姿なき投擲手

「これは酷い……地球側の人間の末期症状の比ではない――いくら混血者でも生きているのが不思議な程だ」

 ベッドに寝かせたフィオを見て藤堂さんは酷く狼狽えた様子で感嘆のため息を漏らした。何を思っているのか、うつむき加減で作業するその横顔からは窺い知れない。

「それほど、ですか。やっぱり」

「君も他の白穢病患者を見ているだろう? 普通はここまで白化する前に死に至るし症状が悪化しても混血者はこれほどまでの白化には至らないはずだ。その上この高熱、自分の状況、何をしているのかさえよく分かってなかったんじゃないかと思うよ。これで敵を刺すくらいに動いてたというのだから本当に信じられない。この子行方不明だったろう? この状態で拠点に帰ってこられただけでも奇跡に等しい事だよ。精神が肉体を凌駕したのか……それを引き起こすほどに彼女の君への想いは純粋で、強いものなんだろう……まったく幸せ者だね。娘を持つ親の立場から言わせてもらえるなら君みたいな危険に身を置くようなやつとは縁を切るべきだと思うが……決して裏切るんじゃないぞ? 弄び裏切るようなことがあれば全世界の娘を持つお父さんを総動員して君を叩き潰す所存だ」

 目がマジだ……藤堂さん娘が居るのか――うぉっとっ!? 医官が放っちゃいけない瞳の輝きを放ってる気がするんですが! そのメスどうするの!?

「ははは……怖いですね。でも俺はそんなつもりは微塵もないですよ。出会いは最悪だったけど……でも、何度も俺を助けてくれて、傍に居てくれる。純粋に信じてくれてる。寂しがりで甘えたがり、自分が大切に想うものの為には凄く一生懸命、そんな娘を傷付けるようなことをしようなんて思いませんよ。俺にとってもフィオ達は大切なんですから」

「そう願うよ。落ち着くまで声を掛け続けてあげなさい、衰弱しているし意識も無いが彼女にとってそれは大きな力になるはずだから……それから、こっちにも。まったく、何がどうなったら完治寸前の患者が末期並みに戻るんだ? 交戦した敵は不浄そのものと言ったのだったか。その上ゾンビを操っていた節がある、と……どうしてその場で仕留めなかったんだい? 現状の問題点は全てクリア出来そうなボーナスチャンスだったじゃないか」

 その通りだ。この地域の頭で結界の管理者であろう糸を操るファーディンではないとしても明らかに纏う強さはボスクラスだった。言動からしてもゾンビと白穢病の原因は奴で間違いない。倒していれば状況を一変させられたのに。

「そうは言うけどワタル君は万全じゃないんだぞ? それに他の患者を庇いながら黒雷を消せる相手とやり合うなんて相当の負担だったはずだ。あいつは雑魚じゃない、それに死者の援軍を連れていたんだ、そしてこっちは四人中三人が病人、それにフィオに刺されても素早く逃走を図る事が出来る相手をあんな状況で仕留めろってのは無理な話だぞ」

「はぁ、単体戦の主力がガタガタだな。ダークエルフの彼女は戻っていないのかい?」

「やっべ、フィオ帰って来たって連絡してもらわないと――」

「それはあたしが行ってくるぞ。ずっと探してた大切なお姫様が帰って来たんだろ、傍に居てあげるのが常識だぞ」

 気を遣ったのかリュン子は小さく微笑むと部屋を出て行った。

 傍に居てあげるのが常識、ね……俺だって当然そうしたいが、あの女を野放しにしておくのは危険過ぎる。あいつが病の原因なら病を改良して薬の効果を無効化する事も出来るかもしれない。負傷してタナトスの呪いの掛かってる間に決着をつけた方がいい。

