三章【真夏の宵の宴】
55.夕陽や価値
七月中旬。
梅雨の余韻がまだ残っているかのような、蒸し暑い日だった。
「やーな感じ…………」
あたしこと
蒸し暑さが嫌になる──とは思わない。
この「正常」というのはあたしなら、
よーするに。
よってこのジメジメムシムシした気候の中でも暢気に真っ黒なモッズコートを羽織って、徒に熱を乱反射する住宅街の最中を闊歩出来るというワケなのだが。
それでも、こう、その、なんていうかね?
周りのミナサマがいかにも「あつい~」ってな雰囲気醸し出してたら、やっぱ見てるだけでもなんかヤな気分になってくるもんで。
人間ってのは周りに引っ張られる生き物なのだなぁって。
ま、あたしはもう人間じゃないけど。九割方。
…………目的もなく、ただブラブラしている。
ワケでは、ない。
今日は明確な目的があって、この東京──その中でも地元、といってもいい地区へと足を運んだのである。
立ち止まり、スマフォを起動。画面を操作してニュースに目を遣る。
「………………」
『一周忌』。
というワードが目に留まる。
最も、
──そう。
今日はあの、二度目の『渋谷大量変死事件』、それから一年と一日が経った日である。
それ即ち、あたしが人間として九割方死んじゃった日──そして
「…………ま、あたしの事なんかいいんだけどね。どうでも」
大切なのは『一周忌』ってことだ。
渋谷のあれこれはこの際置いといて。
あたしの話。
「…………このお寺の裏手だっけな」
歩き続けるあたしの片手には弔花の束が握られている。白菊や白百合などの白い花を基本に、デルフィニウムやカーネーションの青を添えてある。
向かう場所は、もう語るまでもない。
「ほったらかしにしちゃってて…………ごめんね」
そう言ってあたしは。
あたしの家族の。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………」
………………なんかとんでもないのがいた。
なんかウチの墓前で誰かが土下座してた。
なんか見覚えのある人だった。
なんかあたしの親友っぽかった。
「いや何やってんの
…………しまった。
叫ばずにはいられなかった。
「え」
ぐりん、と土下座の体勢を崩さぬままに首だけを此方に向ける──その顔は悲しいかな、紛れもなくあたし、
マジか。
あたしを視界に捉えた途端、あからさまにギョロっと目を見張る
「──! あ、あ、あぁ、ミ、ミミ、ミヤ、ミヤコ──」
「いや人違いですおかしなこと言わないでくださいあたしの名前は
回れ右をしてあたしはその場から逃亡を図っ──
「ミヤコーーーーーーーーーー!!!!」
「ぐふぅぉぇっっっっ!!!!」
なんたる
あたしの身体が反転しきる前に
「ひいぃっ、お助けーーーー! 見逃してぇーーーー!」
「ダメぇーーーー! また逃げる気でしょあんたわぁーー! 親友の顔見た途端トンズラすんじゃないってのー! 離さない離さない離さない」
「やめてー! ヒップにしがみつかないでぇー! あ、あたしの
「やめてやめてやめてやめて心抉ってこないで目を背けてた事実を突きつけてこないでてゆーかホント待って暴れないで待って待ってええぇーーーー!」
…………まあ、そんな感じで。
あたしと親友の再会は、感動なんてどこにもない、どうにもこうにもしまらない感じになったのである。
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「冷やし中華二つで」
お昼時。
いつものドーナツ屋であたしはそんな風な注文をした。
「ドーナツは──今日はいいか」
「………………うん」
品物の乗ったトレイを小さなテーブルへと運び、向かい合う形で座った。
「いっただっきまーす」
「いただきます、と」
両手を合わせて、箸を手に取り、食べ始めた。
「やっぱ夏は冷たいものに限るねぇ~風物詩風物詩」
「風物詩ね。けど、売り上げ的には冷たいものが売れるのは本格的に暑くなるちょっと前ぐらいの時期って聞いたことあるけど」
「は、マジで? なんで?」
「あれだよ、こたつに入って食うアイスは美味しい的な。現代にはエアコンっていう文明の利器があるからね。夏場になったら屋内はどこでも冷房キンキンにしちゃうから意外と冷たいの食べにくいとか、身に覚えあるでしょ?」
