第58話 天狗の指輪 ふたつ目 中編

 だからこそ一歩踏み出すのにも余計ない力が入らないようにゆっくり歩いている。


 そんな時、前しか向いていない私の背中に何か冷たい刺激が走る。驚いた私はつい声を上げてしまった。


「うわっ!」


「ど、どうしたっ?」


 突然の大声に先行していたキリトもびっくりして振り返る。私は驚かせてしまった事を謝った。


「ごめん、天井から水が落ちてきただけみたい」


「何だよ、脅かす……ちょっと待った」


 キリトはそう言うと私に黙るようなジェスチャーをして耳を澄ます。何か異常事態が起こったと察した私はその真相を尋ねた。


「え?何?」


「ヤバい、崩れる!」


 そう、彼が気付いたのは遺跡の崩れる前兆だった。このまま行けば後数秒で遺跡の崩壊が本格的に始まる。一刻を争う事態の中で当然のように私はパニックになっていた。どうしていいのか分からずにその場にしゃがみこもうとする。


「うそおおお!」


「こっちだ!」


 しゃがみかけた私の手を取ってキリトは走り始めた。多分じっとしていたら生き埋めになると本能が叫んだのだろう。私はそんな彼に引っ張られるまま遺跡の奥へ奥へと走り続けていく。

 そうして間もなく遺跡の崩壊は始まり、私達が入って来た入口あたりの通路は全て埋まってしまった。あのまましゃがみこまなくて良かったと私はホッと胸をなでおろす。


「はぁ、見事に崩れちゃったね」


 遺跡のかなり奥まで走って来て生き埋めになるのだけは免れたものの、これから先の事を考えると気が重くなってくる。無事に帰れるのかとか、無事に帰れるのかとか――頭の中はそれだけで思考が乗車率300%になっている。


 この状況の中でキリトは私を安心させようと、冒険モノの物語でお馴染みの指を濡らして風を確かめる仕草をする。


「大丈夫、風は吹いているみたいだ。つまり、他にも出口はある……はず」


「人が通れるような出口だといいね」


 風なんて隙間があれば吹いてくる。その隙間が人間の通れる大きさとは限らないと、私は折角のキリトの気遣いを無駄にするような口を聞いてしまう。

 これも私が悲観的になり過ぎた故の反応だったんだけど、この言葉を聞いた彼は沈黙してしまった。ああ、言い過ぎちゃったかな……。


 しばらくはそこで遺跡の床に座って様子を見ていたんだけど、どうやら崩落も収まったみたいなので私は今後の事についてキリトに質問を投げかけた。


「でもどうしよう、これから」


「道は一本きり、進むしかないな……」


 彼はそう言うと立ち上がり、歩き始める。仕方がないので私もすぐに後を付いていった。遺跡の通路は思ったよりも長く、どこまでもどこまでも続いている。

 通路は大昔に作られたもののようで、勿論照明は備え付けられていない。それでもここは真っ暗ではなく、不思議と前を見る事が出来ていた。私は歩きながらふと気付いた事をそのまま口にする。


「でも不思議だね。何で密閉されていて前が見えるんだろう」


「妖怪に反応している……とか?」


 この質問にキリトは彼らしい見解を述べる。その回答を聞いた私は驚いて聞き返した。


「え?じゃあここは妖怪が作った遺跡?」


「この中に天狗のお宝があるなら天狗が作ったものかもな」


 そう得意気に話すキリトの説を私は何ひとつ疑う事なく受け入れる。何故なら不思議とその言葉に説得力があったからだ。


「へぇ、天狗って器用だったんだねぇ」


「何しろ妖怪の長だからな」


 彼の天狗への心酔具合は前から知っていたけど、今回はさらにそれが強くなっているように感じる。私もその流れに乗っかって言葉を続けた。


「じゃあ、天狗文明とかあったりして」


「かもな」


 そう返事を返すとキリトは機嫌良く前を歩いていく。よっぽど天狗と関わりのあるこの遺跡が気に入ったのかな。


 遺跡はその後もぐるぐると蛇行しながら、一向にその道の到達点を見せなかった。段々歩くのにも飽きて来た私は黙々と前を歩く彼を少しからかってやろうと企む。ちょうどいい具合に道の先に少し大きな部屋があったので、そこの壁にもたれかかかると背中の壁をコンコンと手の甲で軽く叩いた。


「で、この手の遺跡にはこう言う壁に壁画が描かれてあって、謎が隠されているんだよ」


 勿論この時私はこの壁に壁画が描かれているなんて事は知らなくて、ただちょっとした悪戯心で冗談を言っただけだった。

 けれど、振り向いたキリトは目を見開き、急に態度を変えて声を震わせる。


「おい、それ……」


「え……?」


 まさかただの悪戯がここまで効果をもたらすとは考えにくく、彼がここまで動揺するその理由を私はすぐには理解出来なかった。

 私が唖然としていると、意味を理解していないと気付いたキリトが手招きをする。


「こっちに来て見てみろ」


「何?何が見えるの?」


 招かれるままに歩いた私はそこで振り返って、彼が見ていたものと同じものを目にする。そこから見えたのは壮大な壁画だった。冗談で言った事が本当だったのだ。


 壁画を見ると、羽の生えた生き物が沢山空を飛んでいて、その中央には大きな木が生えている。中央の一番上に描かれているのは太陽だろうか、あまねく光が照らすようなそんな描写をしている。うまく言葉に出来ないけれど、とにかくその壁画の訴えかけるエネルギーの熱量はとんでもなかった。


「うわあ……すごい」


「この絵、何か意味があるのかもな」


「壮大な歴史を描いているのかも」


 私が壁画の圧力に圧倒されてヨロヨロと後ずさると、そのまま後ろの壁にぶつかって、その影響からか部屋に地震のような振動が発生する。


「うわっ!」


 本物の地震かと勘違いした私が頭を抑えてしゃがみ込むと、その後すぐにその振動は収まった。恐る恐る顔を上げると、またしてもキリトが呆然とした顔で私の背後の壁を指差している。気になった私が振り返ると、そこにさっきまでなかったものが目に飛び込んで来た。


「か、隠し扉?」


 どうやらさっき後ずさった時に何かのスイッチを踏んだかどうかしたらしい。いつの間にかそこには隠し扉が出現していた。この状況に対し、最初私達は軽く混乱する。

 けれどきっと何かがその奥にあるに違いないと私達は判断して、この扉を開けてその先に進む事にした。


 扉を開けたその先にあったものはそれまでの遺跡の風景とは全く違うものだった。この風景を前に私は思わず目に映ったものをそのまま口走る。


「天狗の銅像が並んでる……」


「やっぱりここは天狗の遺跡だったんだ」


「天狗文明の遺産だね」


 そこにあったのは大きな奥行きのある広間で、その両脇にズラっと天狗の像が並んでいる。その像は威厳のある顔をしており、腕を組んで仁王立ちのポーズを取っていた。今にも動き出しそうなその造形に私達は圧倒される。

 この部屋自体、ひと目で見渡せない程に大きく、まるで奥に導くように不思議な明かりが続いていた。これまでこの遺跡に明かりなんてなかったのに。


「それにしてもいわくありげだね」


「行くか」


 この部屋の無言の誘いに私達は乗る事にする。鬼が出るにせよ、蛇が出るにせよ、ここまで来たらその先に進むしかない。辺りを警戒しながら一歩一歩踏みしめるように先に進む。

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