中学生になった灯里は、セーラー服姿がとても良く似合っていた。

 小学校へ通う柊や繭里と一緒に通学することもなくなり、入学して早々、新体操部に入部したとかで帰りも遅く、なんだか違う世界へ行ってしまったようで柊は淋しかった。

「早く、中学生になりたいなぁ」

 そう呟いた柊に、繭里が言った。

「繭里はね、中学になったら調理部に入るの」

「調理部なんてあるの?」

「うん。お姉ちゃんに訊いたら、あるって」

「繭里は、運動は興味ないの?」

「お姉ちゃんと違って、運動神経よくないもの。足も遅いし。でも、お菓子づくりは大好きなの!」

 繭里らしいな、と柊は思った。

「柊ちゃんは?柊ちゃんは、どんなクラブに入りたいの?」

「僕は…バスケットかな」

「ふうん」

 女の子らしくて、女の子の好きなものが大好きな繭里は、あまりバスケットに興味を持てなかったようだ。


 そんな柊と繭里が中学に入学した年、灯里は3年生になり、中学最後の年を迎えていた。

「北川灯里って可愛いよな」

「うん、レオタード姿とかスゲエいい」

 廊下ですれ違った上級生の会話に、柊はとても嫌な気分になった。

 灯里を見るな、噂話もするな。

 できればそう言ってやりたかったが、そんな権利はもちろん柊にはない。

 それに彼らが言う通り、レオタード姿の灯里は魅力的すぎた。

 繭里に言った通り、バスケットボール部に入った柊は、同じ体育館で練習する灯里の姿に釘づけになった。1年生は雑用が多いのをいいことに、柊は灯里の姿をしょっちゅう盗み見た。

 

 ストレッチのときとウォーミングアップの最初こそTシャツやスウェットを来ているが、ボールやフープなど手具を使った本格練習になると、みんなレオタードや躰にピタリとした練習着になる。成長期の中学生女子は体型もそれぞれだが、灯里はずば抜けて均整がとれていた。

 小学校までは背が高い方だったが、中学3年生のいまはむしろ小柄な方で胸もお尻も比較的小さい。しかし手足は相変わらず長く真っ直ぐで、贅肉のない全身と細いウエストは妖精のようだ。セミロングの髪をシニョンにまとめ、露わになった細い首筋と美しい鎖骨はまるでガラス細工のような繊細さ。柔軟性の高い躰を活かした難易度の高い演技は、素人目にも眩しいほどの美しさだ。

 新体操がそれほど強くない中学だったが、1年のときから入賞し続けている灯里は高校へスポーツ推薦の可能性があると訊いた。


 そんな灯里の中学最後の大会を、柊は繭里に誘われていかにも渋々見に行った。

 男子の観客は少ないだろうと思っていた会場が、意外に男子生徒の姿も多くて、その中の何人かが灯里目的だとわかったときは訳のわからない焦りと怒りで頭がクラクラした。

 灯里の、個人種目別リボンの演技がはじまった。フロアにすらりとスタンバイした灯里は、心持ち緊張しているかに見えて、柊は心の中で必死に頑張れと念じた。

 音楽が流れ、灯里の細くしなやかな足がすぅと前へ出た。静かに情熱を湛えた瞳で真っ直ぐに前を見つめ、やわらかい躰が美しい弧を描いてしなる。それに呼応するようにリボンが、灯里の周りを優雅な曲線を描いて、ときに早くときにゆっくりと生き物のように躍動する。灯里は軽やかにターンをし、軽々とジャンプしながら、リボンとまるで戯れるように完成度の高い演技で会場を魅了していく。

「お姉ちゃん、凄い。綺麗」

 繭里がほぉ、とうっとりとした眼でそう言った。

 でもそのとき、柊は自分の中で起こっている不可思議な感情に、猛烈に戸惑っていた。


 あのリボンで…灯里を…縛りたい。

 

 どくり、と心臓が落ち着かない鼓動を打って、そしてもうひとつの場所がどくり、と同じように反応した。

 

 灯里の躰に、白いリボンがするすると巻きついていく。しなやかに軽やかに舞っていた美しい妖精を、まるで捕らえるように。怪しい幻覚が目の前の灯里と重なった刹那、音楽は止んだ。

 すくっと美しく立ってお辞儀する灯里を、柊は呆然と見た。


 僕は…いま…何を想像していた?


 自らの頭の中に浮かんだ映像が信じられなかった。あんなに純粋で美しい灯里を、僕は妄想で汚してしまった。

「汚らわしい」

 柊は心の中で、自らを激しく罵った。

 ほどなくして、会場から割れんばかりの拍手と歓声が上がった。高得点を賞賛する観客のざわめきで、はっと柊は我に返った。



 ✵ ✵ ✵


「お姉ちゃん、残念だったね。繭里は絶対、お姉ちゃんが一番だって思ったのに」

 帰り道、繭里は本当に不服そうにそう言って、唇を尖らせた。

「ありがと。でも、やっぱりあの2人の方が上手かったよ」

 灯里はさばさばした表情で、やりきった後の清々しさに満ちていた。

「でも、3位だと高校のスポーツ推薦、微妙なんでしょ?」

「うん。でも、ダメだったらそれはそれでしょうがないよ」

 灯里は心配してくれる妹に、温かな姉らしいの眼を向けている。

「だけど、お姉ちゃんの演技、本当に凄かったよね、柊ちゃん」

 急に同意を求められて、柊は焦った。

「う、うん」

「いいなぁ、繭里もお姉ちゃんみたいにスタイル良くなりたい」

「繭里は女の子らしくて、可愛いよ。あたしみたいにガリは魅力ないよ」

 灯里のその言葉で、柊の脳裏にさっきの映像が再び蘇ってきて振り払おうと頭を振る。

「ねぇ、柊ちゃん?」

 灯里が訊ねた言葉が、よく聞き取れなかった。

 ああ、僕は…僕は…。

「汚らわしい」

 ぽつりと思わずつぶやいて、柊ははっとした。

「え?なに?」

 繭里がきょとんとした顔で訊く。

「え」

 焦る柊に、繭里はもう一度訊ねる。

「なに?柊ちゃん、いまなんて言ったの?」

 よかった、聞こえなかったみたいだ、と柊は胸を撫で下ろした。



 灯里は、ぎくりと固まった。そしてそんな自分を気取られないように、無理やり笑顔をつくった。

 いま…柊ちゃんは…「汚らわしい」って言った?

 なぜ?あたしの何が汚らわしいの?

 そして灯里は、思い当たった。もしかしたら柊ちゃんは知ってしまったのかも、リツが従業員全員の前で言ったあのこと。どこから漏れたかはわからないけど。

「まだ内々の話ですが、灯里と勝哉は許嫁だと思ってください。灯里が高校へ入学したら、正式に発表します」

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