクゼーションとはなんだったのか?


「ヒャハアアーー!!」

少女はアクリル板まで特攻ぶっこみし、ガンと大きな音と共に張り付いた。

ひぃ!?

思わず椅子から立ち上がり、距離を取ってしまう。

頑張って作ったアイドルスマイルが早くも崩れそうだ。


「タクマさん! タクマさん! OH、YES! タクマさん!」


こ、こえええ……


目の前で猛獣が暴れている。もし、アクリル板がなかったら、押し倒されてなぶり犯しにされていたことだろう。


「っ! 三池さんを怯えさせるなんて許せない!」


「これより討伐を開始する」


「まあ、二人とも待ち。仕切りがある限りどないしても拓馬はんには手ぇ出せへん。それより拓馬はん、はよケースを」


「あ、わ、分かりました」


平積みされた音声ドラマのケースを一枚取って、あなから恐る恐る差し出す。


「あの。これを」


「タクマさん! タクマさん! ちっくしょおお、このガラス邪魔だぁ! オラオラオラオラ!!」


だが、相手はアクリル板を叩き始めて聞いちゃいない。

どうしたもんか、と困惑していると――


「ほい、何度も連絡していた注意事項『仕切りへの攻撃、またすべての暴力行為を禁止する』に抵触や。ってことで、ポチッとな」


真矢さんが、壁に付いているスイッチを押した。


パカッ。


そんな間抜けな音がして、ヤンキー少女の姿が消えた。

奈落である。

少女の立つ床には舞台装置でお馴染みの落とし穴が仕掛けられていた。それが、彼女を平屋からステージ下へ強制退場させたのだ。


「がぁ!?」


最後の瞬間、彼女は自分に起こった悲劇を把握することも出来ず消えていった。サイン付き音声ドラマをもらうこともなく。

危険な人だったけど、不憫だ。


「拓馬はんが気を悪くする必要はあらへん。あの子は、不運ハードラックダンスっちまったんや。悲しいことやけどな」


不運ハードラックって、凄く人為的で作為的で意図的な落とし穴なんですけどそれは……



ファン側には椅子を置けない事情があると言ったが、これのためだ。

奈落。

真下にはクッションとして最適なウレタンを敷き詰めたプールがあるため落ちても安全である。

ただ椅子など固い物と一緒に落下すると怪我をする恐れがあるので、ファン側の床には何も置かないようにしていた。


わざわざ平屋をステージの上に建てたのは、暴走したファンが殺到するのを防ぐため。という理由もあるが落とし穴を仕掛けるため、というのが大きい。


ステージ下は緞帳どんちょうのような厚い布で覆われ、外から見えず、また音も漏れない。

ステージ下には運営スタッフや南無瀬組員がいて、落ちてきたファンをプールから引っ張り起こし、ステージ裏の扉から外へ追い出すのである。

ファンは事態に付いていけず、呆然としたままサイン会の会場からも強制退場するわけだ。やはり不憫である。



落とし穴の件は先に聞いていたとは言え、実際に目撃すると胸に来るものがあるな。


「仕方ないねん。暴走したファンをいちいちスタッフが取り押さえて連れていこうとしたら、もっと凄惨な展開になるかもしれへん。爪を立てて取っ組みあったりしてな。拓馬はんとしても、スタッフやファンが傷ついたら胸が痛いやろ」


「そりゃ、そうですね」


とは言え、ファンが驚愕の顔で奈落に消えるのも十分胸が痛いんですがそれは……


「優しい拓馬はんはファンの身が心配なんやな。そこは出来るだけ対処しとる。子どもや高齢者のように身体の弱い人が暴れた場合は、奈落に落とすんやなく、スタッフが連行するさかい。それに事前アンケートで腰痛とか持病持ちのファンを把握して、その人らも奈落に落とさないようにするで」


う~ん、なんだろ。

真矢さんの対応は素晴らしいんだけど、カユくもないところに手が届く配慮というか、もっと根本的な所を気にした方が良いような。


「アクリル板に傷はないようやな。あのくらい暴力的なファンが来ても進行に影響はないと。ええデータが取れたで」


問題児であるヤンキー少女すら、真矢さんにとっては一つのデータに過ぎないのか。

真矢さん、頼もしいけどちょっと怖いっす。


「ほんなら、次に行こか。まだモニターは九十九人いるんやで」


「は、はい」


ファン側の床はすでに元に戻って、次の獲物を待っている。

もう誰も落ちませんように、俺はそう願いつつ、引きつっていた顔をアイドルスマイルに変えた。



「た、タクマさん。ご無事でしたか!?」


続いてドアを開けて現れたのは、姉小路さんだった。


「『特好ぶっこのみのタク』の奴があちきの前にいたんで心配していたんですよ。もし、タクマさんに失礼なことをしていたら絶対シメテやる、と思っていたんですけど。って、あれ? そういえばあいつは?」


モニター側の出入口は一つである。そこから中に入っていったヤンキー少女が出て来ず姿を消した。と、すれば不思議に思うのは当然だろう。


うん、彼女? 

