第34話未来からの侵略者

 父親の偽物が手を貸してくれたおかげで、祐樹の追跡を免れる事ができた。

 グレンはローゼを伴って、地下通路に入る。

 そして暗闇の中を慣れた調子でニッカの研究所に向かった。

「あの者を放置してよろしいのでしょうか?」

 歩みを進める中でローゼが言った。

「祐樹は、必ずやグレン様の障害となります」

「あの下男なんて俺の敵じゃないさ」

 それよりも今はお前の身体の方が心配だ。

 そんな一言を呑み込んでグレンは目的地へ急ぐ。




 研究室への扉は魔術で壁に偽装されていた。

 ニッカやローゼの言っている〝亜利奈〟という女を警戒しての事だろうか?

 客間で逃がした時はそれほど脅威には見えなかったが……。

 グレンは扉を叩いた。

「ニッカ、入るぞ」

 ……返事が無い。

「グレン様、本当にここがシスター・ニッカの研究所なのですか?」

 ローゼにはここはただの壁にしか見えないのだろう。

 不安そうな声を出した。

「ああ。この通りだ」

 と、グレンは扉を開く。硫黄の匂いが漂った。




 何かの実験の途中だったのか、試験管や薬が置きっぱなしになっている。

 魔源と蟲が蠢いているビーカーが不気味だった。

 中にニッカは居ない。

 そもそもニッカは、何故グレンをここに呼んだのだろう。

 ここでローゼに何を施すというのだろうか……?

 首を傾げながら部屋の中へ進んだところで、

「遅れました!」

 っと、件のニッカが現れる。

「ニッカ。どこで油を売ってたんだ?」

 グレンは少し強めの口調で咎めた。

「申し訳ありません」

 ニッカは深々と頭を下げると、

「グレン様がここに案内してくれるまで辛抱強く待つのが苦痛でだったので、少し野暮用を済ましていました」

「……はぁ?」

 わけがわからない。

「お前、何を言ってるんだ」

「ローゼ姫」

 訝るグレンを無視するかのように、ニッカはローゼ姫の傍へ向かうと空のビーカーを手に取って、

「ご苦労様。

 もうそれ、吐いていいですよ」

 と、笑顔で言った。

 ローゼはビーカーをひったくるように奪うと、天を仰ぎ、ペっと痰を吐いた。

「気分はどうですか?」

「……………………」

 ローゼは唇を拭い、ふぅっ……とため息をつくと、




「最悪よ」




 憎らしげにこちらを睨んだ。

 さっきまでの情熱に満ちた潤んだ瞳から真逆の、乾いた、憎悪の瞳だ。

 吐くって……まさか蟲を吐き出させたのかっ!?

「ニッカ、何をしてるッ!!」

「まだ気づかないとか、おつむの出来が相当残念だわ」

 ニッカが指をパチンと弾く。

 すると漆黒の渦が出現し、何かが発射され、グレンの胸を強打した。

「ぐっ!?」

 と、不意打ちに勢いづいた体は部屋の外へ投げ出された。

 背中は壁を叩き、尻餅をつく。

 丸太か何かをぶつけられたと思ったが、違う。

 正体は人間……いや、まさか。



 弾は拘束されたニッカだ!