「ふぅ、こっちも一先ず処置は完了した。僕は他を見てくる、ここは頼んだよ」

 アリスへの処置を終えた藤堂さんも病室から出て行き、部屋には寝苦しそうな二人の寝息だけがある。

「よかった……生きていてくれて、本当によかった……フィオは来てくれたのに、探しに行けなくてごめんな……本当にごめん――悪い、起こしたか?」

 頬を撫でているとフィオがうっすらと目を開けた。焦点が定まらないのか視線はふらふらと彷徨い天井を見回している。

「わ、たる……?」

「ああ、ここに居るぞ」

「そう…………」

 ふらふらと伸ばしてきた手を掴んでやると安心したのか目を閉じてまた寝息が聞こえ始めた。

「ワタル……フィオ帰って来たの?」

「よかった、アリスも気がついたか。ああ、白穢病が進行してるのに自力で帰って来たぞ」

「あはは……フィオらしい。ごめんね、私当分戦えない。身体が上手く動かないの」

「俺を助けてくれたんだろ、そんなの気にするな。ゆっくり養生してくれ、その分俺が頑張るから」

 フィオの隣のベッドに居るアリスの髪を撫でてやるが不安そうな表情は消えない。

「無理したら嫌、フィオも動けないんでしょう? 絶対に無理しないで」

「心配してくれてありがとな。でもそれは約束出来ないな、もちろん気を付けるけど状況によるしな……ま、無理はするけど無茶はしないってところか。悪いな」

「ううん、それなら分かった。なら絶対に死なないで、これなら約束してくれるでしょ?」

「ああ、約束する。だからアリスは早くよくなれよ」

 不安は払えたようでアリスも手を握ったまま安心したように眠りに就いた。


 ゾンビが退いたのは一時の事だった。襲撃の一日後には数を増した死体の群れが人間、魔物、アマゾネスの混成で襲撃を再開した。魔物の死体は森からだけでなく森に辿り着くまでの道中に倒したものが背後から大きな波となって押し寄せていた。

 前後からのゾンビの群れの挟撃、前回の襲撃で混乱し乱れた状況を十分に立て直せないままに俺たちは応戦していく。完全な死体の損壊、それ以外に倒す方法はなく頭を撃ち抜いた程度では何度でも立ち上がり仲間を増やそうと襲いくる。

「グルァアアア! 貴様らいい加減にせぬか、共に戦った仲間を死に追いやるのか!」

 咆哮しクーニャは苛立たしげに死体を薙ぎ払う。巨大な爪は胴を引き裂き動きを奪うが、上下に分かたれても尚這いずる。それをナハトとクーニャの火炎が消し炭にする。生き物の焼ける鼻を突く臭いが充満していてかなり気分が悪い。周囲では爆発が起こり死体の四肢を吹き飛ばしていく。誰もが死者を痛め付ける行為に気が咎めていたがそれでもやるしかない、やらなければ自分が仲間を襲うゾンビになるのだ。相応の決意でゾンビを殲滅していても前回の襲撃で奪った武器を駆使するゾンビも居てこちらの被害もゼロじゃない、運悪く頭なんか撃ち抜かれて即死しようものなら自陣にいきなり錯乱したかのように周りに銃を乱射するゾンビが出現する。一人そうなれば染みが広がるように次々とゾンビが増える。映画なんかと違うのは絶命しない限りはゾンビにならないという事、負傷しても生き残りさえすれば仲間を襲わずに済む。でもゾンビ側もそれを理解しているのかなるべく即死するように銃なら頭や胸を、刃物なら頸動脈を狙って攻撃してくる。そうやって仲間を奪い、武器を奪いこちらを切り崩してくる。仲間を増やすという一つの目的の元に纏まった動きで恐怖など感じない化け物たちは向かってくる。だとしても、大多数を相手に出来るクーニャとナハト、そして全快目前の俺も加わり広範囲の敵を押さえよく凌いでいた。

 それでも限界はある、援軍無き籠城戦だと勝ち目はない。現状を打破するためにも結界守とあの女を倒す必要がある。拠点防衛と森の探索に戦力を分ける事が提案されるまでに時間は掛からなかった。

 防衛の要としてクーニャは待機組、糸のトラップと能力の相性の悪いティナも待機、糸を焼く事が出来るナハトは探索組、そしてその耳で周囲の様子を敏感に察知出来るミシャも探索組、そして軽度の白穢病から完治した混血者の部隊+ヴァーンシア人で構成された部隊……最後に、作戦開始直前にようやく完治した俺を含めた白穢病に罹る事のないであろう者達が探索を任される事になった。糸に炎が効果的なのなら紅月も欲しいところだったが完治は間に合わなかった。あいつもかなりの重症で、白化であまり身体を動かせない状態で熱に魘されている。病の原因があの女だとするなら、倒して一気に解決なんて可能性もある。俺たちの役割は重要だという意識が力を漲らせる。なんとしてもフィオ達を、病に苦しむ仲間を救ってみせる!


