第52話Elixir System

「にひひ、顔色変わったぞ?」

 しまった、と、ミストは自分の口元を押えた。

 願望を見透かされた気がして、うっかり動揺してしまったのだ。

 それを素早く察知したピネガーが、意地悪く笑む。

「ほーらね、マイユ。

 やっぱり私の読み通り三角関係だったっしょ?」

 ピネガーはそういうと、カウンターから、

「さすがです、お嬢様」

 と、あの執事が酒を注ぎにやってきた。

 こいつの名前がマイユらしい。

「ねーねーミストちゃん、手を組もうよ。

 ミストはローゼちゃんから彼を奪う。

 私はお金がもらえればそれでOK!」

 ローゼ姫は恋敵としては強大だ。だが、彼女の秘密を握ったところで平民であるミストではやれることが限られている。

「ほらー、私、一応貴族の娘じゃん?

 告げ口先とかコネとか結構あるんだよねー。

 あっちにもこっちにも顔が効くピネガーちゃん。

 称えてもいいよ?」

 それがピネガーであれば然るべき所に告発できるというわけだ。




 ――彼女を潰すことができるチャンスかもしれない。




 巨大な誘惑がミストを襲う。

 もしローゼを脅し干渉を妨げる事ができれば、まだ亜利奈が居るものの、ミストは祐樹との距離をぐっと縮めることが出来るだろう。

 そしてゆくゆくは祐樹と二人っきりでの甘い生活に近づける――かもしれない。

 姫殿下に勝つ千載一遇のチャンスだ――、

「交渉成立っぽいね?」

 ピネガーに促され、ミストは応えた。




「残念ですが、貴女が欲しがっている情報は持っていません」




 ――ミストはそのカードを切らなかった。

 あの人は言った。

〝裏切れない奴がいるんだ〟と。

 誘惑や、危機を目の前にして、彼はそう言って自分の進む先を見出してきた。

 ……それが自分じゃない事に胸が痛むけど……。

 ミストにだって居る。

 いろんな人を押しのけてまで手に入れたいけれど、決して悲しませたくない人が。

 ピネガーが事を公にしない保証はない。

 ローゼが失脚していく様を見て、彼はきっと嘆くだろう。

 そんな姿を見たくはない。

「――……ふぅん」

 ピネガーはツマラナさそうに鼻を鳴らした。

「せっかくローゼちゃんに勝てるかもしれないのに」

「もし、仮に、私が姫殿下を追い込む方法を知っていたとしても。

 そんな方法で潰したところで、彼の心は掴めません。

 そういうのは〝勝ち〟って言わないんですよ」

 ピネガーは意外だったのか、少し驚いた表情を見せた。

「祐樹が狙われているという貴重な情報、ありがとうございました。

 彼には身を守るよう強く言い聞かせます」

 そう頭を下げて、ミストは足早に店を出て行く。

 夜の繁華街であるこのあたりは、まだ日の高いこの時間では人気が少なく、静かだった。ミストは危険を知らせるべく、祐樹の元へと急ぐが、

「あのさ、ちょっとまって」

 と、店から出てきたピネガーが引き留めてきた。

「祐樹を殺すよう依頼してきた貴族の名前、教えてあげよっか?」

「え――、いいんですか?」

 交渉は決裂したのに……?

「ミストちゃんの事ちょっと気に入っちゃったから、特別サービス♪」

 ピネガーは左右を警戒する様に見ると、

「――耳かして。ナイショだよ。

 ……犯人はね」

 ミストは頷き、ピネガーは小声で告発する。




「あ・た・し」

「え?」




『ready』




 聞き覚えのある音声。

 この音は祐樹のE:IDというアイテムと同じ音だ。

 ミストの身体が勝手に仰け反り、足が地面を離れる。

 宙に浮いてしまった。

 魔法か何か、不可思議な力で拘束された。

 霧化……いや、祐樹が居ないと変身できない……ッ!!

