第54話亜利奈の告白

 この国を統べる王が病に倒れて、もうずいぶんになる。


 イワン国王――ヴァン=ソーヴィニヨン・グラン・クリュ・イワンは、寝室で静かに横たわっていた。かつては精力的に輝いていた瞳は、深い皺の奥に隠れ、蓄えた見事な髭が大きく苦しそうな呼吸と共に揺れている。

 彼の老い先が長くない事は、彼自身が良く分かっていた。

 先代から引き継いだ大役を勤め上げ、国を平定の中で治めてきた。

 だがまだこの世に未練が残っている。世継ぎとなる男が見つからないのだ。

 次の国王を見届けるまでは、重い瞼を閉じるわけに行かない。

 彼は常々そう語り、鉄の意志で命を繋ぎ止めていた。


「――失礼します」


 そこに、女性が一人入室してくる。

 ローゼ=ヴォーヌロマネ・グラン・クリュ・イワン。

 国王の一人娘だ。

 イワン王は常に仕えている主治医を退室させると、ローゼをベットの傍に呼んだ。

「ローゼよ。なにやら思いついて走り回っているそうだな。

 官人が見舞いがてら、告げ口にきおったぞ」

「お騒がせして申し訳ありません、お父様」

 ローゼは深々と頭を下げていった。

 親子といえど、王族である二人は格式ばった仕草を務めなくてはならない。

「どうだ、儂で良ければ相談に乗ろう」

「ご心配には及びません。余計な心労になります」

「かまわぬ。話してみるがいい」

 国王に促され、ローゼは観念したように瞳を閉じた。


「このローゼの印の偽物が見つかりました。

 下山祐樹が見つけてきたのです」

「あの異邦人か。イスキー邸では世話になったそうじゃな」

「はい。彼が借金に苦しむ平民から、証書を預かると、あろうことかローゼの印が押されていたというのです」

「それはまことか」

「はい。直に確認いたしました。

 王族の責任をもって借用の証明など、あり得ません。

 その偽の証書で嘆いている民がいます。

 早急に手を打たねばなりません」

「天上は見ておられる。

 正義は正さねばならん」

「その通りです。

 ですから、最悪は徳政令すら視野に入れて、」




「――だがな、ローゼよ。お主は国を統べる王族なるぞ」




「――……」

 発言を遮られたローゼの眉が歪む。

「統べるものが足元ばかりみては、大局を見失う。

 もっと大きな視野で物事をみるのだ、ローゼよ」

「ですが……、」

「それはお主の役割ではない。わかっておろう?」

「しかし」

「憲兵に任せるのだ。

 お主は一言、〝早急に手を打て〟と命じればいい」

「……っ!」

 一言も釈明の機会が与えられなくなり、ローゼの拳が震える。

「お……お父様は……、」

 そして、

「全てを奪われた民を、見殺しにせよとおっしゃるのですかっ!?」

 その怒りを、たまらずに病床にぶつけてしまった。

「わかったような事をいうでない、ローゼ!

 貴様が言っているのは、何十万という民のうち一人の話!

