杖生活初日①


『……頭が痛くなってきた』

「きっと直ぐに慣れるわよ。あのくらい普通だから」


 彩香に背負われている奏良がそう言う。きっと体があれば頭を押さえながら言っていただろう。

 裏の世界、魔法使いたちの世界だと言うから、ファンタジーらしくヨーロッパ風の石畳の町を奏良は想像していたのだが、予想に反して異庭領域の外観は表の世界とほとんど変わらなかった。

 ただ、頭を抱える理由はそんな事も気にならない程の光景が他にあったからだ。

 ……人が空を飛んでいたのだ。魔法の存在があるのだから別に空を飛ぶくらい不思議でもないのかもしれないが、やっぱり実際に見るとびっくりするものだ。開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのかと思いながら、ただただ感心していた。……口などないのだけれど。

 ちなみに彩香は徒歩だ。「なんで、あんたは飛ばないんだ?」と聞いたところ、「だって、目立つの嫌だし」と実に冷静な言葉が返ってきた。もっともな話だ。


「着いたわ。ここが私の通う学校よ!」

『へえ、ここが。なんというか、大学でもここまで大きくないんじゃないか?』

「表の世界と違って、こっちの学校は小中高と別れてないからね。その分、一つの学校を大きくできるのよ」

『なるほど、ね』


 彩香が足を止める。目的の場所を見て、奏良は率直な感想を言った。

 見渡す限りにその敷地が広がるその施設は彩香の通う学校だった。もちろん魔法使いである彼女が通う学校が普通であるはずがない。学校は学校でも、一般教養や通常の科目をこなしつつも魔法の鍛錬に重きを置いた魔導学校だ。まあ、異庭領域の学校は全てその魔導学校なわけだが。

 要するに普通の登校である。とはいえ、主人マスターが外出するなら杖を携帯するのは自明の理。これからずっと続くだろう杖としての人生の始まりだ。


 正直に言えば、今でもふざけるな!と言いたくなる。なにより、家に一人残している妹の事が心配だ。叔母さんがいるから生活に関しては大丈夫だとは思うけど、自分の事で妹に心配をかけていると思うと、とても胸が痛くなる。

 失踪か、行方不明か、それとも家出だろうか。自分の行方は何らかの形で偽装工作が行われているらしいが、そのどれでも彼女は心配するのだろう。せめて生きていることだけでも(今の状態を生きていると言っていいのかは甚だ疑問だが)伝えたいが、それも叶いそうにない。


「さあ、行くわよ、ソラにはドンドン働いてもらうんだから!」

『わかりましたよ魔女様。どうぞ好き勝手にお使いやがれってんだ』

「むぅ、そんなにやさぐれないの。こっちまで暗い気分になっちゃうわ」

『へーへー』


 そんなことを考えながら、奏良は半ばやけっぱちな気持ちで返事をするのだった。




 様々な人の注目の視線を浴びながら、彩香はそれを気にもしてないかのように悠然とした足取りで教室へと向かう。背では見た目からは分からないが、奏良がすっかり萎縮しきっていた。


「あら?おはよう。彩香。もう大丈夫なの?」

「おはよう、ゆかり。もう平気だよー。昨日は色々と心配かけてごめんね」


 彩香が教室に入ると、扉の近くの席に座っていた一人の少女が親し気に話しかけてきた。それに同じようにフレンドリーに返す彩香。

 会話の内容についてはよく分からない。深く考えることは止めて奏良は口を開く。


『……え、お前、友達いたの?』

「いくらなんでもそれは失礼じゃないかしら!私にだって友達の一人や二人くらいいるわ。ソラは私をなんだと思っているのよ!」

『ん~と、性悪でロクデナシの外道魔女、か?』

「ぐぬぬ……何もそこまで言わなくたっていいじゃない」


 それならもう少し良識のある発言をしろ、という言葉は寸でのところで飲み込まれた。


「……貴方が。そう、成功したのね、彩香!」

「当然よ。失敗なんてするつもりなかったもん」

『っ!アンタもグルか。魔法使いってのはクズしかいないのかよ』


 少し呆然とした様子で、二人のやり取りを見ていた結が口を挟んだからだ。それを聞いた奏良は自分が杖になってしまったことに彼女も関係していたと判断した。

 対する結はキョトンとした顔をした後、何か思い至ることがあったのか、「ああ、そういうことね」と呟いて彩香に尋ねた。


「……彩香、もしかして貴方、何も言ってないの?」

「う、だって言ったって仕方のないことだし……」

「まったく、仕方ないんだから……ねえ、杖君」

『……なんだよ』

「私は三枝さいぐさ 結。この子の親友。……突然こんなことになって、困惑しているのはわかるのだけれど、できるだけちゃんと色眼鏡なしでこの子を見てあげて」

『コイツを?あんたらにとって、いい奴だったとしても、俺みたいな一般人にとってはあんたら全員ただの人でなしだ。いくら無理やり従わせられてもその評価が変わることはないね』

