エルフィング☆えくすぱんしょん

三島千廣

01「誰が呼んだか摩訶不思議」

「助けてください、そこをゆく旅のお方――!」


 なんというか、自分ほど旅から縁遠い人間もいないものだと常々思っていた。


 嗚呼、思えば、中学のときも、そして昨年もインフルエンザにかかって立て続けに欠席を余儀なくされた俺の人生そのものが、それを象徴している。


「だからっ、そのっ。聞いてます? 人の話っ」


 だから理解できなかった。


 そもそも、今の時刻は午後の四時をようやく過ぎたばかりであり、俺こと藤原藤太ふじわらとうたは、別段変哲もない住宅街を突っ切ってひとり寂しく下校しているだけなのだ。


「そこのっ、お方っ!」

「うわっ! え、なに? 俺のことなのっ?」


 ぺらっぺらの学生鞄で胸のあたりを防御しつつ、突如として目前に現れた声の主に目を丸くする。


「どうか、どうかお助けを。私たちは、追われているのです」


 とりあえず頭の中身を整理しよう。


 ここは日本の変哲もないありふれた田舎町で、俺は旅の途中の凄腕剣士でもなんでもない。


 ごく普通の高校生だ。

 だが、なにかを勘違いしているのか。


 焦げ茶色の毛布を身に纏った若い女は、それこそ手垢のついた物語の導入時のように、この俺に向かって救いを求めているのだ。


「追われているのですっ」


「だから、そんなデカい声出さなくたって聞こえてるってば!」


「そんなに怒鳴らなくたっていいじゃないですかっ! こっちは困ってるんですよっ!」


「え、なに? これ、俺が責められる流れなの? こっちに非があるってパターンなの?」


 ううう、と獣のように唸っていた女の纏っていた毛布が、ばさりと落ちた。


 俺は思わず息を呑む。

 ――彼女は、もの凄い、美人だった。


 このように女性の容姿を表現することにかけて、語彙が稚拙なのはあまり本を読まない高校生なので仕方がないと許してほしいのだが、やっぱりどう形容してもすっげー美人としかいいようがなかった。


 黒く、流れるようなたっぷりした髪に、日本人離れしたくっきりした目鼻立ち。


 まつ毛は、マッチが幾本も載せられそうなほど長く、肌は雪のように白かった。


 東欧系の顔だちである。


 なぜ、普通の高校生なのにそんなことに詳しいかといえば、うちの親父が昨年、ルーマニアパブに通い詰めて家庭争議になり、あわや離婚となりかけたので、そのときネットでいろいろ調べたからだ。


 ずるいぜ、父ちゃんチクショウ。なんでおいらも連れてってくれなかったんだ――!


 まあ、そういうくだらないもろもろの事情はどっかに置いておいて、高三の俺より幾つか年上に見えるルーマニア美女の真意を問いたださねばならない、と切に思った。


「まず、第一に、俺は旅人じゃない。どこにでもいる量産型高校生だ。オーケイ?」


「そんなことはどうでもいいんですよっ。私と姫を助けてくださいっ!」


 怒られた。理不尽さに涙が滲みそうになる。

 下唇を噛んでこらえた。


「見てくださいっ。姫が、怯えていらっしゃいます!」


 彼女はややかすれたハスキーボイスで叫ぶと、抱いていた丸っこいものを、ずいと俺の目の前に押しつけてきた。ああん、ちょっと待って。そんなに近づかないでくれよ。心の準備が。


