#8-2
こうして始まった初デート。
…とある問題が、起こっていた。
「なにしようか」
「…そうだね」
「…みんなはどうするんだろ」
「分からん」
繰り返しになるが、僕も彼女も異性とお出かけ、もといデートするのは初めてのことなのだ。残念なことに、そんな僕らにこういう場での経験は皆無と言って差異ないのである。南無三。
こうして顔を見合わせていても、解決策どころかため息のひとつさえも出て来やしない。こういう気まずい空気が生まれるカップルはすぐに別れるとかなんとか、朝のニュースで報道されていたのを思い出す。アメリカの某有名大学の研究チームの方々、そんなこと調べて下さらなくて結構ですから。
『…ねえ、次どこ行く?ダーリン♡』
『そうだな…、とりまちょっと歩いてみようぜ』
二人の後ろを、かくも見せびらかすのかというくらいに恋人つなぎをしたカップルが通り過ぎていく。僕らの苦悩などいざ知らず、『とりあえず歩こう』などといかにもコミュ力というか若者力というか、そういったものを感じさせてくれる。
それを聞いて一瞬顔を見合わせながら、やはり難しい顔に戻って、館内の案内板を眺める。
ここのショッピングモールは、日用品から
そんな中、一際目立っている施設。
それは、4階のムービーシアターだ。
「……」
僕がシアターのところまで目線を上げたと同時か少し遅れて、クイクイ、と袖を引かれる。
袖を引いた主の方を見ると、僕にスマートフォンの画面を向けてきた。
「……?」
覗き込む。
そこに書かれていたのは、今話題のあのアニメ映画だった。
数々の映画を手がけてきた監督が、とうとう恋愛モノの映画に初挑戦したと、世間ではよく取り沙汰されていたのを思い出す。
実際、僕も見てみたい気持ちはあった。何せ、よく見る監督の作品だ。その上、好きな声優さんも多く出演している。けれど、未だ公開から1週間も経っていない。当然のことながら席はどこに行っても予約でいっぱいで、半ばどころか9割方、すぐに見るのは諦めていた。
いや予約自体なら取れないこともない。しかし、その予約のためにわざわざ映画館の有料会員になるというのも、どこか誘導されているような気がして癪に触る、というのが僕の精一杯の言い分だ。
見ろ、というように彼女はやや雑にスマートフォンを突き出す。
「…ん」
何かあるのかと僕は再び画面に目を落とす。
画面をスクロールする彼女の指は、下まで行ってようやく止まった。
そして今度は、照れを隠すようにもう一度腕を張って、僕にスマートフォンを突きつける。
そこに映っていたのは。
「……ん!」
「…え?」
今日の分の、予約チケットだった。
それも、一番いいところの隣同士の2席。この映画館でカップルシートと名付けられているところだ。いわゆる、貴族シート。ここに座れるカップルがそもそも少ないことにより、ここに座るというのはある種特権であったことから、そんな風にさえ呼ばれるようになった。
その席に座れることと、見たかった映画をよりによって彼女と一緒に見られるということも相まって、感極まって泣きそうになる。泣かないが。
「…い、いつこれを?」
恐る恐る、尋ねる。
「…さそわれてすぐ」
「マジっすか」
超準備万端じゃないですか。
ていうか大体何するか決まってたんじゃないすか。
まだ言いたいことはあるけれど、とりあえずこの程度にしておく。機嫌を損ねかねないとわかっていたし、何より僕のテンションが高揚していたから。
改めて彼女の顔を見つめると、自慢げに笑っていた。
「よろこぶかなっておもって」
恥ずかしそうに語尾を濁しながら毛先をくいくいといじる彼女が、まるで女神のように見えた。いや、ここには語弊しかない。女神のよう、ではなく元から女神なのだ。ここを履き違えてはならない。
少しの間惑って
「…あの、その、へ、へんだよね!すぐよやくするなんて…」
そんなことはない、と僕は首を横に振る。
「いや、超嬉しいよ。だって、それだけ楽しみにしてくれてたってことでしょ?」
彼女は顔を茹でダコのようにして、少し呻いたあと恥ずかしそうに肯く。
「…ホントに、僕がなんにも出来ないのが恥ずかしいくらいだよ」
ハッとしたように、彼女は顔を上げる。
「そんなこと…」
スマートフォンを後ろ手に、切なそうな顔をする彼女。
いや、引け目を感じていなくはないけれど、責めたいわけじゃないんだよ。
できる限り優しく笑って、彼女に言う。
「違うよ。…感謝、したいなって」
「…え」
すぐには意味がわからなかったのか、彼女はきょとんと目を見開く。
やがて意味がわかると、にこやかに笑顔を咲かせた。今日イチか次点くらいの、満開の笑顔だ。
そんな彼女の手を引いて、僕は歩き出す。
彼女は恥ずかしそうに、くすぐったそうに顔を伏せる。
「ホントに、ありがとね」
「…ううん」
——当然ながら、恋人繋ぎで。
∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵
「…ひと、おおいね」
「そうだね…」
シアターに到着すると、それはそれは思った以上に多くの人でごった返していた。下の階の混雑状況からは全くもって想像がつかない程度に。
というのも、この映画館が空いているのは朝方だと知った人たちが、最近こぞってこの時間に集結しているのだ。やむをえまい。
中には、混雑からかこのような会話も聞かれる。
あるカップル。
女『見たかったね、あの映画』
男『そうだね〜…。もうちょっと早く来ればよかったのかな…』
女『まあいいよ。来週もあるし』
男『…マジで?』
子連れの家族、もといママ友。
母A『なんでこんなに混んでるのよ…、あ、ユキト!こら、走り回らないの!』
母B『ハネヤマさん家も大変ですね…』
母A『今ちょうど手掛かる年代ですからね。こんなに人がいちゃ、迷子になっちゃうわよ…』
以下は特筆しないが、少なくとも僕らの見ようとしている映画は予想以上に人気なんだなというのはよくわかった。
「たのしみだね」
「…う、うん」
彼女から楽しみだなんて言葉が出てくるのが意外で、少し戸惑う。しかしそんな僕の心の内は悟られてはいない。彼女はスキップまではしないにしても、足取りは揚々として、僕の一歩から二歩前を歩いている。
「…ねぇ」
ふと気になったことがあって、彼女に声をかける。
やや上機嫌のまま、彼女はくるっと振り返った。
「どうしたの?」
「いや、…原作読んだのかな、って」
——彼の意図はこうだ。
こういうアニメ映画には往々にして原作があるのだが、今回もその例を漏れない。世の書店は原作の小説をクローズアップしているし、そうでなくても興味を惹かれるポップアップで原作小説の存在はほとんど誰もが知っているはずだ。
そうなれば、彼女が小説を買わないわけがない。それで読んだというのであれば、シナリオを知っていても無理はないのだ。つまるところ、彼は彼女が初見ではない故に飽きてしまうのではないかと危惧していたわけだ。
いくばくか逡巡した後、彼女は首を縦に、それもわずかばかり感じ取れる程度に、弱く振った。
「…うん」
伺い知ることのできた範囲では、彼女の頬に赤みが差していた。
僕は、はてと考え込む。またそんなに恥ずかしがるような質問をしただろうか、と——彼は自分が言ったことの意味を自身で正確には理解していなかったのだ。
結局解らず終いで、ツンツンと肘を指先で突かれて僕は我に帰る。
「…は、はじまっちゃう」
「あ、うん、そうだね…」
未だ赤い頬を隠すように、彼女はまた二、三歩先を歩き始める。
僕が横に並ぼうとしても、今日ばかりはそれを許してはくれなかった。
…怒らせるようなこと、しちゃったかな…?
∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵
ポップコーンを買って、劇場内に入る。
機嫌を取り戻してくれたのか、今は隣に並んで歩くことが許されている。
「…ふんふんふーん」
時折、隣からは鼻歌が聞こえてくる。
やはり機嫌は良さそうだ。
チケットに書かれた上映シアターの番号は12。
「……」
「……」
2人顔を見合わせてから、目的の方向へ足を向ける。
…2人の間に、あまり会話はない。
僕は少しだけ距離感が気になって、ちらちらと桜子の方を向く。
時たま目があうと、僕も彼女もなぜかわからないけれど恥ずかしくなって目をそらしてしまう。
2人とも何故かわからないまま、ギクシャクとしていた——というのも、例のカップルシートに加え、恋愛映画を初デートで2人きりで(正確には2人きりではないが)見るというのが、暗黙的に緊張になっていたのである。繰り返し言うが、彼らにとっては初デートなのだ。
「…た、楽しみだね…」
「…うん」
またさっきも話したようなことしか、口からは出てこない。それ故に、会話も一言二言で途切れてしまう。
よく見てみると、彼女は辺りを見渡してたまに顔を赤くしている。どうしてだろうかと、僕もそれに倣って周りに目をやると、理由は一目瞭然だった。
「…あ」
恋愛映画。
ショッピングモール。
休日の午前。
そうなれば、いや当然なのかもしれないが。
辺りでは、しきりにカップルたちがイチャイチャとしていたのである。
何をしていたかはご想像にお任せするが、少なくとも公序良俗には反していない範囲で、それでいて一部の人には中指を立てられるくらいの。
僕は、彼女がよく恥ずかしがっている理由を察したような気がして、少し安心した。
「どうしたの?」
我ながら意地悪な質問をしたものだ。
彼女は僕の方に向き直って、少し僕を責めるような目をして、小さく呻く。
「…うぅ」
……。
破壊力が強すぎて、直視できない。
