3. 老獪な暗躍 -A Secret Maneuver for Square Princess-(2)
フィルはどうにも集中出来ないでいた。昼下がりの研究室だった。自分の机に向かって魔術書を開いているのだが、今日に限っては内容が頭に入ってこない。
研究室のメンバーが部屋に勢揃いしていた。アリステアが珍しく自室に籠もらずに机に向かって瞑想している。助手のベナルファは書類仕事をしているようだった。先程からペンを片手に書類の山と格闘している。学院生のレティシアはフィルと同じく勉強しているようだった。フィルへの教育が一段落したので、今度は断片的だった文献を再編して纏めることを任せられているようだ。魔術書の山と首っ引きでノートにペンを走らせている姿はすでに見慣れた光景だった。
先日、レティシアの父親の国葬が営まれた。フィルもパーティーに出席した縁があったため、ロイクについて参列した。式では被害者の父親であるベルントが体調不良のため欠席し、レティシアが代表として挨拶を受けていた。涙も見せず毅然とした態度でとても立派だったように思う。アスコットをはじめとする眷属たちが死者を悼むように何度も遠吠えをしていたのが強く印象に残っていた。
「フィラルド」
「……はい?」
ぼうっとしていたところに突然声をかけられてフィルは間の抜けた返事をした。呼んだのがアリステアだったことに遅れて気が付き、二度驚いた。彼女からフィルに声をかけるのは、面接のとき以来だった。
「何でしょうか?」
精神的に背筋を伸ばしてフィルは返事をした。アリステアの栗色の瞳がじっとフィルの方を見つめていた。
「発動体なしで魔術を行使したそうですね」
「あ、はい……」
フィルは意外に思った。パーティーでのことなので多くの人から目撃されているのは解っている。しかしアリステアの耳に入っているとは思ってもみなかった。彼女がそんなことを気にするようには見えなかったし、世俗のことにアンテナを張っているようにも思えなかった。
「何の魔法を唱えたのですか?」
「エナジィ・ボルトです」フィルはレティシアを気にしながら答えた。「その、緊急事態だったので」
「簡単な状況は聞いています。室内に武器を持っている人物は一人もいなかったのですね」
突然話が始まった。アリステアと話すときには、大抵こんな調子だった。
「はい。パーティーでしたし、事前にボディチェックもありました」
「発動体も許可されなかった?」
「はい。僕は最初から持っていませんでしたが、仮に持っていたら取り上げられたと思います」
フィルは机に立てかけられている樫の杖に一瞬目をやった。村の講師が作ってくれたものだ。簡素だが出来は良く今では自分の手足のように馴染む。
人の出入りが多いからか警戒は厳重だった。参加者へのボディチェックはもちろんのこと、玄関や邸内には警備の人間が多くいたように思う。あの中を潜り抜けて侵入したのだから犯人はかなりの手練れだったのだろう。彼はまだ何の供述もしていないという。
「事件前後の状況を詳しく話して下さい。経緯などは要りません。異変が起きたところから」
「はい……」
フィルはレティシアの方に一瞬だけ目線を遣った。いつの間にか彼女もフィルの方を向いている。無表情で何の思考も感情も読み取れなかった。
「パーティーが始まってからしばらく経っていました。挨拶も一通り済んで、音楽とダンスが始まって。僕は壁際で話をしていました」
フィルは当時の状況を思い出しながら話を始めた。
「突然部屋が真っ暗になり少しパニックになりました。ガラスが割れた音もしました。それからティアがライトを唱えて、明るくなったときにはもうエムレさんが刺されていたように思います」
レティシアが目を伏せたのがフィルには判った。なぜ彼女が居るときに話をさせるのか、とフィルは少し不満を感じた。
「犯人は次にハテム君を狙っていたようでした。ティアが走っていって……。無我夢中で魔法を唱えました。最終的にはロイク様……黒鴉の部族の若長です。彼が犯人を取り押さえました」
「灯りが消える前兆のようなものはなかったのですね?」
「はい。本当に突然でした」
アリステアに確認されてはじめて、それが異常な状況であったことにフィルは気が付いた。マジックアイテムに込められた魔力には限りがあり、蓄えられた魔力はやがて枯渇してしまう。しかし今回の件のように突然消えるようなことは無いはずだ。光が弱くなったり点滅したりして消えていくことになる。
「キャンセレーション……?」
レティシアが小声で呟いた。心なしか、顔色が悪いようだった。
キャンセレーションは魔力を打ち消す魔法だ。既に発動している魔法の効力を無くすことが出来る。しかしかなり高度な魔術で、フィルにはまだ唱えることが出来ない。少なくとも、導師クラスの能力が必要とされる。
「犯人は窓から侵入したのですか?」
「はい。窓ガラスが割れていました」
「庭にも痕跡がありました」レティシアが口を挟んだ。「塀をよじ上ったか他の客に紛れて入り込んだのではないかと」
アリステアは彼女の方を見て一つ頷いた。
「犯人に心当たりはありますか?」
「……ありません。何者なのかもまだ判っていないそうです。ただ、銀狼の民だということでしたが」
