第27話テイマー・スキル

(※数十分前)



「冗談――、だよね?」



 祐樹の幼馴染みを名乗る少女が、自分の中にあのおぞましい怪物を再び投与した、と、嘲りを交えて告げた。

 これがタチの悪い冗談でなくて、なんだというのだ。


「うふふっ。残念だけど、ウソじゃないの」

 亜利奈はけらけらと笑って言った。

 いったい何がそんなにおかしいのか。

「こいつの細胞から切り取った改良型クローンが今、ミストちゃんの魔源にもう一回根を張りはじめているから。

 よかったねー。これでユウ君の愛の下僕になれるよ」

「……なんでそんなことしたの?」

 もう現実味がわかず、ミストはありきたりな問いかけをした。

 すると亜利奈の表情が変わった。


「抗体が必要なのよ」


 いろんな亜利奈を見てきた。

 祐樹の前のおどおどとした少女、二人っきりの時のフレンドリーな彼女、そして嘲りの向こうに狂気を宿す不気味な女の子。

 今はそのどれでもない冷徹で、かつ賢者のような知己を感じる女の顔だ。

「貴女をユウ君の奴隷にするのにこんな虫けらは必要ないわ。

 それはおまけ。

 今必要なのは貴女が偶然持っているこの寄生虫への耐性よ」

 一体どれが本当の亜利奈なのだろう?


「この寄生虫は酷い欠陥品なの。

 あまり長い間支配下に置いておくと、宿主の命を平気で蝕むわ。

 ユウ君の臣下になる人間をそんなに減らされたらたまったもんじゃない。

 だから、貴女の魔源を書き換えてその身体をこいつの忌避剤に改造する。

 そのための新型寄生虫よ。それで寄生虫をどんどん駆除していって」


「……ごめん、なにを言ってるのか全然わからない……」

 亜利奈は難しい言葉を並べ立て、なにやら説明してくれたが、ミストが理解できたのはこの少女が他人の尊厳や人格を無価値と捉えている事だけだ。

「構わないわ、どうせ忘れさせるし。

 今のは貴女に新型の寄生虫が馴染むまでの暇つぶし。

 ――じゃあまずは〝立って服を脱いで〟」

 ミストは言われるがまま立ち上がる。

 着衣を脱いだ後、それを無意識に行った自分に悪寒が走った。

 亜利奈は呆然とするミストの身体をあちこち触診し、体調を見るようにして、

「暗示はちゃんと効いてるわね。

 魔源と人体の改造にはもうちょっとかかりそう」

 などと独り言を呟く。


「ユウ君もう帰って来るけど……まあ、なんとかなるか。

 じゃあ〝服を着て〟……あ、〝下着はつけないで〟。

 どうせあとで邪魔になる。〝存在も忘れて〟」


 ミストは言われた通りの行為をこなす。

 亜利奈はニコッと笑った。

 少しだけ友達になれた気がした、あの時の笑顔だ。

「はーい、じゃあおまちかね。

 記憶消去の暗示をかけるよっ!

 ミストちゃん。人間辞める覚悟はいい?」



 ――それってどんな覚悟を持てばいいのだろう?











 牢獄から脱出するには、格子の前で祐樹達を監視している看守をどうにかしなくてはならない。

 看守といえば普通、屈強な男を想像するものだがここでは違った。

 二人のメイドが椅子に座り、互いに互いへ刃を向けてニコニコと見張っているのだ。

「ミスト、動いちゃダメだからねー」

「怪しい動きをしたら私達心中しちゃうよ?」

 メイド達はまるで簡単な注意のように、自らの命を軽視した警告を注げた。

 魔源寄生虫の強い支配下にある彼女たちは、自らの生命よりも命令を重視する。

 この宣言が嘘や脅しではない事を祐樹とミストは重々承知していた。

「わかってるわよ。でも祐樹を寝かせてあげて。

 疲れてるのよ」

 ミストがそう訴えかける。

「どうする?」

「まあ……寝るくらいいいんじゃない?」

 祐樹が壁に身体を向けて横になり、すぐ傍でミストが寄り添うようにして座る。

 こうすることでミストの背中で死角ができ、E:IDフォンの閲覧が可能になった。


「……これマジかよ」


 説明文を読んでいた祐樹が呟く。

 ミストと祐樹の背中を向けたままでの会話が始まった。


「このスキルはミストを霧状の能力者に変えるスキルらしいぜ」

「わ、私を?」

「ああ。〝ヒューマン・ミスト〟……霧人間か。

 名前とひっかけてるつもりなのかよこれ。

 霧化したミストは宿主から寄生虫を体外に排出できるらしい」

 説明を受け、ミストはゆっくり頷いた。

「じゃあその魔法、今すぐかけて」

 祐樹はぎょっとした顔を見せる。

「いやいや! ミストをモンスターにするようなもんじゃん!

