GOOD DAYS

――2005年10月21日。




 潤の十八回目の誕生日を迎えた放課後。


「杏季。生きてる?」

「寝不足三日目……」


 元気のない杏季は、よろりとふらつき足取り頼りない。顔には昨日よりも更に色濃くなった隈が浮き出ている。裕希は気の毒そうな眼差しで彼女をのぞき込んだ。


「何。昨日は畠中の説得?」

「ううん。はったんは、何故か昨日の夜に来ること納得してくれたんだけど、つっきーに捕まって相手してた……」

「頑張ったな……」


 目をこすりながら杏季は欠伸をかみ殺す。ついでに本日の英語にて居眠りをしていたことが女帝に見つかり、特別に課題を出されたことを思い出して、杏季は悲壮な面持ちで顔を覆った。




 彼らは今、舞橋女子高校近くのいつもの公園で潤の到着を待っている。現在この場にいるのは、奈由と杏季、裕希と葵に京也。そして春の六人だった。

 潤がいないのは、当日になって来るのを拒絶したからではなく、単に彼女が掃除当番だったからだ。待っていても良かったが、公園に着くまでに二人が顔を合わせるのも気まずいだろうとのことで、一足先に待ち合わせ場所に来ているのだ。


 杏季と裕希が話す他は、彼らの間にはどこか緊張した空気が漂っており、言葉少ない。

 長く感じられた待ち時間が過ぎると、やがて遠くから軽快な足音が聞こえ、潤が駆け寄ってきた。


「はったん!」


 少し身構えた春を余所に、彼女の前にたどり着くなり、潤は親指でびっと自分を指し示す。


「私を殴れ!」

「……はい?」

「悪かったって言ってんだよこの変態!」


 謝る気があるのかないのか分からない口調で、しかし潤は気まずそうに春の顔は直視できないまま続ける。


「……言い過ぎたよ。謝る。

 けど、私だって色々言われたし、その所為でかなり悩んだりしたし。でもきっとそれは、はったんも同じなんだろうしさ。

 だから、この件はお互い様だから。一発、思い切りぶちまけてチャラにしよう」


 彼女の発言を唖然と聞きながら、杏季は疑いの眼差しを奈由に向けた。


「……なっちゃん。つっきーに何か吹き込んだ?」

「本当にやると思わなかったわあの単純タラシ」


 しれっと奈由が言った。

 青春ドラマよろしくな和解の申し出は、案の定、彼女の入れ知恵らしかった。


 潤はおずおずと顔を上げて、春を正面から見つめる。どこか照れくさそうな表情を誤魔化すように、彼女はぐっと拳を握った。


「でも殴るとかして怪我させたら嫌だし、女の子殴るなんて出来ないから、一発ずつ相手に理術ぶつけるってどうよ。あ、でもはったんは開眼してるし後遺症が残らない程度で頼む!

 これで全部、今までのことはチャラな」

「……お前らしいなぁ」


 ついに春は破顔して、表情を緩めた。堪えきれずに笑い声をたて、彼女は目尻の涙を拭いながら頷く。


「分かった。けど服が濡れると面倒なので顔から上でよろしく」

「よしきたヒャッハー!」


 そう叫ぶなり、潤は右手を広げる。

 途端、彼女の手から勢いよく水流がほとばしった。見れば、彼女はちゃっかり補助装置を手にしている。

 直撃した水は、容赦なく春の頭から襟元を濡らした。髪とメガネからぽたぽたと水滴が滴り落ちる。


「……派手にやってくれたなタラシ。

 次はこっちの番だ!」


 メガネの水も拭わぬまま、間髪入れず春は両手を広げる。次の瞬間には潤の全身をまばゆい電撃が襲い、彼女は短く悲鳴をあげた。

 うずくまり、顔をしかめながら潤は舌を出す。


「キタわ……久々にはったんの電撃キタわー……!」

「手加減してあげたんですからねー?」

「それでも痛いもんは痛いからね!

 ってかよく考えたら、雷と水だし、開眼済みと開眼前だし、圧倒的に私のが不利じゃない!?」

「言い出したのはそっちだろうが」

「そうだった!」


 二人は顔を見合わせる。

 そして同時に吹き出し、一緒になって笑った。


「ったく。心配させやがって」

「男の喧嘩みたいだな」


 現場には立ち合っていないといえ、奈由や杏季から逐一状態を聞いていた京也と裕希は、それぞれ感想を持らす。何も言わなかったが、葵もまたほっとしたように息を吐き出した。


