おそろい

加代

一  恋は盲目

日記をつけておくと何かあったときに使えるらしいので、いじめの記録をつけておく。

今日は体育用のシューズを隠されて、体育は普通の上履きでやった。シューズは学校裏の側溝で見つけた。真っ黒い泥かドブか、何かよくわからないものがしみ込んでいて、もう使いたくない。においもひどい。

こんないじめ、高校で受けるなんて思ってもみなかった。

私の何がそんなにいけないんだろう。

ただ周りより少し真面目なだけだというのに。


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 双子コーデなんて可愛いもんじゃないよな、とは常々思っている。

 私と同じコートに身を包み、同じ髪型をして、同じリップとアイシャドウを塗ったこの友人を見ていると、鏡でも見ているかのような錯覚を起こすことがある。今日はたまたまブーツとタイツも同じなので、そこにいるのはほぼ完全な「私のコピー」。ただ一つ身につけているもので違うのは、昨日出張土産として母に貰った外国製のマフラーくらいのものか。

 このコピー、もとい望月梨緒は、私がしているマフラーの垂れている部分をそっと手に乗せ、興味深そうに眺めている。

「あったかいね、これ。新しいの?」

「親に貰ったんだ、出張土産」

「そっか。可愛い」

 梨緒はそう言ってにっこりと笑った。

 もうすっかり慣れきってしまったけれど、新しいものを使い始めると、梨緒はこうして目ざとく見つけて、そうして数日後には同じものを手に入れている。

 これに気づいたときは戸惑った。しかし最近はどれだけの日数で同じものを入手するかを自分の中で想像して楽しむことにしている。今回のは外国製だし二週間くらいかかるかな、と予想。これは私もどこに売っているのか知らない。

 ブランドタグも何もついていない、何のファーかもよくわからないこの外国製のマフラーを、一生懸命に探し出す梨緒の姿を想像しようとしたけれど、難しくてやめた。梨緒は私の前では探さず、後日しれっと身につけて登場するのだ。さも元から自分が身につけていたかのように。

 梨緒はバイトに行くところだったらしく、マフラーの検分を済ませると、じゃあね、と言って学校方面に消えていった。

 危ないところだった。今日私がここに来た理由は梨緒に会うためではなく、ユウに会うためなのだから。


 昔から父も母も多忙で家が空っぽなことがよくあり、その度に隣の家にお世話になっていた。この家にいたのが一つ年上のユウだった。

 親が家にいるいないにかかわらず、ユウとはよく遊んだ。おままごともしたし、戦隊ヒーローごっこもした。小学生に上がると、ユウの友人も遊び友達になり、テレビゲームやカードゲームなんかもした。一緒に育ったと言っても過言ではない。

 いつしか、ユウのことが好きになっていた。なぜなのかは明確にはわからない。しかし私の人生にいなくてはいけない人だ、と漠然と考えている。

 恋って結局はそういうもので、理由なく落ちるものなんだから、笑顔が素敵とか、優しいとか、そんなことは後付けの理由でしかないんだと思う。とにかく私はユウが好きで好きで仕方なくて、こうして会いに来てしまうのだ。


 梨緒にこのことを知られてしまったら、同じくユウを好きになってしまうかもしれないので、絶対に悟られないようにしている。梨緒なら絶対そうなる、と私は確信している。私が言ったことなら、どんなことでも真似する子なのだから。


 やがて、オレンジ色の電車がホームに入ってきた。どっと乗客たちが降りてくるのが見える。皆学生のようで、大抵が茶髪、ダークカラーのコート、トランク型のキャリーバッグという出で立ちをしている。量産型、という言葉が浮かんだけれど、私と梨緒も大概だな、と思って打ち消した。

 似たような格好をした軍団の中に、天然パーマ気味のふわっとした黒髪、ワインレッドに近い赤のダウン、ノルディック柄のネイビーのマフラー、色あせてボロボロのボストンバッグという、見慣れた人影が見えた。