それなら姉小路さんが立っているそこからボッシュートされたよ。

――って、言えるわけないよな。


「ああ、その子ならナンヤカンヤで出ていったよ」


「ナンヤカンヤって……」


「それより、音声ドラマのケースを」


サイン会はファン一人当たりの時間が厳しく決まっている。四十秒だ。オーバーすると大変なことになる。


俺は視線を横に移した。平積みされた音声ドラマのケースの隣にデジタル時計が置かれている。

カウントはファン側の扉が開いた瞬間から始まり、ファンが平屋を出るとリセットされる仕組みだ。

現在のカウント表示を見るに後二十五秒。やっべ、急がないと。


『へいお待ち!』と勢い良く寿司を出す板前の如く、ケースをアクリル板の向こうへ送る。


「うはぁ、ありがとうございます! ……あ、でも、なんか悪いっすよね。うちのメンバーを差し置いて、あちきだけモニターになって、サインまでもらっちまって」


うおっ!? 姉小路さんったら何か語りだしたぞ。

ヤバいよ、ヤバいよ!

時間がないからそういうのは後にしてくれ。


「そこはあまり深く考えなくて良いんじゃないかな? 姉小路さんは姉小路さんだし」


早く帰って。危ないから!


「としこたちは中毒で苦しんでいるのに。あちきってやつは……」


「あ、姉小路さん。そろそろお時間が」


「これじゃあ、あいつらを裏切っているみたいだ」


「………………」


ねえねえ、さっきのヤンキー少女もそうだったけど、君たちって俺のサイン会に希望して来ているんだよね? 

俺と会いたくて来ているんだよね?

なら、どうして俺の言葉を無視するのさ……ぐすっ。


ピピピッ! ピピピッ!


残り時間十秒を切ったことを知らせる警告アラームが鳴る。

だのに姉小路さんは帰る気配を見せない。

俺の言葉が聞こえてないんだ、アラーム音も聞こえないよな。


姉小路さんがかぶりを振り、まっすぐな目を向けてきた。


「あちき、決めました。モニターになったこと、メンバーに正直に話してみようと思います。そして、あち」


パカッ。


俺は天を仰いだ。

仰ぐ価値もない低い天井が見えるだけだが、それでも地上の光景から目を背けるため仰いだ。


「……真矢さん、時間延長は出来なかったんですか?」


「一度例外を作れば、際限がなくなるわ。モニターには時間厳守って何度も言った。せやから、どんなに無情でもこの結果しかなかったんや」


俺はゆっくり視線を下ろした。

今まで一人語りしていた少女はいない。誰もいない空間は真矢さんの言うとおり、無情感で満ちていた。


「拓馬はん、残酷なやり方かもしれへんけど、これが孤高少女愚連隊を救う方法なんや」


「どういうことですか?」


「ファンクラブ創設の発端となったのが何か、覚えとるか?」


「発端……?」


「孤高少女愚連隊が、南無瀬領内の過激ファン組織に襲われたことや」


そう言えばそうだ。暗躍する多数のファン組織を治めるために公式ファンクラブを立ち上げたのだ。


「ほんなら、なんで孤高少女愚連隊が狙われたのか分かるか?」


「そりゃあ、漁業組合のCMで俺と共演したから」


「せや。拓馬はんと接触したことへの嫉妬が原因や。孤高少女愚連隊だけやない、きっと『みんなのナッセー』で一緒になった子どもたちや、漁業組合の漁師はんも多かれ少なかれ周囲の嫉妬で不快な目にあっとるやろ。このファン交流イベントはな、そんな彼女たちを救うためにもあるんや」


「……あ! つ、つまり俺と接触した女性を増やすことで、嫉妬が誰かに集中するのを防ぐってことですか!」


「ご明察や」


ただのサイン会にそんな深い意味があったとは、驚きである。


「それで真矢さんは時間厳守を徹底しているわけですね! 一人でも多くのファンが俺と会えるように」


「拓馬はんの安全や体調を考慮しつつ、出来る限りのファンを動員する。そのためならうちは鬼でも悪魔にでもなるで」


真矢さん。

厳しいことを言っているけど、その行動の一つ一つには、俺を支えようとする愛情が見え隠れている。

ファンを守ろうと策をどんどん提案するのも、ファンが傷つけば俺の心も傷つくことを知っているからだろう。

ほんと、真矢さんには何度頭を下げても足りねえや。


「俺、挫けません! これから先、モニターの人たちがどれだけ奈落に消えても、心を強く持ってサイン会をやり抜きます!」


「分かってくれたんやな、拓馬はん。ありがとな」


「いえ、俺の方こそありがとうございます!」


さあ、やるぞ! 残り九十八人。どんと来い!





