結論 鈍器系男子の運命論


「なんで千花ちゃん、教えてくれないの!!」

「さっきの数学の宿題なら教えてあげたでしょう?」

「それじゃない!」

「五限の古典の予習しわすれたの?六限の英単語?もう、きっちゃんは仕方ないなあ」

「それも教えてほしいけど!違うの!」

「教えてほしくはあるんだね」


 いつもの昼食会。

 いつもより違う気がする、それでもいつもの昼食会だ。

 紀子の表情は、頬を目一杯に膨らませて不服を主張していて、絵里子はいつも通りの態度で傍観者だ。

 千花も絵里子のように傍観者で居たかった筈なのに、いつだって千花は当事者になってしまう。それは自分のせいだったり、でも、いつだって周りのせいだったりする。

 溌剌とした紀子の声は、教室に響きわたる。室内のクラスメイトは、またあいつ等かと楽しそうに傍観してくる。いつから千花たちはお騒がせ三人組になったのだ。


「なんでGWのお話してくれないの!?」


 また、この話題か。

 胡乱な目で紀子を見つめても、強い意志で見つめ返されてしまう。

 誤魔化そうにも許さない雰囲気は非常に煩わしく、話せば話すほど、面倒な匂いがぷんぷんする。千花は深くため息を吐き出した。


「普通に水族館に行って、なぜか着いてきた千歳さん達とご飯食べて、真壁さんと観覧車に乗っただけだよ」

「そういうのじゃなくて!詳しく!!詳しく聞きたいの!!詳細情報希望!レポートに提出して下さい!」

「詳しくも何も…え、これって詳しくないの?」


 ていうか、レポートにするほどのことでもないし、面倒だ。


「詳細ではないよねぇ。そうだな、千花は電波とのデートは楽しかった?」


 絵里子の挑発的な笑みが気に掛かってしまう。なんでも見透かしたとでも言いたげな表情に、不満が隠せない。

 彼女の視線を誤魔化すように、弁当の包みをはずす。今日も飾り気のない弁当箱が顔を出してきた。


「ねえ!千花ちゃんってば!」

「……別に?何もなかったてば」

「天の邪鬼だねぇ、千花。これは、絶対になんかあった顔してる。」

「絶対に楽しかったんじゃん!!楽しくなくても、なんかあったんじゃん!紀子も邪魔しに行きたかった!!」

「あ、邪魔する前提なんだね」

「当たり前田のクラッカーだよ!!」

「語句が死語、昭和だよ。昭和。」


 机を叩きながら抗議する紀子はご機嫌斜めだ。

 ハニーフェイスに似合わない腕力は、机の上にある大量の菓子パンの生命を危険にさらしていた。

 さすがの絵里子も渋い顔で苦言を呈す。


「ちょっと、紀子チャン?机に食べ物乗ってるんだからそう言うのナシで」

「絵里子は心配じゃないの!?」

「んー千花の表情みたら、別に気になんないかも。真壁氏に聞いたら分かることだろうしね」

「紀子は!千花ちゃんの口から聞きたいの!!ていうか、なに、そのパンの量!またアニメに貢いでるの!?」

「ちがうから、嫁には貢いでなんかない、愛を注いでるだけだから……!!」

「エリちゃん……」


 大量の子供向けアニメキャラクターのパンを開ける絵里子の瞳に光は宿ってなかった。千花は軽く友人の闇を見て戦慄する。

 今日も今日とて、千花は、茶色い中身のお弁当を広げている。絵里子と紀子の言い合いを聞いてため息をこぼす。何か物足りない気がする。


「千花ちゃん!今日のおやつはフロランタンだよ!」

「雪路くん遅いよ。待ってたんだから!」

