最終日⑴ー①

男が黙っていると、いつの間にか対面に座る影が出来ている。


その影はぱちぱちと規則正しい乾いた音を立てながら何かをすると、俯いて何も言わない男の目の前に差し出す。


嫌でも目に入って仕方ないと、男は億劫そうにそれを見ては溜息を吐く。


「お前はオセロが好きなんだな」


「嫌いではありませんが、好きという概念には含まれません」


相変わらずの口調に、男がようやくわずかに笑みを浮かべる。


盤上には白と黒で出来た1つの数式のようなものが整然と配置されている。






A B C D E F G H

○ ○ ○ ○ ○ ○ + +

● ● ● ● ○ ○ ○ ●

● ● ○ ○ ● ○ ○ ●

● ● ● ○ ● ○ ○ ●

○ ○ ○ ● ● ○ ○ ●

+ ○ ○ ● ● ○ ○ ●

+ + ● ○ ○ ○ ○ +

+ ● ● ● ● ● ● +





「私と勝負しませんか?」


「……?」


「今のあなたは白と黒、どちらが勝つか…正しいのかわからないでいる」


まるで全てを知っているかのように少年は真っ直ぐに男を見る。


「この盤上では黒が引き分ける手順が多いですが、1つだけ黒が勝てる手順があります。それをあなたが見つけたらあなたの勝ち」


「……」


「あなたが望む真実を、教えましょう」


真実、と言う言葉に男が反応する。


あれは何だったんだろうか。


すでに終わった事件を掘り返しても二度と真実を知ることは出来ない。それどころかはじまりの何かを暗示させるような終わり方に、消化不良を起こしたまま現在に至る。

同僚達は、世間は程なくして新しく提供される事件に関心が移り、今回の事は忘れてしまうだろう。しかし、男にはそれが出来る自信がなかった。


「…お前は知っているのか?」


「ええ」


「……お前は何もんなんだよ」


幻想だったら消えてくれ、静かにしていてくれよ。懇願するように聞こえる言葉は覇気がなく、消え入りそうなものだった。


「あなたが答えを示したら」


わずかな静寂も逃げも許さないと言うような言葉に、男はぐっと噛みしめるとのろのろと盤に向かい合う。


「……あいつは……」


男が机に置かれている駒を持つと、緩慢な動きでA7に黒を置き、駒をいくつか白に変える。


「彼は数年前に刑官になった、新米に近い存在でした」


影がそっと白を表に向けた駒を動かし、A6へと駒を置く。

1つ黒が白に変わって行くのをぼんやりと眺めながら、男はあのとき最後の瞬間に聞いた言葉を口にする。


「あいつは…どうして『兄さん』なんて……」


「あなたのターンです」


「……」


男はしばらく考えた後一度隅に置こうとした駒を戻し、B7へ置く。


「彼には腹違いの兄弟がいました。彼は本妻の子、そして彼より早く生まれた兄は妾の子でした」


「それじゃあ……」


少年は間髪入れずにA8へ駒を置くと、同じように一定のリズムで盤上を白に染めていく。





A B C D E F G H

○ ○ ○ ○ ○ ○ + +

● ● ● ● ○ ○ ○ ●

● ● ○ ○ ● ○ ○ ●

● ● ● ● ● ○ ○ ●

○ ● ● ● ● ○ ○ ●

○ ● ○ ● ● ○ ○ ●

○ ○ ● ○ ○ ○ ○ +

○ ● ● ● ● ● ● +





「それはありません。省庁へ入庁するものには厳しい身辺調査がされる。

単なる犯罪であれば6親等程度離れれば免責になりますが、『crimson cage』を始めとする3つの刑場へ収容される者達への関係者は、例えどんなに離れていても国家の役職につくことは許されていない」


「それ…じゃあ」


「あなたの番です」


「……」


このまま手を進めれば、知っていることについて話す気があるようだ。数手のやりとりでそう感じたのか、男の瞳にはわずかながら光が戻り始める。


じっと数手先を考えながら盤を見つめる表情を見ながら、少年はわずかに目を見張る。


そして音にならない口だけの動きでゆっくりと


『面白い』と動かした。







- goes back slightly -


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階段を上り、踊り場に出たときだった。


そこは後になって白と黒の勢力、QUEENとKINGの囚人達が唯一行き来する場所、ちょうど建物の中腹にある場所だったと知らされた。


思えばここから最初にドールと白い作業着を着た奴を見たんだっけ。


今度は同じ場所に、同じような黒い服を着た奴とどちらにも属さない執事のような姿をした奴が立っている。


「ドール!」


聞こえやしないのに思わず叫んでしまえば、向こうはまるで俺の声が聞こえたかのように振り返る。


建物の中で唯一大きな窓が壁の代わりをしている場所に立っている俺を見つけたあいつは、まるでなんてことないかのようにこちらに向かって手を振っている。

何かを言っているのは、口元に手を当てている仕草からわかるが、肝心の表情も口元もはっきりしない。


「やめろ……」


聞こえもしないのにどうしても口から零れ出る言葉とともに、足がよろよろと前に進み出る。


俺の不可解な行動を白と黒の瞳が見ていたのはわかったが、誰も声をあげることもしなかった。


制止するような声も、囁き声も、何も聞こえなかった。

巣の中はとても静かで、出来ればあのまま現実じゃなく夢の中に迷い込んでしまったと思い込んでいたかった。


行き着く場所は窓しかなくて、縋り付くように窓枠に手をかければ、デジャヴのような光景が繰り返される。


人が…落ちていく。


思えば今まで知り合った奴の何人かは托卵を目撃したことがあると聞いたことはあったが、2度見たものはいなかった気がする。


音は檻に吸収されて何も響くことなく、静かな世界に取り残されたようだったが、異常を知らせるような悲鳴も、凄惨さを物語るような真紅の色さえも何も届かなかった。


最初は突き落とされた。そして跡形もなく消え去った。


今回違ったことと言えば、何故か刑官自ら落ちてったように見えたことと、落下して普通ならそのまま地上へ落ちていくか途中で檻の一部に吸収されるはずの体が何故かそのどちらの末路を辿ることなく、最初から狙っていたかのようにある一点で体を止めたことだった。


後で聞けば、その日たまたまシステム上1分にも満たない間であったが、そこの場所だけ電気が通っていなかった場所に、落ちて行ったことだった。


一時的ではあったが、巣を守る役目を失っていた檻は、その場に佇む小枝のように役に立たないものであったが、ある鳥にとっては餌を串刺すのにこれ以上なく適したモノだった。


落ちた男の姿は、百舌鳥の哀れな贄となった速贄のように、体を深々と貫かれていた。


「……」


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