10 ユリウスとの会合
『エミリオさん。あの騎士団の人たち、動く気配がないですねぇ……』
先程から一向に戦闘が始まらない南部修道院の様子を裏から眺めているエミリオに対し、自称リーゼのこんなうんざりしたような声が聞こえた。
「そうだね……何か動きたくない理由があるのか……」
『もう先に忍びこんじゃいませんか?』
「うーん……確かにそれも選択肢の一つではあるけど……決断は慎重にしないと……」
『ブーブー!』
我慢の限界を迎えつつある自称リーゼをたしなめながらも、内心ではエミリオも聖騎士団に動きがないことに焦り始めていた。あまりに動きがなさすぎる。もし作戦変更があったのなら、こちらに何かしら連絡があってもいいようなものだが……早馬や連絡のたぐいは一向にない。
これは謀られたのかもしれない。同行していたあの時から考えていたことなのか、あるいは別れてから思いついたことなのかは分からないが……あのウィルのことが信用出来ないため、どうしてもウィルを疑ってしまうエミリオだった。
『ここから離れて西の施設に行っちゃったんですかね?』
「なぜ? 理由は?」
『わかんないですけど……“ここを攻めるもんだ!!”と勘違いしたエミリオさんが一人で突っ込んでアウトになるのを期待してるとか?』
「んー……」
『その間に西の施設を攻めておけば、西の封印を解いた頃には目の上のたんこぶ的なエミリオさんも始末できて時間も節約出来てやったぜうぇーい! って感じで』
「確信を持てる証拠はないけど、可能性としてはあるな……」
『ですよねぇ?』
妙な言い方は少々気になるが、確かに自称リーゼの言うとおりではある。いかんせん聖騎士団が攻めこまない判断材料が乏しいため、エミリオたちは推測することしか出来ない。
「埒が明かないな……ちょっと潜入してみるか」
『さっきは決断は慎重にっていってたじゃないですかっ』
「なんというか……判断材料が欲しいんだ。このままじゃこっちはどうすればいいのか分からない」
『だったら逆に判断材料が揃うまで待った方がいいんじゃないですか? さっきのエミリオさんの言い方だと』
「その判断材料を能動的に収集するんだよ。受動的にひたすら待ってもいいけど、さすがにこのままじゃ……」
キンという小さな金属音がサーベル“魔女の憤慨”から聞こえた。目をやると“魔女の憤慨”全体が淡い光を帯びている。法術“聖女の寵愛”の発射準備が整ったようだ。
切り札の準備が整った。いざというときの保険もある。エミリオは未だ静寂に包まれている南部修道院への潜入を決心した。
「よし。行ってみよう。ヤバくなったら即退散だ」
『うう……私が提案した時は却下したくせに……』
南部修道院には、南の正門に対して北には裏門とも言うべき通用口がある。通用口付近の大木に身を隠し、周囲を見回す。見張りはいない。注意深く観察する。やはり人の気配はなく、見張りが隠れて監視しているようにも見えない。
『ホントに誰もいませんね……』
「まるで侵入してくださいとでも言わんばかりだ……」
そのまま素早く通用口まで移動し、通用口の扉を軽く押す。鍵がかかっているようで、扉は開かない。
『待ってください。開けられるようにします』
「頼むよ」
『やっぱ引き返しはしないんですね……うう……』
「中を探らないと」
エミリオの全身に淡い光が立ち込めた。自身の身体がほんの少し熱を帯びたことを感じたエミリオは、そのまま自身の右手を見る。右手に感じる熱と光は全身に比べてやや強い。
「これは?」
『“悪戯”という法術を使いました。今のエミリオさんならどんな扉でも開けられますよ』
「やっぱり便利な法術がつかえるんじゃないかっ」
『逆です。今の私にはこれぐらいしか出来ないんですっ』
輝く右手でドアを押すと、言われた通りドアは簡単に開いた。どうやら触れたドアの鍵を開いてしまう法術のようだ。
そのまま南部修道院の敷地内に潜入する。やはり見張りはおろか人の気配すらない。そのまま素早く建物内に侵入し、二階に上がって窓伝いに屋根に登る。そしてそのまま建物を見下ろし、窓から見える室内の様子を観察する。
『エミリオさん。ホントに人がいませんね……』
「うん。……罠なのかな?」
太陽を見る。待機場所で聖騎士団の突入を待つ間にかなりの時間が経過していたようだ。太陽の光は朱を帯び、日没が近いことを知らせている。
身体を隠しながら聖騎士団の陣を見る。やはり動く気配はない。
「向こうも動く気配はないな……」
『うーん……気になりますね……』
「動けないのか動きたくない理由があるのか……」
聖騎士団の様子を確認した後、エミリオはすぐそばの窓から建造物内に侵入した。南部修道院はいくつかの建物に分かれているが、今侵入したのは母屋で間違いないはずだ。ということは、この建物の地下にリーゼの目が祀られているはず。
「目は?」
『動きはありません』
「……」
『どうかしました?』
「……いや」
静か過ぎる。まったく動きがないとはいえ、敷地外では聖騎士団が陣を張っているのは明白。であるにも関わらず、建物内には人の気配すらない。
探索を続け、食堂に足を踏み入れようとしたその時だった。
『エミリオさん、人がいます』
食堂に続くドアのノブを握ろうとするエミリオの手が止まる。どうやらこの食堂に誰かがいるようだ。
「どんなヤツか分かる?」
『法術を使える人のようですが……』
ということは聖騎士団の誰かだろうか? 自分たちが突入のタイミングを逃しただけで、すでにこの南部修道院は聖騎士団の手に落ちたのか?
