光はあるか

「旦那様」

 俺を呼ぶ悲しげな声……ミシャ? なんでそんな悲しそうな表情を……こっちに――ミシャへと伸ばした手は届くどころかその距離はひらいていく。ミシャが遠くなる……言い様のない不安が胸に湧き心を飲み込んだ。

「ミシャ! 早くこっちに来るんだ――駄目だ行くな!」

「旦那様」

 辛そうにフッと笑ってそれきり振り返る事なくミシャは闇の中を歩き遠ざかっていく。悲哀に満ちた背中に何度呼び掛けてももうミシャはこちらを見ない。ミシャが、行ってしまう……俺の手の届かない所へ。


「ミシャー!」

「ワタル落ち着け、落ち着くんだっ」

「ナ、ハト……? なら、あれは夢? ナハト、ミシャは? ミシャはどうなった?」

 絶叫しながら目覚めた俺はナハトに胸に抱かれていた。全身に鈍い痛みが走る……手当てをした跡はあるが完治はしていない。負傷者が多く治癒を行き渡らせる余裕がないんだろう。

「ワタル……いいか、落ち着いて聞いてくれ、ミシャの事だが……言い辛い事だが、実は――」

「……っ! 聞きたくない!」

「ワタル!」

 分かってしまった、最悪を察してしまった。ナハトのあの苦しそうな表情、震える唇、俺を見ない瞳、それらが物語っている。前にティナがリオの無事を偽った時とは違う、ナハトの纏っている空気には本物の悲しみと苦しさがあった。だから直感してしまった。そうだと分かってしまっても聞きたくなかった。聞いてしまったら向き合うしかなくなる、でも今の俺には耐えられない。失って、二度と大切なものなんて欲しくないと思ってた俺が、かけがえのないものを得てまた失うなんて……そんなもの耐えられるはずがない。しかも失ったのは俺の攻撃が原因だ。あの時放ったのが黒雷なら、そもそももっと警戒していれば、自分を責める言葉ばかりが心に湧き出てきて俺を責め立て、刃を突き立てる。

「うるさい! やめてくれ! こんなつもりじゃなかった。俺が、ミシャを殺したなんて……こんな……こんなのってありかよ! ……酷過ぎる」

 どこをどう走ったのかも分からない、ひたすらに、ミシャの事を知る者が居ない方へと人を避けていた俺はいつの間にか森の中だ。まだ魔物の残党が居るかもしれないのに……ミシャを殺した俺なんていっそ魔物に殺されれば、なんて最高に最低で無責任な考えが頭をもたげるがすぐに振り払う。フィオ達を更に傷付けて苦しめる事になる、失うという耐え難い苦しみを大切な人達に負わせるなんて出来るはずもない。お前の弱さが招いた事だ、この現実から逃げる事は許されない。俺は人生の半分近くを逃げてきた、それが無意味な事は知っている。でも、ならどうすればいい? 身を焼くような悔恨の念を!

 大木に拳を押し付け声を殺してひたすらに泣いた。ミシャが剣を完成させて渡しに来た時の誇らしげな笑顔や尻尾を掴まれた時の可愛らしい悲鳴が浮かんでは消えていく。

「俺は……弱いっ、大切な人も守れない…………」

 悔しい、失ったという現実が、苦しい、自分の責任だという事実が……何故ミシャなんだ、あの時俺が死んでいれば――意味のない仮定、やるだけ無駄、現実との差に更に苦しむだけ。そんな事分かりきっているのに頭は妄想を繰り返した。そんな壊れかけの状態で涙に濡れたまま歩き続けた。


 見えているのに見えていない、そんな目の前が真っ暗の状態であてもなく彷徨い続けて茂みを掻き分けて抜けると、不意にアマゾネスに遭遇した。知らない人だが会いたくなかった。心の整理がつかない今はまだ誰にも…………。

「おや~? どうしたの君、ここはまだ通行止めだよ――って、通りに来たって風じゃないね。どうしたの? 迷子にでもなった? よく見ると包帯だらけのぼろぼろ状態、寝てないと駄目なんじゃない?」

 ナハトやティナよりも背の高い女が俺を見下ろしながら首を傾げる。それに合わせて二つに結った深い紺桔梗の髪が揺れている。

「放っておいてくれ、あんたには関係ない」

 脇を通り抜けようとすると腕を掴まれた。

「うんまぁそうだけどね……とりあえずこの先には行かない事をオススメするよ。結界の境界とやらだから進むと戻ってこられない、ドゥルジって悪魔が他の仲間に報告して待ち構えているだろうし準備も無しに進むわけにはいかないと思わない?」

 煌めくように鮮やかな赤い瞳が視線を合わせて覗き込んでくる。見透かそうとするようなその瞳が嫌で顔を背けた。ナハトはドゥルジを倒せなかったのか? その割りには拠点周辺も森の中もゾンビを見かけなかったが、逃げ出したにしてもゾンビを解除する必要はない。維持出来ないほどの深手は与えたのか?