「話してもらえないなら、身体にちょくできいちゃおっかなー♪」

 ピネガーが額にある飾りを外すと、それはあっという間に身の丈ほどの杖へと変化した。先端には、妖しく紫に輝く、巨大な球体が付いている。

「っていうか、ミストちゃんの中に居る〝蟲〟に教えてもらっちゃおう」

「私に〝蟲〟なんてもう居ませんッ!」

 ミストは蟲に対して耐性を持っている。

 だから誰よりも早く吐き出すことに成功したのだ。

「きゃはっ☆

 もー、忘れさせられてること知らないの?」

 ……何を言ってるんだ?

「お嬢様、忘れてるんだから知らなくて当然です」

 マイユが現れていった。

「あー、そりゃそうか」


 マズイ。なんだかよくわからないが、マズイ。

 ピネガーはただの道楽貴族じゃない!

 何か、決定的に他人とは違う!

 身の危険に苛みながら、ふと、激しいデジャブがミストの脳裏に浮かんだ。

 ……一瞬気を許した相手に、こうして騙されたことが前にも……。

「覚悟しなさーい☆」

 そうしてピネガーが杖をミストに突き付けた。


「――がっ! ハッ!」


 全身を抉る様な不快感。

 体の中を、血管を、裁縫針が駆け抜けていく、そんな錯覚にミストは仰け反った。

 そしてその針たちは競うように体の中心部をめがけ、貫いていく。

「ああああああああああああ――っ!!」

 ミストは絶叫した。

 針はミストの身体を縦横無尽に駆け抜け、まるで何かを捜索する様に蝕んでいった。 痛い――痛い……ッ!

「さーて、洗いざらいしゃべってもらおっかなー。

 下山祐樹は何者? あの子はローゼに何を仕掛けたの?」

 嫌だ、止めて……覗かないで――ッ!

 ユウ君のための私の身体、好き勝手しないでっ!!

「なにこれ、見えない様になってんじゃん!

 あーもー、えいっ!!」

「ぐぅッ!!」

 針が太くなった。

 気が遠くなるような痛み。

 痛みと、痛みと、そして悔しさで涙が零れる。

「た、たす……けて……っ」

「はい、ムダムダ。だーれも助けには来ないよ」

「助けて――、ユウくぅぅぅんっ!!」




『Emulator set up!』

「核ミサイルゥゥゥゥ!!」

 ――その声は空高くから響き、そしてまっすぐにこちらへ向かってくる。

 砲弾の如き勢いで駆けるそれは、

「パァアアアアンチッ!!」

『action!!』

 ミストの間近に着弾した。


 衝撃波が空気を揺さぶる。


 土煙がミストを覆い、視界を奪った。

 解放されたミストは、自重を支えきれず腰を落とす――が、その身体をふわりと誰かが受け止めてくれた。

「置いてきぼりにして、ごめん」

 彼はまずそう言った。

「間に合ったから、許す」

 ミストが答えると、祐樹は頷き、


 ――そして。


『ready』

「歯を食いしばれよ。

 俺は今、すっげー怒ってるからな!」

 剣を構え、敵を睨みつけた。

「へー、かっこいー。

 聞いてたより良い男じゃん!」

 ピネガーは余裕の素振りで言った。

 咄嗟に距離を取ったのか、彼女と祐樹には結構な間合いがある。

「でもさ、私に勝つのはちょっち無理かなー?」

 ピネガーは杖を構え、そして。


「〝サラマンダー・カノン〟」

『ready』


「――え?」

 自分の武装と同じ音声に、祐樹は予想外といった声を出した。

 ふふん、と笑い、ピネガーは杖を振って唱える。


「〝創着そーちゃーく〟っ☆」

『Make it to equip!』


 ピネガーは変わった。

 両肩に二対、軍艦のそれを縮小したような砲門。

 挑発的だった踊り子の服の上に、鮮やかな色合いの鉄製の胸当て。

 その姿をみた祐樹は、

「ま、まほう……少女?」

 と、不思議な単語を口にした。



「そのレプリカじゃあ、私のエリクサーには勝てないんじゃない?

 それとも……一発試してみる?」

 ピネガーがポーズを決めて言った。

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