 同じ苦しみを味わっている民は他にも大勢……ぐふっ!」


 がはっ、と国王は痛みを伴う咳を吐いた。

「お……お父様ッ!」

 ローゼは慌てて人を呼ぼうとするが、

「まて……ローゼ、大丈夫だ。

 げふっ、話はまだ……、げふっ」

 ヒィーヒィーという空気の漏れるような音が、国王の喉から発するものの、彼自身は体の諌め方を心得ているようで、少し落ち着き、そしてこう言った。

「良いか、ローゼ。よく聞くがいい。

 我々には一人は救えんのだ。何故だかわかるな?」

「もっと大勢を救わねばならないからです」

「そうだ。その通りだ。

 それが王族、統べる者というものだ」

「ええ、わかりました、お父様。

 御体に障ります、どうか気を休めてください……」



 ピネガーと名乗る少女から逃れ、俺と亜利奈とミストの三人は自分たちの部屋に戻っていた。西日が差してきたため、買ってきた家具や家財道具を急いで片づけていく。

 木造で、十畳間くらいの大きさの部屋に、真ん中にベットが三つ。奥手に簡単な炊事場があり、食器棚、テーブルを置くともうそんなにスペースが無い。


 仮住まいだが、ここが俺たちの新居だ。


 ガキの頃団地住まいの友達の家に遊びに行ったが、あれと同じ印象だ。

 三人で暮らすにはちょっと手狭な気がするけれど、そんなに長居をする気もないし、これで十分な気がする。

 長居をする気はないとはいえ、ここは異世界。

 できるだけ生活に事欠かない体制をとっておこう。


「結局、あの子はなんだったんだろうな」

 皿を棚に片づけながら俺は二人に話題を振った。

 ピネガーの事だ。あのギャル系魔法少女は、わけのわからん言いがかりで俺の事を目の敵にしていやがった。

「う、うーん……。よくわかんなかったね」

「話し合うってんのにバカスカ撃ってきやがって。ったく。

 ……てか、なんであいつもサラマンダー・カノン持ってるんだ?」

「えっと、お馬鹿の亜利奈に聞かれても」

「いやお馬鹿は関係ないだろ。お馬鹿だけどさ。

 あいつ、どっから来たのとか聞いてきたし、勘違いが混じってるにせよ俺たちの事情をおおよそ把握してるみたいだぜ。恵美子さんに連絡取った方がいいんじゃない?」

「お母さんに? ここ異世界だよ?」

「だよなー……」

 説明を放棄して異世界に放り込むあの無責任っぷりは凄まじい。

「あとでE:IDフォンを弄るわ。連絡取る方法があるかもしれん」

 そう言って俺はランタンを取り上げ、

「なあミスト。これどこ置く?」




「……………………」




「……? ミスト?」

 インテリアに煩かったミストは、反応せずにぼぉっと天井を見上げている。

「ミスト、おーい」

 二、三回声をかけると、

「ご、ごめん。なんだった?」

 と、やっと反応を見せた。……ちょっと様子がおかしい。

 ミストはピネガーに体の中を弄られてる。

 亜利奈の鑑定では異常なしってことだったけど、グレンの〝蟲〟のように、どこで何が起きるかわからないのがこの世界だ。

「なあ、大丈夫か? 調子が悪かったら休んでろよ」

「うん、いいよ、大丈夫。

 ランタンはこっちに置こうか」

 そう言ってランタンを掴むが、そのまま再び動かなくなってしまった。

「……なあ。ミスト?」

「――! う、うんっ!」

 ランタンを置いて、ミストはふぅとため息をつく。

「ミストちゃん、身体の具合が悪いのかな?」

 亜利奈も以上に気付いたのか、心配そうにのぞき込み、


「〝ちょっと散歩にいってくるといいよ〟」


 ……?

 亜利奈にしては、妙に命令口調だな。

 普段俯いておっかなびっくりしている感じとは、ちょっと違う。

「そう……だね。ちょっと気分を変えて来る」

 ミストは頷いて外へ出て行った。

「一人で行かせて大丈夫かな」

 俺がそう言うと、亜利奈は、

「ミストちゃんは亜利奈と違ってしっかり者だから。

 えっと、大丈夫、夜までには帰って来るよ」

 なんか無責任な割に確信じみた事を言うと、亜利奈はにやーっと笑い、

「パジャマは拝めるよ、ユウ君っ!」

 となにやらガッツポーズをした。

「アホか。そういう話じゃねぇ」

「そ、そっか。ユウ君はミストちゃんの裸まで見てるから今さら、」

「今さらなんだよ! 何?

 何が言いたいんですか!? ああん!?」

「で、でも、一つ屋根の下ならきっともっと新たに芽生えるものが……」

「くっそ、言いやがった、せっかく意識しない様にしてたのに!!