 男性陣の横をすりぬけ、音の鳴らない拍手をしながら、奈由が静かに二人の側に歩み寄る。


「何にせよ。よかったですねぇ、二人とも。

 という訳で」


 しゅるり、と二人の足首へ、にわかに地面から生えた蔓が巻き付いた。

 瞬きして、潤と春は自分に絡みついた植物をきょとんと眺める。


「……なっちゃん? これは?」

「貴方たちの喧嘩で迷惑被こうむったのは、当事者だけじゃないんですよ?」


 にっこり、という形容がすこぶる似合う笑みでもって、奈由は爽やかに二人へ告げた。

 足に絡みついた植物は尚も伸び、二人の全身を拘束する。


「私とあっきーはじめ、うちらに散々心配をかけたってこと。二人ともよくよく肝に銘じてくださいね。

 さあ、あっきー」

「はぁい」


 眠気を振り払い快活に返事すると、杏季は空に手を差し伸べる。何かを呼び寄せるように指先で虚空を手繰ると、彼女の手元には件の長い杖が現れた。

 ぱしりと慣れた仕草でそれを掴み、杏季は杖を一振りする。


「かもーん、まーいふぇろー!」


 ぽん、と軽快な音とともに煙が吹き出した。

 やがて視界が晴れると共に、その場に現れたのは。



 潤の前には、タコ。

 春の前には、大柄なゴールデンレトリバーだった。



「ぎええええええええええええええ!?」

「うぎゃああああああああああああ!?」



 潤と春が血相を変えて、本気の悲鳴を上げる。


「ちょちょちょちょおまマジ何考えてうおおおおおおい貴様十歳児!!!」

「待て待て待て待てやめてよして引っ込めてあっきー助けてマジやめて!!!」


 タコが潤の足下へ絡みつき、ゴールデンレトリバーはしっぽをぶんぶんと振りながら春へじゃれつく。

 だが春は「ヒッ」と喉を鳴らし、身を捩った。


「ちょっと! マジで! 犬! 除けて!!!」

「チビはおとなしくて可愛いのに」

「この馬鹿でかい犬にそんな酔狂な名前を付けたのはどこのどいつだよ!?」

「田中さん」

「誰だよ!!!」


 ほとんど怒号に近いつっこみを入れながらも、春は涙目になりながら身を縮める。

 潤は潤で、絶えず奇声をあげながら、必死にタコを振り払おうとしていた。だが、奈由の蔓が邪魔して足をまともに動かすことすらままならない。「うああああああ」と声にならない声をあげ、彼女はぶんぶんと首を振る。