「えっ、うそ!俺を?」

「違う。お菓子だけだよ。」

「あぁああ!!そういう女王サマなところ最高だけど!最高なんだけど、もう少し俺に配慮下さい!」

「千花、アンタもう完全に受け入れすぎだよ」

「諏訪の動きが流れ作業すぎて、気持ち悪いんだけどぉ……」


 廊下の窓から軽々と進入する雪路は、今日も可愛らしいショッキングピンクを身に纏っている。

 やっぱり食後の甘い物があると思うのと、思わないのとで、箸の進みが変わるのだ。千花はご機嫌で味の薄い卵焼きを口に放り込む。

 息を切らせながら来たところを見ると、どうやら雪路は先ほど体育の授業だったみたいだ。

 彼が所々、汗を掻いているのが見て取れた。


(タオル、タオル……トートの方に入れてたかな)


 千花は行儀が悪いとは思いながらも、弁当を食べる片手間でトートバックの中に手を突っ込んだ。手の感触だけで、お目当てのものを見つけて取り出せば、紀子と雪路が相変わらず口論を繰り広げていた。


「帰れ!ストーキング野郎!!だが帰る前に千花ちゃんのデートの詳細をはなせ!!上官命令だ!」

「上官お前かよ。……つか、そんなことなかったから、千花ちゃんが誰かとデート?ないから……ありえないからァ」

「いやいや。現実を受け止めなよ」

「ご立派な盗聴機まで持ち出したくせに……何言ってるんだか……」


 観覧車の後も、全力で千花から離れなかった男なのだ。記憶にばっちり止めているに決まっている。

 千花は異常者を見る目で彼を見れば、雪路は決まりの悪い表情を見せた。


「うっわ、諏訪そんな事したの?どん引きだわ」

「なにしてんの諏訪、ついに犯罪者じゃん」

「バカ野郎!俺のふっかあい千花ちゃんへの愛情の現れだから!!」

「雪路君、うっざい。いいから、早く汗拭いて」

「千花ちゃんっ……!!」

「あれ?千花、そんなタオル持ってた?」

「ああ、水族館行った時の奴。はい、汗臭いから早く拭いて」


 青色のイルカのマークが描かれた水族館限定のタオルは、そろそろ暑くなってくる頃だと思い買ったものだ。

 あの場に居なかった紀子や絵里子にも、お土産にハンカチを渡したのだが「お揃いのストラップが良かった」と、カップルのような希望を出されてしまった。

 そんな事はさておき、雪路に差し出したタオルは、一向に受け取られる様子がない。

 先程まで低い声で、不機嫌そうに絵里子達と話していた彼は、タオルを見てワナワナと震えだした。


「ッ…千花ちゃんのバカ!!悪女!!女王様!!」


 耳をつんざくような罵声に、千花は顔をしかめる。


「え、なんなの?」

「うわぁああん!!なんなんだよ!なんで、そういうことするかな!本当に、そういうところ!そういうところだよ、千花ちゃん!」


 感情の行き先を持て余した雪路は、勢いよくヘッドバンキングを決めるが汗が飛び散るのでやめてほしい。パンクバンドも真っ青な激しい動きなので、ただの奇行にしかみえなかった。

 そのままヘッドバンキングをした雪路だったが、不満はとどまることはなく、彼は廊下に向かって叫び出す。


「あぁぁぁああ!!!今日も!俺の!千花ちゃんは!!!最高で!最低だぁあああ!!」


ーーオイ、コラ!諏訪!!何騒いでんだ!!後で反省文な!

ーーうるっせ!!今それどころじゃねぇえんだよ!

ーーお前、本当にいい加減にしねえと謹慎処分くらわせっぞ!!