「そんなところに立ってないで入ったらどうだ? 危害は加えない」
不意に食堂内から声が聞こえた。良く響き、遠くまで届くであろう良い発声だ。侵入と探索のために神経を研ぎ澄ませていたエミリオはその声を聞き、心臓を鷲掴みされたかのような不快な感覚を全身に感じた。
『エミリオさん』
『分かってる……』
得体の知れない人物に『入れ』と誘導されてホイホイと入るような間抜けではない。しばしその場にとどまり、食堂内をドアの小窓から伺う。食堂内のテーブルに腰掛け、飲み物を飲みながら一冊の古い書物を開いている一人の男性の姿があった。その男性はこちらを見据え、視線を外さない。その男性の傍らには、銀の水差しが置いてあった。
「聞こえなかったか? 入ったらどうだ? 危害は加えないと言ったはずだ。もっとも、君の出方次第だが」
もう一度、そのよく通る声で中の人物はエミリオにそう告げた。声に殺気や怒気といった感情はこもっていない。どうやら相手は本当にこちらに危害を加えるつもりはないようだが……
「では言い方を変えよう。姿を見せないのならドアごと君を破壊する」
怒気や殺気はないが、同時にそれを行える自信というものをにじませる発言のようにエミリオは感じた。
『相手は法術が使えます。言ってることはウソではないと思いますよ』
『仕方ないか……アイツが始業の教会の封印を解いた可能性は?』
『分かりません……あるいはそうなのかもしれません』
意を決し、ドアノブに手をかけドアを開く。念の為左手は腰に携えた“魔女の憤慨”に手をかけたまま、室内に足を踏み入れた。
「……ふむ。腰のサーベル以外は意外と普通だな。名は?」
「……エミリオ・ジャスター。自警団員」
「ほー……やはり自警団の生き残りか」
食堂内にいたその男性は手に持つ書物をパタンと閉じ、手元に置いてある飲み物に口をつける。食堂内は強い西日がさしており、ほんの少しの埃すらハッキリと視認できる。書物に溜まった埃だろうか。書物を閉じたその瞬間、周囲に小さな埃が舞った。
「会いたかったぞエミリオ・ジャスター。私が誰かは知っているか?」
「……いえ」
「恐らく君が今一番憎む相手だ。『人の使徒』設立者、ユリウス・アル・カーラという」
一瞬、エミリオの怒りが頂点に達する。エミリオの視界が真っ赤に染まり、目の前の男を“魔女の憤慨”で消滅させるべく、その柄を左手で握った時だった。
『エミリオさん』
エミリオの左手を、誰かの手が優しく制止した。姿は見えない。先ほどの時と同じく自称リーゼが見えない左手でエミリオを制止したのだろうか。
『今はダメです。落ち着いて』
『……すまない。ありがとう』
左手を柄から離す。不思議と自称リーゼに制止されると、怒気や殺気が抜けて頭がクリアになり、冷静な判断が出来るようになることをエミリオは不思議に感じていた。
「……ほう。冷静じゃないか。この街を襲った憎き男が目の前にいるというのに」
「……」
「あるいは、誰かに窘められたか? ……まぁいい。懸命な判断だ」