「ユウ!」

 名前を呼んで駆け寄ると、当たり前ながらユウは驚いていた。

「鈴! なんでこんなとこいんの?」

「レポート出した帰り」

 そう言ってふと目線を顔から下げると、リュックも背負っていることに気づいた。最近流行っている形の黒無地のリュック。オシャレに気を遣い出したのか。

「いいね、そのリュック」

「え、ああ、いいっしょ」

 少し誇らしげな返事が返ってくる。しかし、よく見るとリュックはパンパンに膨らみ、まるでランドセルのようなシルエットになっていた。その代わりにボストンバッグはぺしゃんこで、いかにもリュックに入りきらなかったものを入れてきました、という感じだった。

 ユウのことだから「リュックの方が楽だから」という理由で重いものから詰め込んだんだろう。ユウらしいや、と思って笑うと、「なんだよ」と言われたので「別にー」と返しておいた。

「どうせまたセンスないとか言うんだろ」

「大当たりー」

「うるせえ」

 この野郎、と、私を小突くふりをする。しかしあくまでふりだけで、私に触れてくれることはない。

 ユウが私に触れなくなったのはいつ頃だろう、と考えて、少し切なくなる。ちょっとくらい、本当に小突いてくれてもいいのに。

「これから帰るんなら一緒行くか」

 そう言って、ユウは空っぽに近いミッキーマウスのボストンバッグを左手から右手に持ち替えた。泣き虫な私が泣いたとき、よく手を繋いでいた名残だ。ただしそれも小学二年生くらいまでのことで、いつからか繋ぐことはなくなった。

 しかしこうして左手を空けるのが癖として残ったままになっている。本人が気づいているのかどうかはわからないけれど、特に指摘することもなければ手を繋ぐこともなく、自然に左側に並ぶのがお決まりになっている。右手に持ち替えたボストンバッグは、ユウが小学生の頃から使っているバッグだ。まだ使えるとはいえ、年相応に成長したユウには似つかわしくないデザイン。


 昔からユウは服装に無頓着で、オシャレのおの字も見当たらない。使えるものはとことん使うのがモットーで、それでいて物持ちがいいものだから、高校を卒業するまで幼稚園の頃に買ったウルトラマンのお弁当箱を使っていたくらいだ。マフラーも小学生の頃から使っているので、毛玉だらけ。


 友人の紗友里にその話をすると、なんでおしゃれ好きの鈴がそんな人好きなの、と不思議そうに言われてしまった。なんで、なんて私が知りたいくらいだ。恋は盲目とか、あばたもえくぼとか、そういう類のものだろうか。


 二人並んでゆっくりと、とりとめのない、中身のない会話をしながら歩く。レポートが大変だった、バイトでミスをした、学食のクオリティが下がってカレーがまずくなった、などという、普通の世間話。

 こんなにどうでもいい内容なのに、自分の声がワントーンくらい上がっているのがわかる。抑えようとは思うのだけれど、気がついたらまた上がっている。

 どうしてこの気持ちがばれないのか不思議だ。自分でも単純でわかりやすすぎると思う。

 この踏み固められてつるつるとした道でわざと転んだら、ユウは受け止めてくれるだろうか。もしくは、手を差し伸べてくれるだろうか。そこから何か始まってくれたりしないだろうか。

「鮪!」

 雪面を眺めながら少女漫画のような展開を妄想していると、閑静な住宅街に日本語を母語としない人の独特の発音が響いて、私は一気に現実に引き戻された。声だけでわかる。ユウの母だ。条件反射的にユウが思いっきり顔をしかめた。金髪碧眼の美女が全速力で走ってくるのが見える。