 厳つい男性教師の声が聞こえてくる。生活指導の先生だったので、千花は廊下から少し顔を出して教師に頭だけ下げた。

 自分の犬は自分で管理しろと言われたが、千花は雪路を飼った覚えは毛頭ない。


「なに?なんなの?お菓子だけ置いて、自分の教室かえってくれる?」

「いや……気持ちはわかるけど、ひどすぎない?」

「千花ちゃんのそういうところ、紀子、好き」

「ヤダ!!今日は観覧車の話聞くまで帰らない!!!絶対に帰らないからな!!」


 またその話か。

 千花は観覧車から戻ってきても、雪路からその事ばかり聞かれて正直参っていた。

 千歳でさえ千花に追求しなかったのに、雪路だけはしつこく聞いてくる。

 弟の楓はニヤニヤと笑いながら、観覧車から出てきた千花達を見ていたので、きっと何か気付いているのかもしれない。

 イヤな小学生だと、可愛い弟ながらに可愛くないと思ってしまった。


「ちーかーちゃーん!かーんーらーんーしゃー!」

「あー、もう、うるさいなあ。わかったから……ちょっと、抱きつくなら汗拭いて……なんかベタベタする」

「俺の汗は千花ちゃんに浄化されて千花ちゃんの皮膚上に残るんだぁ!」

「なにそれ、気持ち悪い」

「気持ち悪いぞ、諏訪」

「お風呂はいったら間違いなく流されるよね、それ」


 騒いだままのしつこい雪路をタオルで叩きながら、千花はスマートフォンを取り出して新着メッセージを見て更に表情が曇る。


「……長ッ」

「千花ちゃん!!携帯見てないで観覧車!!」

「ちょっと観覧車で千花ちゃんの身に何が起こったの!?千花ちゃん!!」

「……相変わらず、お前等元気ね」

「あ、君嶋。後で諏訪の回収よろしく」

「桐生さんは相変わらず高みの見物ですか?」

「君嶋もでしょ?人のこと言えないなぁ」


 いつのまに千花の日常はこんなに騒がしくなったのだろうか…ぼんやりとメールの返信を打ちながら思った。


(手紙じゃないんだから文章は簡潔にしてくださいよ、真壁さん)


 千花は“おとな”のふりをしはじめて“こども”の笑顔を浮かべた。



*** ***



「聞きたいことが、どうしても沢山あるんだ。許してくれ」

「限度があります」


 電話やファックス、郵便でも良いのに、千花に会いたくて手土産と用事を片手に、担当作家の家に転がり込んでいる。

 必死な自分の行動に呆れてしまう。それでも、目の前で不服そうに自分を見ている少女を確認すれば、自然と笑みがこぼれる。

 千花の入れてくれた珈琲は手慣れたもので、良い香りがして、初めて家に来たときから好んで飲んでいた。

 最近では家に訪問しても、最初は不機嫌だが、手土産に有名店の洋菓子や、お取り寄せ品を見せれば、上機嫌で迎え入れてくれるようになった。そんな、少女らしい単純さも、実に可愛らしいと思う。

 自分は周りが見えなくなる質だ。

 以前から思っていたが、恋をすれば盲目になってしまうらしい。


「うわぁ、美味しいですね。ふわふわだ、甘い」

「シフォンケーキもお好きなんですね」

「はい。ふわふわで甘いじゃないですか」

「そうですね」


 大好きな甘いものを目の前にすると、少しだけ子供っぽくなる言葉遣いも好きだ。純粋に好きだという事がわかって可愛らしいと思う。


「あ、そういえば!質問は一日一回までにしてくださいよ。あんなに一気に答えられません」

「わかった」

 