 アマゾネスの生活範囲である東側を避けつつ西側、魔物の多い方へと俺たちは細心の注意を払い奥へ奥へと進んでいく。刃のような糸とはいえ特性は糸なのかナハトの炎は効果的なようで前回の探索時のように身体が切り裂かれるという現象は起こっていない。

「うにゅ~、そんな事言っている場合ではないのは分かっているのじゃが、植物たちが焼かれゆくのを見るのは心苦しいのじゃ」

 背後から襲い掛かってきたコボルトの頭部を刺し貫いたミシャが焼き拓かれた道に視線を落とした。

「仕方ないだろう、どこにどのように張り巡らせてあるのかも分からないんだ。進路を私が焼く方が早い、私たちには悠長にしている時間はないんだ。クーニャも居るし戦力の上ではまだまだこちらが上だろうが、少しずつだが確実に削られている。倒してきた魔物も集結しつつある、そんな事を続けられていては疲弊するこちらが不利だ。一刻も早くワタル達を襲ったという蝿女を倒す必要があるのだから」

 蝿女って……あくまで蝿っぽい羽だったという俺の所感に過ぎないんだが、まぁいいか。蝿って汚いイメージだし、不浄そのものなら間違いではないかもしれない。

「それは分かっているのじゃ、それでも可哀想と思うくらいよいじゃろ。この木々とて生きておるのじゃぞ」

「はいはいミシャ、その辺にしといてくれ。ナハトだって好きでやってるんじゃないんだ、全員の安全を守りつつ必要最低限に抑えるようにギリギリの調整はしてくれてるって、な?」

「うみゅ……旦那様、今はもふもふしないでほしいのじゃ――ふ、にゃん!?」

「最後のは俺じゃないぞ?」

「うぅ~、家族とはいえ妾の尻尾は旦那様のものじゃからナハトでもにぎにぎしちゃダメなのじゃ! ――っ! 皆警戒するのじゃ! 凄い数の足音がするのじゃ……それに、妙な音も聞こえるのじゃ。これはなんなのじゃ……張った糸を弾くような?」

 猫耳がぴこりと動き警戒を促した二分後に大群と接敵して再度戦闘となった。

「右からコボルトの増援! 数は不明!」

「後方からはゴブリンだ。そっち弓で狙われてるぞ!」

「ぎゃあああああ――手が!」

『っ!?』

 おかしい、敵の攻撃を受けた訳じゃない。それにあの人の居る場所はナハトが焼き拓いた場所だ、糸があるはずは――。

「糸だ! 糸があるぞ! 剣に引っ掛かる!」

「馬鹿な!? 私は確実に焼いているはずだ――」

「ナハト危ないのじゃ! ――うぅ…………」

 糸があると叫んだ兵士の元へ駆け寄ろうとしたナハトをミシャが後ろから押し倒した瞬間背後から高速で飛来した何がミシャの左脚を掠めて地面へと深々と突き刺さった。

「ミシャ! クソッ、今手当てする」

 今のはなんだ!? あれは……白い槍? 表面が金属とは違う……糸? 糸を束ねて槍にしているのか。

「止まっては駄目なのじゃ、糸を弾く音が聞こえるのじゃ、その後すぐに風切り音が――」

「がぶっ……あれ? おれ、どうなって…………?」

 傍に居た兵士の胸を槍が貫き樹木へと縫い付けた。事切れたであろう兵士は動き出し胸から大量の血を流しながら槍から脱出してこちらに剣を向けた。ここまでに倒した魔物は刻んで焼いているからゾンビとして集まってくる事はないが今倒しているのはまだ処理をしてない、その上こっちの兵士まで――。

「旦那様右後ろなのじゃ!」

 ミシャの声に合わせて振り返り様に剣を振るい黒雷を走らせる。途端にゴブリンの悲鳴が響き渡る。違う、こいつじゃない。槍を投擲してる奴はどこだ?