「もうヤダ本当気持ち悪い何でこんな意味の分からないイキモノが存在するの本当意味わかんないマジで嫌だ本当意味が分からない本当に頼むから雲散霧消しろ」

「こんなに美味しそうなのに」

「あっきー。観点が違う」


 冷静に奈由がコメントした。

 混乱極める二人を見回し、奈由は両手を腰に当てる。


「ま。こんなところでいっか。あっきー、戻したげて」

「はーい」


 言うなり、またポンと音を立てて、タコと犬は消えた。

 同時に蔓も解かれ、二人は力なくその場にへたり込む。先ほどの理術より、よっぽど二人に効いたようだった。


「さて。二人とも、何か言うことは?」

「ご迷惑をお掛け致しました!!」

「よろしい」


 深く頷き、ようやく奈由の制裁は終わった。

 楽しそうに顛末を眺めていた裕希が茶々を入れる。


「意外。タコとか別に怖くないじゃん」

「ぐにゃぐにゃしてて面白いし美味しいのにね」

「犬可愛いじゃん」

「犬可愛いのにねー」

「うるさい小さい頃に追いかけられてから私は巨大な犬が苦手なんだよ!」


 まだ涙目の春が、暢気に話す裕希と杏季にかみついた。潤などは無言でへたり込んだままだ。


「ふうん。まあ苦手なものは人それぞれか」


 無難な感想を漏らして、裕希は杏季に尋ねる。


「杏季は苦手な動物とかないの?」

脊椎せきつい動物なら大抵好きだよ。虫さんとはそこまで仲良くないんだけどね」

「虫が駄目なのか」


 納得しかけるが、横から奈由が付け加える。


「でも、あっきーは真顔でゴキブリ退治できるよ。寮に出たときは、可哀想とか言いつつなんだかんだあっきーが退治するもん」

「強ェ……」


 感嘆を込めて裕希が呟いた。

 あらゆる生き物に対する一定の耐性がなければ、古属性は努まらないのかもしれない。


 ようやく衝撃から回復した潤と春は、疲労感を滲ませて立ち上がった。埃を払いながら、気を取り直して春は言う。


「じゃ、行きましょうか。精神年齢はあっきーの次に低いのに、うちらの中で二番目の十八歳になったつっきぃおめでとう祝い」

「お前、仲直りしたんだよね?」


 訝しげに潤が春を見つめた。「勿論ですよう」と冗談めかして言うと、春は両手を伸ばして潤に絡みつく。


「いやぁ、喧嘩中はタラシの鎖骨もうなじも手の甲も堪能してなかったからねえ。今日はたっぷり全身を補給しなきゃ」

「やべえ仲直りした方が私危険!?」


 思わず潤が後ずさる。

 が、春の行動に待ったをかけたのは別の人物だった。


「こら。止めろ」


 とん、と春の頭に軽い衝撃が走った。一瞬遅れて、春は今、手加減された力でもって手刀で叩かれたのだと気付く。

 彼女の横では、潤がぽかんと後ろに立つ人物を見つめていた。


「いくら仲良くても往来でやるんじゃねえ。そもそも一応、俺たちだっているんだぞ。

 お前はもう少し言動に慎みを持て」


 呆れたように春を見下ろした葵は、やれやれとため息をついた。

 少しの間、言葉を失ってから、春はにかんだような笑みを浮かべ、小声で「はーい」と返事する。


 息を呑んでしばらく固まってから、杏季は隣の裕希を仰ぎ見る。


「……何これ。ゆうくん、どういうこと。何かあったの」

「知らない。何だこれ。月谷たちの喧嘩よりよっぽどヤバいんだけど。京也、何か知ってるか」

「いや僕が聞きたいんだけど。あの純情無垢な葵はどこいったんだ」

「聞こえてるぞ貴様ら」


 ひそひそと話す三人へすかさず告げて、葵が睨みを効かせた。次いで彼は三人へ真っ直ぐに人差し指を向ける。


「今後、今みたいな挙動をしたら、例えそれが白原であったとしてもデコピンをお見舞いするから覚悟するように」


 三人と同様に呆然とし、あんぐりと口を開けたままだった潤が控えめに尋ねる。


「……アオリン、キャラ変わった?」

「変わってない」


 言うが早いか葵はきっぱり返答すると、腕組みして全員を見回した。


「変わったのは、素の俺を出す適用範囲だ。一応これでも、俺は月谷にだって遠慮してたけど、これからはもうお前らにゃ一切容赦しねえからな」


 何が起きたのか理解できずにいる面々が戸惑いを隠せずにいる一方、一人だけなんとなく事情を察した奈由は、嬉しそうに両手で口元を覆った。


「思いがけない副産物……!」

「黙れ草間」


 低い声で牽制し葵は睨むが、奈由はどこ吹く風だ。女子の中で、何だかんだ葵の扱いは彼女が一番慣れているようだ

 にやにや笑みを浮かべながら、潤が「ほほう」とこくこく頷く。


「まさかのアオリンがここにきて別の意味で開眼するたぁ」

「はい月谷貴様アウトな」

「いってっ!!」


 早速目を付けられた潤がデコピンを受け、彼女は悲鳴を上げて額を押さえた。反応からして、結構痛かったらしい。




 がやがやと騒がしいまま、彼女たちは移動を開始した。

 道中、潤と春の喧嘩について蒸し返したり、葵へちょっかいを出したり、反撃を受けたり。思い思いの言動をしながら、会話が踊る。

 平和な、いつもの日常だ。


「でも、とにかく二人が仲直りして良かったねえ。私も今日はようやく眠れるよ」

「そうだね」


 心底ほっとした声音で、にこやかに言った杏季に同意して。

 奈由は、静かに微笑んだ。




「本当に。よかった」






+++++




「うちのバカが悪かったな」

「いえいえ。いつものことですし? それに、バカにかけられてる迷惑は」


 ちらりと彼女は傍らに立つ男を見上げる。


「圧倒的にこっちのバカのが多いですからねぇ」

「心外だな。……と言いたいところだけど」


 彼は珍しく、沈んだ様子で繋げる。


「……そうだな。本当に」

「何。らしくないよ」


 やや不満げな表情で、奈由は拗ねたように口を尖らせる。


「いいんだよ。私がやりたくてやってるだけなんだから」

「それでも。お前のところに行く前に、俺が片付けときたかったんだけどなあ。……もっと、上手いことやればよかった」

「お生憎様。あれで誤魔化せる訳がないでしょう」

「確かに、奈由を出し抜こうとしたのが間違いだった」


 しみじみと言うと、真面目な表情で彼は奈由に向き直った。

 つられて奈由も真顔になる。


「……本当にいいのか」

「今更。帰れと言うの?」

「いや。言わないよ。帰れって言ったって、俺の女の子は素直に帰ってくれそうなお姫様じゃないからな」

「よく分かってるじゃないですか。

 どこまでもお供しますよ、マイステディ?」


 ふざけた彼女の台詞に薄っすらと笑みを浮かべると。

 彼はうやうやしく彼女に手を差し伸べる。


「じゃあ、行こうか。俺のマイステディ」


 恵は、誰かを思わせるような悪戯めいた表情で、にっと笑みを浮かべた。




「いっちょ、世界を救ってきますかね」

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