第15話 鏡と詐欺師

 ニアの叫び声がこちらの部屋まで響き渡る。今、自由に動けるのはシモンだけだった。


(へえ…… この怖がり屋は人の為なら、勇ましい顔するんだな……)


 声が聞こえているのは、シモンだけなのか? 不愉快な思いでシモンは聞こえないフリをする。平常を装う。今、怖がってどうなるわけでもなく、黙ってニアの居る部屋に駆けつけた。


(へえ~ まあ、いいか!)


 駆けつけた部屋の中央で水槽を目の前にし、ニアがペタリと糸の切れた操り人形のような姿で座っていた。彼の斜め前には黄金色の髪をふわふわとさせ、くるりと弧を描き泳ぐユーリーが二人。悪びれず、そして、あどけない表情する。シモンはその状況に一瞬にして後ずさりした。いったい今ここで何が起こったのか理解出来ないが、今はそれどころではない。すぐに駆け寄ってニアに声を何度かかけるが返答はなく、命に別状はないかとシモンは急いで手に触れる。ひんやりと冷えた指先は小刻みに震えていたが、「生きている」と確認したシモンは安堵のため息を吐く。その間にもニアは焦点の合わない目で、何かをずっと呟いていた。



「……ごめんなさ……い……ごめ……んなさい……ボクがしっかりしないから……ユーリー、お願いだから、死なないで……」


 シモンの見えている空間とニアの見えている空間の歪みにシモンはすぐに気がついた。アイツのせいだ! あのクラウンの力だ!


 シモンはニアの肩を掴み、「ごめん」と小声で囁き頬を数回叩いた。すると、黙って涙をぽろぽろ流すニアの膝に何か光るモノをみつけ、シモンはニアの顔をもう一度見る。それを一粒拾い上げ、手のひらの上に転がしてみた。ビックリというよりも、信じられないという言葉が正しいのだろう。


 ニールの先日、話していた 「都市伝説」という言葉を思い出す。

 美しく輝く瞳に、見たこともない赤黒い石。


 それは、真の悲しみの涙。

 

 シモンは思わずニアを強く抱きしめていた。心が苦しくて言葉に出来ないほどに、息をするのを忘れるほどに無我夢中で抱きしめていた。


「シモンちゃん、痛い…… あと、ボクそういう趣味ないから…… 離してくれる?」

 肩越しに、ニアの声が聞こえ、シモンは再度ニアの顔を見た。生意気ないつものニアがシモンを軽蔑しそうな一歩手前の目で、口はなんともいえない歪み方をしていた。


「ニア! よかった!」

 もう一度、シモンはニアを強く抱きしめた。


「此処は、もう平気だよ! あとで僕がきちんと調べるから! 必ず約束は守るよ」

 そう言ってからニアの頭を撫で、応接室に行こうと誘った。ニアは斜め下を向き何も言わずに立ち上がって、シモンの後にすぐに着いて応接室に出た。


 応接室のニールとウィリアムは、赤毛のクラウンと睨み合ったままで、先程と何一つ変わらない体制だったが、ニールは疲労で額に汗が溢れていた。その斜め後ろのウィリアムの冷静さにシモンは驚いた。両腕を組み、目を逸らすことなく凛とした姿。シモンののウィリアムに対する評価が嫌でも急上する。


「ニア、大丈夫だったのですね? 安心しました。お手伝いを、援護をお願いできますか」


 ウィリアムのその声に片手に力を込めて悪戯に、ニヤリとしたかと思えば、エメラルドの埋め込まれた小刀をシャツの裾からスッと出し左手に軽く持った。


「もちろんだよ、ウィリアムさん。いつでもボクはOKだよ!」

 その声には、焦りはなにひとつ感じられなかった。寧ろイキイキとした声で両足に力を込め、腰を低くし体制を整えるニアは、顎を少し上げ、いきがってみせた。


「何度も何度も痛い目にあってきたボクを馬鹿にしないでよ? さっきのアンタがやったんだろ? まんまと騙されたよ…… シモンちゃんが居なかったら、まだあの部屋で無様に座ってるかもね…… っんとに! もうっ! ボク、今ものすごくカッコ悪い!」

 赤毛のクラウンを怨みの対象にしたニアの目は、この状況をまるで楽しんでいるようだった。


(ああ~ ヤル気満々のガキかよ…… めんどくさいねえ。幻覚見せたくらいじゃダメか……じゃ本気出しちゃうか…… ってアレ?)