「って、赤ん坊かよ」


 彼女が差し出してきたボロ切れに包まれていたのは、まだ目も開いていないようなミルク臭い乳児だった。


 金色の髪がふわふわして、まるで天使のようなかわいらしい寝顔ですやすやしている。


 姫というくらいだろうから女の子なのだろう。ふふ、この子はきっと将来美人さんに育つね。


 俺はロリコンではないが、この子の愛くるしさにどきんと父性を刺激され顔がほころんだ。


 なんとなく、生まれたての仔犬を見たようなほのぼとした気持ちだ。


 いや、よいものを見せてもらった。


「私は、フランシスソワーズ。そして、この方こそ、エルフ帝国最後の継承者にして第一皇女のマゼル姫ですっ。今、私たちは敵方のオーク軍に追われているのですっ」


 ――一瞬で、脳みそがウニになった。


 もちろん、彼女がなにをいっているか理解できないからだ。


 よし、一旦落ち着こう。


 日本語が通じるとか、そんな三秒で作ったなんの捻りもない饅頭の皮のようなうっすいうっすい設定はどうでもいいが――。


「とりあえず、ここ人んち前だからさ。場所移動しない?」


「そんなっ。姫と私の危機なのにっ」


 フランシスソワーズさんはそういっておられるが、ここ知らない人の家の玄関前なんだよね。


 ほら、さっきからこっちを睨んでるお爺さん。この表札に書いてある島崎さんかな。


 島崎さんちの、七十くらいのお爺さん。

 ちょうど夕方の散歩だろうか。


 元の種がよくわっかんないぶっさいくなミックス犬を連れて家から出ようとしているけど、俺らが邪魔するから、門から出られないじゃん。お邪魔じゃん。


 それに、俺の制服見られてるから、このままじゃガッコに通報されっかもじゃん。


「とりあえず、落ち着いて、さ」

「落ち着いてなどいられな――ああっ!」

「んなっ」


 フランシスソワーズさんが、ビクッとしながら俺の背後を指差した。


 ついでに、島崎のじいさんも、連鎖反応的に身体をビクッとさせて門柱に肘をぶつけ「ふがっ」と叫んだ。


 ミックスくんもわんわん鳴いて抗議しているぞ。


 まさかここは狭い生活道路なのに、無理やりショートカットした二トン車が爆走しながら迫っているとか。


 チクショウッ。


 車体の店番覚えて苦情の電話入れてやるんだっ。これが一番効くらしいからなっ。


 そう考えながら振り向くと、背後には朝青龍も真っ青なほどの体躯を持つ太っちょな二足歩行の豚さんが、三人ほどの仲よく肩をぶつけあってにじり寄ってくるのが見えた。


「ああ、なんてこと――。もう、こんなところにまでオーク軍の精鋭が迫っているなんて」


 うん。確か、ここ日本だよね。


 あまりのありえない光景に俺の脳内はウニの軟度が上昇した。今日はウニ祭りだ!


「ついに見つけたぞ、この愚か者め……! 我らに手間をかけさせおって」


 オークさんは見た目の豚っぷりからは想像しえない美声でちょっと聞き惚れた。


 にしても、これ、特殊メイクにしてはすっげー凝ってるなぁ。


 本物としか思えないよ。


 もっとも、この大正義日本の住宅街でコスプレの上、寸劇をはじめるとは、ちょっとまともではない方々だ。


 できれば、あまり相手はしたくないので、この場でとれる選択肢はただひとつ。


「逃げるぞ」

「は?」


 俺はフランシスソワーズさんの手を取ると、踵を返し逃走を図った。


 学校指定の安物の革靴がたったかたったか舗装路に乾いた音を立てる。


 まさか流れ的にこのような手に出るとは思っていなかったのか、劇団オーク三連星たちはぽかんとその場に棒立ちになり、ついてくる気配はなかった。


「うぬうっ。ちょ、待てやっ」

「そこの学生っ、ちょっと俺たちの話を――!」


 ん。なんか、劇団チャーシューさんたちが語りかけてくる。はっきりいって、この白昼夢としか思えないような状況で語りかけてくる理性的な声に、耳を傾けようとしたら側頭部から思いきりチョップが飛んできて耳にぶち当たった。痛い。


「あんな邪悪な軍団の話を聞いてはいけませんよっ。この期に及んで、私たちをあのオークたちに売り渡すおつもりですかっ。そんなことしたら、私も姫も、あいつらにらめぇっ! っていう目に合わされちゃいますよっ!」