「ねえねえ、静流ちゃん。今の話からすると、あたしたちも嫉妬の的になっているのかな?」


「凛子ちゃん、マジ鈍感。訓練学校時代の同期に『男性アイドルタクマのダンゴになりました。毎日がフェスティバルで超勝ち組! やったー!』と送っただけのことはある」


「そう言えば、あのメールを送ってから、優しかった同期みんながセメント対応になったんだよね」


「とばっちりで私まで着拒されかけた。凛子ちゃんはもっと周囲に敏感になるべき」


「うふふ、三池さんのおかげで身体は敏感になったんだけどね」


「駄目だこいつ……早くなんとかしないと……」


アホ晒しているダンゴたちはスルーして、頑張っていこう!




その後、俺は並み居るモニターたちにアイドルスマイルでケースを渡していった。


姉小路さんのように時間切れで奈落に消えた人が五十二名。

俺に会えた嬉しさと興奮で気絶し、スタッフに介抱されながら平屋を出た人が二十八名。

年齢や持病の関係で、時間切れになったものの落とし穴は使われず、スタッフに強制連行されていったのが七名。


そして――


「わっは! ありがとうございます! こ、これで毎日タクマさんが枕元に立ってくれるんだ。や、やった。やったよ……はぁはぁはぁ……ふふひぃ」


とてもお見せ出来ないようなアヘった顔で、音声ドラマを受け取ったのは委員長さん。

初対面の時の真面目で素朴そうな印象は、すでに重力から解き放たれ宇宙のどこかへ行ってしまった。

モジモジする彼女の手がおもむろに、いや、あからさまに自身の下半身に触れようとするよりも早く、真矢さんが奈落へGOのスイッチを押したことで、何とかサイン会の健全性は保たれた。


――と、このように強制退場となった人が十三名。


こうして、百名のモニターによるサイン会は幕を下ろした。


ん、考えてみれば、音声ドラマをもらい何事もなく平屋を出たモニターが一人もいないぞ! いいのか、こんな結果で!


「想定内やな。念願叶って拓馬はんと会えたのに、時間通りに別れるファンはおらんやろ。強制退場されるまで粘るのが人情ってもんや」


うへっ!? そんな物騒な考えを人情だなんて言わないでくださいよ真矢さん!




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




まあ、なんだ……

このモニター試験を参考にして、後日。

南無瀬領のファンを対象にしたサイン会が開かれた。

厳選な抽選により、超低確率な参加資格をもぎ取った豪運なファン数百人が市民体育館に集結した。


そのサイン会であるが――

どうせ気絶するか奈落に落ちるしかないので、という道徳的にアウアウな判断の下、四十秒あった一人あたりの交流時間は半分になり……数多あまたのファンが落とし穴の餌食になった。


俺は表面をアイドルスマイルにし、内心を悲壮感で一杯にし、消え行くファンたちの最後を見送ったのである。



この過酷なサイン会は、大きな成果を上げた。

今回、俺に会えなかった大半のファンもファンクラブ限定商品欲しさに、そして今後続いていくサイン会で当選するためにもファンクラブを除名されるわけにはいかないと品行方正であるよう努め出した。


「あちきらも安心して町を歩けるようになりました。全部、タクマさんのおかげです。ありがとうございました! それで、モニターなんですけど、今後は愚連隊のメンバーが順番で務めるようにしました」


姉小路さんから送られてきた感謝の手紙を読んで、俺は南無瀬領を覆っていた暗雲が、ひとまず過ぎ去ったことを感じた。

そう、『ひとまず』だ。

人間三人集まれば、派閥が出来ると言う。

いずれファンクラブ内でも派閥が出来、水面下で対立が起こるだろう。この平穏は破られる。


それは分かっているが、サイン会で大きく心身を疲弊した俺には、この『ひとまず』すら大歓迎したい。

予測出来ない未来をうれいても仕方ないじゃないか。たとえ長くない平穏でも喜ぼう。



が、俺は失念していた。

平穏になったのは、あくまで南無瀬領だけであったことを。

次なる問題が、『あの子』が、島外からやってくることをまったく予期していなかったのである……

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