9話 コバルトブルー④

 バルコニーに出て、食べ物の話を始めるとお互いの健康へのこだわりに笑ってしまう。わたしも相当な健康オタクだけど、彼はその上をいきそうだ。野菜中心、低脂肪高タンパク食材、玄米、水。長年のダイエット生活の知恵で、ジムのパーソナルトレーナーにも食事指導はいらないと言われたわたし。


 でも、筋肉を付けたい時と体を絞りたい時で食事のメニューを変えるという彼は、トレーナーに負けない知識を持っているようだ。まさか、こんなワイルドな見た目の彼と、健康の話で盛り上がれるなんて。


「龍介さんすごいですね。詳しい。トレーナーさんみたいです」


「実はずっとトレーナーに教わってるんだ。今もね」


「毎日トレーニングします?」


「うん。今朝もトレーニングしたよ」


「どんなトレーニングするんですか?」


「ウェイトトレーニングしたり、走ったり、かな。最近ちょっとさぼり気味だったから、今日は公園で懸垂したら本当にきつかった」


「懸垂……」


「綾乃ちゃんもトレーニングする?」


「わたしは本当に少しだけ、ですね。ジムに通ってはいるんですけど、時々行く感じで」


「明日の朝、一緒に行ってみる?」


「……龍介さんと同じメニューは絶対に、絶対にできないですよ。もう見た目が違いますもん」


 シャツから出ている彼の引き締まった腕に、そっと指を伸ばし、つついてみる。自分の腕の柔らかさとは全く異なる、まるで岩のような硬さに、思わず目を見張る。


「わ、すごい! かたい!」


 驚きの声を上げながら、彼の腕を手のひら全体で包み込むように触れる。筋繊維が密に詰まっているのがよくわかる。彼も「くすぐったい」と小さく笑いながらも、わたしが触れた部分に意識的にぐっと力を入れてくれた。その一瞬、さらに硬度が増したのがわかった。


「今はちょっと見栄を張って、力を入れてます」


 悪戯っぽくそう言う彼の表情に、わたしは笑みを返す。彼の腕が尋常ではない鍛えられ方をしているのは明らかだった。


「体脂肪率すごそうですね」


「今は年末に向けて絞り始めてるから、十パーセント弱かな」


 彼の口から出た数値に、わたしは息を呑んだ。


「じゅ、じゅっぱー……」


 十パーセントを切る、というレベルがどれほどのものか、わたしには想像もつかない。パーソナルトレーナーたちでさえ、「プロでも十を切るのは至難の業だ」と話していたのを覚えている。


(やはりアスリートなんだ。プロレスじゃなくて格闘技っていう線もある)


 今まで見たことのない筋肉の付き方をする彼の腕に注がれるわたしの視線。それと同様に、彼の視線がふとわたしの二の腕に移ったことに気付いた。


「わたしがぷよぷよしているのは今だけですよ。これから鍛えるんです」


 わたしの言葉に、「何も言っていないのに」と小さく言い訳をしながら、右手の拳を口元に当てて笑う龍介さん。


「男女で筋肉のつきかたは違うからそのくらいでいいんじゃない。俺は健康的な子の方が好きだな」


「でも、体脂肪率が高いんですよね」


「ちょっと触ってみていい? そんなに脂肪がって感じには見えないけど」


「どうぞ」


 龍介さんの手が、少しだけためらいがちにわたしの二の腕に触れ、そのままそっと掴んだ。その手のひらは、わずかにざらつくような硬さを持ちながらも温かい。小麦色に焼けた肌が、わたしの肌に触れると、その色の対比が妙に鮮やかにえた。


「確かに……」


 彼は、まるで珍しい物に触れるように、確かめるように、掴んだわたしの二の腕を指の腹で軽く押さえる。


「……フワフワだわ。やわらか……なんでだろう」


「いつか龍介さんみたいになるからいいんです。今だけです」


 わたしが少し恥ずかしさを紛らわすようにそう言うと、彼はすぐに顔を上げた。


「いや、もう充分だって。俺みたいになったらヤバいから」


 くしゃっと崩れる彼の顔に、木漏れ日のように射し込んだ日差しが当たって眩しい。バルコニーの椅子に座って、お茶を飲んで、なんてことのない会話をする。それなのに、こうしていつもより笑顔が多くなってしまうのは、なぜなのだろう。


 視線を彼からそらせば、その先には、息をのむようなコバルトブルーの海と真っ青な青空。グラスに反射する太陽のきらめきさえも眩しくて、わたしはゆっくりと瞼を下した。

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