清らかな乙女
藤家 冬葵
第1話 清らかな乙女・壱
すべては、
***
私の澄子お嬢様は盲目の方でした。
生まれた時から盲目で、穢れなど何一つ見たことのない方でした。
その容姿も美しく、赤子のように無垢な心を持っていらっしゃる澄子お嬢様は、私が想像する清らかな乙女そのものでした。
光り輝く、黒い髪。
傷一つない、白い肌。
控え目な、赤い唇。
そして、盲目であるがゆえの、あの無垢な瞳。
今までも、これからも、何も映すことのないあの瞳に私は何度、吸い込まれそうになったことか。
その度に、何度、私があの瞳から目を逸らしたことか。
澄子お嬢様が私を見ようとして下さることは嬉しいことですが、私なんかが澄子お嬢様の一部となってしまったら、清らかな乙女である澄子お嬢様は一瞬にして、穢れてしまいます。
私は、澄子お嬢様の使用人です。
十二の時に、澄子お嬢様がいらっしゃるお屋敷へ来ました。
その時、澄子お嬢様は十三でした。
私は年頃のお嬢様の使用人兼話し相手として、雇われたのです。
私は貧しい家の出でしたが、誰かに仕えるのは初めてのことでした。
初めての奉公先のお嬢様が盲目だと知り、真っ青になりました。
貧しい家は病などを持っている人を家に置くことがなく、口減らししてしまうからです。
ですから、病などを持ってしまった人が生きる苦労を知らない盲目のお嬢様に、目に見える世界のことを質問攻めにされ、答えられない無知な私は一日で仕事を失うのだと覚悟しました。
ですが、今まで生きてきた中で最も質の良い着物を使用人服として着せられた私が案内された部屋にいたのは、清らかな乙女である澄子お嬢様でした。
清らかな乙女である澄子お嬢様は、私に何もしませんでした。
ご両親が盲目でも、この先一人で生きていけるようにと、目が見えなくても出来ることは全て教え込んでいたのです。
私は澄子お嬢様の小さな失敗を黙って直すだけでした。
これは、これで寂しいことです。
澄子お嬢様が盲目のため、私の存在をあまり認知していないのは分かっていましたが、名前を一度も呼ばれないのは、そこに存在していないのと同じですから。
ですから、澄子お嬢様が時々、琴を弾きながら楽しそうに小さく笑っているのを見て、もしかしたら、見えない目で、どこにいるのか分からない私に笑い掛けてくれているのでは、と何度も淡い期待を抱きました。
そんな、ある日、盲目である澄子お嬢様が危ない足取りで障子へ駆け寄りました。
いつもなら考えられない程の乱暴な手つきで障子を開け放ちました。
外は、生憎の雨でした。
私は雨が部屋に入らないよう、澄子お嬢様に声を掛け、障子を閉めようと思いました。
その時。
「わたくし、雨が一番好きなの!」
あの澄子お嬢様が、あの瞳で、嬉しそうに私なんかに笑い掛けて下さったのです。
私はあまりのことに障子から吹き込む雨の中、澄子お嬢様と立ち尽くしてしまいました。
それから、澄子お嬢様は、よく私の名前を読んで下さるようになりました。
私のために琴を弾いて下さるようになりました。
筝曲の途中で、澄子お嬢様は私に雨が好きな理由を話して下さりました。
「晴れは、盲目のわたくしには眩しいだけで、つまらないわ。曇りは、盲目のわたくしには真っ暗で退屈だわ。でも、雨は楽しいの。盲目のわたくしの耳を雨音で賑やかいにしてくれて、盲目のわたくしの鼻に草の匂いを届けてくれる。ねえ、雨は楽しいでしょう?」
正直に言うと、私は雨が嫌いでした。
雨が降れば、沢山の洗濯物が乾きません。
布団だって、干せません。
言い付けられた買い物を済ませるのも一苦労です。
それに、私自身の手入れの行き届いていない髪が余計に見苦しくなるので、私は雨が嫌いで堪りませんでした。
それでも、澄子お嬢様の一言で私は雨が好きになりました。
また、雨の音に似ている琴やピードロ、ししおどしを澄子お嬢様が好きだと言ったので、私も好きになりました。
それから三年の間、私は澄子お嬢様と共に雨の日を楽しみに待ち、雨の日を楽しく過ごしました。
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