三  恋は饒舌

学校に行ったら机の中にゴキブリの死骸が入っていた。

クラスメイト達はゲラゲラ笑って、お前のために用意したんだって言って、食べさせようとした。

走って逃げたけどすぐに追いつかれて、本当に食べさせられそうになった。

生まれて初めて、羽交い絞めにされた。

食べさせられるかと思ったそのとき、校内放送が流れて、奴らが気を取られたすきに間一髪逃げることができた。

こんな学校に通い続ける意義なんてあるんだろうか。


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 スタバは図書館のエントランスにあって、写真を撮り合うオシャレな学生やパソコンを広げる教授らしき人たちが常にちらほら座っている。学校内にスタバがあるのって入学前はなんだか憧れたけど、実際日常的に通い詰めるには高すぎて全然行かない。


 図書館内は基本的に飲食禁止で、一部のコーナーだけペットボトルやタンブラーのような蓋がきっちり閉まる容器に入った飲み物が許可されている。エントランスに併設しているくせにテイクアウト用の容器は持ち込めないのでなんだか騙されたような気分。これは本を予め借りてきてコーヒー飲みながらスタバで読めってことなのか、タンブラー買って図書館に持ち込めってことなのか、よくわからないけれど前者の方が多いような気がする。


 スタバ、もとい図書館のエントランスに入ると、ふわ、とコーヒーとチョコレートの香りに包まれた。スタバに限らず、冬になるとなぜかチョコレートの商品が増える。入口に置いてあるイーゼルにも、ショコラなんとかってのがイラストと一緒に書いてあった。スタバのメニューはまるで呪文のようで、いつも覚えられない。「何がいい?」と鈴に聞かれて、「あったかくて甘いの」とざっくり適当に答えた。鈴は笑って「了解」と言い、レジに向かった。


 大して混んでいるわけでもないけれど、手持無沙汰なので席をとって待つことにした。

窓際は寒いので、暖房に近い壁側を確保し、何をするでもなくスマホをいじる。

 今のスタバの新作はショコラオランジュモカとフラペチーノらしい。ショコラオランジュ、と言う響きに違和感を覚える。オランジュショコラの方が、耳にすっと馴染むのでは、と感じるのは私だけではないと思う。というかそもそもこの寒いのにフラペチーノ飲む人なんているのか。以前飲んだことがあるげれど、まるで濃厚なかき氷を飲んでいるようで、これは夏に限った飲み物だな、と思った記憶がある。

 しかし周りを見ると、二、三人くらいショコラオランジュフラペチーノらしきものを飲んでいる。みんな「華の女子大生」という言葉が似合いそうな女の子。これはさしずめ、飲む女子力と言ったところか。


 しばらくして鈴が持ってきたのはショコラオランジュモカと、ショコラオランジュフラペチーノだった。華の女子大生たちが飲んでいたものもこれだろう。チョコレートソースとホイップクリームを多めにしたと言って嬉しそうに飲む女子力を吸い上げる鈴には、寒そうという感想しかわかない。

「寒くないの?」

「え?」

「それ飲んでて。冷たいでしょ」

「そりゃ冷たいけど、あれだよ、炬燵でアイスみたいな。ってかせっかく新作なんだし」

 そう言ってまた一口。

「バイトのときに飲むと太るぞってみんなに言われるしさ。だから知り合いがいない時間帯に飲むの。スタバでバイトすると冗談抜きでみんな休憩中ほうじ茶飲んでんだよ。太るから」

 腹の肉をつまむかのように分厚いコートをつまみながらそう言うと、鈴は改めて話し始めた。


 思った通り、話は恋の話だった。鮪さん、ではなくユウさんが昨日実家に帰ってきたということから始まり、手料理つくってもらっただの、一緒にテレビを見ただの、一見何でもなさそうな日常の一つ一つを一緒に過ごした話を事細かに聞かされた。

 あまりに事細かくて途中から集中できなくなり、甘ったるいショコラオランジュモカを啜りながら、ちゃんと聞いているように見えるようできるだけ気を遣いつつ、適当に相槌を打ち続けた。

「こんなこと話せるの紗友里だけだわ、ほんと」

 ぼーっとした頭でなんとなく聞き流しているといきなり私の名前が聞こえ、慌ててマグカップの縁に注いでいた視線を向けた。

「聞いてくれてありがとね、色々」

「何、改まって」

「いや、バイトじゃ話せないし」

「もっちーには?」

「え、言えるわけないじゃん! 絶対好きな人まで真似されるって絶対! そんなの絶対無理!」

 絶対、と連呼して鈴は脚と腕を組んだ。眉間には皺が寄っている。

「それはさすがにないでしょ」

と笑いながら軽く返すと、

「いや、絶対真似するよあの子。高校のときからずっとそうだったもん。髪型も、服も、持ち物も、バイトも、好きな歌手も、好きなキャラクターも、全部真似してるんだよ、全部」

