真っ赤なロープで拘束された灯里の手が、ベッドの端を力いっぱい、必死に掴んでいる。

 灯里に寄り添うように後ろに並んで寝た柊が、柔らかな肢体を愛撫する。その快感に早くも翻弄されながら、灯里はこんな扱いを歓んでしまう自分が信じられずにいる。


 どうして? 

 あたしは、酷いことをされるのが好きなの? こんな風に拘束されて、それが嫌どころか安心できるなんて。その不可思議で妖しい安心感は、やがてすべてを委ねることで容易に快感へと変換されていく。


 熱く震える灯里を抱きながら、甘い息で耳をくすぐり、柊は囁く。

「灯里、このアパートは灯里のマンションより壁が薄いと思うよ。だから、声、抑えて」

 はっと我に返った灯里が、堪えきれずに上げていた自分の嬌声に気づく。

 そんな灯里を可愛いと思いながら、柊は言葉とは逆に、もっと激しく角度を変えて灯里を攻めた。

「ん、んんん~っ。あ、あ、い、嫌ぁ~」

「ダメだって言ったろ、灯里」

 柊は楽しそうに、執拗に灯里を翻弄する。


 熱心な研究の成果もあって、灯里の弱い部分や体位をかなり熟知できたと柊は思っている。もともと学習能力が高いので、こんなことでもめきめき実力をつける柊は、男として理想なのか、迷惑なのか。それは相手によって、ときと場合によって、意見が食い違うところだろう。

「しょうがないなぁ。ほら、灯里。タオル咥えよっか」

 声を抑える体力と、悶え乱れる体力と、その両方がそろそろ限界に来ている灯里にとって、今日の柊の執拗さは迷惑な方かもしれない。

 咥えさせられたタオルを思いっきり噛んで、それでも呻くような声を上げて、灯里は何度目かの絶頂を味あわせられる。

 力なく余韻に震えている灯里が回復するのを、背中にキスしながら待って、柊は言った。

「灯里、今度はキミの番だよ。拘束はもう、解いてあげるね」

 仰向けに寝た柊の躰に、今度は灯里がキスを落としていく。やがて辿りついたそこにも。そしてまず、ちろりと舌先でそれを味わった。


 灯里、キミってひとは…。おそらく僕にするまで、何も知らなかったんだね。まったく、僕が教えた通りに、言う通りに、キミは舐めるんだね。そんなキミのどこがアバスレなんだ?でも、それでいい。灯里、僕の好きなやり方を覚えて。僕だけの灯里を、僕が完璧につくりあげるから。

 それに、ずっと秘密にしていた僕の邪な欲望は、思いもしない形で叶えられた。ねえ、灯里。僕は本当に、次はリボンでキミを拘束するかもしれない。傷つけるって言葉を、都合のいい言い訳にして。


 躰と同じように、思考回路が溶けていく。

 傷つけているのはあたし?それとも柊ちゃん?

 この刹那が、永遠に続けばいい。幸福で、背徳的で、安心で、そして未来がない。

 ただ肌と肌が触れ合うだけで、こんなにも心地よく、癒されて、夢心地にまどろむ。快楽の底は深く蠱惑的で、覗くたびに新しい泉が溢れ出る。

 もう少し、もう少しだけ。でも、そのときが来たら、あたしは正気でいられるのだろうか?



