第20話 繰り返される戦い
ミユさんのいきそうな場所ーー、以前の記憶で彼女が立ち寄ったことのある場所……。
思い至ったのは彼女に以前、私が命を奪われた廃ビルだった。それは雲の切れ目から差し込んだ光のカーテンの向こう側に暗雲として立ち尽くしている。
きっと彼女はそこで待っていると思う。
彼女もまた、私がそこに来ることを分かっているだろうからーー。
……繰り返される戦いは、ここで終わらせなければならない。そう思うと、胸の内が重くなる。空に立ち込めた重苦しい雲、微かに差し込み照らす光以外は暗闇に満ちており、まだ昼間だということが信じられない。
ゼウスの力を使い、宙を跳びながら彼女を殺したところでどうすればいいんだろうと、ぼんやり考える。
以前の私はキョーコさんに「戦わない道もある」と手段を提示した事がある。
そもそもこの戦いに期限はない。いい加減な神様のいい加減な暇つぶしによって生み出されている。ならば願いを叶えることを棚上げし、一番長生きした人が勝者という形をとってはどうだろうか、と。
殺し合うことなく天命に任せる。
その結末すら神は知っているだろうから、彼らにとってはつまらないゲームになるんだろうが、何も彼らの暇をつぶすために殺し合う必要なんて何処にもない。私たちは私たちの生き方をするだけだ。
ビルの屋上を踏み、跳躍して少しずつ近づいてくるビルに眼を細めた。
ただそれは、願いを叶える手段があるのに諦める事に他ならない。
神様に言われるまでもなく私たちの願いは叶うことはないと知っていた。
むしろ、自分自身で「叶うわけがない」と決めつけていた。
例えばそれはどんな人とでもわかりあいたいという願いで、世界から戦争がなくなればいいという祈りだった。
争いが消え、人と人とが真の意味でわかりあうことができたならばこの世界の不幸は大抵消え失せる。
おかしな話だ。
思い返せばみんな、同じ願いを持っていた。
虐められ、売春を強要されていた彼女も。耳を塞ぎ、両親の争いから目を背けていた彼女も。実家からのしがらみだったり、同級生からの期待だったり、姉からの嫉妬だったりーー。
分かり合えていないという状況から関係が悪化し、それは様々な形となって私たちの生活を蝕み、歪なものへと変えてしまう。
だから、私たちは祈り、願い、到底叶わないと分かっていてもそれを望んだ。
人と分かり合える日々を。誰かを憎むことがなく、憎む必要のない世界を。
望んで、願って、祈ったのに、結局殺し合ってる。
分かりあうことを放棄して。
否、分かりあうことなんて出来ないと分かっているから。
「……そういう意味では貴方のとった行動は正しかったのかも知れませんね」
その廃ビルには建築用の足場が設置され、周囲を囲っていた。建築途中で会社が倒産し、放置されていたものだったと思う。ろくに舗装もされておらず、あらゆる部分が作りかけだ。
ビルに降り立つと水たまりができており、着地の勢いで水しぶきが宙を舞った。
「……こんにちは、神無月ミユさん?」
そうして、そこで待っていた人影に話しかける。
幾度となく繰り返されてきた殺し合いの勝利者に。
そして、幾度となく私の命を奪ってきた張本人に。
待っていた彼女の表情は暗い。やってきた私に対しても然程興味を持っていないようにただぼんやりとした視線を投げかけ、作り笑顔を浮かべた。それはどうしようもなく私を不安にさせる。記憶の中の彼女とは随分違って見えた。
「変な話ですか……私の知っているミユさんで……よろしいんですよね……?」
その問いかけに浮かべられたのは僅かばかりの驚きで、首を傾げて彼女は告げる。
「他に誰がいるのかな……?」
それはやはり私の知っている神無月ミユだとは思えない。
ーー今までのが作り物だったのか、それともハーデスに操られてるのか……。
ハーデスの力は周囲の魂を狩り取り、自分の意思さえも制御して目の前の敵を倒すために使役する。そのことを戦闘マシーンみたいなものだと黒江ジュンは言っていた。
目の前にいる彼女はそれそのものにしか見えなかった。
「何を考えていらっしゃるんですか……? どうして戦いを繰り返させるんです」
「…………」
この世界でまともに彼女と話すのは初めてだ。学校の屋上で力を使おうとした彼女を止めるために一度接点を持ったけれどそれだけだった。あの時はまだゼウスの言うことが半信半疑だったし、彼女が記憶を引き継いでいるのであれば私が「これまでとは違うこと」で彼女が強硬策に出るのが怖かった。慎重になる必要があった。だから当たり障りのない探りで終わらせたけれど今となってはもうそれも必要ない。