と、うんざりしたような、それでいて少し弾んだ調子で返した。

「ノートとかだったら余裕で次の日には用意してんの」

 確かにしおり付きのおしゃれなノートですらおそろいで、何が何でも同じでいたいという執念を感じなくもない。

「どこからお金出てるんだろうね」

と鈴は笑った。

「そんなんで、なんで高校から普通に友達やってんの?」

「えーっと、なんでかな、なんでだろ。最初はそんなんじゃなかったんだけど。いや、そんなんだったのかな? まあ色々あるんだよ」

 鈴はごちゃごちゃと煮え切らない返答をして、フラペチーノのふたを開け、予め持ってきておいたらしい木のマドラーでクリームをすくった。

「そういえばこのマフラーとかどうするんだろ、ロシア産なんだけど」

「ロシア?」

「親の出張土産。あたしは二週間くらいかかると踏んでる」

 そう言ってすくったクリームを口に運んだ。へえ、と適当に相槌を打って、私もぬるくなってきたモカを口にした。


 遠くでチャイムの音が鳴った。図書館では講義開始時と終了時のチャイムは鳴らないので、数十メートル離れた講義棟のかすかなチャイム音で判断せざるを得ない。

 エントランスがテスト勉強をしていたであろう学生でごった返してきた。私と同じ四角いリュックを背負った学生が多い。完全に機能性で選んだこのリュックは最近流行っているらしく、学生に限らずどこに行っても見かける。

 流れゆく四角リュックの数をなんとなく数えていると、視界にもっちーが入ってきた。鈴と同じコートに身を包み、同じ髪型をしている。今日は偶然にもカバンまで同じだ。私達、というかいつものごとく鈴を探しているのだろう、きょろきょろとしている。

「梨緒! こっちこっち!」

 鈴がもっちーを呼ぶ。するとすぐさまこちらに気がつき、あ、という顔をして、「鈴ちゃん! 紗友里ちゃん!」と、小さく手を振りながら駆け寄ってくる。

「おはよ」

「おはよう」

「レポート出せた?」

「うん、ギリギリセーフ」

 珍しく何も買わずに座ろうとするので「何か買ってこないの?」と聞くと、「どうせすぐ行かなきゃいけないから」と笑う。体育の追試があるそうだ。

「一人でも不合格になると、チーム全員テスト受け直しなんだ」

「うへえ、マジか」

「まじなんだよー。鈴ちゃんは合格したんだよね、いいなあ」

「バレーはそこそこ得意だからさ」

 そう言って暖房で溶けかけたクリームをすくい、口に運ぼうとした瞬間、着うたが鳴った。

 女性シンガーのバラード。着うたなんて今時珍しい。

 鈴はピクリと反応し、マドラーをクリームに突き刺すと携帯を手にした。そして嬉しそうに目を細めると、

「ちょっと電話してくるね」

と言って、外に出ていった。

 きっと鮪さんだな、と思い、鈴の後ろ姿を横目に私はすっかり冷たくなったモカを啜った。

 ふと、もっちーが手持無沙汰にカバンの紐をくるくると指に巻きつけているのが目に入り、もっちーは飲み物を買っていなかったということを思い出した。

「なんかごめん、一人で飲んでて。あたしのだけど飲む?」

「ううん、大丈夫。すぐ行くから。ありがとう」

 すぐ行くから、と言ってはいるものの、立ち上がる様子はない。鈴を待っているのだろう。鈴がいなくなった方向をぼんやりと見ながら、無意識なのか癖なのか、カバンの紐を指に巻きつけては解いてを繰り返している。

 そういえばもっちーと二人きりになるのはこれが初めてかもしれない、と思った。

 もっちーは基本的に鈴とセットで行動しているし、私は鈴ともっちー以外の友達と行動することの方が多いので、一緒になるタイミングはなかった。居心地がいいような、悪いような、不思議な時間が流れる。

「私たちが二人だけになるの、珍しいね」

 もっちーも同じことを思っていたのか、ふいに話しかけられた。

「だよね」

「一年くらい顔合わせてるのにね」

 そう言いながら指に巻きつけた紐をはらはらと元に戻すと、さっきの曲ってなんだっけ、聞いたことあるなあ、とぶつぶつ呟きながら携帯をいじり始めた。着うたを設定するのだろう。

 多分好きな人にしかその曲設定してないよ、と教えてあげたくなる。大変なことになりそうだから教えないけど。

 もっちーはいつもこんなことをしているのだろうか。何かあるたびにこうやって調べて。

 どうして、何のために?

「あのさ、もっちーさ、素朴な疑問なんだけど、なんで鈴の真似してんの?」

「え?」

 もっちーは少し考えて、自分なりの答えが出た、という顔で

「鈴ちゃんのことが好きだから。いつも一緒にいてくれるから」

と答え、手にしていた携帯をコートのポケットにしまった。

 それ以上の答えはないらしく、私たちは見つめあったまま沈黙してしまった。

「え、それだけ?」

「うん」

 なんだか釈然としない。確かに常に一緒にいるイメージはあるけれど、他に友達は?