 ユウの本名は「鮪」。読みはもちろん「まぐろ」だ。

 なんでも、ユウの両親が出会った場所というのが寿司屋で、そこで出てきた鮪の寿司をユウの母がいたく気に入ったかららしい。

 そのせいでどれだけユウがからかわれたのか、あの人はきっと知らないのだろう。

 気をつけないと滑って転んでしまいそうなほど路面はつるつるなのに、ユウの母は小股で器用に走ってきて、いつの間にか目の前に到着していた。

「もう、帰ってくるなら電車乗るときにメールしなさいっていつも言ってるでしょ?」

「別にいいじゃん、少ししか離れてないんだし」

「いつだって心配なのよ、お母さんは!」

 こちらに着くなり、独特の発音だが流暢な日本語でまくしたてる。まくしたてつつも、ユウのマフラーを巻き直したり、コートの襟を整えたりと、世話を焼くことに余念がない。

 この人が嫌いで、ユウは進学と同時に一人暮らしを始めた。

 生活や勉学にかかる諸々の費用を自分で賄うことと、月に一回は顔を出すということ、ユウを含めた家族の誕生日には帰ってくることを条件にして、どうにか一人暮らしを認めてもらったらしい。今回は月一の帰省兼ユウの誕生日ということで帰ってきている。

 一通り世話を焼くと、思い出したように「じゃ、お母さん買い物行ってくるから、あったかくして待ってなさいね」と言って、金髪のポニーテールと大ぶりのピアスを揺らしながら颯爽と商店街に消えていった。きっと明後日の息子の誕生日に焼くチキンでも買いに行ったのだろう。

 ユウは母の後ろ姿には目もくれず大きくため息をついて、ぐるぐるときつく巻き直されたマフラーを緩めた。

「大丈夫?」

「いや、無理だわ、既に帰りたい」

 そう言うとまた大きなため息をつき、

「でもちゃんと来ないとこっちに来るからな」とこぼす。

「したっけ、彼女といるときに来た話」

「うん、聞いた」

「ほんとやめてほしいわ」

 ため息交じりに毒づくと、ユウはゆっくりと歩き出した。

「別れたんだっけ」

「ああ、まあ」

 大学一年の冬にできた彼女とは、母が原因で、一か月程度で別れてしまったという。二人でいるときになぜか乱入してきたそうだ。

 ユウの彼女には気にも留めず、ユウの本名を連呼しながら世話を焼き続ける母の姿を見て彼女はドン引きし、別れてしまったという話だったと思う。

 確かに事前の情報も心構えもなくあのパワフルな金髪碧眼の妙齢美女を目にすると、引いてしまうのはわからなくもない。

 無言で家までの道を歩く。さっきのはちょっとした地雷だった。ユウは話しかけてはいけない雰囲気を醸し出している。きっと彼女のことを思い出して感傷に浸っているのだと思い、私はほんの少し斜め後ろを歩いた。

 夕陽を受けて、ユウの細い髪の表面が黄金色に輝き、歩くたびにふわふわと揺れる。猫っ毛は母親譲りだな、と思いながら、ふわふわと揺れる頭のてっぺんあたりの毛を見上げながらユウの後をついていく。

「あ、そうだ、あたし行こうか、今日」

 家が見えてきたところで私は、さも今思いついたかのように提案する。

「お父さん帰ってくるまでお母さんと二人っきりでしょ?」

 思った通り、ユウは期待に満ちた顔で振り向いた。

「まじで? いい?」

「うちのお母さんには上手く言っとく」

 早めに行ったらユウのお母さんが帰ってくるまで二人っきりになれるかもしれない。

 そう思うと、顔が熱く火照ってくるのが分かった。もしかしたら、顔が真っ赤になっているかもしれない。

 夕陽のせい、夕陽のせい、と心の中で誰にするわけでもない言い訳をしながら、私はユウより一歩前に出た。

「じゃ、あとで何か持って行くから! 片付けといてよね!」

 了解、というユウの声を背に受けながら、私は玄関に飛び込んだ。心臓のどきどきが止まらない。深呼吸をして玄関の鏡で顔を見ると、思ったほど赤くはなかった。漫画やアニメのように真っ赤になった自分を想像していただけに、拍子抜けしてしまった。

 だったら少しでも長く一緒にいればよかった。

 私は深いため息をついて、ブーツのファスナーを下ろした。

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