キョーコさんがあの場に現れた以上、彼女はハッキリとこれまでの世界のことを認識しており、それは私の邪魔になる。
彼女は自分以外の巫女を殺し、願い事を叶え、何度でも世界を繰り返させるつもりだ。何度も、何度も何度も、永遠に殺し合わせるつもりでいる。
「あなたは……戦いを止めたかったんじゃなかったんですか……」
記憶の中の彼女は少なくとも好戦的ではなかった。いつも黒江ジュンの後ろに隠れ、争いを止めたいと叫んでいた。
生き残りが私と彼女と、ジュンさんの三人になってしまってからも「わかりあうことはできる」と叫び、最後の最後まで私と戦おうとはしなかった。力を発現させたのはジュンさんが私に殺されそうになってからだ。
「東京中の人々から命を奪い、守ってくれていたジュンさんまで手にかけてーー……」
戦いのない世界を作るために人々から願い事を奪うと彼女は言った。
すべての人が「本当に叶えたい願い」を失えば争いは無くなると。
でもそうはならなかった。その世界でミユさんは私たちを殺し、そしてこのループする世界を作り上げた。
「……ハーデスに、何か吹き込まれているんですよね……?」
ミユさんのことが嫌いなわけじゃない。
何処か冷たくも見えるけれど、彼女は歴とした人間だ。親の転勤に付き添い、弟たちの面倒をよく見ているただの女の子だ。そんな彼女が平気で人の命を奪い続けられるとは思えない。
今ならわかる。彼女があの晩話していた相手が、願いを叶え、思い描く世界が出来上がった後にも彼女に付きまとっていた存在なのだということが。
余計なことを吹き込み、私たちを狂わせようとする存在がーー。
「ハーデス……!」
周囲を見回してもその姿は確認できなかった。そもそも私たちには他の神様の姿を認識することができないし声を聞くこともできない。けれど、私の声は彼らに届いているはずだ。暇つぶしに私たちの殺し合いを見ているのであれば言葉は必ず届く。
「私は……貴方を許しませんわよ……!」
無論、そんな決め事は神様にはないんだろう。
自分たちが楽しめればそれでいい。それだけだと記憶を戻したっきりダンマリな自分の神を見てそう思う。
「ッ……」
案の定、返答はなく、ミユさんは静かにため息を零すばかりだった。
きっと、私に聞こえない所でバカにしてるんだろう。
それにハーデスをどうこうしたいと思ったところで、私たちには神様を倒す術がない。
神の力を貸し与えられているだけの私達には抗うことなど出来はしない。
「アカネさんは、どうすれば争いがなくなると思いますか?」
風の音が木霊し、遠くから街を走る車の音が聞こえてくる中、掻き消されそうな声で彼女は告げた。
「私たちのことだけではありません。世界中が、どうすれば戦いことを止め……平和になると思いますか……?」
それは彼女が私の願いを知っていることに他ならない。嘗て、私がミユさんに言って聞かせた私の願いだ。私から両親を奪い、変わらず世界で続けられている「人と人との殺し合い」をどうにかしたいと言って聞かせた私の願いだ。
「その答えを、私は示しているつもりですよ」
言って剣を構える。体に疲労は溜まっているけれど、気持ちだけは萎えてはいない。
ここで退くわけにはいかない。もう、あと一度だって繰り返させるわけにはいかないーー。
絶対に、キョーコさんを酷い目にあわせたりなんかしないッ……。
ーー話し合いでどうにかなるとは思っていなかった。
そして何よりも、私自身が分かり合えるということをそもそも否定してしまっている。
だって、「だからこそ神様に祈った」んだから。
「貴方を……倒します」
平和を願う気持ちに嘘はなく、実現すればいいと本当に思っていた。だからこそ途方もない夢物語でしかないことを誰よりも分かっていた。
神に選ばれた12人の少女たちの小さな世界だって同じだ。どんなに小さな世界でもそれは不可能だ。例え「全員の願いを叶える事」ができたとしても、1か0かの願いがあればどちらかしか実現はできない。問題を棚上げしても、何かを願う気持ちは止められない。
全員が同じ願いを抱いているというのに、どうしてこうも人はすれ違うのか。こんな形で人を生み出した神様が憎かった。それともそれすらも神の暇つぶしなのかーー。
「どうでもいいですわ……」
ごちゃごちゃと考えていてどうにかなる相手はなかった。