 らめえっ、ていう目に合わされちゃうのか。そうか、それはまずいな。個人的にはちょっと見てみたい気もするが、この乳児には生死にかかわるだろう。


「じゃあ、とにかく逃げなきゃだなっ!」

「あ、ちょっと待ってください」


 俺自身も事態を正しく把握しているとはいい切れないが。


 この女、ちょっと自我が強すぎると思うの。


「私、これなんですよっ。ちょっと走れないですっ」


 フランシスソワーズさんは、くるまった毛布から綺麗なおみ足を出すと、踵の高いミュールを見せた。うん、黒タイツいいね。セクシーで。


 ……じゃなくて。


「タクシー拾いましょう。ヘイ、タクシー!」


 彼女は大通りに出ると、慣れた手つきでタクシーを止め、乗り込んだ。


 ――おい。本当におまえファンタジー世界の住人なんだろうな。


「五島警察署前までお願いします」


 俺は行き先を告げ、フランシスソワーズさんに続いて後部座席に乗り込むと、決して潤沢とはいえない財布の中身をそっと調べ、涙を流した。ほろり。






「なんということでしょうっ。まさか、頼みの綱の公権力までやつらに張られているとは!」


 地元の五島警察署前についた俺たちの前には、入り口の警察職員と仲よく談笑している多数のオークさんたちが立ちはだかっていた。


 フランシスソワーズさんは、パーカーのフードを目深にかぶっており、贔屓目に見ても不審人物である。おまけに、まだ謎の毛布を身体に巻きつけている。寂しがりやさんなのだろうか。


 おまえは自分がタクシーの運ちゃんに通報されなかったことをまず感謝しろよ。


「ここはやばいです、移動しましょう移動しましょう。すぐによそへ行きましょう」


 なぜか、非常に彼女はこの場にいることを恐れている。


 俺には、なにかほかの理由があるような気がしてならないんだよなぁ。


「なあ、ちょっといいかい。なぜ警察屋さんはオークさんたちの存在を疑問に思わないんだろうか」


 だって、見るからに半裸の上、謎のトゲつき肩パット装備してるし……おかしいだろ?


「それは、あれです。オークたちの幻術ですっ!」


 いいきった。

 いいきったぞ、こいつ。

 しかもなぜか幾分きりっとした表情で。


 そうか、幻術。幻術なのか……って納得するはずないだろっ。


「親切な旅のお方っ。私と姫は、これから誰に頼って生きてゆけばいいのでしょうかっ」


「ちょっ、待ってよ。そんな、こんなとこで泣かないでよ」


 俺まで不審者に思われるだろ。


 フランシスソワーズさんは、頭を左右にブンブン振って大きな瞳からはらはらと涙をこぼす。


 しっかりと抱きかかえた乳児のお姫ちゃんは、こんなに強く揺すぶられてもすやすやしてる。


 というか、さっきから会社帰りのサラリーマンさんやOLさんたちの眼差しが熱すぎて後頭部のあたりがチクチクするのだが。


「それと、俺は別に旅人ではないとさっきからいっているだろーが」


「だって、まだ名前伺っておりませんもの」


 出たよ。女の必殺、だってだって、だ。

 にしても美人は得だ。


 フランシスソワーズさんが見た目のセクシーさとはアンバランスにぷくっと頬を膨らませているのは、かなりかわいらしいので女日照りの俺からすれば許さざるを得ない。


 悔しい……!


「藤太、藤原藤太だよ」


 スマイルを作って自己紹介するとぼそっと「あそ、トータね」と小声でいったような。


 いや、まさかな……。


 こんな綺麗な女性がそんなこというはずないよな。


「トータさん。私、お腹が……」


 彼女は唇を噛んでうつむくと恥ずかし気にお腹をぐるぐるきゅーと鳴らした。


 あっそ、腹減ってんのね。


「トータさん」


 その目はなんか食わせろって目ですね。仕方ねえな。


 よく考えたら警察に電話一本すればこと足りたと思うのだが、なぜか俺のスマホは謎のジャミング攻撃を受けたかのように、圏外を指し示し続けている。ちょっと不審な展開だ。


「きっと、オークたちの電磁波攻撃ですっ」

「なんで、いきなり文明の利器を活用してんだよ」


 フランシスソワーズさんは、両手をぐっと脇で固めるときらきらした瞳を向けてきた。


 おいおい、赤子を地べたに置くんじゃねえよ。ホントに、この子お姫さまなのか?