可愛らしい紅茶のカップを持ちながら、はっきりと千花は物事を告げてくる。

 遠慮がちな時もあるのに、よくわからない処は線を引いてくる。

 彼女はゆっくりと距離を詰めることしか許してくれない。

 急激に近づこうとすると一気に冷めたような目線を向けてくる、よくわからない。

 よくわからない事と言えば、この前の観覧車でもそうだった。


「そういえば……どうして、千花さんはあの時…キスしてくれたんだ?」


 あの日、あの時、どうしても彼女の純粋な言葉が嬉しくてキスをしてしまった。

 普段は頑なでガードの堅い千花が、あの口づけを受け入れてくれたことが疑問で仕方がなかった。


「……私に聞かないでください」


 顔を赤くさせて目線を反らして、見ない振り。彼女の得意技だ。

 でも見ない振りも、聞こえないふりもしない約束をした、だから、無理矢理にでも果たさせる。


「貴女の行動だから、千花さんに聞いている」

「……あ、あれは私じゃない誰かの仕業です。」

「いや、あれは千花さんだろう。それに、貴女はそういう冗談は好まない筈だ。」

「うっ……」


 ゴンドラの中で右往左往と百面相していた姿を思い出して、胸が暖まる。感情を隠そうと彼女はいつでも必死だ。

 俯いて言い訳を考えることに、必死な彼女。そんな千花との距離をこっそり詰めていく。こうして詰めていかないと彼女はすぐに逃げようとするのだ。

 逃げないと言った癖に、彼女は逃げようとする。


「あんな、だまし討ちみたいなのファーストキスとは認めません!」

「初めてだったのか……というか、だまし討ちじゃないと思うんだが?」

「あんなの!あんなの!するしかないじゃないですか!」

「どういう意味だ」


 そう呟けば、千花は勢い良くこちらを振り返って凝視していた。

 近くにいる気配なかったなどと、言いながら目を白黒させている姿が可愛らしい。

 初めてだった。あのキスを本当のキスと千花に認めさせたくなった。

 彼女の初めてが貰える光栄がほしい。

 観覧車で、泣きながら口づけを受け入れた千花の真意はわからない。

 その場に流されたのか、純粋に信彦を思ってくれたのかは定かではない。

 それでも千花の唇が自らの唇に触れた事実がほしかった。

 初めて恋した相手の最初の唇が、真壁信彦は欲っしている。


「じゃあ、俺のこと好きになってくれたら、あのキスは千花さんのファーストキスになるか?」

「どういう思考回路でそんなこと言ってんですか!!」

「それとも今、キスしたらファーストキスになるのか!?」

「は!?ちょ、近づかないでください!!」

「……何してんの?」

「楓!!助けて、この人やっぱり頭おかしい!!」


 帰宅して来た楓を見つけた千花は、すぐさま唇を手で塞いできた。

 これをそのまま彼女の手を、彼女の唇に持っていけば、間接キスが実現できると考えた。効率よく間接キスを行うために、塞いでいた方の手をつかんで、指先にキスを贈ってみた。

 このまま手にキスを贈り続ければ、自ずと間接キスどころか、彼女の口に到達できるかもしれない。

 そんな気の遠い考えを始める自分は、彼女の言うとおり変な人なのかもしれない。


「ヒィッ!!なにしてるんですか!!」

「なあ、まかべぇ……おれの情操教育に悪いとか考えてくれよ」

「楓は難しい言葉を知っているな」

「最近の情報社会のたまものじゃないの?」

「真壁さん!いいから離れて下さい!!楓も後で話がある!」

「えー!なんでおれ?」

「仕方がない、今回はあきらめよう」


 ふくれっ面を見せながら、千花に抗議する楓は楽しそうで非常に子供らしい少年である。

 楓は信彦に、知らなかった子供時代の時間を提供してくれる貴重な友人だ。楓が居なければ、こうして楓を口実に千花に会うことも叶わなかったかもしれない。

 さすがに弟にふしだらな姿を見せられないと思った彼女は、勢いよく信彦を押し返した。彼女のどこにこんな力があるのか、時々驚くほど千花はパワフルな女性だ。


「本当に……油断も隙もない人ですね」

「千花さん、恋に障害は付き物だ」

「貴方が私の人生における障害になりそうです」

「そうか、それは困る」


 なぜなら真壁信彦は、一条千花とずっと一緒にいる運命を、ここ最近はずっと肌身に感じているのだから。



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