それを聞いてフィルは少し考えた。殺されたエムレは今の族長の息子に当たる。ベルントはかなりの高齢であり、近いうちにエムレにその座を譲ると考えられていた。彼が死ねば当然、跡継ぎを誰にするかという問題が生じる。銀狼の民ということを考えれば、エムレと跡目を争っていた人物が怪しいと考えるのが普通だ。直接手を下したとは考えにくいものの、裏で手を引いている可能性は高い。
フィルはレティシアの方を見遣った。彼女は心当たりが無いと言った。しかし状況から考えて候補は限られるように思えた。幼い頃からブリューゲル家の長子として社交界に出ていたレティシアなら、エムレを殺害して利益を得るような人物も思い浮かぶのではないだろうか。
誰かを庇っているか、或いは一族の中の醜聞を外に出したくないのかも知れない、とフィルは想像した。
「レティシア」
「はい」
「貴女はパーティーの最中、どのような服装をしていましたか?」
「服装? ええと……。盛装をしていました。青いドレスを着て髪は結っていました」
「それは誰かに指定されたものですか?」
「いいえ。自分で選びました。私はあまり衣装持ちではないので候補もあまり多く無いですし……」
「アクセサリもあまり持っていない?」
「はい。当日はペンダントとこの指輪を身につけていました」
フィルは意外に思った。アリステアが服装に言及するなど思っても見なかった。彼女はとても整った容姿をしているし、身だしなみにも乱れたところがあった試しはない。しかしお洒落に興味があるようにはとても思えなかった。彼女は大抵導師のローブを着ていたし、髪もただ後ろで纏めているだけのことが多かったからだ。
「フィラルド」
「はい」
「貴方には魔術の才能がある。その自覚はありますね?」
また突然に話題が飛ぶ。フィルは頭を瞬時に切り換えようとした。
「……はい」
少し迷ったがフィルは素直に頷いた。
「乱暴な言い方をすれば、人間は魔術を使えるか否かで二つに分けられます。一面的な見方をすれば前者の方が優秀ですし、観察される限り知性にも優れている傾向にある」
アリステアは少し雰囲気を変えた。
「人間は集団で生活する生き物であり、それぞれの役割を分担することによって発展を遂げている。それは家族という単位であろうとも、街や国であっても本質的には変わりません。狩人や漁師は獲物を捕らえ、農夫は作物を栽培することで食料を供給し、商人がそれを適切に分配する。職人は道具を作り生活の役に立て、軍や警邏が安全を保証する。娼婦や物乞いであってもそれぞれの役割を持った、街を構成する重要な要素なのです。この街は長い時間をかけてこの均衡を作り上げた。もちろん不完全で非効率的な面は多々あります。けれどその是正もまた、長い時間をかけてゆっくりと行われるべきものです。いたずらに天秤を揺らすべきではない」
まるで私塾の講義のようだった。習った当時は村の狭い社会しか知らなかったが、今では街の仕組みもある程度は解るようになっていた。
「魔術師だけが為し得る役割があります。為政者がそれを理解しているからこそ、税金や寄付によって魔術学院は存続し、研究を許されているのです」
フィルは少し考えた。魔術師が何に貢献しているだろうか。今までにあまりそういうことを考えた事はなかった。
レティシアが面談をしたときのことを思い出した。レティシアは魔術によって人々の暮らしが便利になっていることを指摘した。しかしアリステアはそれを否定した。魔術でなくても構わない。他の手段でいくらでも代用しうるのだ。
恐らくレティシアもそれは理解しているはずだ。同様に街の人間にもその意識はある。だからこそこの街において魔術師は肩身の狭い思いを強いられている。学院など無く研究を行わなくても、人々は安定した生活を送ることが出来るのだ。
「フィラルド」
再びアリステアが名前を呼ぶ。執拗な呼びかけだった。
「貴方は現時点で平凡な一介の魔術師であり、田舎から出てきたばかりの世間知らずな若者です。貴方はそう周囲から認識されているし実際の姿も大きくかけ離れてはいない。言うなれば大きな川の流れに巻き込まれた小石でしかない。しかしそう認識されているが故に流れに入ることを黙認されている。既に貴方は河原の石では無いのです。それに気がついている者もいます」
「私は何を期待されているのですか?」
「誰に何を期待されているのかは問題ではありません。貴方が守りたいものを守ればそれで良い。貴方には正しい道を選び取るだけの能力がある」
確信した言い方だった。まるで、これから起こることがすべて判っているようだ、とフィルは思った。
「魔術師は何を為すべきなのですか?」
「現時点で人の役に立つことなど、何も出来ません。魔術で人の生活を豊かにすることは出来ませんし、人々を守れもしません。ただ一つ守れるのは、未来だけです」
「未来?」
「人間の未来。この街の未来。少なくとも目に見える形で貢献出来る頃には、今この街にいる人間は誰も生きては居ないでしょう。それは魔術だけに為し得ることです。百年後、あるいは千年後の未来を見据えた研究が出来るのは魔術師だけです。魔法だけが持つ機能。それは時を創ること」
アリステアは静かにそう言った。言葉に妙な重みがあった。