 ベビーはおくるみに包まれたままアスファルトの上に置かれた。


 結構酷いと思ったので抗議の意味も込めてジッと睨んだら、彼女は大げさなジェスチュアをとりながら表情をくるくる動かして反論した。外人さんってこういうの得意だよね。


「だって、ずっと抱っこしてると腱鞘炎になりそなうなんですもんっ。こういうのって、男の方がそれとなく察して代わってくれるもんじゃなないんですかっ」


「あ、すんません」


 というか、よく考えると、別に俺はおまえの彼氏でもなんでもないんだから。


 なんでそんな阿吽の呼吸を求められにゃならないんだよ。


 俺が憤懣やるかたなくその場に佇立していると、彼女はプリンセスを放置して、くるりと背を向けた。


「さっさと行きますよ、トータさんっ。ほんっとグズなんですからっ!」


 身軽になったフランシスソワーズさんはずんずん先に行くと、長い腕を伸ばしてピッとその先にある喫茶店を指差した。


 なんか、なんかおかしくねえか。この展開……。


 喫茶店はさいわいにも普通の喫茶店だ。

 あたりまえか。


「いらっしゃいませ――ぇ?」


 にこやかにあいさつをしたお姉さんがギョッとした顔をした。


「ふたりです」


 そりゃそうだ。明らかにホームレスオーラを放出している外人が身体に毛布を巻きつけながら入店して来たんだから。俺なら速攻で通報するね。


「あ、すいません。この人の格好、宗教的なものなんです」


「は、はぁ。宗教ですか」


 店員のお姉さんは、乳児を抱いて入ってきた学生の俺を見ると、自分のなかで咀嚼できないありとあらゆる理不尽を無理やり飲み下したような表情をとるが、やはりそこはプロ。


 次の瞬間には、禁煙席か喫煙席を聞いてきたのですかさず禁煙席を選んで移動してゆく。


 ちゅーか、よく見ると同じ学校の制服姿もチラホラ見える。今日は週末だからまだよかったのか、来週の頭には噂になってないだろうな。ホント、頼むよ。


「トータさん、遅いですよっ」

「ああ、ごめんな」


 フランシスソワーズさんに促されてパーテーションで区切られた対面席につく。


 無論、俺は置き忘れられた乳児を抱っこしたままだ。


 にしても、まったく動じていないなこの子。たぶん、大物に育つぜ。


「ねえねえねえねえ、トータさん。私、すっごくお腹が空いているんですよう。できましたら、慈悲を……慈悲を持って……!」


 そんな悲壮な顔せんでも。というか、初見のときの神秘的なイメージはもはや微塵も残ってないな。ホント、どこの国の人間なんだろうか。


「別に、ここまできてケチ臭ェことたぁいわねえよ。好きなもん頼みなよ」


「店員さーんっ、店員さーんっ! 注文いいですかーっ。こっから、ココ!」


 なんとこの女、噂には聞いていたがメニューを上部から下部まですっとなぞると満ち足りた顔で口角を上げている。


 絶対食えないでしょう、だからやめてね。


「フランシスソワーズさん」

「はい、なんでしょう?」


 しばし、威圧感を込めて凝視する。この視線に幾つもの意味を込めたつもりだ。


「わかってくれたかな」

「……自重します」


 至誠天に通ずとはまさにこのことである。


 フランシスソワーズおなかぺこりんさんは、注文を訂正すると、カツサンドとエビサンドとハンバーガーと、チキンサンドを主軸に、カフェオレを二杯、そしてデザートにリンゴクロノワールというホットケーキに黒アイスがかかったものを注文しなさっただ。


 高校生的には結構な大損害だった。


「あの、お客さまはなにを?」


「僕は水で。あと、こいつが頼んだコーヒーについて来る豆みたいなやつでしのぐから」


 店員のお姉さんは濡れそぼった野良犬を見るような眼をした。


 だって、しょうがないだろっ。さっき、タクシーにだって乗ったし!


「でさ、フランシスソワーズさん。話を包括的に聞きたいのだけれど」


「ちょっと待ってください。今は――私に時間をください」


 サッと細く白魚のような五指を開いて俺を制止すると、彼女は次々に運ばれてくる軽食メニューをやっつけにかかった。


「いただきですっ」


 うわっ、かなりデカい口開けるなっ。ホントに美味そうに食うから、許せるっちゃ許せるんだけど……。


 あれだな、気分は大型犬にエサをあげてるみたいな気持ちだ。


 しばらく、腕のなかで寝入っているマゼル姫をゆらゆらさせながら時間を潰す。


 でも、この子本当にかわいいなー。ってか、正味、親はどこにいるんだろうか。


「で、食い終わったらさっさと話せよフードファイター」


「うっ! なんかドンドン扱いがぞんざいになっているような気がしますが。でも、トータさん。私が話せることといったら、私はそこのマゼル姫の乳母をやっていることくらいと、あとはオーク王国の追っ手から逃れるため旅を続けているというだけですよ?」