 身体は縄で拘束され、口には穴の開いたボール状のくつわを噛まされている。

 そして悲しげな表情でグレンを見上げていた。

 膝の上に居るのがニッカなら、目の前にいるのは……、

「――お前が〝亜利奈〟、なのか?」

「はーい正解。でも時間切れね」

 彼女が指を弾くと、紛い物のニッカは光に包まれ、メイド服の少女へと変わった。

 一見すると長い二本のおさげを揺らす地味な少女なのだが、その笑みは見る者に得体のしれない寒気を促している。

 何もかも見透かしているぞと囁く、悪魔のような笑みだった。

「ようやく見つけたー。この研究室をずっと探してたのよ。

 蟲について知りたかったし、この知識は他の人間には与えちゃいけないわ」

 亜利奈は小躍りするように歩み、ニッカの研究物を眺めながら、

「これはユウ君のためだけに使われるべきなの。

 うふふっ。これでユウ君の世界を創るんだぁ」

 ときゃっきゃっと童女の如くはしゃいだ。


 なにが一体どうなってやがる。

 あの得体のしれない女はなんなんだ。

 グレンはニッカのくつわを剥がし、情報を求めた。


「――お逃げ下さい、グレン様ッ!!」


 自由になった咽喉で、ニッカは最初にそう叫んだ。

「奴に関わってはいけません、どうか早くお逃げ下さい!」

「そんなわけに行くかっ! ローゼをとられたんだぞっ!」

 それを聞いたローゼが、

「人をモノ扱いしないでください」

 僅かに震えたその声から、なんとか怒りを鎮めた、そんな様子が伺える。

 先ほどまで愛してくれたその面影は微塵も感じられない。

「……くそっ!」

 グレンはニッカの胸ぐらをつかむと、怒鳴った。

「何でローゼの蟲が効いてないんだっ!!」

「あんまりその子に当たっちゃ可哀そうよー。

 ニッカはちゃーんとお仕事こなしてたんだから」

 亜利奈が研究資料を破き、懐に収めながら言う。

「ただ残念だったのは」



 そして亜利奈はニヤリと笑んだ。



「亜利奈の方が先にローゼ姫を支配していたの♪」

 亜利奈が指を弾くと、ブロンド髪だったドゥミ嬢の変装が解け、国民の皆が知るローゼ姫の髪色に戻る。

「さ。〝ひざまづいて〟」

「…………」

 ローゼは物憂げな表情を見せたが、諦めた様子で亜利奈の前に膝をつき、胸に手を当てた。騎士が主君に忠誠を誓う様式だ。

「……馬車の中で仕込んだのね」

 ローゼが忠誠のポーズのまま言う。

「せいかーい。えらいえらい♪」

 亜利奈はローゼの頭を撫で、甘い声で褒めた。



 イスキー邸にやってくる馬車の中で、亜利奈がドゥミ嬢の変装を解いてしまったのは、事故などでは無い。

 そのあとに彼女に蟲を植え付けるための下準備だったのだ。

「ああ、蟲なんて原始的な寄生虫と一緒にしないで。

 これはもっと先の技術で造ったマイクロ・マシンなんだから」



「ふざけるなっ!!」

 納得のいかない声でグレンが怒鳴った。

「だったら……さっきまでのローゼは一体なんだったんだよ!

 こいつは俺の事を本気で愛してくれてたんだ!!」


「〝本気であなたを愛した〟?」


 ローゼがキッと立ち上がり、グレンを睨んだ。

「薬や魔物でそう仕向ける事を、あなたは本気で愛すると表現できるの?」

「だ、だけど……俺はもう少しでお前を……」

「だってそうしないと、ここにこれそうに無かったし」

 ローゼを手に入れたと思わせ、そしてニッカを装い研究室に案内をさせる。

 全ては亜利奈の手の内だったのだ。

「ニッカを褒めてあげなさい。

 そいつに吐かせようと思ったのに、舌を噛んで死のうとしたんだから」

「……申し訳……ありません……」

 ニッカは伏せた調子で言った。

「あの女は何もかも知っています。

 私達の計画も、ローゼ姫を支配する事も。

 もっと早く気付いて、グレン様に警告できれば……」

「……一体何者なんだ、お前は……」

 問い掛けるグレンに、亜利奈は一冊の本を放り投げた。

 本のタイトルは『イスキー国歴史1』。

「……イスキー……国?」

 グレンは本を捲る。

 グレンの知る言葉の使い方とはかなり食い違っているが、ところどころ読み取ることが出来た。

 なんと、グレンやローゼについて数ページにわたり記載がある。

 それによると、グレンはローゼと結婚し、数年は幸せな日々を過ごす。

 が、ローゼの父である現イワン王が倒れると、彼女の精神は狂い始め、やがて禁断の魔法に手を付けて恐ろしい怪物に代ってしまった。

 魔王妃ローゼと呼ばれた彼女の魔力は凄まじく、瞬く間に全世界を力によって支配し、そして暗黒の時代を創りだす。

 それに立ち向かったのが天上よりの啓示を受けたシスター・ニッカとローゼのかつての夫グレンだった。

 〝魔王妃大戦〟と呼ばれたその戦いは数年に及び、そしてグレンはローゼを涙ながらに討ち、この地に安息をもたらせた――。


 と、されている。


 これは、ニッカが打ち立てた計画そのものではないか。

 なんなんだ、この本は……。

「それは千年後の歴史の教科書。

 あなたたちが送る〝はずだった〟歴史の本よ」

 亜利奈が本をひったくりながら言った。

「お、お前は……」

 グレンは半信半疑で、こう言った。



「お前は、未来から来たとでも言うのか?」



「はい、またまたせいかーい」

 亜利奈はにっこり笑って言った。

「だってほら。

 魔王妃ローゼを討つ英雄王には、ユウ君が相応しいと思わない?」



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