「私はエピカリって言うんだけど、黒髪黒目のあなたの名前は? ――あぁ呼び辛かったら私はエピでいいわ」

 会話をする気分じゃない。ここが境界だというなら引き返せばいい……広い森だ、人の居ない場所なんていくらでもある。そう思って引き返そうとした俺の腕を女が掴んで放さない、こちらが抵抗し辛いように態々傷口部分をだ。

「無視は酷いなぁ。私傷付いちゃったなぁ~? 慰めて欲しいなー……それとも慰めて欲しいのはあなたの方かしら?」

 妖艶に笑った女は俺を引き寄せ押し倒した。身体が満足に動かない……回復してもいないのに森を縦断して北の果てまで移動したんだ、疲弊しても無理はないか。それに女の力の掛け方も上手い、抵抗出来ないように絶妙の加減で押さえ付けている。下手に抵抗すれば折られるだろう、こんな女にも押し倒されたまま……なんて情けない。

「黒い瞳に長い黒髪の男……そして傷だらけ、泣いているのは辛い事があったから――あなたがアルアナが見つけたワタルかしらね……だんまり、会話しまょうよ~。人手不足でこんな場所の見張りをさせられて退屈なのよ~」

「人手は増えたはずだろ」

「ん? 子供たちの事? 確かに戦う為の人手は増えたけど、やっぱりまだ子供、精神が完璧に成熟してないから不意の事に対応出来ない場合が少なからずある。それを踏まえて何かあった時に素早く情報を伝える必要があるからロフィア様に信頼されてる近衛がやるしかないのよ。普段お供してた娘達は侵入者にやられたとかで外されちゃったしね――んん? あなた……良い匂いがするわね」

「離、れろ!」

「おおっと、危ない危ない。もぅ! 乱暴ね、私は女を大切にする男の方が好きなのだけど、あなたは違うのかしら」

 黒雷を纏おうとしたのを察知してエピカリは素早く俺の上から飛び退いた。速いな……今の反応は女王と互角――いや、それ以上だった。俺を捕らえるってのが仕事ではないはずだが……それにファーディンは死んだんだ。能力を継いだ子を望む必要もないはず、なんでこいつは俺を捕らえようとする?

「あらら、警戒心剥き出しね。私そんなに怖いかしら? ……やっぱり背が高いのがダメなのかしら……困ったわね、縮む方法なんてないでしょうし……はぁ~、めんどくさくなってきたわ――と見せかけて! ――あらやだ反応されちゃった。凄い凄い」

 元居た場所に戻る素振りをしたエピカリが姿を消して木々を蹴り俺の後ろに一瞬で回り込んできた。透かさず伸ばされた手を掴み一本背負いの要領で結界の境界だと言っていた方向へぶん投げた。

「もぉ~、酷いなぁ。ここを超えてたら私村に帰れなくなるところだったわ」

 身体を捻りロープの付いた短剣を離れた大樹の枝に投げて勢いを殺して境界のラインを越える事を防いだエピカリは不機嫌そうに唇を尖らせている。

「悪い子には――こうしちゃう」

「っ! っ!? なんだ――げほっげほっ」

 エピカリが放り投げた皮袋を叩き落とすと粉が舞い不覚にも少し吸い込んでしまった。すぐに粉塵からは抜けたつもりだが――何かの薬か……力が入らなくなってきた。

「おぉ~? 良い感じゃないリニス特製痺れ薬、流石速効性ね。そんなに怯えないでよ、ちょっと慰めてあげようとしてるだけじゃない」

 倒れた俺にのし掛かり艶やかに微笑みながら顔を寄せてくる。何やってんだ俺は……ミシャが死んだんだばかりだってのに。

「何やってんだエピ公」

「痛っ!? もぅいったーい! 何するのよイェネ、殴る事ないでしょ! その無駄に大きな胸みたいに他人を包み込むくらいの大きな心を持ちなさいよ」

「ほぅ? 俺がその話題を好かないのを知っていての発言か? ならもうあれだな、心の狭い俺が用意してきた交代の人員は要らないな。じゃあな、俺は帰る」

 またもや大きいアマゾネスが現れてエピカリの頭に一撃見舞った。身長はエピカリの方が高そうだが実力は……互角? ややイェネってやつの方が上かもしれない。気にしている話題なのか紅桔梗の鋭い瞳がエピカリを捉えている。そこには僅かな殺気が込められている。