 ダメだろこんなの!!」

「なりふりかまってる場合じゃないし。

 姫もみんなも、あの子達も助けなくちゃ」

「そうは言っても……。

 お前、……怖くないのかよ」

「怖いわよ。でもね……」

 ミストの頬がうっすらと朱に染まる。

 彼の為にあるその表情は、残念ながら祐樹からは伺うことが出来ない。

「私、ユウ君のためなら……魔物にだってなれるよ」

「――……」

 祐樹は無言で腰を起こし、座ったままE:IDフォンの項目をタッチする。


『Slavetamer-skill.

 setup to the〝ヒューマン・ミスト〟!!』


「ミスト……その」

 祐樹は戸惑いながら言った。


「ありがとう。嬉しいよ」

「応えてくれる気はないくせに」



『action!!』



 ばさり、とメイド服が床に落ちる。

 着衣していた主は言葉通り〝霧散〟し、牢獄の天井に小さな雲が発生する。


 彼女はガス状の魔物に変貌したのだ。


「なにしてるの、ミストッ!!」

 異変に気付いた看守たちが声を上げた。

 人間を阻むための格子では、蒸気は止められない。

 霧となった少女は牢獄を易々と抜け、お互いの殺害を目論む友人たちへと突撃する。

 暗雲が人型にまとまったような半端な姿に変化し、そのガス状だった拳だけが人間の物に戻り、刃を振う腕を拘束した。


「ユウ君ッ!」

 能力そのものの施行は祐樹の制御にある。

 彼は頷き、唱えた。

「〝スパーク〟ッ!!」

『action!!』

 ばちり、ばちりとミストの身体に静電気が走り、メイド達は小さな悲鳴を上げて凶器を落とした。

 再び霧に戻ったミストはメイド達の顔を全身で覆う。

 すると、暗雲の中の彼女たちはたちまち嗚咽を始めた。

 異物である寄生虫の嫌がる匂いが、宿主とそれを切り離しているのだ。

 吐き出されたウミウシ型の物体は逃げ場を求め始めるが、


「させるかよっ! 〝ストライク・バブル〟!!」


 先読みしていた祐樹が格子越しにバブルを浴びせ、その身体を拘束した。



 少女の身体に完全に戻ったミストがバブルを破壊し、寄生虫に指先で触れると、そのおぞましい魔物は瞬時に干からびて消滅してしまった。















「〝アシッド〟!」



 ミストの霧が格子の鍵を腐敗させ、牢屋が解き放たれる。

「さ。ユウ君急ごう!」

 人間体に戻り、ミストが急かす。

「まって! 服! ミスト、服着てっ!!」

 祐樹は脱ぎ捨てたままの服を突き出し、叫んだ。

 ガスから人間に戻れば、当然ミストは全裸だ。

「あーもーっ!」

 彼女は祐樹から服をひったくると、テキパキと着衣する。

「よし、おっけ! 行こう!」

「…………、ん?」

 その様を見ていた祐樹は、少し首を傾げてから、

「ミストさん、一つ聞いていい?」

「なに? 裸が惜しかったならあとで見せてあげるから。

 今は急ぐよ!」

「いやー……そうじゃなくてさ……」

 祐樹はもう一度首を傾げ、何かを反芻する様に悩み、そして記憶に間違いが無い事を確認すると、



「パンツ。履いてないよね?」

「はぁ? ……〝パンツ〟って何?」



「パンツって、えー、下半身を直接護る薄い布きれで……。

 その、ミストさんただでさえスカートなのに履いてないといろいろ……。

 ――てかずっと履いてなかったのっ!?」

「ねえ。今それ、そんなに大事?」

 祐樹は眉を八の字にして、

「パンツはこの世界にないのか……?」

 と独りぼやくと、一先ず納得することにしたらしく、

「パンツとはただの布きれです。

 この場合さほど重要ではありません」

 と回答を述べた。





「ミストちゃん。人間辞める覚悟はいい?」

「まって。最後に一つだけ聞かせて」

 今まで茫然自失としていたミストの問いかけに、亜利奈は止まった。



「――全部、祐樹の為なのね?」



「そうだよ。当たり前じゃない」

 さも当然と亜利奈は答える。

 するとミストは大きく頷いた。

「いいよ。好きにして」

「あれれ? なに、諦めたの?」

「まさか。

 いろんなものを失くしかけて、全部祐樹に救ってもらったの。

 それを祐樹にあげれるのなら、嬉しいくらいだわ。

 それから、祐樹なら私を大事にしてくれる」

「ユウ君を信じてるんだ」

「好きになるってそういう事でしょ?

 ――あと、悔しいし」

「悔しい? 何が?」

「全部亜利奈ちゃんの功績っていうのが。

 ああ、そうだ。

 あのね。よく聞いてね」


 ミストは不敵に笑った。


「『あなたが何をしようと、私は私の意志で祐樹のモノになる』」



 賢い亜利奈はその言葉の意味を悟り、珍しくはたと動揺した。

 ミストの瞳は決意で満ちていた。

 もうさっきまで泣いていた乙女の姿はそこにはない。

「たった今、私はそう宣言したわ。

 私の記憶を消しても、亜利奈ちゃんの中では覆せない宣言よ。

 私の人格を否定しても、私を人間以外の何かに換えても、これは変わらない。

 私は祐樹のためにどんな困難も乗り越えてやる。

 いい? 覚えておきなさい」


 それは亜利奈に対抗する、覚悟を持った笑みだった。

 まるで恋敵に叩きつける挑戦状のようだった。


「私、……負けないからね」



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