「もうさ、あのさ。……警察行こうや、な?」


「だめっ。警察は絶対だめっ! あなたなに考えているんですかっ? あの性欲の塊のようなオークたちに、私と姫がらめぇっ、てされるっていったばっかりでしょおおっ!」


 フランシスソワーズさんは、今日のなかでも一番に強烈な顔で目を引ん剝くと、頑なに公機関へと救いを求めることを拒否した。


 なんだ、こりゃ。こいつ、もしや入国管理局に追われているんではないだろうか。


「あのさ、盛り上がっているところ悪いんだけど。ぜんぶ、設定も格好も……コスだよね? だいたい、この現代日本でエルフだのオークだのいるはずないじゃないか」


「トータさんはなにもわかっておりませんね。この世には凡夫にとって窺い知れぬ途方もない真実が、底知れない闇のあちこちに横たわっているのですよ」


 誰が凡夫だよ、ちくしょう。


「たとえば、そう……。毎年お正月に、箱根駅伝やってるじゃないですか。あれに参加してる山梨方面の大学の選手、おかしいとは思いません?」


「なにがよ」


「――ちょっと色が黒すぎる人たちが混じっているじゃないですかっ」


 フランシスソワーズさんは、パンの切れ端を咥えたまま、だんっと机を叩いた。俺は、ぽーんとカップから吹き飛んだ豆菓子をキャッチすると、ざらっと口のなかにすべり込ませた。


 いや、それは普通に海外からの留学生だろうが。


「私は知ってるんです……! あの人たちは、実は山梨の奥地の集落から無理やり連れて来られて、家族を人質に取られ無理無体に走らされているんですよっ!」


 頼むからそのへんでやめておけ。

 山梨の人にぶっ殺されるぞ。


「まあ、といったように、トータさんの知らない闇がこの現代社会には無数に存在しているのですよ。QED。証明終了です」


「いや、まるっきり証明できてないからな。そもそも、仮に俺たちの知らない部族が日本のどこかに隠れ住んでいたとしても、オークの存在に結びつかないだろう」


「あ、そろそろ席が込み合って来たから、続きはトータさんのおうちで話しません?」


「いや、でもよ……」


「トータさん、あんまり長居するとお店の人にご迷惑ですよう」


 その言葉に日本人は弱いんだよなっ。


 気づけば俺たちは普通に店を出て、夜の街を歩いていた。


 てか、極めてナチュラルに操縦されてない? 大丈夫か、俺よ。


「あ、ちょっといい? 少し銀行に寄っていきたいんだが」


「いいですよ」


 やった許可が出た! 

 ……ん? なんでよろこんでいるんだ、俺は。


 実は、かなり散在してしまったので、もはや財布の中身はジャリ銭しか存在しないのだ。


 俺の両親は、今日の朝から三泊四日の北海道旅行に行っているため、どうしてもある程度のお金は必要なのだ。


 これには、フランシスソワーズさんも抵抗せず、そのままのホームレススタイルでATMマシンのある場所までついてくる。


 監視カメラで勘違いされないか心配だな。


 俺は銀行のカードを取り出すとATMから二万ほど引き出した。


 これは、正直バイトをしていない俺にとってはかなり痛みを伴うものであったが、人生、耐えることも必要だと思って我慢する。


「クッソ……。謎の手数料をとられてしまった。地味に悔しい」


 背後ではフランシスソワーズさんが、マゼル姫を抱っこしながら早くしろよオーラを激しく浴びせかけている。


 つーか、もうこいつにさんづけいらねーよな。


 そうこうしているうちに、俺は無事帰宅できた。普段の下校と比べてもの凄い密度の濃いイベント目白押しだったので、さすがにタフな俺も若干疲労を感じる。


「へぇ、トータさんのおうちはここですか。なかなかよいところにお住まいじゃないですか」


「そらどうも」


 フランシスソワーズは目を闇夜にぺかぺか光らせながら、ぐるりと家を一周して値踏みするように外観を調べている。


「綺麗ですね。新築ですか?」

「いや、去年建て替えたばっかだけど」


 彼女は振り返ってにんまりと笑うと、白い歯を見せた。なにがしたいんだよ、おまえは。


 玄関のカギを開けると同時に、俺が止める間もなくフランシスソワーズは家のなかに土足で飛び込むとあちこちの部屋を走り回り出した。


 あまりのことに俺は頭のなかが真空状態になった。


 ――だって、他人の家だぜ? 普通、こんな無礼なことするなんて誰が思うかよ。


 くらり、と。


 激しい眩暈を感じながら沓脱に茫然と立っていると、ひととおりなかを観察し終えたフランシスソワーズが、踵をカツカツと鳴らしながら戻り、俺を見下ろすように立った。


「おまっ――ふざっけんなよっ! 土足で人んち荒らしまわってんじゃ――」


「ふふっ」


 さすがに文句のひとつでもいってやろうと前のめりになって拳を握ると、彼女はあろうことか不敵に微笑みながら胸を逸らし、腰に手を当てたまま身体に纏っていた毛布を脱ぎ捨てた。