「次は前方左上なのじゃ!」

「カハッ……キサラギさん、どうか……世界を…………」

 反応して切り裂いたのは一本の矢、それとは違う角度から飛来した三本の槍は兵士たちを貫き地面へと縫い付ける。一人以外は即死……くっそ! 敵はどこに居るんだ? 気配が全く探れない。少しの殺気や敵意も無く攻撃してきているのか?

「くそっ、すまない」

 動き始める兵士をナハトが苦悶の表情で一気に炭へと変える。

「魔物が増えてきている……ナハトさんこっちもお願いします! ……? 糸だ」

「こっちもです」

 次々に上がる糸発見の声、この調子だと魔物を引き込んだ後に囲われたか、もしくは一箇所だけ開けておいてそこから魔物を引き込み続けているか。

「ナハト焼けるか?」

「やってはいるが、どうやら今までの糸とは違うみたいだ、焼き切れない。ミスリル製の剣ではこちらの刃が僅かに傷むだけで切れはしない、合金製かオリハルコン製の業物でようやく切断出来るレベルだ。だが相当技術が要るぞ、普通の兵士では無理だ」

「ナハトは?」

「愚問だな」

「なら糸は任せる。糸の槍に今までとは違う糸、能力の大本が――結界の管理者のファーディンが近くに居るはず。俺は狙撃に対処する。ミシャ、協力してくれるか?」

「当然なのじゃ」


「当然なのじゃが……ちと恥ずかしいのじゃ」

 俺に背負われたミシャは胸が当たる事が恥ずかしいのか力を入れて微妙に身体を離している。

「怪我してるんだから仕方ないだろ――っ!」

 言葉だけでは正確な方向が図れない、だから伸ばされたミシャの右手だけに集中することにした。あとは雷迅でミシャの指し示す方向を切り裂きつつ電撃を放つ。様々な方向から槍が飛来している以上飛んできた方向に敵がまだ居る保証はないが、弓矢でこちらを狙っているゴブリンを巻き込んでいるから無意味ではない。

 それにしても、こうも気配無く縦横無尽に動き回ってあらゆる方向から攻撃出来るものか? 俺だって多少は気配を探れるはずなのに槍の風切り音が迫るまで何も捉えられない。ミシャが居なかったら今頃全員串刺しだったかもな。

「鬱陶しい!」

 魔物と対峙している兵士目掛けて飛来した糸槍を弾いて軌道を変えて魔物へと直撃させる。軌道をズラしただけ、直接受けたわけでもないのに手が痺れる程に重い。

「旦那様、足音が更に近付いてきておる。北西から……恐らく五百以上、南東からは百、くらいだと思うのじゃ」

 厄介だな、殺して更に行動不能なレベルまで破壊するのは中々手間だ。兵士が倒した魔物を隙を見て黒雷で破壊してるが糸槍への警戒が最優先だ。ナハトも周囲を囲いつつある糸を突破するのに忙しくて魔物を焼くのはあまり手が回ってない。兵士たちも可能な限り腕や脚を破壊してゾンビの動きを潰そうとはしてくれているがどこにあるかも分からない糸を警戒して十分に動けていない、それに……数が多過ぎる。一体に掛けられる時間が少ないんだ。破壊する前に次が来る、せめて俺かナハトが破壊に回れれば――。

「旦那様! 集中するのじゃ! あの槍は旦那様しか対処出来ぬ、皆の命は旦那様に掛かっているのじゃぞ」

「分かってるよ、指示頼む!」

 木々の間を縫い駆け回り、弾き、叩き切り黒雷を織り交ぜ糸槍を破壊し死体を破壊して大本の気配を探る。やっぱり俺には何も感じられない。

「全員こっちだ! こちら側の糸は排除した」

 ナハトが切り開いた場所で兵士たちは立ち回るが処理が追い付いていない。しかも――。

「増援か」

「旦那様!」

「何度も言わなくても分かってるよ!」

 糸槍を両断する為に振るった切っ先から黒雷の鞭を発生させて増援の前列の足を絡め取った。殺しても動くなら気絶で止める。

「ミシャ! 大本の気配はまだ分からないか?」

「もう少し、もう少しなのじゃが、こうも近くに戦闘音が溢れていては聞き分けるのも大変なのじゃ――っ! 南東からも増援が来るのじゃ!」

 ミシャが声を上げた瞬間俺たちの居る地点に矢の雨が降り注いだ。

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