第33回【SF】さあ、もう一度始めよう

 夢にまで見た光景が目の前に広がっている。高鳴る鼓動を感じながら、一歩ずつ祭壇へと続く階段を踏みしめる。

 欠けた愛を求めてこんな場所までやってきてしまった。だが、この長い記憶の旅も終わりだろう。

 祈りを祭壇に捧げば、すべてが巻き戻る。

 ――さあ、もう一度はじめよう。

 光に向けて手を伸ばし、俺は祈りを捧げた。



「構え、構え! 構え!!」

「はい?」

 突然耳に入ってきた大声に、俺は文庫本の文字列を追っていた視線を上げた。

「ねえ、《世界五分前仮説》って知ってる?」

 新村にいむら日菜子ひなこが、俺の前の席に腰を下ろして見つめている。

 そうだ。今は昼休み。クラスメートの大半は食堂に行くかグラウンドに行くかしていて、ほとんど出払っている。

「過去が本当に存在するのか、知識とは何なのか――みたいな話だろ?」

 手にしていた文庫本を閉じて俺がさらりと答えると、日菜子はニコニコと笑んだ。

「さすがは博識な大和やまとくんだね」

 こうして彼女が訊ねてくるのはいつものことだ。

 ――いや、いつものことなんだろうか?

 何かが記憶に引っかかった。だけど、その違和感の正体がわからない。

「世界が五分前に実は始まっているのだとしても、《それ以前が存在したという記憶》があったらわからないよね」

「俺たちの会話も何度も繰り返されたものかも知れないが、それを証明する手段はない」

 大げさに俺は肩を竦めてみせた。

 日菜子はそれを見てくすくすと笑うのだろう。いつも――いや、今まではそうだった。

「……そうだね」

 ぼそりと、哀しげなニュアンスを含んだ台詞を告げる。

「新村さん?」

 不思議に感じて問うと、日菜子はここではないどこかを見つめるような顔をしていた。

「ごめん、大和くん。あたし、もうこのやり取りから始めるの、限界だよ」

「悪いな、僕もだ」

「あぁ、もう無理だ」

 日菜子の台詞に、周囲の声が同調する。

「……え?」

 見れば周りにはクラスメートたちが集い、俺を囲っていた。

「大和くん、気付いて。あたしたちはあなたの記憶に縛られてずっと同じ日々を繰り返しているのよ」

「嘘だ。そんな記憶、俺にはない」

 迫られて、俺は勢いよく立ち上がる。椅子が倒れると大きな音が教室に響き渡る。

 ――こんなルートは知らない。

「なくてもおかしいことなんてないわ。記憶を書き換えているんだもの。あたし、何度もあなたにヒントを出したわ。お願い、もう終わりにして欲しいの。気付いて。認めて」

 日菜子が泣きついてきた。俺は首を横に振る。

「終わりになんてできない。俺は知らないんだ」

 ――いや、俺は知っている。

「繰り返しても結果は変わらないって、もう理解してよ!」

「理解って何だよ! みんなで寄ってたかって、何の悪ふざけだよ!」

 混乱しているはずなのに、俺の中のもう一人は冷静に状況を見ている。

 ――あぁ、最初からやり直すにはどうしたら良いんだっけ?

 ――全員の記憶、次はちゃんと消してリセットしなくちゃいけないな。

 ――俺以外のみんなが前回の記憶を引き継いでいただなんて想定外だった。

 俺は薄く笑う。

 そして想像を――いや、創造をする。

 願いを叶える祭壇の前で、祈りを捧げる。



 ――さぁ、もう一度ここから始めよう。



《了》

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