第30話 破鏡再び照らさず

 「コメの飯は天道様が何処へ行っても付いて回る」


 な~んて言葉をみんなは知ってる?


 どんな所にも太陽の光が当たるように、人間はどんな苦しい境遇にあっても食べていくことが出来る。って意味らしいよ? なんか考えさせられちゃうよね? 凄いよね〜。この話を聞いた時には妙に納得したんだよ。


 ……それよりお腹が空いたなあ

 今は何時で、空は晴れてるのかな?


 迷惑またかけちゃったかな? 怒ってるかな?

 それとも、泣いてくれてるかな?


 早く帰りたいな〜 ……やっぱり、みんなにお茶入れなきゃ落ち着かないや。本当にやだな。



 もう、みんなに会いたい……



 ******


 勢いにまかせて街に出たまではいいけれど、何処を探せばいいのか、皆目見当もつかないふたりは、ビルを見上げて溜め息を吐いた。上空の雲は薄くビルにかかる。鼻の利くニアの嫌な予感はいつも的中する。

「あれだけ傘を持っていこうと言ったのに、ティノが大丈夫とか言うから……」と、ニアが不機嫌になった。


 雨が黒く地面を濡らし気温を徐々に下げる。吐く息は白く、鼻の先と指先がつめたく冷えていく。ティノは指先を温めようと息を吹きかけた。雨はふたりを世界から遮断したような雰囲気を作り上げ、足早に歩く人々の群れに傘を持たないふたりは滑稽に見える。すれ違う人が冷たい視線を幾度となく落とす。ティノのお気に入りの綺麗なピーコック・ブルーのダッフルコートが雨に濡れ濃い色に変わる。その横で少し空を仰ぎ見るニアの伊達眼鏡に雨が水玉を落とした。街に溶け込めずに、そこだけが時を止めたようだった。人の感情がティノに刺さるように降り注いで、その雰囲気に押しつぶされそうになるティノが道を逸れ壁に手を付いた。


「もう、人酔いしそう……」

「田舎者」

「聞き捨てならないわね」

「あひゃひゃひゃひゃひゃ!」

「……イヤな笑い方、なんてイヤなヤツ! って、もういいわよ! 当たってるもの……」

「なに? 気味悪いくらいに素直じゃない?」

「アタシの居た町は、自然に囲まれた綺麗な所だったのよ。犯罪なんて起こることも知らないような静かな町だったの、あの日まではね……」

 雨に濡れたティノの横顔に、ニアは口を噤む。次第に昔話をしていくティノの隣で、壁にもたれてニアがフードを深く被り直した。


「アタシの居た町のナマエって知ってる?『アベル』っていうのよ……」

「瓦礫の町『アベル』……噂で聞いたことがあるよ、こんな仕事やってるとイヤでも変な噂は耳に入ってくるよ。連続惨殺事件があった町『アベル』」

「……そう、ニアは知ってたのね」

「じゃ~ ついでにボクの話も聞きたい?『マーヴェリック』がボクの居た町さ」

「……マーヴェリックですって!?」

「そ、生き残りの町…… マーヴェリック」

 ティノの長く綺麗な睫毛に雨なのか涙なのか分からない雫が玉のようになって落ちていく。時折、瞬きで跳ね返すそれを黙って見ていたニアは、俯きながらひとつずつ丁寧に頷き、珍しく声を低くし、静かに答えていく。ニアの町のナマエを聞いて驚きを隠せないティノが声を荒げて肩を小刻みに震わせる。雨に濡れて寒いんじゃない。恐怖で震えるんだ。脚はガタガタとし、今にも座り込んでしまいそうだった。ゆっくりと話すニアの表情も感情も見なくても、ティノには分かっていた。怒りにも悲しみにも似たそれは嫌な記憶を呼び戻す。目の前で弟が連れ去られ、両親は助ける事など一切しなかった。寧ろ、微笑んでいるようにティノの目に映ったのだろう。あの時の記憶はきっと忘れる事は一生ないのだ。


「……もうイヤ! そんな話は聞きたくない!」

「ティノ!」

 ティノは耳を両手で塞ぎ、居てもたってもいられなくなり、その場から遠ざかろうと後ろを振り向いた。振り向いた先を見てティノが声を失ったように黙り込み、肩を竦め後ずさりをした。そんなティノを見てニアがフードを外して大声を上げた。


 ふたりの前に背の高いローブの男が立つ。ローブの男は大きな蝙蝠傘をさし、表情が黒い影で見えなかったが笑う声でふたりの背筋が痺れる。

 雨が全てをかき消す瞬間をボクらは見たんだ。ボクらはとても浅はかだったよ。なんでも出来る気になっていたんだ、タカをくくっていたんだってね。


「お久しぶりですね…… 127番」

「どうして! こんな場所にお前が居るんだよ ……道化のブルー・コルトレーン」

「どうして…… もういや、彼処はいや…… いやあああああああ!」

「おや、お隣にいるのは498番じゃないですか。会いたかったですよ。それから、私は全ての顔と番号を忘れはしません。大事な宝物ですからね? まさか「カイン」に居るとは盲点でしたね…… さあ、みんなの場所へ帰りましょう」

 男の姿を見たニアは、今にも相手に噛みつきそうな表情でティノを自分の後ろに隠した。ティノはその場にしゃがみこんで頭を両手で抱え、一点を見つめ首を振った。思い出される恐怖に大声を出す。 

