セイントオーダー ~堕ちた者たちによる世界滅亡~
但野リント
第1話 執事と女王
『信仰は王のためにある』
その言葉は比喩ではない。
ここはノストリアという世界。神もおらず、天使もいない、悪魔もいない、そして神話の存在すらもないそんな世界。そこに住む人々は皆が皆それぞれの国の王を信仰している。人が王を、いや、人が人を信仰する理由は単純である。人々は神などいないということを知っているからである。だが人は何かを信じなければ生きていけない。そこで人々は自国の王を信仰の対象とし、王は絶対のものだと信じることにしたのだ。
そして王には国民のほとんどがお目にかかれない正に信仰の対象とするには相応しい体系をしている。そんな世界で名誉のある仕事が三つある。王専属の執事、メイド、そして騎士の三つである。その三つの役職は唯一王を拝謁することができる貴重な人間である。物語はその名誉ある王の専属の執事をしている一人の青年から始まる。
◇◆◇
「リリア様、お茶の用意ができました」
王専属の執事である青年、ルーパ・ディアフルは齢23歳という彼と同い年であるユースティア王国の若き女王、リリア・ユースティアにお茶を運んで来る。彼のその振る舞いは執事として洗練されたもので同じ執事をしている者から見ても彼は欠点が見つからないほどだ。
「いつもありがとう、ルーパ」
柔らかく優しい微笑みで女王、リリアはルーパを己の部屋の中に迎え入れる。まだ王女とも見て取れるほどに若い女王だが、彼女の両親はこのユースティアの城にはいない。その理由は彼女の両親が行方不明でも亡くなったわけでもない。彼女が選ばれたからである。彼女は前国王がいた五年前までは元々平民だったのである。だが前国王が亡くなると、新たな王を決めるために国民の投票によって平民たちに比較的人気のあった彼女が選ばれ、両親とは離れ離れになってしまった。それ以来彼女は自らが選んだ専属の従者と共に毎日を過ごしていた。
リリアにそんな過去があることは城にいる従者だけでなく街にいる国民全員が知っていることであるため、ルーパはそのことに関しては仕え始めたころから何も言っていないし、何も聞いていない。親と離れ離れになったのだ。寂しくないはずがないため、己の主に心の傷を抉るような真似はしたくないと思っていた。
「今日の紅茶も美味しいわ」
「お褒めに預かり光栄です」
「ほら、あなたも座って一緒にお話しましょう?」
リリアは未だ立ちっぱなしで主が紅茶を飲み終えるのを待っているルーパを気遣って目の前にある椅子に座らせようとする。だが彼は――
「いえ、私にも立場というものがございます。リリア様のお気持ちはありがたいのですが、立場がある以上あなた様と必要最低限以上の会話をしてはなりません」
「いいじゃない。ここには誰もいないんだし」
ルーパはリリアの誘いに「ダメです」と頑として聞こうとしない。このやり取りを見ているとルーパはただ頑固で真面目に見えるだけかもしれないが、実際は違う。彼は他人に感情を見せたくないのである。笑顔どころか怒っている姿すらも他人には見せていない。彼が感情を出したところを唯一見たことがある人物といえば彼の恋人か家族ぐらいだろう。よって私情を挟む事はなく、ただ淡々と職務をこなしているルーパの姿ががリリアにとっては面白くなかった。『彼の笑顔が見てみたい』その願いとも取れる思いでリリアはルーパを専属の執事として選び、傍に置くことにした。未だその願いは叶っていないが彼女は彼と過ごせることが何よりも幸せだった。そのため彼女はルーパが一人で来てくれるお茶の時間を少しでもルーパと過ごせるようにゆっくりとお茶を飲むのだった。
しかし時間は限りあるものだ。リリアは嬉しくも悲しい時間が過ぎ、紅茶を飲み終えてしまった。まだこの時間が終わって欲しくないと思っているリリアに反してルーパは無情にもリリアがお茶を飲み終えたことを確認するとさっさとティーセットを片付け始める。
「ねぇルーパ...…」
「どうかなさいましたか?」
リリアはそこで戸惑う。果たしてこれは言ってもいいのかと。言ってしまったら彼が迷惑に思ってしまうのではないかと。逡巡の後、彼女は言った。
「……やっぱり何でもないわ……」
「…………」
いつものルーパならば何か一言言うと思われたのだが、彼は何も言わず黙って片付けに取り掛かった。
◇◆◇
