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06 忘れたいけど、アレは無理


「そういえば千花……まあ、諏訪でも良いかな。新しい担当ってどんな奴だったの?」

「え?」「は?」


 いつも通りの昼休み、絵里子の一言で、場の空気が殺伐とした。

 雪路の表情が凍った音が聞こえてきた気さえする。視線だけを雪路に向ければ、案の定笑顔は消えていたし、千花の表情も同じだ。


「別に普通だよ。」


 普通どころか電波であったが、仕事の態度は"普通よりかなり優秀"だと千歳が評価を下していた。千花の中では許せない部分もあり、いろいろと割愛して"普通"と述べるしかない。

 何か言いたげに雪路が頭を抱えているのも、視認出来たが千花は無言で首を振りたい気持ちでいっぱいだった。

 千花と雪路の様子を見つめる、紀子と絵里子は首を傾げ怪訝な表情を浮かべた。


「普通って!あれのどこが普通だよ!!」


 雪路の抗議に眉を潜めた。ご飯くらいは静かに食べたい。千花は白い弁当箱に入った茶色に目を落とし、ため息を吐き出した。

 いつだって千花の弁当箱の中は茶色いが、今は気持ちも相まって淀んで見える。

 隣に座る雪路の真っ赤なお弁当箱の中身は、お店もびっくりなサンドイッチでどっちが女子か分からない仕上がりだった。こういう弁当を食べたいものだと思った。


「願望も込めてるの。察して」


 担当が違う人間で、その上、雪路の赤い弁当箱が千花の弁当だったらいいなとも思っている。


「現実逃避しても、あれと定期的に顔を合わせる事は変わんないんだよ!?わかってんの、千花ちゃん!!」

「一体、どんな奴だったのさ」

「諏訪が警戒するってことはあ、男だよね?また千花ちゃんの側に男が増えるなんて紀子嫌だな」


 紀子の手元にあるツナマヨお握りがひしゃげるのが見えて、千花は少し肝を冷やした。時折、紀子は嫉妬の炎を燃やすので、千花はいつも発想力に目を見張る。

 この二人に話すと面倒な事になるのは解ってはいたのだ。


「新しい担当サン、変態電波のロリコン野郎だった」


 それでも、千花は昨日のストレスを誰かに話さずにいられなかった。


 あの騒ぎの後の夕食は最悪だ。


 食卓に流れる気まずい空気は、いつも大して美味しいわけでもない食事がさらに美味しくなかった。

 真壁は、あの後ふさぎ込んでマトモに仕事を出来ているかすらも怪しい。どうしてあの時に千花は黙って彼の妄言に付き合ったままでいてやらなかったと後悔した。

 いや、あの妄言につきあったままだと、千花の精神の方が疲弊していたかもしれない。

 とにかく千花は絵里子たちに、担当者の発言がいかに狂気に満ちていたかを、語りに語った。

 この時の千花は、今学期で一番舌を回したと言っても良い。(まだ四月半ばだが)

 あまりの饒舌さに紀子が「千花ちゃんがいっぱい喋ってるー!」と拍手を送りつけたほどだ。


「と言うわけで、なるべく顔を合わせたくないんだよね」

「なんていうか、千花はロクな奴に好かれないね」

「オイ、桐生。こっち見ていうの止めろよ!俺が何したってんだ」

「なんで絵里子は紀子も見るの?このあんぽんたんと一緒の扱いしないで!!」

「無自覚なのね、アンタら…」


 あんぽんたんって久しぶりに聞いたかもしれない。

 そんな事を口に出した瞬間に、絵里子から冷たい視線を浴びるので一人で紀子の語彙力に感心していた。

 思考をとばしている事に気付いているのか絵里子は、あきれた視線を千花に送った。


「まあ、電波にはガツンと言って正解なんじゃない?」

「確かに、そうだよなあ。そもそも、千花ちゃんは将来は俺と結婚するんだし!そんな奴の妄言に付き合ってたら無理矢理結婚させられてたかもしれない…」

「紀子は、諏訪の妄言を聞かされる方が可哀想だと思う」

「むしろ諏訪の頭が可哀想」

「お前等と舌戦するより、俺は千花ちゃんに尽くす事に時間かけるから」


 ね、千花ちゃんと語尾に黒を塗りつぶしたハートマークでも付いてそうな呼びかけに、そっと目をそらした。

 時々、雪路の頭の中の千花はどんな女神なのか想像するが、想像を絶する程に自分が気持ち悪い事になっている気がしてならない。千花は普通の千花のままでいようと思う。

 千花はひたすら目の前の弁当を租借し、雪路を目を合わせないように勤める。


「ちーかちゃん!」

「なに、静かにして……て、何これ」

「マカロン!千花ちゃん好きでしょ?」

「それはそうだけど……」

「今日のデザートにどうかなって!クリームはチョコレートガナッシュだよ!千花ちゃん、チョコ好きでしょ?好きだよね?」

「すき、だけど……」


 可愛くラッピングされた色とりどりのマカロンは目にも美味しい。ピンクに、黄色、黄緑と色鮮やかに存在を主張していた。確か、調理するにはとても手間暇のかかるものだと聞いている。

 唖然とする千花を眺め、雪路はニコニコと笑みを浮かべて、何が混ざっているのか説明してくれた。彼の手から受け取った箱は、すこし冷たさが残っている。

 雪路の爪は綺麗に短く切りそろえられており、骨張った指には玩具のような花やリボンの指輪が填められていた。千花の瞳に写るのはお菓子を作る手と、装飾されている手で、やけにアンバランスだ。


「保冷バックに入れてまで持ってきたの?」

「チョコレートって、溶けたらビミョーじゃん?」


――千花ちゃんには美味しいの食べてもらいたかったから!!

