2. 凶刃の夜会 -A Cup of Tea with Artificial Sweetener- (1)
「それであの髪になったってわけか」
フォクツが半笑いで言う。フィルは黙って頷いた。
学院がある街の中心部から少し旧市街に入った辺り。酒場の一軒で二人は向かい合って座っていた。露出度の高い格好をした女性が給仕をしていたが、話があるからとフォクツが追い返した。板に付いた振る舞いだったので、フィルは少し驚いた。
妖魔退治から街に帰ってきたその足でウィニフレッドはレティシアの家に行っていた。使用人に髪を切って整えて貰い、ついでに服も一着貰ってきていた。レティシアの普段着だということだったが、とても上質で洒落ていた。
焼け焦げた髪を切りそろえ、レティシアの服を着たウィニフレッドは垢抜けていて、とても可愛かった。本人にそう伝えたところ、照れくさかったのかフィルは何度か叩かれた。
レティシアは魔法に巻き込んだことについてかなり気に病んでいたようだが、それを見て少しは落ち着いたようで最後には小さく笑顔を見せてくれた。しかしやはり疲れているのか、ウィニフレッドを送り届けるとすぐに帰って行った。
そのウィニフレッドも先ほど宿舎に帰っていった。明日も朝から訓練があるそうだ。全体的にルーズで個人の裁量に任されることが多い学院とは違い、警邏は規律も厳しいようだ。
「それにしても、イフリーツ・ケアスねえ……。簡単に唱えられる呪文じゃないぞ」
フォクツがそう言って杯を傾ける。レティシアが唱えたのは、召喚魔法の中でもかなり上位の魔術だった。とても入学したての学院生が使えるレベルではなく、導師でも難儀するほどの呪文だった。
「何かしらのマジックアイテムを使ったんじゃないかと」
「マジックアイテム? ふうん……」
マジックアイテムとは魔術に関係する品の総称で、大きく二種類に分けられる。
一つは品物自体に魔力が込められていて、キーワードで魔法を発動できるタイプのもの。魔術師でなくても魔術を行使することが出来るが、込められた魔力には限りがあるので使用回数には限界がある。簡単なものは学院でも販売していて、ティンダやライトの呪文を込めたものが人気だ。よく貴族や豪商などが屋敷の設備として買っていく。
もう一つは魔術師を助けるタイプのもので魔術の発動に反応する。レティシアの指輪はこの類の物だろう。炎の魔法を唱える手助けになるようだ。他にも、色々な種類の物があり、形状も効果も様々らしい。
「ブリューゲル家のお嬢様だっていうなら、それくらい持っていても不思議じゃないが……。魔力の消耗は半端じゃないだろうに」
「そうだね。まだ戦いの途中だったのに気を失ってた」
「まさかそんな向こう見ずな奴だったとはね。学院長とは大違いだな」
「学院長?」フィルは顎に手を当てた。「ああ、そういえば親戚だっけ」
「ああ。ドワイト・ブリューゲル。レティシアからだと大叔父に当たるのかな。頭が固い割には食えないジジイだぜ」
フォクツはそう言ってもう一度杯を傾けた。
「食えない?」
「今の銀狼の族長の弟だからな。若い頃はどちらが家を継ぐのかって争っていたって話だ。結局政治の世界には進出できずに、学院で出世したってわけ。研究よりお金儲けと出世にご執心だったってもっぱらの噂だけどな。まあそのおかげで塔とか寮の改築が出来たってのもあるから、魔術師からは賛否両論だが」
「ふうん」
フィルは自分が住んでいる寮を思い浮かべた。たしかに建物は新しく設備も整っていた。故郷の村とは何もかもが違う。上下水道も整備されているしすきま風も入ってこない。住環境はかなり良好だった。
「そんなのが学院長になって良いのかな。研究もしないで……」
「良いんだよ。それも役割分担だ」
フォクツの言っている意味が良く解らず、フィルは首を傾げた。
「いいか、フィル。お前だって寮に住んでるだろ。学院の敷地内なんだから街の中心部。普通だったらとんでもない家賃になるような一等地だ。しかも管理人だって居るのに住居費は無料だし食堂に行けば飯だって食える。助手以上になれば高い給料だって貰える。研究にだって設備や人員が必要だしもちろん金がかかる」