「あぁっ!? 待って待って、ごめんごめん嘘うそ、イェネはおっぱいも心も大きくて私大好き! こんな退屈な所早くさよならしたいわ」

 殺気に気付いてかエピカリは捲し立てるようにそう言うと俺を抱えて立ち上がった。

「お前なぁ……分かってねぇだろ……もういいや、てめぇに何言っても通じねぇし」

「あら、そんな事ないわよ。私はいつでもイェネのお話聞いてあげるわ」

「へいへいそりゃどうも。そんでどうすんだそれ、持って帰るのか?」

「ホントなのに……アルアナの相手だから届けてあげようと思ってね……その前に味見したかったけど」

 最後にボソッと付け加えたな……こいつが苦手な理由が分かった。アスモデウスと態度が似てるんだ。だから疲れる、めんどくさい。

「アルの? ……こいつがファーディンを倒したってことか? こんな奴が……どうにも信じられないな。よく見りゃ泣いてた跡もある、泣きべそかくような奴がアルの相手をする? 馬鹿々々しい、おいてめぇさっさと消えろ、切り刻まれたくなかったらな」

 短く薄い色のブロンドを逆立たせイェネは剣を抜いた。アルの名を聞いた途端に態度を豹変させて殺気を叩きつけてくる。

「大方その泣き跡は女絡みだろ情けねぇ奴だ、大勢囲ってる女の一人や二人どうなったって――」

「取り消せ」

「あん?」

「俺はミシャ達を十把一絡げみたいな扱いをしたことはない、全員大切にしている。取り消せ!」

 頭に来た。俺がみんなを欲望を満たす為に傍に置いているというような口振りに、ミシャの死を軽んじる口振りに。自分の事なら普段なら俺を取り巻く状況が特殊なんだし大抵の事は聞き流す。でも今は……我慢ならない!

「ハンッ、さっきまで死んだ目をしていた男が、怒るのは図星だからだろう? テメェみてぇなのが俺は大嫌いだ。イイぜ、かかってこいよ、叩き潰して妹には会えないようにしてやる」

「取り消せ……今の俺は機嫌が悪い。うっかり殺してしまいかねないほどに、この苦しみを吐き出せるなら誰でもいいんだ。絡んでくるな」

「なんだよそりゃ、脅しているのか? 俺に勝てる気でいるのか? そんなボロ屑みたいな身体で、随分とおめでてぇ頭してやがるな。どんな中身してるかカチ割って確認してやるよ、きっと発酵してくせぇ臭いで充満してんだろう、よ!」

 力任せの横薙ぎ、鋭く切り裂くというよりは叩き割る事を目的としたような形状の刃が頭の上を流れていく。

身体の反応が悪い、思ったタイミングで動かない。それでも……心に渦巻くこのどうしようもない感情が俺を突き動かす。

「ッ!? なんだこいつぁ、ボロ屑が速くなった――はっ! ハハ、アハハハハ、いいぜいいぞいいなおい! まさか俺についてくる男が居るとはなぁ! 面白くなってきたぜ」

「イェネやめなさい、傷付いている子に塩を塗り込まなくてもいいでしょ。あなたも、ねこちゃんの事は残念だけどこんな事をしたって意味はないでしょう」

 あぁ……やっぱり…………俺の思い込みなんかじゃなくミシャは死んでしまったのか。エピカリの言葉で現実を認識させられた俺は崩れ落ちた。剣が迫るが避ける気力はなかった。

「はぁ、つまんねぇ。なんか知らんが止めを刺したのはお前らしいぞ」

「あ、あれ……? ほらほら元気だして! 手頃なおっぱい揉む? ちょうど手に収まる心地よさよ」

 エピカリが俺の手を取り自分の胸に押し付けるが抗う気すら起きない。もうどうしていいのか分からない。

「もう、何やってるんですかエピ! イェネも、剣を抜いて何をしていたんですか?」

「リニス……なんでもねぇよ。俺が剣抜いてるのなんてしょっちゅうだろ、ガタガタ言うなよ」

「そういう問題では――まぁ今はいいでしょう。それよりもエピ、仕事中に逢い引きとはどういう事ですか? あなたは怠け癖はあれど引き受けた事はちゃんとこなす人だと――」