眩しいというそれよりは、どちらかというと防衛本能が働いた形だ。そうでなくては今襲いかかっているやもしれぬ。
こんな表情を見られているのは、当然僕だけだ。いや、周りの人も時々チラチラと彼女を伺ってはいるにはいるのだが、大っぴらに見つめるわけにもいかず、この瞬間を彼女と共有しているのは僕だけだ。
なんだかんだ言って、こんな風に半羞恥プレイをしたのも結局は僕の力だ。やっぱり僕グッジョブ。
しみじみと喜びをかみしめていると、目的のシアター12にたどり着いた。
この時期はタオルケットを使う理由もないので、入り口では何も取らない。
彼女と中に入る。
顔を見合わせる。
なぜか。そんなことは聞くだけ野暮ということだ。
なせなら、そこにいたのは——。
「……」
「……」
そこにいたのは、見渡す限りのカップル。今話題の恋愛映画だから当たり前ではあるのだが。
ちなみに、中にはこの地獄に単騎突撃している猛者もいる。けれど、ひどくふてくされた顔をしてポップコーンを口に運びながら舌打ちしているのみだ。彼の人権のためにも、もう特筆してやるまい。
もうすでにいろいろと予告が始まっていたから、僕らを見やる人はそういなかった。ただ、そんな中でも無遠慮な視線を一部からは感じる。
見えないふりをして、例のカップルシートに思い切って向かう。
周りでは、もうすでに幾つかのカップルがそういうムードになり始めていた。
「……」
「……」
席に腰を落ち着かせながら、思わず顔を見合わせる。
何度目かはわからない僕の、いや僕らの初体験は、カップルシートにも及んでいた。
むず痒くなって、たどたどしく(こういう表現であっているのかもわからないくらいに)目を逸らす。
でもこうして気まずくなっても、それでも一緒にいるこの時間が愛おしい。
赤く染まったうなじ。
振り返るその時にふわりと揺れる柔らかな髪。
伏し目がちに向けられた、潤んだ瞳。
甘噛みしたくなるほどぷくりと輝く小さな唇。
何度となく彼女の仕草にまた魅了される。
血の拍動が早くなって、胸が揺すぶられる。
「…なんか、はずかしいね」
「——ッ」
囁かれた声に、危うく理性を放り出しそうになる。
どうにか辛うじて二度ほど頷いて返答とすると、何がおかしかったのか、彼女は控えめにくすりと笑う。
こっちも恥ずかしくなってきて、少し仕返ししたくなったが、思考回路がうまく働いてくれない。
「…何がおかしいの」
「なんでもない」
結局僕ができたことは、火照った頬を気にしながらわずかに悪あがきと思って声色を暗めに変えることだけだった。
そうしているうちに、スクリーン全体に例の二文字が大きく投影される。
そしてそれが合図かのように、一斉に話し声が止む。
僕の彼女も、意地悪そうに僕を弄ぶ微笑みを少しだけ隠して、まばゆく光り始めたスクリーンに目を向ける。
確証はないけれど、僕の頬は熱を帯びて止まない。
そんな僕の心模様を知ってか知らずか、横顔の彼女もどこか僕を弄んでいた。
僕だけ嵌められたというか、陥れられたような気がしてどうも釈然としないけれど、僕も彼女に倣って目を向ける。
さっき買ったばかりのポップコーンが香ばしい薫りを立たせて、映画の始まりを示唆していた。
∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵
「…面白かったね…」
「…う、うん…」
上映後。
残り少なくなった右手のコーラをずずずと吸いながら、探るように彼女に話しかける。
なぜこうもまた不思議な距離感になっているのかというと、…なんと言うべきか、とにかく、恥ずかしかったんだ。あの映画。
僕の思っていた恋愛映画とは一線を画すもので、周りのイチャついていたカップルでさえもため息をついてしまうレベル。僕らがノーダメージで切り抜けられたはずがないだろう。
「……」
何事か彼女が口にしようとして、また断念した。
そういう感じの妙な気まずさのようなムードになって、僕らはまた距離の探り合いをしているのであった。
こういう時こそ、僕から何とかしなくては。そう、何度目かの決意をする。
お腹が空いていたような気がしたので、勢いに任せて口を開く。
「…と、とりあえず、ご飯食べに行かない!?」
思ったより大きい声が出た。
けれどさほど彼女も驚いた風もなく、それどころか話しかけた僕に感謝の目を向ける。
「う、うん…」
目が合って、やはり俯いてしまった。語尾もそれにつれて萎んで弱くなっていった。
「…じ、じゃあ、行こう」
咄嗟に彼女の左手を掴む。
「…あ」
少し彼女は目で訴えかけてくる。けれど、恥ずかしそうに目の周りを赤くしているその目に、僕を拘束する力はない。
僕の顔に十分な風が当たるように、少し大股で僕は歩き出した。
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