これから挑む相手は一度も私が勝てていない相手なんだ。
何度も、殺され、命を奪われた相手なんだ。
覚悟を決め、武器を構える。
「仕方がありませんもの分かっておりましたから」
不本意ではあるけれど、暴力を否定しつつもそれを認めざる得ない。
分かっていたし知っていた。だからこそ、今日、桃井さんを打つと決めていた。
ーーそして、目の前のミユさんも。
「私も……覚悟、決めるよ」
そう言って悲しげに差し出された右手には周囲の影が吸い込まれていく。影が集まり、形となって生み出されたのは大きな鎌だった。光を反射しているわけでもないのに薄っすらと輝き、見ているだけでも自然と吸い寄せられるような感覚に陥る。
敵わないかもしれないけれど諦めるわけにもいかない。あの、絶望的なほどまでに強い力に挑むしかない。挑まなければ変えられない。倒さなければ抜け出せない。この永遠に続く殺し合いから、永遠に。
「私は、どんな犠牲を払ってでも前に進みますわ」
例えそれが、他の少女たち全員を殺すことになったとしても。
例え、それが私自身を殺す必要があったとしてもーー、
「それが彼女を守るためならッ……私は!!」
全てのものを着勢にする覚悟が、私にはできているーー。
けど、
「 だからここ戦いが終わらないんだって、いい加減気付いてよ 」
思わぬ言葉に、足が止まった。
「…………?」
言葉は唐突で、意味が変わらず心臓が大きく高鳴っていた。
本能的に得体の知れない何かを感じ取っていた。
寂しげな瞳はじっと私を見つめ、そのことが気持ちに拍車をかける。
「勘違いしてるよ、アカネさん。私と貴方がこうして戦うのは初めてじゃない。それに、もう何度も私はあなたに殺されてる」
訳も分からず確信を突かれているという実感。
それは次第に焦りとなり始める。
私の知らない事実を彼女は知っていて、私自身そのことを「知らずに」理解している。
「一体、何度繰り返してきたと思ってます?」
「っ……?」
突然痛んだ頭を押さえ、あるハズのない記憶が疼いた。
「私たちが何度戦わされ、何度殺されたのか、アカネさんは理解してるのかな……?」
彼女の言葉は記憶の奥底に沈む得体の知れない何かを引き上げようとしている。
訳もわからない不安。思い出したくないという無意識の叫びーー。
「何を言っているんですか……?」
「 今度はもう、殺されないよってこと 」
それが彼女の答えだったのか、決意だったのか。光のない瞳が私を見つめ、彼女はハーデスの力を発現させた。
急激に膨れ上がった影は一瞬のうちに収縮し、それにつられて周囲一帯、いや街全体の空気が其処に集められていく。
「ッ……!!!」
引きずり込まれそうになるのを堪え、目を細めて睨んだ先では光の粒が闇に飲み込まれ始める。街から光が吸い寄せられ、空を覆っていた雲でさえも吸い込まれていった。
「私は願いを狩り取った。だけど戦いは終わらなかった。願い事がないのに戦うことになって、だからやり直した。願い続ける世界を選んだ。なのに貴方はそれを終わらせようとした。キョーコさんだけを未来に歩ませようとしたーー」
独り言のように言葉を紡ぎ、それに呼応するかのように影は収縮していく。
「一人残された彼女はやり直すことを選んだ。だから繰り返された。何度も、何度も何度も、繰り返されて殺され続けて」
集められた光は裏返って黒へと変わり、その鎌はそれを刃でゴクリと飲み干す。
「でもやっぱりそれって終わりがないからさ……? だから私はもう終わらせようと思うよ、この世界を。……例えみんながいなくなっても」
地に突かれた鎌は鈍い音を響かせ、その一撃の重さを思わせた。
「アカネさんも……同じでしょ……?」
言われて、気づく。指摘されて、分かった。
彼女の言っている意味が、彼女の仕様としていることが。
「誰かが背負わなきゃいけないんだ。全部。他人を救おうだなんて思わずに、ただ現実を受け入れて、前に進むしかないんだ」
「ミユさん、貴方はーー」
「うんっ、ごめんね?」
私と同じことを考えていた。その事実に少なくとも私は戸惑い、そしてそれは一瞬で距離を詰めてきた彼女の瞳によって遮られる。
「 私に殺されてくれないかな 」
「ッ……!!!!!」
だからといって諦めるわけにはいかない。
守りたいと願ったのだから。
彼女を生かすと、決めたのだから。
私は、返す刃で、それに答えた。
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