「ああっ、リニス違う違う。これはこの子が急に泣き出したから慰めようと思って、この子がここに居るのは偶然だよ」

「おっぱいを握らせるのが慰めですか?」

「えへへ」

 騒がしい……一人で居たい。それが叶わないなら消えてしまいたい。ふらふらと立ち上がりこの場を立ち去ろうとした。

「おい待て、さっきの言葉は取り消してやるよ。その代わり俺たちに付いてきてもらう、ロフィア様がお呼びなのを思い出した」

 エピカリと同じようにイェネは傷口を掴み俺の動きを封じた。

「なら彼が? エピもイェネも、ロフィア様が招けと仰った人に何してるんですか! そこに直りなさい! まったく二人とも実力はわたくしたちの頂点に立つ程だというのに普段の態度がなっていません。私たちは近衛なのですよ? ロフィア様のお側にお仕えする者がそのようでは――」

「ああはいはい、分かった分かった。話は後で聞いてやるよ、だからさっさと戻るぞ」

「まったく……ではあなたはわたくしと同じ馬に」

「俺は行かない」

「言うと思ったぜ、これは強制だ」

 イェネが懐から取り出した皮袋の中身をぶちまけた途端に俺の意識は途絶えた。


「おい、起きろ。いつまで眠っているつもりだ、起きろ」

 液体を顔に浴びせられて意識が覚醒した。ここは……小綺麗にされた室内に獣の毛皮を敷いた大きなソファー、そこでふんぞり返るロフィアと側に控えるエピカリとイェネ……玉座ってところか?

「目覚めたな? 先ずは誉めてやる。貴様がファーディンの首を取ったそうだな、大儀であった」

「趣味の悪いオブジェだな」

 ロフィアの側にある小さな机の上には幾本ものナイフで串刺しされているファーディンの首がある。

「これか? アルアナが持ち帰ったのを確認した後好きにしてよいと村に放ったらこれだ。皆それだけ怨みが溜まっていたということだ。皆貴様を称賛していたぞ」

「俺を連れてきた理由は?」

「ファーディンを倒して気でも大きくなったか? 前回と比べて随分と態度が悪くなったな。呼んだのは約束を守らせる為だ。貴様が言ったのであろう? 、と。アルアナは約束を守った、ならば貴様もそうするべきであろう?」

 確かにあの時そんな事を口走った気がするが、ミシャが救われていない以上俺が何かする事もない。

「何を言ってる、ミシャは死んで――」

「貴様こそ何を言っている、状態がどうであれアルアナが言ったは達成されているだろう。それとも約束を反故にする気か?」

「ちょっと待て、どういう事だ? ミシャは死んだんじゃないのか? そこのエピカリが残念だったって言ったぞ」

「? 私が言ったのは意識を取戻す可能性が殆どないって事だったのだけど、容態が変わったの?」

 意識を取り戻す可能性がない……? 出血多量が原因か? それでもミシャは生きている?

「本当に、ミシャは生きているのか?」

「くどい男だな、妾が聞いているのは命は取り留めたが大量の出血が原因で植物状態というのに近い状態だということだけだ。他は知らぬ、今がどうあれ一度命は取り留めたのだ、約束を果たせ」

 生きてる……生きてる生きてる! ミシャが、生きている! ナハトの態度は植物状態に対してだったんだ。手放しで喜べる状態じゃないが、それでも生きてくれているなら望みはある。出来る事はなんでもしていくらだって待つ。

「あら、目が生き返った。本当に死んだと思い込んでいたのね、誰もこの子に教えてあげなかったのかしら?」

 そりゃ生き返るさ、ミシャが生きていてくれたんだから。

「そんな事はどうでもよい。妾の望みだが、先ずはこの呪いを解け」

「タナトスの呪いか……傷が癒えれば徐々に効果は薄まるらしいが完全な除去はそういった能力がないと無理だ」

「なら能力者を手配せよ」

「居ない。能力なんかを無効化するような力はレアなんだ。無効化は何人か居たはずだけど無効にするのは発動中のみ、発動を止めれば元に戻る。そして永続するものを解除するような能力は…………」

 可能性がありそうなのはアリスの剣か? あれはたしか能力を切る力があったはずだ。タナトスで出来た傷を切れば或いは。

「なら次だ! 貴様には妾が満足するまで望みを叶え続けてもらうぞ」

 俺は妖しく笑うロフィアをどうやり過ごして如何に早くミシャに会いに行くかで頭を悩ませるのだった。

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