5話 懐かしい食卓②
◇
食事の準備をしている間に、微かに車のエンジン音が聞こえてきたと思ったら、それは家の前で止まった。龍介さんが迎えに行くと同時に、玄関先からは賑やかな声が聞こえてくる。龍介さんのことをみんなが親しげに「リュウ」と呼ぶ。
玄関から戻ってきた龍介さんの脇には、綺麗に日焼けをした髪の長い小さな女の子の姿。「こんにちは」と、頭を下げるけれど、彼女は目を見開いたまま、微動だにしない。
「……リュウの恋人?」
龍介さんの洋服の裾を掴んで、きょとんとした顔で尋ねる女の子に慌てて首を横に振る。
「あ、いや」
違うと口にしようとしたところで、彼らの後ろから「どこよ」という女性の大きな声が被さってきて、わたしの声はかき消された。続いて「彼女を連れてきたの?」と男性の穏やかな声が聞こえてくる。
「彼女? 彼女なの!?」
「日本人? あれ、韓国の方かな?」
大きな足音とともに、夫婦と思われる男女が現れて、矢継ぎ早にわたしに質問を投げかける。
「モデル? 女優?」
「いつからなの?」
「あ、あのっ」
「あ、日本人だわ。仕事つながり?」
そのどれにも答えられずに困惑しているわたしを見て、龍介さんが体を揺らして笑う。
「違うよ」
そう言ってわたしに歩み寄り、飛行機で一緒だったこと、スーパーマーケットで偶然再会したことを説明した。
「綾乃ちゃんです」
目の前の男女がその説明を聞き、顔を見合わせている。
「龍介さんに助けて頂いたんです」
そうわたしが付け加えれば、わたしと龍介さんを交互に見て、再び二人は顔を見合わせた。そして、女性が何度か深く頷きわたしの前に一歩踏み出す。
「綾乃、初めまして。
「初めまして」
「
「こんにちは」
「ほら、リサ! ご挨拶して」
リサと呼ばれた女の子がわたしの目の前まで歩いてくる。耳には綺麗なダイヤモンドのピアス。グラデーションの長い髪。もうすでに女が出来上がりつつあるその姿に圧倒される。
「初めまして、リサです。リサって呼んで」
「初めまして、綾乃です。わたしも綾乃で」
リサのぶしつけな視線にとらえられて、その大きく開かれた瞳からわたしも視線を外すことができなくなる。
「……あの、どうかした?」
「本当に、違うの?」
「違うって?」
「本当に……本当にリュウの恋人じゃないの?」
まっすぐな瞳で見上げられ、心臓が一瞬だけ不規則に跳ねた。子供の直感は侮れないというけれど、まさか。今日会ったばかりの、名前しか知らない男性。恋人なんて、あり得ない。
そう頭では分かっているのに、否定の言葉が一瞬、喉に引っかかった。
「……違うよ。今日会ったばかりだもの」
なんとか笑顔を作って答えたけれど、リサはまだ疑わしそうな目を向けている。
「ふぅん、そう」
納得していないのは明らかだった。その沈黙を破ったのは、忍さんだった。
「なあに、リサ。あなた、本当にリュウが好きね。リュウのお嫁さんになるのは、やめたんじゃなかったの?」
「ママ! 黙っててよ!」
やり取りを見ていた龍介さんが楽しそうに笑いながら、リサに視線を向けた。
「なに、リサは俺のお嫁さんになってくれるの?」
可愛らしく頬を膨らませるリサの姿を見て、本当に嬉しそうに笑う龍介さん。父親が娘にパパのお嫁さんになると言われたときの表情と同じ、それが可笑しい。
「龍介さん、本当にリサのこと可愛いんですね」
「うん。赤ちゃんのときから見てるから。リサを見てると、本当に子どもほしいなって思うんだよね」
「リュウはその前にお嫁さんを見つけなさいよ。あなたもう36よ」
「あ、痛いところを」
そう言いながら胸に手を当てて項垂れる彼を見て、みんなが笑う。
食事の準備をしている間も彼の傍を離れずにいるリサに、龍介さんは見た目から想像できないほどの優しい声で話しかけて、愛おしそうにその頬を撫でる。本当に優しく笑う人。愛情を隠さない人。龍介さんを見ていると、勝手に頬が緩んでしまう。どうしたらこんなに真っ直ぐに、素直にいられるのだろう。
彼の纏う陽の光のような空気が、心のどこかにある冷え切った部分を少しずつ溶かしていくようだった。
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