片付けたティーセットを厨房に運んでいる道中、ルーパは己の主であるリリアのことを考えていた。ルーパはリリアの彼に対する想いが尊敬などではなく恋心だということに気が付いていた。ルーパの中で彼女は尊敬に値する人物であることは間違いなかった。未だ23歳という若さでしかも望んだわけでもない国王という仕事を担っているのだ。自ら志願してやり始めた彼とは違うため彼が尊敬しないはずがなかった。だが彼にはリリアの恋に応える事は出来なかった。主従関係の一線を超えることが許されないという理由もある。だが彼の場合はもっと単純である。彼には恋人がいた。彼が愛している恋人を裏切るようなことが出来ない彼にはリリアの恋に報いてあげることはよっぽどのことがない限り不可能だった。
(できれば私のことは諦めて欲しいところですが、だからと言って主に無礼な行為を働くのは執事としてやってはいけないことです。何かいい方法はないでしょうか……)
そんなことを考えながら彼は厨房に向かって歩く。すると――
「ル~パ」
廊下の十字路を通り過ぎたときに背後から聞き慣れた女性による自分を呼ぶ声が聞こえる。
「ユウナですか」
背後を振り返るとルーパの恋人である女性、ユウナが立っていた。彼女はリリアの専属ではないがこの城で働くメイドの一人である。ユウナは嬉しそうにルーパに駆け寄ってくる。
「どうしましたか?」
「も~、二人っきりなんだからいつもの口調でいいのに」
「残念ですがまだ仕事中です。話がないならあとにしてください。執事長ほどではないにせよ、私にはまだやらなければならないことが山ほど残っていますので」
仕事が残っているからという理由で自分の恋人にも関わらず相手にせず、仕事に戻ろうと廊下を歩きだす。そんな様子が気に食わないユウナはふくれっ面になるが、意を決したかのように頬を紅潮させたままルーパの前に回り込む。
「なんですか……?」
「あ、あのね……ルーパに会いに来た理由なんだけど……」
「大方急に会いたくなったから会いに来てしまったというところでしょう?」
「そ、そうなんだけどね……。本当は顔を見たらすぐに戻るつもりだったの……。で、でも私ッ!やっぱり我慢できないのッ……!」
ユウナはそう言ってルーパがティーカップを持っているにも関わらずそんなことはお構いなしで彼の胸に飛び込む。ルーパはティーセットを取り落さないようにしながらも抱きついてきたユウナを溜め息一つ吐いたあとに黙って抱きしめる。
(……やれやれ、私も甘いですね……)
そう思いながらも彼は求めてくる彼女の唇に口づけをするのであった。
◇◆◇
(思いのほか時間を取ってしまった……)
ルーパは軽い口づけで終わらせようとしていたのだがそれをユウナは許さず、時間にして10分もの時間を彼女との口づけで使ってしまったのである。
(全くあの娘は……まだ仕事中にも関わらず何をしに来るんですか……それに乗ってしまった私も私ですが、今日はお仕置きが必要ですね)
そんなことを思いながら彼は本来の目的地であった厨房にやってくる。厨房はいつの時間も女王リリナに献上するための最高品質の食材で最高級の料理を出すために仕込みなどで慌ただしかった。
「アルクさん」
「ん?おう、ルーパか」
アルクと呼ばれた厨房の料理長はルーパが来たことがわかるとすぐに皿洗いが仕事の一番下っ端の人間にティーカップを取りに行かせる。ルーパはティーセットを渡し「いつも通り綺麗にお願いしますね」と一言付け加える。渡したティーセットが厨房に消えていくのを見届けると彼はその場から去ろうと踵を返したときにアルクから呼び止められる。
「どうしましたか?」
「いや、さっきリアドさんが来てな。ルーパはいるかって尋ねて来たんだ」
「リアドさんが?」
リアドとはこのユースティア城の使用人全てを束ねる執事長を務めている執事である。立場としてはルーパよりもリアドの方が上だが、女王に重宝されているという点ではルーパの方が立場が上かもしれない。
「ああ。なんでも、また新しく新人のメイドが来たからあんたに研修を頼みたいんだとさ」
「……わかりました。ではお互いに職務を怠らないようにしましょう」
「あいよ。リアドさんは研修室にいると思うぜ」
「了解です」
今度こそルーパはその場から離れ、リアドが待っているという研修室に向かった。
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