「う、うん」
「そういう学院にかかってる金ってどこから出てるか知ってるか?」
「え、ええと。マジックアイテムの販売とか?」
「馬鹿、そんなの微々たるものだよ。完全に小遣いレベル」
小馬鹿にするようにフォクツは笑った。
「税金だよ。有力な貴族や商人からの寄付もあるけどな。お前、今まで街中で理由もなく厳しく当たられたことは無かったか?」
フォクツに問われて、フィルはルサンに来てからの日々を思い返した。
「あった、かもしれない」
自信なくフィルは答えた。時折理由もなく厳しい態度を取られたことがあったように思う。しかしそれは自分が田舎者で街の作法に慣れていないからだと思い込んでいた。
「税金を学院につぎ込んでいることを快く思っていない住民は結構いるんだ。金を使ってるわりには、市民の生活に何にも役立っていないってな」
「……なるほど」
「研究するのにだって金が要るんだ。税金でやっていくならその分市民の役に立たなくちゃならない。寄付に頼るならその分の見返りがなくちゃ打ち切られる。学院生に街の事業への奉仕義務があるのもその一環だし、援助があればマジックアイテムなんかを優先的に納めたりする」
「でも人の役に立つことばかり考えていたら、研究なんて成り立たない」
「そうだ。だからその辺りのバランス考えたり、外の機嫌取ったりする奴が必要になってくるわけだ。そういうことに、魔術師らしからぬ手腕を発揮しているのが今の学院長ってわけだ」
フィルはナッツに手を伸ばした。香辛料で少し味付けがしてある。故郷の村を思い出す。トラムにはこんなものは無かった。木の実なんて少し森を歩けばどこにでも落ちていたし、それにわざわざ味付けするなんて考えもしなかった。ましてや、店のメニューとして並ぶことなどあり得ない。
「幻滅したか?」
「いや、別に……」
「まあ、純粋に興味や探究心だけじゃ生きていけないって事なんだよな」
悟ったようなフォクツの言葉に、フィルはアリステアとの面談を思い出した。彼女は世間のしがらみなど超越しているように見えた。その一方で完全に興味だけで研究をしているようにも思えなかった。どちらにせよ、他者からの理解を求めるような言動を彼女が取るとはとても考えられない。
逆にアリステア付きの助手であるベナルファは政治的な振る舞いが得意そうに見えた。調和を旨とする青馬の部族だからだろうか。何でもそつなくこなしそうな雰囲気があった。彼がアリステアの研究室に配属になったのは、その辺りの適性を見込まれたのも一因なのかも知れない。
「フォクツはこの三年で、ずいぶんそういう事に慣れたみたいだね」
「……まあな。そうじゃないとやっていけないし」
「そっちの研究室はどんな感じなの?」
「快適だよ。付与魔術だしな」
付与魔術とはマジックアイテム全般に関係する魔術分野である。マジックアイテムを作り出したり、逆に魔力を帯びた物の解析を行ったりする。魔術師の中では最も一般市民との関連が深い分野であるし世間的な評価も高い。変人揃いの象牙の塔内で唯一と言って良い世間擦れした人物が集まっている分野とも言える。
「で、だ」
フォクツが重々しく切り出した。
「実はフィル宛に手紙を預かってる」
「手紙?」
「ああ」
フォクツが懐から取り出した封筒をフィルは受け取った。手触りからして上質な紙のようだった。表には何も書いていない。裏返すと赤い封蝋がしてあり、鴉の羽が意匠化された印が捺されている。黒鴉の部族の正式な紋章だった。
「これ、誰から?」
「知らん」
「え?」
「マジックアイテムの調整で族長の屋敷に行ったときに預かったんだ。この印を使えるんだから誰かお偉いさんだとは思うが……」
フィルは少し緊張しながら封を開けた。蝋が崩れて欠片がテーブルの上に落ちる。封筒の中には便箋が一枚だけ入っていた。目を通してみると、大仰な封筒の割に内容は簡素だった。日時と場所を記し招待する旨が書いてある。フィルは一読した後フォクツに紙を手渡した。
「これは?」
「ただの呼び出しみたいだな」
フォクツは最後の署名を人差し指で二度叩いた。
「この名前は若長だな」