「貴方は困難な状況に置かれるでしょう。貴方を利用しようとする者。あるいは貴方を手助けすることで利益を得ようとする者。多くの者がこの街に居て、この国を動かそうとしています。しかしそれすらも貴方が気にする問題ではない。貴方には貴方の役割がある。それを果たすことだけ考えなさい。魔術師には魔術師の、為政者には為政者の正義があります。その二つが交わることなどありません」
アリステアはそうきっぱりと言った。
フィルにはアリステアの意図しているところがよく解らなかった。魔術師に何が出来るのかもよく解らなかったし、一人の人間として何をするべきなのかも判然としなかった。しかしそれがアリステアに聞くべきではない事柄だということくらいは理解していた。
不躾にドアがノックされた。
「はい?」
近くにいたレティシアが返事をする。乱暴に開かれた扉から入ってきたのは学院長だった。さらに警備兵が四人、物々しく続く。腰には剣を下げていた。
「ええと、どのようなご用でしょうか?」
ベナルファが穏やかな声で尋ねた。しかし彼を一瞥すらせずに、学院長は重々しく口を開いた。
「フィラルド・セイバーヘーゲン」
「はい」
意外に思いながらフィルは返事をした。自分への用事だとは想定していなかった。
「君がブリューゲル家のパーティーにおいて、発動体もなしに魔術を唱えたと連絡が入った。事実と認めるかね?」
「はい」
「エナジィ・ボルトだと聞いているが」
「その通りです」
「フィル!」
フィルが素直に答えた瞬間、ベナルファが鋭い声を上げた。温和な彼にしては珍しいことだった。しかしフィルにはその意味は解らなかった。ドワイトは唇を吊り上げて続けた。
「学院に入学したばかりとは言え、君も一人の魔術師だ。学院の規律を守って貰う必要がある」
勿体ぶるように学院長は言った。
「パーティーの様な人が大勢居る環境で、攻撃魔法を放つなど到底許されることではない」
「えっ……」
フィルは混乱した。目の前の老人が何を言っているのか、一瞬理解出来なかった。
「学院の規則に従い君には独房に入って貰う。そこで魔術師のあるべき姿を考え直すのだな」
その言葉を合図にしたように、控えていた警備兵がフィルに近づいてくる。
「学院長!」
立ち上がって声を上げたのはレティシアだった。椅子が大きな音を立てる。叫んだ声はほとんど悲鳴のようだった。
「何故ですか!? なぜ彼を罰しようというのです!」
「先ほど述べたとおりだ。状況を鑑みずに魔術を使った」
「学院長も何があったのかはご存じでしょう! 他に何人も犠牲が出ていたかもしれないのです。あの状況で彼が魔法を使ったのは、正しい判断です!」
「結果だけを見ればそうかも知れん。しかしただの学院生が発動体も無しに、というのは看過しかねる。魔力が暴走すればもっと酷いことになっていた可能性もある。ましてや各界の重鎮が多くいたあの場で、となればあまりに軽率に過ぎる」
学院長はレティシアの方を見てそう言った。その瞳には何かの意図が見え隠れしている。しかし具体的に何を目論んでいるのかまでは判断出来なかった。
「そんな……、そんなことはありません! 彼が、フィルがあの場に居なかったらどうなっていたことか! ハテムや私が無事だったとはとても思えません!」
「たしかに場を収めようという彼の意志は見上げたものだ。しかし、魔術師の誓約を結んだ者としての行動として適切であったとはとても言えぬ。問題となるのは行動の結果ではない。彼の精神性だ」
「大叔父様!」
レティシアが叫んだ。厳しく細められた目は、薄く涙を浮かべていた。彼女は親族として呼びかけた。明らかに冷静さを失っていた。
「考え直して下さい! あまりに一方的な意見です! そんなに学院の評判が大事なのですか!」
「レティシア。これ以上騒ぐようだとお前にも牢に入って貰うことになるぞ」
脅すように学院長は言った。しかしレティシアは怯まなかった。一度唇を噛んでから、彼女は高らかに言い放った。
「構いません! こんな暴挙を黙って見ていることなど出来ません!」
「よかろう。おい、レティシアも連れて行け」
警備兵が二人ずつフィルとレティシアに近づく。思わぬ展開に少し動揺している様子が見てとれた。縄をかけるつもりはないようだったが、両側から挟み込まれるように椅子から立たされる。
「触らないで!」
レティシアの打つような言葉に兵は手を引っ込めた。
「乱暴にせずとも独房には入ります。しかしそれは貴方たちに従うからではありません」
彼女はそう言って指輪を外し、机の上に置いた。それから胸を張って扉へと歩き出す。その視線は堂々と学院長を見据えていた。しかし学院長はすでにレティシアの方を見ていなかった。
「アリステア導師」
「何でしょう?」
普段通りにアリステアは答えた。
「導師の職務は研究だけではない。後進の育成も重要な義務だ。門下の学院生が二人も不祥事を起こしたともなれば、処分は免れんぞ」
「ご随意に」
アリステアは僅かに微笑んだ。学院長に向かってゆったりと声をかける。
「後ほど、処分を承りに参りましょう」
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