自身のそばに置いてあった銀のカップの一つを手に取り、水差しの中の赤ワインを注いだその男性……ユリウスはそのカップをエミリオに差し出すが、エミリオは首を横に振って拒絶する。
「酒は好きではないか?」
「そうじゃない」
「そうか」
エミリオの右腕をジッと見るユリウスは、合点が言ったように鼻をフンと鳴らした。実際、先ほどリーゼの舌を確認するために血液で満たされた水槽に手を入れていたエミリオは、今は赤い液体を見ただけで気分が悪くなる。今の状況で敵から施しを受けるわけにはいかないということもあるが、大半の理由は気分が優れないからだった。
ユリウスはエミリオに拒否されたカップのワインを飲み干し、そのカップをテーブルの上に置いた。銀製のカップは思いの外質量があるようで、置いた時のゴトッという音が食堂内に鳴り響く。
「さて……君に聞きたいことは山ほどある」
「……」
書物をテーブルの上に起き、ユリウスはエミリオをジッと見つめた。ウィルとは根本的に異なる鋭い視線に射抜かれ、エミリオの心臓に緊張が走る。
「まず、そのサーベルは何だ?」
「……」
このユリウスという男の視線は、不用意な発言を許すような間抜けな人間のそれとは根本的に異なる。恐らく小さなほころびを突破口としてすべての真実を見通すような、鋭い頭脳の持ち主であろう。ならば余計なことは言わず、沈黙を守ったほうがいい。
「『始業の教会』には行ったのか?」
「……」
「フレッシュゴーレムがいたはずだ。それはどうした?」
「……」
「聖騎士団とは共同戦線を張っているのか?」
「……」
「沈黙を通すか……まぁいい」
テーブルの上に置いた書物に手を置き、その書物の表題の部分をなぞりながら話をすすめるユリウス。表題には『手記』と書かれている。その書物に何が書かれてあるかは想像すら出来ない。
「この書物が気になるか?」
「……」
「……慌てずともこの騒動に深く関わる以上、いずれ知ることになるだろう」
「……今の事態に関係がある事……聖女リーゼのことか?」
「ほぉ?」
つい口をついて出てしまった。失敗は気付いた時にはもう遅い。
「確かにこの書物は、リーゼ大聖堂に祀られていた右腕と共に発見したものだ。……興味があるようだな」
「いや……」
「かまわん。知識欲と好奇心は人を進歩させる。それを恥じる必要もなければ、失敗と捉える必要もない」
何やら哲学の問答のようにも感じられるユリウスとの会話に、エミリオは危機感を覚え始めた。この男はこの街を襲撃した憎むべき相手だが、こちらの興味を引く話題を探り出し、会話を試みてくる。このまま会話を続けていると、いずれエミリオはユリウスとの魅力的な会話に乗ってしまう恐れがある。エミリオはそのことを恐れ始めていた。
不意に、修道院の正門から爆発音が聞こえた。聖騎士団がやっと突入を開始したのか。
「……君との会話を楽しみたいが、ここまでのようだ。招かれざる客をもてなさねばならん」
「……聖騎士団か?」
「そのようだ」
正門の方向から怒号や悲鳴が聞こえ始める。戦闘が始まったようだ。だがこの敷地内に人の気配はなかった。ならば聖騎士団は何と戦っている?