黒鴉の部族の現族長はかなりの高齢で、郊外の屋敷で暮らしており表舞台から実質引退している。族長の代理として議会に出席し、部族を取り仕切っているのが若長だ。族長の第一子で歳はまだ若いがかなりのやり手と噂だ。たしかまだ独身だったはずだ。
「そんな人が僕なんかに何の用だろう?」
「さあなあ。ある程度予想はつくが……」
フォクツはそう言ったが、フィルには自分が若長から呼び出される理由なんて想像もつかなかった。ルサンに来てから問題を起こした覚えもないし、逆に表彰されるようなことを成し遂げたわけでもない。
「多分、学院のことを探りたいだけだと思うぞ」
フィルの表情を見て取ったのか、フォクツはそう言った。
「でも、僕なんかに訊いてどうするのさ? 黒鴉の部族の導師や助手だって何人もいるのに、わざわざ入ったばかりの学院生を選ぶ理由は無いと思うんだけど」
「いや、逆だ。学院に長くいればその分象牙の塔の作法に染まってくる。学院内では魔術のためなら多少の後ろ暗いことも許されるからな。お偉方に何でも情報を流すってわけにはいかなくなってくる。でもそれ以上に、お前がアリステア導師の研究室に入ったことが興味深いんだろうよ」
「それってそんなに重要なこと?」
「ああ。彼女はそのくらいルサンで注目されてる。当然学院長もそれを知っているし人選も慎重にしているはずだ。そこに新入生で所属を許されたとなればお前にも多少の声くらいかかるよ」
「ふうん……」
まったく納得がいかなかったがフィルは頷いた。思い返してみれば、レティシアもアリステアの研究室に入ることを熱望していた。別段時間魔術にこだわりがあるわけでも無いようなのにだ。彼女にとってもアリステアに師事出来るということが重要だったのだろう。
アリステアが天才であるということに異論はない。実績や逸話には事欠かないし、実際に会ってみてその印象は強くなった。しかしその研究室に所属しているだけの自分に、注目を受けるほどの価値があるとは到底思えなかった。
「まあ、行ってみるよ。何を訊かれるのかは判らないけど」
話が途切れたところで、フォクツは店員を呼んで蒸留酒を注文した。妙齢の店員は艶やかに微笑んで、すぐに杯を持ってきた。香水の匂いが鼻をくすぐる。
「ところで」
「うん?」
「どうしてフォクツはそんなにお金回りが良いの?」
フォクツもフィルと同じ学院生なので給料などは貰っていないし、トラムの実家から仕送りが来ているはずもない。それなのにフィルがルサンに来てからというもの、フォクツはかなり散財しているように見えた。身につけている物も上等なものばかりだし、食事も普通に外で食べ、しかも振る舞いが板に付いている。
「そりゃ、かなり実入りの良い仕事があるから……」
「仕事?」
「付与魔術だろ、俺の専門。そうするとオーダーメイドでマジックアイテムを注文されたり、屋敷で使ってるマジックアイテムの調整とかを頼まれたりするわけよ。客がみんな金持ちなもんだから、多少ふっかけても文句も言わずに払ってくれるんだな、これが。むしろ、高価な方が箔が付いて良い、みたいな価値観もあったりして……。知り合いに貴族とか豪商に顔の利く奴がいるから、どんどん仕事回してくれてな」
「へえ」
フィルはレティシアの家を思い返した。言われてみれば門柱にも玄関にもマジックアイテムを使って灯りを取っていた。あの手のマジックアイテムは基本的に込められた魔力分しか使えないので、時間が経てば交換しないといけない。そのたびに仕事が発生するわけで、ルサンの街の貴族の数を考えればかなり需要は大きそうだった。
「そうか、そういう仕事もあるのか……」
「まあ、お前の場合時間魔術が専門だからなぁ。ちょっと限られるかも知れないけど。貴族の子供の家庭教師なんかは結構給料良いらしいぞ」
「お金持ち相手の方が、ってことだね」
フィルは一つ溜息をついた。自分がレティシアの屋敷に行って仕事をすることを想像してみる。前に会った両親は優しそうな人たちだったが、あれは娘の同僚相手だったからだろう。仕事以前にマナーなどが気になって、すぐに気疲れしてしまいそうだった。
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