 男と黒いローブが風で小刻みに揺れる。ニアが異変に気がついた時には黒塗りのリムジンが一台、ふたりのうしろに止まっていた。黒いスーツの男たちの無数に伸びる大きな手がニアとティノを掴み離さない。無理矢理に押し込まれるリムジンの車内に目を引く。妖艶に赤い口紅を塗る女が、目だけをこちらに向け薄ら笑いを浮かべた。

 

 扉が閉まる寸前に力強くティノの肩をニアが押し出した。ティノが転がり落ち、リムジンの扉が大きな音を立て閉まり走り去っていく。あちこちを強打したティノは身体を押さえ踞る。痛みの涙なのか、悔しさの涙なのか、渦を巻く苦しみが胸の奥から沸き上がり、ティノは声にならない呻き声を出した。


 次第に強くなる雨が黒塗りのリムジンのタイヤの跡を消していく。暴れた時に落ちたと思われるタンブラーが形を変えて転がる。雨の音がティノの声を消し、それを雨粒たちが激しく落としていき、ドロップの中にその姿を映し見つめていた。


 

 ******


 ゆっくりと開くページに真面目な顔でメモを取っていく。次のページを開こうとした瞬間が指に引き攣れる衝撃が走る。


「いてっ!」

「ニール…… 紙でも指を切るから気をつけて」

「分かってるよ…… って痛え~。結構深く切ったな。ついてねえな、まったく」

 切れた指先を咥える、その姿にシモンが苦笑いをして心配で注意をする。その言葉を遮るようにニールは切れた指先を見つめた。


「シモン様…… ウィリアム様と車で待たれた方が……」

「そういうならガブリエルが戻ればいいよ。僕はまだ此処で調べるから」

「シモン! ガブリエルはお前が心配で……」

「……ニール! 分かっているよ。でも僕が出来ることならやりたいんだ。ニアと約束をしたんだ…… 僕がなんとかするって、約束したんだ」

「言い出したら聞かないな、お前は……」

「とにかく一度戻りましょう。シモン様……顔色が優れませんよ……」

「シモン! 一度戻るぞ!」

「うん。分かったよ……」

 シモンの肌や髪の色は日によって輝きが違う。雨の日はそれを覆い隠すモノがあるようで、シモンの姿は前とそう変わりがなかった。

 

 大きな国立図書館の資料室のテーブルを挟み、3人は小声で話していた。そう、やすやすと何かが見つかるわけもなく溜息が漏れた。


「その顔だと何の手掛かりも見つからなかったようですね……」

 地下の駐車場の車の後部座席で本を読むウィリアムはゆっくりと顔を上げる。そして、優しく微笑むと、厳しい言葉を投げかける。3人は心做しか落ち込んだように黙ってしまう。


「ニアたちが、そろそろ痺れを切らして怒り出す頃だろ? 腹も減ったし…… 一度戻るぞ!」

 運転席に乗り込み、ニールが鍵を廻しエンジンをかける。山猫の喉が鳴るようなエンジン音が駐車場に響き渡る。助手席に座ったシモンが静かに頷く。そして車はゆっくりと走り出した。


「シモン…… 頭は痛くないか? 気分が悪くなったらいつでも言え」

「……うん、今日は大丈夫だよ」

「そうか…… シモン、覚えてるか? 子供の頃にスーパーの駐車場で自転車の練習したこと……」

「うん…… 覚えてるよ」

「お前なかなか乗れなくて、すっ転んで、よく泣いてたよな?」

「それは忘れたいよ……」

「あん時な――」


 他愛のない会話を心地よいメロディのように、後部座席のウィリアムとガブリエルが黙って聞いていた。運転席のニールは時々シモンの顔を確認しつつ笑い、シモンは照れたように笑う。皆を乗せた車は信号で止まり、ニールはハンドルに腕を乗せ、運転席から降り頻る雨を訝しげに見上げた。

 

 事務所の側に車を停め、蝙蝠傘が四つアンバランスに揺れ動く。事務所の階段にずぶ濡れのティノが遠くを見つめるように、力なく座っているのが見え、シモンが慌てた顔で駆け寄った。


「ティノ! どうしたの? こんなにびしょ濡れで…… この傷は何? ティノ?」

「……何があった?」

「ティノ様……」

「ガブリエル! すぐに風呂の湯をためてくれ! とにかく事務所に帰るぞ!」

 ニールは傘を捨て投げ、自分のジャケットを脱ぎティノの頭に被せ抱き上げる。ニールに傘を差すシモンが黙って事務所を見上げた。


 ティノはニールにしがみつくと、嗚咽を交え大粒の涙を流す。美しく澄んだ大きな瞳は全てを語り、それを見たウィリアムは寂しそうな表情を落した。


 




 ******


「青い小鳥と~白い雲~♪ 茶色のチョコはやさしい香り~♪ まあるいカンバン~トイストア♪」


 小さなガラスの窓越しに、グランはもたれて小さく両足を抱える。囁くようにあのCMの歌を唄っていた。白い白衣に真っ白な肌、目は青白く濁り、未来を見ようとしない。その姿は、まるで美しさを纏った天使のような姿だった。


「ぼく…… これからどうなっちゃうの? お兄ちゃん怖いよ…… 助けて……」






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