 思春期男子が意識しない様に黙ってたのにッ!!」

「だ、大丈夫! 亜利奈、寝たふり頑張るからッ!!」

「いらん気遣いするんじゃねぇッ!!」

 ……ったく。

 こいつはどうも、そういう話に持っていきたがる癖があるよな。


 …………。


「なあ。亜利奈」

 少し、はっきりさせなきゃいけない事がある。

 このところ亜利奈と二人っきりになれる機会はそう多くなかったから、腹を括るならいまかもしれない。




「お前、この生活、どう思ってるんだ?」




「え? ゆ、ユウ君と一緒に暮らせるなんて、夢のようだよ?」

 俺はガキの頃からとっくに気付いている。

 こいつの気持ちに。

 こんだけずっと側に居るんだ。わからないわけがない。

 ……俺だって、ほんのちょっとは……。

「でも亜利奈。……ミストはいいのか?」

 どこかではっきりさせないといけない。

 俺は亜利奈にも、ミストにも〝責任〟がある。

 いつも猥談で誤魔化しているが、こいつが恋敵と同じ部屋で暮らすことに、なんの違和感も感じていないはずがないんだ。

「だってユウ君。ミストちゃんの事好きでしょ?」

 しかし、亜利奈は平然とそう言った。

 ……その通りだ。

 俺はとんでもなく優柔武断で、俺に気持ちを向けてくれているミストにも……。

 男として最低だって事はわかってる。

「違う。お前の話をしてるんだよ。

 ……俺が気付いている事だって知ってるんだろ?」


 すると、亜利奈の雰囲気が少し変わった。


「――そっか。うん、わかった」

 俯きがちだった顔をまっすぐ向け、少し熱を帯びた微笑みを浮かべる。

 頬が桜色に染まる。

 どきりとした。こんな亜利奈を見た事は初めてだった。

「じゃあ、亜利奈、ちゃんと告白するね」

 そして満面の笑みで伝えてくれた。


「大好きだよ、ユウ君。

 ずっとずっと、あなたの事を見ていたよ」


「お……おう」

 素直に可愛いと思ってしまい、少し悔しくなる。

 なんというか、改めて言われると照れるな。

 亜利奈はふらりと近づいて、俺の手を握る。

 それを愛おしそうに撫でて、告白を続けた。


「ユウ君、愛してる。ごめんね、こんなどうしようもない亜利奈がユウ君の事好きになっちゃったりして。でも、気持ちだけは止められないんだ――、」

「あんまり、自分を悪く言うなよ」

「――だからね、ユウ君に応えてほしいなんて言わないの。ユウ君がミストちゃんの事が好きなら、ローゼ姫の事が好きなら、選んだっていいんだよ。亜利奈はそれでもユウ君の事愛しているから。大好きだから。止められないから――」

「だから、そういう言い方をするなって、」

「――もちろん亜利奈を選んでくれたらすごくうれしいよ。でもね、亜利奈はわがままを言わないよ。選ばれなくてもいい。それでもアイシテル、止められないの――」


「……、あ、亜利奈?」

 亜利奈の様子がおかしい。

 告白したときの可憐な笑顔のままだが、視線はどこか焦点の定まらない。

 俺を見ているというより、俺の向こうに何かを見ている、そんな感じだ。


「だってユウ君はこんなに素敵でかっこよくて細胞の一つ一つから吐く息まで亜利奈の身に余るほどだから亜利奈は傍で見ているだけで幸せだしローゼ姫もミストちゃんもユウ君に好みにぴったりの女の子だから亜利奈の代わりにちょうどいいし二人も幸せに違いないしだからこれから先同じようにユウ君のこと好きになる女の子達もきっと同じようにユウ君を取り合うかもしれないけれどユウ君が一人を選んでも全員選んでもいいはずなのいいに決まってるもんだって亜利奈のユウ君が決めた事だから――」


「なあ、亜利奈」

 さっきからブツブツと、亜利奈は何か言っている。

 途中から酷く不明瞭で聞き取れなかった。

 桜色のそれとは違う、恍惚とした得体のしれない不気味な顔で、亜利奈は呟く。

 そして無心になって俺の手を撫でていた。

「その……離してくれないか?」

「――でもねユウ君」

 ぐっと、亜利奈が握る俺の手首に圧が入る。


「亜利奈は誰よりもユウ君を愛してるの」


 その圧はどんどん強くなっていく。

「あ、……亜利奈ッ!!」

 痛い。手首に鈍痛が走る。

「ローゼにもミストにも負けない。

 亜利奈が世界で一番。誰にも負けないよ」

 万力で締め付けられている気分だ!

 どんな握力してるんだよこいつっ!!

「亜利奈、おいっ! 痛いんだッ!!」

「綺麗なのはローゼ。可愛いのはミスト。

 でも愛しているのは亜利奈が一番。そうだよね。

 うふっ、ふふふっ、そうだよねー♪」


「そうに――決まってるよねェッ!?」

「ぐぃ――ッ!!」


 なんか……ヤバイ音がした……ッ!!

 手首に電撃が走った後、指先の感覚が失われていく。

 たまらず俺が崩れ落ちたところで、亜利奈はハッと目を覚ました。


「ゆ……ユウ君ッ!? ああ、ああああッ!!

 ああ――――ッ!?

 亜利奈、なんてことを……ッ!!」

 屈みこんで、すぐに治癒魔法を唱えてくれた。

「ごめんなさいごめんなさいっ!!

 亜利奈、こんなことするつもりじゃっ!!

 ユウ君に気持ちを伝えられて、舞い上がっちゃって……ッ!!」

「…………」

 昔からしょいこみやすい性格だったし、抱え込んでたんだな。

 ……それにしてもここまでとは思わなかったが……。

「あ、亜利奈はね、ミストちゃんと一緒でも大丈夫だから!

 ユウ君の側に居られるだけで、十分だから……ッ!!」


 泣きそうな顔でそう訴える亜利奈の頭を、俺はそっと撫でた。

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