*圧する気配
なんの後腐れもないかのように振る舞っているシレアに、ユラウスたちは眉を寄せる。ここまであっさりと、己の出自を受け入れる者がいるのかと唖然とした。
考えてもみれば、このような真実をどう受け止めるかなどユラウスにも解りかねることだ。本人ならば、ことさらに実感しづらいのかもしれない。
否、本人だからこそ、心の奥底でもやもやしていた霧が晴れ、どこか納得した結果の態度なのかもしれない。
彼らしいといえばらしい。元気づける言葉も見つからないのだ、むしろこちらには助かる。彼のなかで聞かされた真実をまとめる時間も必要だろう。
「して、どこに向かうのじゃ」
「南下してコルレアス大陸に渡る」
「コルレアス大陸──。獣人族のいる大陸ですね」
アレサの言葉にヤオーツェが「うぇ~」と舌を出した。その表情に皆は苦笑いを浮かべる。基本的に、リザードマンと獣人族はあまり仲が良くない。
互いの肌質のせいかもしれないが、生理的に受け付けないと言い張る両者を仲良くさせるのは至難の業であろう。
住む場所が違うのだ、争い合わなければ無理に仲良くさせることも無い。
「どこかに魔法円でもあれば良いのじゃが」
「マイナイ殿はシャグレナ大陸には無いとおっしゃっていましたね」
「うむ、コルレアス大陸に望みを託すしかあるまい」
「魔導師の村にはなんで無いの?」
魔法を使えるやつが沢山いるのにとヤオーツェは小首をかしげた。
「彼らは望んで世間とは遮断した世界に住んでいるのだよ」
「ふ~ん。じいちゃんも?」
「わしか? わしは……。そうじゃな。わしも、この世界から逃げておったよ」
古の民ただ一人の生き残りという現実から遠ざかり、この世界の危機を知ってもまだ、重たい腰は動かなかった。
シレアと出会い、話をしているうちにどうしてだか体が軽くなったような気がした。
何かに絡め取られていた己の心が、あたかも立ちこめていた雲が晴れていくかのように清々しさを取り戻した。
絶望するにはまだ早い──この世界はまだこんなにも広がっているというのに、わしは何から逃げようとしていたのだろうか。
「とにかく、南には一つだけ港町があったはず」
アレサはこの寒空に無表情で発した。
──たわいもない話をしながら旅をして数日が過ぎる。
幾分かは若干の暖かさを感じつつも、真上の太陽を一瞥したあとさして変わらない風景に溜め息を吐く。
「町はまだかなあ」
「地図が正しいならば、あと数日で到着するだろう」
「うん?」
シレアはふと、異様な気配の接近に気がつき、馬の脚を止める。
「どうした?」
ユラウスが問いかけた刹那、大きな羽音と共に黒い影が頭上を素早く通り過ぎたかと思うと目の前にモンスターが現れた。
体長は七メートルほどもあり、深い緑の肌はまだらでコウモリのような翼とトカゲに似たその風貌は──
「アシッドドラゴン!?」
その異様な風貌と存在感に、アレサたちの馬は恐怖に高くいなないた。ヤオーツェのスワンプドラゴンは遠い同族だからか、動きに動揺が見て取れる。
その背にまたがる影があることに、アレサたちはさらに驚いた。
「ここで終わりにしよれ」
女は鋭い視線を向けて
「ようやく、敵のお出ましということでしょうか」
「そのようじゃ」
「それくらい、せっぱ詰まってきたってことかな」
「だろうな」
「オレ、いきなり攻撃受ける立場なんだけど」
緊張感をぶちこわすマノサクスの言葉に、ユラウスは深い溜息を吐き出す。ある意味、そういう人間も必要なのだと言い聞かせ眼前の女を見やった。
アシッドドラゴンは待ちきれないのか、早く命令してくれと言わんばかりに低く唸りを上げてしきりに首を振っている。
女はそんなドラゴンを制しながら形の良い唇に笑みを浮かべ、口の中で何かを唱えた。それを見たユラウスもすかさず詠唱を始める。
古の民が唱え終わると、淡い光が自分たちを包み込んだ。
「これなに?」
「解毒魔法じゃ。これは範囲魔法じゃが──」
マノサクスに応えて、少し離れた場所にいるシレアとヤオーツェに表情を険しくした。
「あの二人には届かなんだ」
悔しげに発し、女の唱える魔法に体を強ばらせた。
ユラウスが唱えた解毒魔法は、アシッドドラゴンへの対抗策だ──かのドラゴンは毒の
毒の効果はアジッドドラゴンが棲んでいる場所にもよるが、吸い込むと呼吸困難はもちろん、最悪では死に至る。
女の魔法ははっきりとは聞こえないため、どのようなものなのかは解らないが強力なものらしく、詠唱はユラウスのそれよりも時間がかかっているようだ。
シレアはその様子を見てミシヒシの手綱を引き、アレサたちからさらに遠ざかる。
そのとき詠唱が完了し、女の背後から真っ赤に燃え上がった大きな岩がシレアたちに降り注いだ。
「やはり、狙いはシレアか!」
「
「かなり強力だな」
シレアは慌てるヤオーツェに応え、意外と足の早いミシヒシを繰る。
アレサたちは応戦しようとするものの、アシッドドラゴンから毒の息が放たれて身動きが取れない。
女が再び詠唱を始めると、シレアも何かを口の中で唱え始めた。
「なんの魔法?」
ヤオーツェは振り飛ばされないように必死に抱きつきながら、聞き慣れないシレアの言葉に首をかしげた。
「もしやおぬし!?」
ほぼ同時に女とシレアの詠唱が完了し
「手綱をしっかりと持て!」
古の民が叫ぶと、シレアの頭上から黒い球体が現れ、見る間に膨らんで女に向かっていく。
「なんだあの魔法は!?」
暴れる馬をなだめながらアレサは声を荒げた。
「あれは、我らが駆使していたとされる古の魔法じゃ!」
わしでさえついぞ忘れていた魔法を、よくも唱えたと感心しながらも苦い表情を浮かべる。古代語でしか存在していない魔法を彼はどこで見たのか。
シレアが創り出した黒い球体は、女が放った炎の塊をことごとく吸い込んでいく。
しかし、それだけでは終わらなかった──
「あのさ……。なんだか、でかくなってない!?」
ヤオーツェは眼前に浮かぶ漆黒の
球体は徐々に女を目指しながら大きさを増していき、それに伴い力も増しているのか引き寄せられていく感覚に危険を感じた。
「こいつはまずい」
アレサの馬は何もしていないのに少しずつ球体に近づいている。見回すと、それぞれの馬も引き込まれているようだ。
必死に抵抗するも、球体の力が強すぎて抗えない。
「あれは何の魔法なんですか!?」
「重さを操るものじゃ!」
名は確か──アタラクト
「吸い込まれたらどうなるの!?」
「わしが知る訳なかろう!」
「やばいよシレア!」
ヤオーツェがシレアを背後から見上げるが、相変わらずの無表情に不安でしかない。
「チッ!」
女は憎らしげにシレアを見やるとドラゴンの手綱を引いた。
「引き込まれるぞ!」
逃げていくドラゴンの影を見送りつつ、そんな場合じゃないとどうにか馬を制御する。
もがくあいだにも黒い球体はどんどん膨れあがり、吸い込む風が嵐のごとくすさまじい音を立てる。
「だめだ!」
「うそだろー!」
叫びすらも虚しく、ユラウスたちは足を取られた馬と共に球体のなかに消えた──
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