第5話 なけなしの責任感
瑠美を振り切るようにエレベーターに乗り、下に降りた政宗はビルの外に出て、ホッとする。
「このビルを初めて見た時に魔王の城みたいだと思ったのは間違いじゃなかったな。あの悪霊も凄まじいが、命が無くなると警告を受けてもビルを手放そうとしない東三条も理解できない」
経済界の曹操と呼ばれるだけに凡人には理解できないのだろうと、政宗は自分を納得させながら地下鉄で喫茶店の最寄り駅まで移動する。
チリン! お客かとカウンターの中から目線を上げた銀狐は、心なし肩を落とした政宗が帰って来ただけだと、ランチの準備に戻る。普通の人間なら、東三条の案件はどうなったのか? とか、元気の無い様子を心配するだろうが、そこは天狐だ。政宗が生きていないと、輝正様が遺した喫茶店が潰れてしまうので困るが、その他は関係ないと考えている。
いつもの指定席であるカウンターの端座った政宗は、銀狐が作るランチは何だろう? と鼻をヒクヒクさせる。
「今日は政宗様が出かけてから忙しかったので簡単な物ですよ。スペイン風のオムレツにするつもりです」
意地汚い政宗に、銀狐は嫌味を込めて教えてやる。
「そうか……できるまで、本を読んでいるよ」
いつも通りのやる気の無い態度に、マスターとしての自覚は無いのかと腹を立て狐だ。
政宗は大好きなミステリー小説を読もうとしたが、どうも気が乗らない。瑠美の叫び声が耳に残っていたからだ。
『盛大な悪口を言われたな……これに懲りて助手など辞めてくれれば良いのだけど……』
政宗は探偵業はしたいが、悪霊絡みの案件は除霊する能力が無いので遠慮したいと考えていた。留美が紹介した東三条の件も、あんなに強力な悪霊など除霊できない政宗の手に余るのだ。
迷惑な留美が来なくなれば、ミステリー小説を読みながら、時々、銀狐の手がたらない時にコーヒーを運ぶだけで済むのだと思うのだが、何故か気がクサクサする。我儘で気儘な生活態度の政宗だが、人が死ぬと分かっているのに無視できるほど不人情に徹しきれない。パタンと本を閉じてカウンターに置く。
「なぁ、銀さん……東三条さんの件を手伝ってくれないか? あの悪霊は、ビル絡みの怨みを東三条さんに持っているみたいだけど、強力過ぎて私の手に負えないのだ」
銀狐は、輝正様の遺した喫茶店の経営以外に興味は無い。輝正様なら悪霊など簡単に除霊されただろうが、その能力の無い政宗が関わるのは危険だから止めさせたいと考えているぐらいだ。
「政宗様には喫茶店の経営にもっと力を入れて欲しいです。それにビル絡みの怨みなら、そのビルを手放せば悪霊の怨みも弱まるのでは? さっき見た紳士はかなり強運の持ち主ですから、弱った悪霊ぐらいなら屁でもありませんよ」
「私もビルを手放すように忠告したさ。しかし、聞いてくれなかったから……」
ちゃんと忠告したのなら、それを受け入れず悪霊に取り殺されても本人の責任だと、人間では無い天狐は割り切った考え方だ。
「では、これ以上は関わらなければ良いでは無いですか? 人間の欲には際限がありませんね。死んでは金など役に立たないと思うのですが」
これで話は終わったと、ランチの準備に戻ろうとする銀狐に、政宗は大きな溜息をつく。銀狐なら悪霊と闘ってくれるかもと期待したが、どうも協力してくれそうにない。
しかし、このモヤモヤを解決しないと、大好きなミステリー小説を楽しめないのだ。どこか自分勝手な理由だが、政宗なりの良心というか、一度引き受けた案件への責任感が、銀狐の協力を得る妙案を思いつかせる。
「なぁ、銀さん。今回の件が解決したら、コーヒーの淹れ方をマスターしても良いと思っているんだ」
スペイン風オムレツの具を刻んでいた銀狐の手が止まる。いくらやる気の無いマスターとはいえ、コーヒーぐらい淹れるようになって欲しいと切望していたのだ。
「なら、今から教えます! さぁ、カウンターの中に入って下さい!」
目を輝かす銀狐が餌に掛かったのに政宗は複雑な気持ちになる。熱血指導されるのは御免だ。
『やはり東三条を見放そうか? 彼方から断ったのだから……』
お寺で育った政宗は、僧侶になる修行をするほど真面目では無かったが、どうにも人に頼られると弱い。自分の非情になりきれない甘さに溜息しかでない。ハードボイルドの道は遠い。
「先ずは、東三条さんに取り憑いた悪霊を説得して、どうにか解決してからだ!」
いそいそと政宗に黒のエプロンを腰に巻こうとしている銀狐を制した。
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