 ✵ ✵ ✵


 ダンスのレッスンを終えてシャワーを浴び、シャワールームから出た灯里を、カオルが呼び止めた。

「なに?」

 と振り向くと、驚いたカオルの表情がクスリと笑いで崩れた。

「え?」

 訳のわからない灯里に近寄ってきたカオルが、耳元でそっと囁く。

「昨日、激しかったの?」

 ますます、わからない。バスタオルを巻いたまま、きょとんとする灯里に、カオルはさらに囁く。

「背中。ついてるよ。しかも、もの凄くいっぱい」

 大慌てでロッカーから着替えを出す灯里に、カオルが面白そうに訊ねる。

「ねえ、灯里の彼氏って激しいの?それ、幼なじみクン?」

 耳まで赤くなって、無言で下を向く灯里に、カオルはクスクス笑いを抑えきれない。

「も、もうっ。止めてよ、カオル」

「そのセリフは、彼氏に言った方がいいんじゃない?」

「もう、聞こえるからっ」

 そう周りを伺いながら、灯里はまだ赤い顔で、カオルを睨んだ。



 ✵ ✵ ✵


「いらっしゃい」

 とグラスを拭きながら顔を上げたアレンが、意外そうな顔をする。

「あれ、独り?」

「うん。今日はシンジにも、灯里にも振られた」

 そう、と明るく笑って、アレンがカウンターの席を眼で示す。

「何飲む?」

「ジントニック以外」

 カオルはお酒の種類にあまり詳しくない。メニューを見ても、それがどんなものなのか、想像がつかないのだ。

「あまり強くない方がいいんでしょ?」

「うん」

「じゃあ、スプモーニは?」

「スプ…なに、それ?」

 それ反則だろ、と思うくらい優しい眼で微笑んだアレンの説明によると、ちょっと苦味のあるカンパリをグレープフルーツとトニックウォーターで割ったものらしい。

「甘口だけど、カンパリの苦味とグレープフルーツの酸味があって爽やかだと思うよ」

「じゃ、それ!」

 カオルが即答する。

 またにっこりと罪つくりな微笑みで、アレンは頷いた。しばらくして、サーモンピンクの可愛らしいお酒が眼の前に置かれた。

 カオルは、そっと唇をつけてみる。

「ん、おいしい!」

「それは、良かった。食べ物は?」

「それもお薦めにしようかな、今日は」

 う~ん、と考えたアレンが言った。

「野菜のブルスケッタと、帆立とアボカドのオードブルは?」

「おお、それ決定!」

「あはは、キミって素直だね」

「素直っていうか、単純て言われる」

 あはは、とアレンは愉快そうに笑って言う。

「人間はシンプルなのがいいよ、複雑だと疲れる。下手すると壊れる」

 なんだか、その言い方が経験者みたいだとカオルは感じた。

「それ、誰か知ってる人のこと?」

「なんで、そう思うの?」

 う~ん、とカオルは考える。

「勘?」

「勘か。いいね、その感性」

 アレンが真面目な顔でそう言った。その顔も、本当にカッコいいと思う。


「ねえ、アレンて、モテるでしょ?」

「まあ、否定しない」

「うわ、そう来る?でも、そうだよね。そのルックスとスタイルで、モテないなんて言ったら逆に嫌なヤツだよね」

「キミだってモテるでしょ?」

 そうアレンが、悪戯っぽく訊く。

「残念ながら、あたしはモテない」

「あれ?嫌なヤツだなぁ」

 そうアレンが揶揄からかう。

「ホントだよ。だって、好きな人は、別ののこと好きだと思うしさ」

 それは、あのダンサーとMiss幼なじみのことか?とアレンは思ったが、口にはしなかった。


 素直で無邪気で、友達思いのキミが秘密にしている恋心を、無神経に暴いたりしない。


「そう言えば、キミの友達の彼女、好きな人いるの?」

「ん?灯里のこと?好きな人どころか、もう情熱的な彼氏と超ラブラブな夜を過ごしていると思うよ」

 それを訊いて、アレンの眼が急に笑いを潜めた。

「それ、誰かキミ知ってるの?」

「あれ?だってアレンの親友なんでしょ?灯里の幼なじみ」

 う~ん、とアレンは考え込む表情になった。

「ふたりが、ラブラブだっていうのは何でわかるの?」

 そう訊かれて、カオルはさすがに正直には話せないなと思った。

 灯里の背中に無数にあったキスマーク、まるで所有権を誰かに宣言するみたいに執拗につけてあった…。だって灯里が全然気づかない背中に集中してあんなに…あれ、誰かに宣言?いったい誰に?そう思い至って、カオルは首を傾げた。


 大丈夫だよね?灯里は幼なじみと素敵な恋をしているんだよね?愛されてるんだよね?灯里も愛してるんだよね?


 急に黙り込んだカオルを、アレンが怪訝な顔をして覗き込む。そんなアレンに、カオルはぱっと屈託のない笑顔を見せて言った。

「やだぁ~、秘密!そんな友達のプライベートをぺらぺら喋るなんて、あたしはしないよ。灯里のことは、イケメンのアレンにだって売らないからねっ」

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