「ふはははっ! 家人が誰もいないとはなんと都合のいいことでしょうッ!」


 ――そこには、小汚いホームレス紛いの毛布っ子はおらず、代わりに黒のボンテージファッションに身を包んだ破廉恥極まりない女がいた。


 革のぴちぴちしたドレスに、はちきれんばかりの放漫な肉体がこれでもかといわんばかりに自己主張を行っている。


 日本人離れした胸に尻! 俺はがくんと大口を開け、長すぎる彼女の脚をなぞるように眺め廃人のように虚ろな目をするしかなかった。


 いや、もっとも気になったのは彼女の頭部に映えているヤギのような立派な角だ。


 フランシスソワーズは小悪魔のように嫣然と微笑むと、脚を強調するように床板をドンと踏みつけ宣言した。


「愚かな人間よ。我は今をもって告げるですっ! この土地家屋はただいまより、我がエルフ帝国の管理下に入った、入りました! 即刻、しっぽを巻いて立ち去るがよいですっ!」


「……」


 うーん。


 とりあえず俺は唸ったね。それから、冷たい視線でこちらを睥睨しながら玄関先を顎でしゃくる女に向かって俺は――。


「あいだだだっ! すんませんっ、すんませんっ! 調子に乗ってましたぁあああっ!」


 おもむろにコブラツイストをかけたんだ。


「おまえ、なに? なんなの? いきなり人んちきて土足で荒らしまわるわ、どういう考えで今日まで生きてきたの? あの行動の意味なんなの?」


「くっ――あれは、この家に親御さんとかいないかっ、確かめていたんですうっ! いたあっ」


「あんなやり方で俺がビビッて逃げると思ってたの? 心外だなぁ。で、この角なに?」


「これはっ――! 私、ホントはサキュバスやってて、角は自前なんですうっ」


 フランシスソワーズはいとも簡単に俺の軍門に下った。


 ほどよく技をかけ続けたので、彼女は玄関のタイルの上で四つん這いになり相当に消耗していた。天罰覿面だ。


「とりあえずここじゃ、誰か入って来るかもしんないだろ。上がれよ」


 俺はぐったりとして動きの鈍くなった彼女を居間に抱きかかえて運ぶと、茶を出してやった。


 お茶請けには甘い金つばだ。


 フランシスソワーズはもの凄い尋問を受けると顔色を紙のように真っ白にして怯えていたが、こちらが案外やさしく接してやると、たいした苦労もせずにぼろぼろと喋り出した。


 うん、世の中飴と鞭だね。


「ううっ。こんな酷いことをした私を許してくれるというんですか。あ、ちょっと、これおいしいっ。おかわりくださいなっ」


 全然、懲りてないみたいだ。


「で、そのサキュバスさんは、なんで俺んちを劫掠しようとしたのかね。教えてくれよ」


「そのっ。私と姫が、オークたちに追われているのは本当でしてっ。どうしても、隠れ場所が必要だったんですようっ!」


 彼女は、湯呑をガラステーブルに置くと、ずいと顔を突き出してくる。


 そのためかぷんぷるんした形のよい胸が谷間が間近に迫って、うぶでシャイな俺は本能的にガン見してしまった。


「あ、やだ……」


 彼女は俺の視線に気づくと胸を隠すようにして、サッと身体をソファのほうに戻し、頬を赤らめ、恥じ入ったように視線を落とした。


 ちょっと待った。なんで、いきなりこんな雰囲気になっているのかまるで理解できない。


 でも、よく考えてみると、ほぼ初対面の女の子を家に連れ込んでいると考えるとまるで我がことのようには思えないのだ。


「え、えーと、だな」

「トータさん、えっちです」


 フランシスソワーズは今まで聞いたことのないような艶のある声を出すと、もじもじと身体を小さくしている。


 それがまた新鮮な感じで、俺はどのように接していいかわからず口ごもってしまう。


 しかし、沈黙は長く続かなかった。


 ふと、どこからか懐かしいような臭いが漂ってくる。


 今現在、目の前で繰り広げられている甘々な雰囲気には似つかわしくない、日本古来の農村を思わせるようなひなびた臭いだった。


