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ちょっと聞いてください。
ここは観光地や駅からは少し外れたところにある小さな宿で、いくらか歩くけど他より安いからといって、それでも観光客が絶えることはないそこそこ人気の宿でございました。
その頃はお客さんはみな、親しげに私にも話しかけてくださいました。
私はここで働いてはおりましたが、たった1つお仕事を預かっていただけで、接客というのは一切しなかったのです。それでも多くのお客さんは、必ず1度は声をおかけくださったんです。
私はここでの生活を大変気に入っておりました。お仕事は単純でたいして面白いものではありませんでしたが、それでも毎日毎日、本当に色々な人のお話を聞くことができて、それが楽しかったのです。類は友を呼ぶといいますが、不思議とこの宿を訪ねる方というのはみなさん温かい人柄をお持ちで、たった一言を聞くだけでも私には幸せな時間でございました。
しかし、私がここで勤めるようになってから30年ほど経ったある年、駅の目の前にカプセルホテルが建ちました。
初め女将さんから話を聞いたときには、いくら安くとも、そんな小さくて窮屈な部屋で眠りたい者などいないだろう、人気など出るはずもない。そう思っておりました。
ところが、もともとここに来るお客さんというのは安さを求めて来る方というのがほとんどでしたから、同じくらいの値段なら、というので多くのお客さんがカプセルホテルに行ってしまわれたんですね。
それからというもの、客足は次第に減っていきました。宿が潰れてしまうほど寂れた訳ではないのですが、それでも昔の活気は失われてしまいました。
ちょうどそれと同じ頃でございます、訪れるお客さんの様子がおかしくなったのです。
先ほど類は友を呼ぶと申しましたが、今度はおかしな方ばかりがいらっしゃるようになりました。
みな、女将さんとは話すのですが、私には話しかけてくださらないのです。まるで、私が見えていないかのように、挨拶の一つもなく通りすぎていくのです。
それだけならまだ良いのですが、どの方も誰もいないところに話しかけるようになったのです。
初めは、私の位置から見えないだけで誰かいるのかとも思ったのですが、どうやらそうでもないのです。ある方は扉に向かって話しかけ、ある方は窓に向かって話しかけ、カレンダーと話をされている方もおりました。
私にも理由は分かりません。ですがきっと、かつて賑わった宿が寂れて新たにできたホテルが繁盛する、そういった時代の流れというのが、人の心も変えてしまったのでは無いかと思っております。
黒電話
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