「本気出しちゃう? いいよ! じゃあ、ボクが相手してあげる! さあ、コッチに出ておいでよ? ……って無理だよねえ~? そこから出てこれないよねえ〜」


 みんなにも、あのクラウンの声が聞こえていた? まさか聞こえないフリしてたの? なんだかシモンは急に恥ずかしくなった。そして、その間も目線は外すことなく、ニアは口だけを歪ませ笑う。



「オマエら、一体全体オレになにをした?」

 クラウンは堪らず、大きな声を上げた。

 そこに、すかさずニールがクラウンの足元に指をさした。


「特別な塩を溶かして作った蝋で書いたサークルのお味は如何かな? まるで恋に落ちたみたいだろ? その場から動けないだろう?」


 クラウンの足元には白いサークルが描かれ、その中にクラウンが立っていたのだ。自分の足元を見て余程悔しかったのだろう、奥歯をギリギリと鳴らし、酷い顔をこちらに向けた。


「サークルだって? アンタ、もしかしてエクソシストか? ……ヤラレタ ……お兄ちゃんたち、出してよ! 此処から出してよ! ちょっとした悪戯だよ! ねえ! 出して!」

 クラウンは突然子供の泣き声を上げだした。


「事前に電話で伝えておいて正解でしたね。こちらに姿見を入れる前に、お二人に用意していただいたのです……」


「オマエらには何も関係ないだろ!」


「なにも関係ないはないでしょーよ? 色々準備したんだぜ? 褒めてもらわねえと割が合わないねえな〜」

 ニールは呆れた顔をして汗を拭う。


「女の子にイタズラいっぱいしたクセに〜 いやらしい〜」

 ニアが続いてそう言いながら、クルクルと指先を器用にジャグラーのように使い、小刀を回す。


「女の子にイタズラ? なんのこと? してないよ? なんにもしてないよ! ただ……ぼくは、あの子と遊びたかっただけだよ! だから此処から出して! お願いだから出して!」

 クラウンは今度は、もがき苦しんだ顔と悲痛な声を上げた。


「女の子をひとり殺しておいて、何もやってないって…… それはないんじゃないの?」

 ニアは舌を出して、クビを切る真似をした。


「殺したって? ダレがダレをだよ! デタラメ言いやがって!」

 驚いた顔をしたクラウンは、次々にみんなの顔を見る。


「アナタは……クロエ・ライン。その名に身に覚えがありませんか?」

 書類を片手にウィリアムが、低く冷たい声をクラウンに向かって吐き捨てるように出した。


「……クロエ」

 クラウンは、その名を確かめるように遠くをみつめた。


「クロエさんに取り憑いて生命を奪った…… 違いますか?」

 聖水の入った盃をテーブルに置き、指で水をゆっくりとかき混ぜる。そして、ハンカチで濡れた指先を丁寧に拭き取る。その指先を重ね合わせウィリアムは気怠い表情でクラウンを見た。


「……クロエとオレはトモダチだった。クロエは小さな頃からカラダが弱くて外に行きたくても行けない可哀想な子供だった。そんなクロエはいつも、いつも泣いてた…… オレだけが彼女の理解者だったんだ。クロエはオレが好きだった。オレもクロエが大好きだったんだ! それだけだったよ…… 殺したりなんてしていない!」

 クラウンは俯いたままで、ぽつぽつ喋りだす。


「そっか~ でもだったら、どうしてイタズラいっぱいしたの?」

 不思議そうにクラウンを見てニアが首を傾げた。


「クロエが死んで、オレは鏡に…… この姿見に取り残されたんだ。合わせ鏡にした時にしか外に出られなかったから…… オレは誰かに気がついてほしかったんだ」

 手振りを加え説明をするクラウンのその顔には嘘偽りはなさそうだった。


「なるほど…… それで誰かに助けて欲しくてあんな事をした訳か。にしても悪魔じゃなさそうだし…… ゴーストでもない。……お前の正体はなんだ?」

 すると、ニールの問い掛けにクラウンよりも先に、ウィリアムが答えた。


「……貴方はトリック・スターですね? それも、魔力の強い上級魔物のトリック・スター」


「トリック・スターだって? レッド・データーブックにだって書かれてやしないよ…… はあ〜 呆れた! どれだけ奇人変人大集合だよ!」

 馬鹿にした素振りで、ニアが軽くクッションを殴ってみせた。


「Sランク希少種のお前がそれを言うな」

「えへへ~」

 照れた表情でクッションに顔を隠し、目だけでニアがニールを見た。


「で…… こいつどうする? 即処分するなら俺がするけど」

 ニールが聖書を持ち直し、片手で器用にページを開いた。


「ニール…… 処分って。確にイタズラはいっぱいしたかも知れないけど、誰も殺めちゃいないよ」

 シモンは慌てたように、ニールに言った。


「処分だって? アンタになんかに出来るもんか! ぼくはただ、クロエと仲良くしたかっただけだよ! それで出られなくなっただけだよ! 見逃して、二度と悪いことなんてしないから!」

 強く懇願するトリック・スターに、ウィリアムは重い口をゆっくり開く。


「そうですね、では、この姿見を処分致しましょう。それで貴方は彼女との契約を解除出来ます…… 彼女の想いがこの鏡に強く残っていますから、トリック・スター、それで良いですね」