「あー確かに。クーラーで身体冷えて自販機であたたかいの買うとかあるわー。商売ってのは単純じゃないねえ」
言いながらに中華麺を啜るあたしと
わかってる。
避けている。
言いたいこと。
聞きたいこと。
本題、を。
「ごちそうさま」
「…………ごちそうさま」
二人とも、冷やし中華程度すぐに平らげられる。
また適当な話でお茶を濁そうかとも思ったが、何の話題も頭に浮かんでこなかった。
「…………なんで、
結局、向き合わなきゃならない事だ。色々な事を先延ばしにし過ぎた。
あたしらしくないぞ。
もっと馬鹿になってみせろ、あたし。
「なんでって、あんたねぇ…………」
明確に眉を顰められた。
まあ、そりゃそうか。愚問が過ぎた。
「追いかけてくる事、なかったのに」
「ぶん殴るよ?」
「バイオレンス! ──でもないか。昔ならもうとっくに手が出てもおかしくないし。なんか我慢強くなった?」
「ここ最近は身近に煽りの権化みたいな娘がいるからね…………忍耐は相当に鍛えられたよ」
「ほーん。大人になったねぇ
「セクハラ止めなさい」
「ちぇー、お堅いなぁもう」
「てか話逸らすなっての」
「あら、バレた」
いかんなー。全然馬鹿になれてないなー。小賢しいぜミヤコちゃん。
「…………いつものことでしょ。いつだってあんたはワタシに目もくれず駆け出して突っ走って──ワタシはあんたの背中を必死こいてついていくだけ」
「そうだったっけね」
けど。
あたしも。
昔も。今も。
「…………ま、
「それだよね、ミヤコ」
はあ、とため息を吐きながら
ありゃ、珍しい。
「それってどれさ」
「んー、なんていうのかな…………ワタシら、親友でしょ?」
「うん」
即、頷く。
それは考えるまでもない、あたし達の大前提である。
「その割にはさ、変に距離あるよねって」
「………………」
そこ、踏み込んじゃうかぁ。
「んー、まあ、そうっちゃそうかもだけど」
「いや、別に文句言ってるワケじゃなくてさ。ワタシもそれで丁度いいって思ってたんだし、ワタシらの距離感はワタシらの距離感で、周りと比べるもんじゃないし。ただ、ただ…………」
「お互い、もう少し近づいてたら、寄り添ってたら…………何か、違ってたかなって」
「違ったかもしれないし、違ってなかったかもしれない。違ってたとしても良い方向か悪い方向かはわからない、でしょ?」
「そうなんだけどさぁ! ホンっト元も子もない事言うよねミヤコは!」
「事実じゃーん。カモシカタラレバじゃーん」
「…………と、そんな風にド正論言ってまた間合いとるワケだ」
「う"」
仰る通り。
「まあ、ずっとソレに甘んじてきたワタシが何を言ってもって感じなのは確かだけど…………ミヤコはさ」
今度は真っ直ぐに
「踏み込まれたくないから踏み込まないの? 踏み込みたくないから踏み込ませないの?」
「…………さあ、どっちだったっけな」
韜晦、ではなく、本心だった。
鶏が先か卵か先か。
案外ひよこが先かもしれない。とか言って。
けど。
付かず離れず、離れず付かず。
それが、一番良いと思うんだけどなぁ。
お互いに。
「ワタシとでも?」
「誰でもだよ」
「冷たいよね」
「熱いんだよ。だから火傷させたくないんだ」
屁理屈だなぁー、我ながら。
けど、屁理屈ではあっても嘘じゃない。
本心だ。
あたしは席から立ち上がる。
「もう行くんだ」
「うん。あんま仲良ししてるワケにもいかないでしょ、立場上」
「そういう気遣いは出来るのにね」
「これもまた間合いだよ。…………もう会うことはない──ってのは絶対嫌だからまた会おうね」
「付かず離れず…………か。ホンッッット、我が儘で手のかかる親友ですこと。まあいいよ、好きに追いかけるから」
「ん、待ってるね」
後ろ手で手を振りながらに、あたしは店を出る──
──前に、直ぐ後ろのテーブル席で聞き耳をすませていた不埒な輩の首根っこを引っ掴んで席から引き摺り下ろす。
「ぴぎゃあ!」
「人
「は、はひ…………」
卑屈極まる醜悪な笑みをその女は浮かべる。
その「卑屈さ」にどうも作為的なものを感じ、あたしは酷く不愉快になった。
絶対に好きになれないタイプだ。
「…………あんた、何やってんの。
「あ、あふ、へぁ…………」
そんなやり取りを背に。
あたしは親友と、また出会うために、別れたのだった。
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