「あっ。トータさんっ。これやっちゃってますっ」


「あ、あああっ! それかよっ!」


 まったくもって完全に忘れていたのだが、目の間に放置されていたマゼル姫が目をぱっちり開けると、不快そうにもぞもぞ蠢いているのだ。


 こいつ、漏らしやがったなっ。赤ちゃんだからしょうがないけどね。


 フランシスソワーズは慣れた手つきでマゼル姫を裸にすると、おむつを取ってそれを確認し「うわぁ」という顔で眉をひそめた。


「トータさん、おむつっ。薬局で新生児用のおむつ買ってきてくださいっ」


「えっと、とりあえずわかった。超特急で行ってくるぜ」


 俺はフレグランスの香り漂う居間を天元突破しながら脱出すると、近場の薬局に飛び込んで新生児用のおむつを購入し、すぐさま帰宅。


「はーい、姫さまぁ。くちゃくちゃい交換ちまちょうねぇー。ほらっ、トータさんも手伝ってくださいよ。これからは、あなたにもやってもらうんですからね」


「あ、はい。――え?」


 いってる意味がわからないが、とりあえずフランシスソワーズの指示を聞き見様見真似でおむつを交換すると、不快ゲージが減少したのかマゼル姫はなんともかわいらしい顔できゃっきゃっと笑いはじめた。


 なごむ。実になごむぞ。俺のなかの母性愛が目覚めてしまいそうだ。


 それにしてもだ。くりくりした、ちょっと天然の入った金髪を指先でいじくっているうちに、マゼルの耳が妙に長細いのに気づいた。


「なあ、フランシスソワーズさんや」

「なんですか」


「この子、ちと耳が我々と変わっておりゃしませんかね」


「そりゃ、違いますよ。エルフなんですから」


 彼女はそういうと唇を尖らせてなにいってんの? という表情をした。


 ま、そもそもがフランシスソワーズのように立派な角を持っている御仁を前にすれば、この赤子のファンタジー的エルフ耳など些細なことに過ぎないかもしれないが、平凡な日常を過ごしてきた一般庶民としては驚かずにはいられないのだ。


「あ、そういえば、そろそろいい時間ですね。トータさん、確かお父さまお母さまはお出かけで月曜まで戻らないんですよね。お台所借りますんで、ささっとなにか夕食作っちゃいますよ」


「お、おう。悪いね」


 フランシスソワーズは女性用の腕時計を見ると、それこそ自分の家のようなあたりまえの動きで台所に移動すると、夕食の支度にとりかかったようだ。


 まな板をトントンする音や、ジュージューと油を使って肉を炒める香ばしい匂いが、ここまで漂ってくる。


 俺は無論のこと料理などできないので、マゼルちゃん姫を抱っこしながらひたすらソファに座って待機した。


「赤んぼは無邪気でいいなぁ……」


 マゼルはまったく泣いたりしない子であった。


 こう、抱っこしてみればわかったのだが、やや斜めに傾けても綺麗にそっくり返らないところをみると、もう首は座っている。


 と、なれば生まれて半年かそこらだろうか。俺の差し出す指を両腕で懸命に握ろうとしたりして、実に愛くるしいのである。


「トータさん、トータさん。味つけは濃い目? 薄目?」


 マゼルをあやしていると、母のひよこマークの入ったエプロンをつけたフランシスソワーズが菜箸を持ったまま、台所から顔を出した。


 お料理する女の子ってさ。

 なんか、こう……イイね!


「あ、ぼく血気盛んな若者なんで、濃い目でおねがいしやっす」


「りょーかい、ですっ」


 フランシスソワーズはニッとはにかむと、ぱたぱたスリッパを鳴らして再び台所に戻ってゆく。


 しばし、マゼルの腕をにぎにぎしながら揺さぶりつつ、やがてハタと気づく。


「あいつ、帰らねえつもりなのかよっ!」


 俺は押しかけサキュバスさんとエルフっ子の術中に嵌りつつあることに気づき、茫然とするのだった。

 

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