「ダメだ! だったらオレは消えても構わない! その姿見だけは傷ひとつ付けるなよ! 傷ひとつでもつけてみろ、許さないからな!」

 目に色を変え、トリックスターは両手をぐっと握りしめ大声を出した。


「あらら…… 態度が急に変わっちゃったねえ」

 ニアは更に呆れた声を上げ、笑う。


「その姿見は…… 鏡は…… クロエの、彼女の宝物だ! とっても大事にしてたんだ! 唯一の救いだったんだ」

 トリック・スターは目を大きく見開き、ウィリアムに必死で言葉をぶつけた。


「そうですか…… わかりました。それではこちらで大事にお預かり致しましょう。ただし、約束が必要です。私とここで契約を結ぶならという条件で認めましょう」

 ウィリアムは静かに頷いてから戸棚から茶けた蝋の紙に箔押しされた契約書を取り出すと、指先をナイフで切りサインを書く。次にクラウン自らの血でサインさせた。

 ニールが最後に盃を両手に持ち上げ、ある言葉をトリック・スターに向かい呟く。苦しむ事もなく、悲しい笑顔で、スッとトリック・スターは姿を消した。



 悲しさと優しさを交えて、何も無かったように事務所の長い夜は幕を閉じた。


「……なんか呆気ないっていうか、意外な展開だったね」

 ニアは安心した顔とは裏腹にまた余計な言葉を言う。


「最初から気合入れすぎなんだよ! 色々準備したのに半分も使ってねえよ…… もったいねえ…… コレとかどうすんだよ!」

 ニールは革の袋から大量の怪しげなモノをテーブルの上に色々と次々に出し並べると、確かめるように弄り、残念そうに眉尻を下げ微笑む。その中からひとつ選び、ニアに向かって怪しげな小さな袋を投げつけた。


「くさっ! ニール! コレ、匂袋でしょ!」

「ガキンチョの悪霊退散~」

 ニールは指を一本突き立て、ニアにその指を指す。 


「誰が悪霊だよ! ボクみたいな天使チャンになんてこというの! 謝れ!」

「やなこった! 俺が天使の端くれ~! ネフィリムちゃーん!」

 ニアは眉を片方だけ上げ、瞼を引くつかせて、袋をニールの顔に向かって思いっきり投げつけ一目散に逃げていく。


「クソ堕天使~」

 その後を追いかけるニールの姿をシモンは目で追いながら、溜め息を吐いた。



「僕は、結局今回も何も出来なかった……」

「終わった事は、振り返り見直さなくていいのですよ? 貴方が居ることでニアはいつものニアで居られるのです」

「でも……」

「貴方は、まだ始めてばかりの子供のようなものです。焦ることが危険な結果を招く時もあるのですよ」

「……はい」

 ウィリアムの言葉は真摯に胸に受け止めるが全てが納得いく訳もなく、あの時ニールにもらった革の袋をシモンは強く握りしめた。


「……さて、みなさん。私の知り合いの店がまだこの時間に開いていますが、お腹空きませんか? ニア? あなたの好きなチャイニーズのお店ですよ? しかも特別な個室です」

「え……ホント? ウィリアムさん! 行く! 行きたい! 今すぐ行こう!」

 今までの表情が嘘のように晴々した顔で、その場でニアは小躍りをする。


 そうして騒がしい夜はゆっくりと青と紫の色をつけ明けてゆく。


 *****



 明け方に僕らは満足感と、ひとときの幸せを噛み締めるように探偵事務所に帰ってきた。


「はあ~! もう幸せ~! また行きましょうね! ね? ね? ウィリアムさん」

 ウィリアムの腕に、腕を巻きつけるようにしたニアはご満悦で、ぴょんぴょんと跳ね歩く。そんなニアの顔を見るウィリアムも幸せそうに微笑んでゆっくりとした歩幅で歩いた。


「なかなかの良い店で、なかなかの良い酒だったな~」

 ご機嫌でふらふら千鳥足で歩くニールの肩を掴み、シモンは背を押す。


「ニール…… 飲みすぎだよ」

 そう言いながらもシモンも実は楽しかった。事務所の鍵をウィリアムが開け、「楽しかったのは結構ですが、まだ片付けが終わっていませんよ。明日からの仕事に支障が出ます……」

 珍しくウィリアムが溜め息を大きく吐く。そして、鍵を差し込み重い扉を押し開けてウィリアムの動きが止まる。


 開けた扉から、ふわりと部屋に風が吹き入ると、真っ白い羽毛と羽根が綺麗な弧を描くように大量に舞い上がる。そして眩しくキラキラと輝くモノが中央に見えた。

 後について部屋に入ろうとしたニアが、ウィリアムの背中に顔を思い切りぶつけてた。


「……んがっ! ウィリアムさん急に止まんないでくださいよ!」

 そう大声を上げ、ウィリアムの脇から器用に通り抜け、一番乗りで事務所に入ったニアがその光景を見て苦笑いをした。



「みなさま、おかえりなさいませ。お部屋はワタクシが綺麗に致しましたよ」

 消えた筈のトリック・スターが、先程とは全くの別人の醜悪なクラウンではなく。二十代後半くらいの成人男性の綺麗に整った顔。そして、細身の上品なデザインの黒いスーツに身を纏い、手袋を着用し、手を胸にあて頭を深々と下げた。

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