『エミリオさんッ……!!』
エミリオの頭の中で、自称リーゼが声を上げた。何かに驚愕しているような悲壮な悲鳴と言ってもいい。あの表情豊かだった自称リーゼの、今まで聞いたことのない声だ。こちらの不安をかきたて、事態の深刻さを物語る声色だった。
「何か感づいたか?」
自称リーゼの声にエミリオの無意識は警鐘を鳴らしていたようだ。額に垂れた冷や汗を、ユリウスは見逃さなかったらしい。やはりこの男は些細な変化に気づく鋭い頭脳を持っている。
「聖騎士団が突入してから緊張が増しているぞ?」
正門から聞こえてくる。恐らくは聖騎士団たちのものと思われる怒号と悲鳴……そして聞き覚えのあるズシン……ズシン……という足音。
「君は経験しているはずだな?」
確かに経験がある。この足音の持ち主とエミリオは戦闘を繰り広げた。エミリオは早く忘れたかったが、その経験はエミリオの身体がしっかりと覚えていた。
「まさかあんた……」
「正門にゴーレムを三体配置した。私一人で聖騎士団をもてなすのはムリそうなのでね。魔術を使わせてもらった」
「『始業の教会』のフレッシュゴーレムも……あんたが……ッ!」
「だとしたらどうする?」
寸前で再び沸騰しそうになる意識を制止する。ここで頭に血を上らせてはいけない。それこそ思うツボになる。努めて冷静に、エミリオは会話をすすめる。
先ほどこの敷地内を探索した際、フレッシュゴーレムの類は見当たらなかった。自称リーゼいわく、ゴーレムという怪物は複数の種類が存在する。おそらく今聖騎士団に襲いかかっているゴーレムは、自分たちが相手をしたものとは別種のゴーレムのはずだ。
「……いや、あんたじゃない。ここにフレッシュゴーレムはいなかった。というより怪物の類の姿はなかった」
「……確かにフレッシュゴーレムは私ではない。あのような酷い所業は私でもできん。敵の死体はおろか、同志の亡骸すら陵辱するがごとき……あのような酷いことはな」
「じゃあ誰が……」
「知りたいか? ならばこれから顔を拝みに行こうじゃないか」
ユリウスはエミリオに向けてニヤリと笑い、外を指差した。ユリウスが指を差した方角からは、聖騎士団たちの阿鼻叫喚とゴーレムたちの足音と轟音が聞こえてくる。
「まさか聖騎士団……?」
「卑しくも自分たちを“神の尖兵”と称し、神の名のもとに絶対正義を振りかざす哀れな神の下僕だよ。始業の教会の封印を解いたことといい、やっていることは我々と変わらないはずなのにな」
「……やはり封印を破ったのは聖騎士団なのか……あんたは? リーゼ大聖堂の封印を解いたのはあんたか?」
「生まれながらにして法術を扱う聖女なぞ存在するはずがない……そう思い、法王庁の欺瞞を看破しようと封印を解いてみたのだがな。だが物事は思った以上に面白い」
『……ッ!』
そう漏らし、ユリウスはクククとほくそ笑んだ。エミリオの耳に自称リーゼの歯ぎしりの音が聞こえる。自称リーゼは自身の封印を守ることを目的としている。それを脅かす存在が、今目の前で自身の主張を悠然と語っていることに怒りがこみ上げているようだ。
加えて、自身の存在を根本から否定されていたこと、この事態を『面白い』と形容されたことに対する不満もあるようだった。その点に関しては、この男に仲間を皆殺しにされたエミリオも同感だったが、快活な自称リーゼが気持ちを抑えている以上、自分が怒りに身を任せる気にはなれなかった。
ユリウスはテーブルの上に置いた書物を手に持ち、エミリオに向き直った。その顔には微塵の緊張も感じられない。今まさに聖騎士団が攻めてきているというのに……そしてそれを迎え撃つのは自分一人だけだというのに、ユリウスは慌てるどころか冷や汗一つかかず、爽やかな春風の中で佇んでいるかのように穏やかだ。その穏やかさは、自身の力に対する絶対的な自信であるようにエミリオには感じられた。この男は、たとえ一人であっても聖騎士団の集団を全滅させうる力を持っているのだ。
「では哀れな神の下僕共の顔を拝みに行こうか。エミリオ・ジャスター、準備はいいか?」
そういってエミリオに手を差し伸べるユリウスの顔に、敵意や殺気というものはなかった。エミリオに対して、まるで数年来の友人をもてなすかのように接してくる。気をしっかり持たなければ……自分を厳しく律してなければ、エミリオは気を許してしまっていたかもしれない。それほどまでにユリウスの表情はおだやかで、エミリオの警戒を解いてしまいそうなほどに朗らかな顔をしていた。
「……分かった。俺も行く。ただしあんたの味方になったわけじゃない」
「上等だ。それぐらい警戒心が強い方が同志としてふさわしい」
「……同志になるつもりはない。あんたは俺の仲間を皆殺しにした張本人なんだから」
「好きにすればいい。我々“人の使徒”は来る者は拒まんが、常にその者の自由意志を尊重している」
警戒は解かない。左手は常に“魔女の憤慨”に手をかけている。殺そうと思えばいつでも殺せる。
『エミリオさん』
『ん?』
『くれぐれも、気をつけて……』
『分かってる。君も警戒を解かないでくれ』
“魔女の憤慨”の柄に手をかけるエミリオ。その上から自称リーゼの左手の感触を感じたエミリオは、その左手から彼女が必死に自身の憤怒を押し殺しているのが見て取れた。
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