 納得できない、というのが顔に出ていたのか、慌ててもっちーは付け足した。

「あのね、私、いじめられてたんだ。小学生の頃からずっと無視されてて。どんくさいからかな?」

 小首を右に軽く傾げてもっちーは寂しそうに笑う。

「でもね、鈴ちゃんだけは話しかけてくれたんだ。消しゴム借りていい? って」

 耳を疑った。

 消しゴム? 消しゴム借りただけ?

「それ消しゴム忘れただけじゃないの?」

 思わずそう言うと、もっちーは小さく笑った。

「それくらいわかってるよ。でも、そんなちっちゃなことでも誰も話しかけてくれなかったから、本当に嬉しくて」

 嘘のような話だけれど、嘘をついているようには見えない。いじめられたことすら信じがたい。

 しかしいじめなんて「ちょっと気に入らない」というだけの難癖から始まることも多いと聞くし、考えるだけ無駄なのかもしれない。

「こんな私にも話しかけてくれる、優しい鈴ちゃんみたいになりたいなって、気がついたらそう思ってたんだ」

 要するに自分の救世主を崇めているということで、その救世主がたまたま友人関係にあった、ということであながち間違いではないだろう。理解はできないにしても納得はした。

「もちろん紗友里ちゃんのことも大事なお友達だよ。もっちーって呼んでくれるのも嬉しいし」

 そう言ってもっちーは人懐っこそうに笑う。

「でも、鈴ちゃんはいじめから救ってくれた唯一の人だから、特別なんだよね」

 柔らかい陽射しのような笑顔はいかにも人に好かれそうな可愛らしさで、いじめられていたのも、鈴しか友達がいないのも、嘘だとしか思えない。

「そっか。あたしはそれでいいよ、別に」


 ぼんやりと鈴を待っていると、もっちーの追試の時間が迫っていた。先生が厳しいからもう行くね、と言って、もっちーは体育館の方に駆けて行った。

 もっちーがいなくなるのと入れ違いで、鈴が戻ってきた。やっぱり鮪さんだったのか、頬が緩んでいる。

「あれ、梨緒は?」

「追試行った。さっきのやっぱ鮪さん?」

「だから鮪さんじゃなくてユウ!」

 鮪さん、と言うワードに毎回律儀に反応して訂正するもんだから面白くてつい言ってしまう。からかい甲斐があるというか。

「はいはい、ごめんごめん」

「肉じゃがつくったから夕方にでも取りに来いってさ、帰ってくるたびにつくってくれるんだよね」

 まだ聞いてないんだけど、と心の中で軽くツッコんで、モカを飲みきった。すっかり冷たくなっていて、体が少し冷えた気がした。

 鈴ののろけを改めて聞こうと思ったところで、私のポケットの中でLINEの無機質な通知音が鳴った。タイミング的にあの人だな、と思ってLINEを開くと、案の定だった。

「誰? 噂の彼氏?」

「うん、明日のデートの話」

 こんな私にもつい最近彼氏ができたのだ。仲間たちからは奇跡だと言われるけれど、自分でも奇跡だと思っている。

「いいなー、あたしもしたーい」

「鈴はまず告白しなよ」

「だから、明日するんだってば」

「あ、そっか」

 さっき聞き流したマシンガントークの中にその話が含まれていたらしい。

 話聞いてなさすぎだな、と自分で自分に苦笑する。

「誕生日なの、明日」

 へえ、と、今の反省を特に活かすことなくLINEを返しながら相槌を打つ。

「紗友里たちは明日どこ行くの?」

「あー、びっくりサンダーパフェ食べに行く」

「え? 嘘でしょ二人で?」

 心から信じられない、という顔で鈴は私を見た。

 確かに普通の女の子であれば五人くらいでワイワイ集まって食べる代物で、わざわざサークルやクラスでイベントとして人を募って食べに行くことが多い。しかし私は人一倍どころか二倍も三倍も食べるので特に問題はない。

「まあ、服さえきついの着ていかなければ大丈夫」

 しかし言ってから自分のクローゼットの中を思い返してみると、きつくない服なんてジャージくらいしかなかったような気がする。ジャージになるだろうけど、と笑いながら付け足すと、露骨に何言ってんのこいつ、という顔をされた。


 その後テストの直前まで、デートくらい着飾りなさい、という旨の説教をされ、その流れで鈴の服を借してもらうことになった。


 私は、鈴、もっちー、私がおそろいの格好をすることを想像してみた。ぶかぶかなグレーのコート、グレーとベージュを足したような色のブーツ、スカートのように裾が広がったオレンジのパンツ、オレンジの小さなカバン。

 三人全く同じは気持ち悪いと思ったけれど、それとこれとは話が別だ、と自分に言い聞かせて想像を振り切り、お言葉に甘えることにした。

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