「私たちが人でなしなのは認めるけど……う~ん、こればっかりは実際に見て判断してもらうしかないか。こんなことを言うのは本当に身勝手だと思うけど、私たちと違って、彩香は本当に優しいんだから。もし、その目で見て、彩香をマスターとして認められたのなら、男の子らしくちゃんと守ってあげて。……あ、でも彩香はあげないわよ」

『……はあ。まあ、もしかしたら、そんなこともあるのかもな。どうせ、これから先も無理矢理付き合わされるだろうし、コイツがどんな奴かはそのうち分かるだろ。あと、別にこんなのいらないです』

「本人の前で、そういう話はしないで欲しいのだけど……!」

「そういえば、今日は先生に呼び出されていたわ。先に行かなくちゃ。後は任せるわ、杖君。彩香のこと、よろしくね!」


 どうやら、大勢の人の前で自分に関する話をされて、恥ずかしさからイライラとしているようだ。結は彩香の不機嫌そうな顔を見て、そそくさと教室を出て行ってしまった。


「……あんたもあんたで、好き勝手言ってくれたわね……!」


 当然のように矛先は奏良に向く。足がないので逃げることはできない。


『あー……ほ、ほら、俺、別に間違ったこと言ってないし……』

「えいっ」

『おふっ⁉おま、柱に、叩き付けるのは、やめっ!地味に痛いからっ!』

「ソラはもうちょっと!女の子に!気を使った方が!いいと!思うのよっ!」

『調子こいててスイマセンでしたご主人さまあああ!!!』


 開き直った態度をとる奏良を彩香は柱に振り下ろす。

 周囲の人間は彼女の奇行を呆気に取られた様子で眺めていた。結局、教室に先生が来るまで彼女の機嫌は直らなかった。




『……なんで、そんなにふくれているんだよ』

「当然でしょ。あんな大勢の前ではしたない真似晒したんだから……ソラも気づいていたのなら止めてよ」

『いや、俺はやめてくれと何度も……いえ、何でもありませんよ?マスター。全部、俺のせいですから、ハイ』


 授業の中、ふくれっ面をしている彩香に小声で奏良が話しかける。どうやら先の事をまだ気にしているらしい。

 一方、会話を切り出した奏良は彩香よりも熱心に授業を聞いていた。それもそのはず、目の前で行われていたのは魔法の授業だったからだ。


「熱心ね。こんなの聞いてて楽しいの?それとも少しでも私を助けてくれようとしているのかしら?」

『んなわけねーだろ。ただ元の姿に戻る方法を自分なりに探してるだけだ。アンタが元に戻してくれるとは思わないからな。なら自分でなんとかするしかないだろ』

「ふーん、杖が魔法を使えるようになるとは思わないけどねえ……」

『そうなのか?今はこんなだけど元は人間だったんだし、できない理由なんてないと思うんだが』

「そんな気楽な気持ちで魔法が使えるなら、私たちは人間を生贄にした杖なんて使わないわよ。魔法の才能はほぼ遺伝で決まるわ。魔法使いの中にも杖を使わなければ魔法を発動できない人だっているのに、表の世界に住んでいた一般人のソラに魔法の素養があるわけないじゃない。それに杖は主人の魔法をサポートすることだけのためを考えた魔法道具よ。もう既に、その体は人間としての機能はほぼ全て失われているわ。当然、人間と同じように魔法を使うなんて無理ね」

『……それでも、だ』


 自分の置かれている状況が最悪なのは百も承知だ。だからといって、諦めるわけにはいかない。人間と同じように魔法が使えないのならば、別の方法を探せばいい。そのためにも魔法の知識は必要だ。論理さえ理解できれば別の視点から物を見ることもできるだろう。


「ふふ、まあいいわ。ソラにやりたいことができるのは、私も望む所だもの。精々頑張って、悪い魔女から逃げ出してみせなさいな」

『言われなくとも。とっととこんな地獄抜け出してやるさ』


 微笑ましいものを見るかのようにやんわりとした微笑を浮かべる彩香を覗き見た奏良は、安堵混じりの余裕ぶったその表情からどうせ無理だとバカにされているなと思い、絶対に見返してやる!と決意を新たにした。




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