 そういって微笑んだ雪路はとても献身的だ。千花に尽くしても、見返りなど返ってくるわけでもない、何かが変わるわけがない。

恐らく何も返すことの出来ない千花は、雪路の好意は嬉しく、それと同時に苦しかった。

 綺麗にラッピングされた箱は、綺麗に装飾された雪路そっくりだ。地味な千花の手元には似合わない。


「えっと、その……あり、がとう……」

「そもそもマカロンって作れるの?諏訪、ヤバイね」

「諏訪のそういうマメな所だけ尊敬する……気持ち悪いけど」

「うるせー!ささ、千花ちゃん食べて!食べて!」


 絵里子たちの非難の声もものともせずに、雪路は涼しい顔で千花にマカロンを食べることを促す。

 繊細なリボンでラッピングされているので、やや開けることを躊躇してしまう。そんな千花の考えを見越していたのか、箱のリボンはくっついているだけで純粋に開閉するだけで良い作りになっていた。

 この男は、どこまで先を見ているのだろか。

 雪路の期待の眼差しを一心に受けながら、千花はチョコレートブラウンのマカロンに指先を伸ばした。


「い、いただきます」


 一口かじればやわい触感と、砂糖が舌を刺激する。アーモンドの風味が口いっぱいに広がった後に、舌先は柔らかいガナッシュと混じり合った。

 丁寧に作られているのか、ガナッシュが素人が作ったにしては柔らかく風味が豊かだ。

 女子力は一つ飛び越えると、こんなに美味いものを作り上げるのか……

 千花は目を見開いて驚きが隠せなかった。


「すごく、おいしい」

「本当に!!元気でた!?」

「元気って、言われても……」


 どう答えることが正解なのか、千花には解らなかった。

 机を蹴飛ばさんばかりに千花に詰め寄る雪路の表情は不安げだ。勢いと表情は一致させて欲しい、そんなことを言っても雪路はきっと首を傾げるだろう。


「昨日、大変だったからさ?元気出して欲しくて」

「私、いつでも元気いっぱいって感じでもないから」

「また千花ちゃんはそういう事いうんだから!いつにも増して眉間に皺寄ってたもん」

「それは、当たり前じゃないかな……」


 あんな事があって、笑っていられるほど千花は菩薩ではない。


「俺はどんな些細な千花ちゃんの笑顔でも見たいの!」

「報われないのにカワイソー」

「うるっせー!外野は黙ってろ!!」


 キャンキャン言い合う雪路と紀子を眺め、千花はもう一つマカロンを口に運んだ。

 酷く甘い味がして、それは千花に対する雪路の態度に似ているようだ。


 再会した時から雪路はいつだって千花ちゃん、千花ちゃんと言って千花の周りを離れない。

 幼い頃は転校ばかりで様々な記憶が曖昧で、千花は雪路の事をあまり覚えていない。

 そんな千花に対して、雪路は思い出すまで千花の周りをひっつくなんて言い出したのだ。それから、彼は事あるごとに千花に構ってくる。

 他の友人だって沢山いるはずなのに、千花を見つけると真っ先に千花に寄ってくる雪路の事が全く理解できなかった。


「水野と同じで、俺も千花ちゃんのこと大好きなんだからね!!」

「紀子の許可なしに、千花ちゃん大好き公言しないで!!」


 教室のど真ん中で、本人の意思を無視したやりとりは控えて欲しい。

 二人の言い争いに、千花は苦笑いを浮かべてマカロンを食べることしかできない。


「千花、モテモテだね」

「大きく騒がれても、うれしくないんだけど……」

「好意は素直に受けとりなよ。私も千花の事、好きだよ」

「……絵里ちゃんまでそういう事いうんだから」


 素直に紡がれた好意が気恥ずかしく、千花の頬は上気してしまう。臆面も、恥じらいもなく、好きだといえる絵里子は男前だと思う。

 紀子と雪路のような好きの感謝御礼バーゲンセールではないように感じてしまうのは、贔屓目かもしれない。

 照れる千花の様子に、にんまりと笑いながら頬杖をつく彼女はイケメンかもしれない。


「千花は照れ屋だねえ」

「絵里ちゃんが、かっこいいのが悪い」

「はいはい」


 大人ぽいなんて、近所で揶揄されている千花を、子供のように扱う友人は絵里子暗いなものだ。

 おそらく、この中で誰よりも大人なのは絵里子だ。

 紀子と二人で居たときに、絵里子は気付いたら千花達と一緒にいた。

 ある日、どうして此処にいるのか聞いたとき「ここが一番楽しかったから」と何事もなく言ってくれた絵里子の表情が千花は忘れられない。

 絵里子は千花と違って社交的だし、友人だって多い。

 それでも千花達を選んでくれている事がうれしく、少しだけ優越感似浸ってしまう。存外、千花は執着心が強いらしい。 


「私にも、マカロンちょーだい、どうせ私たちの分、あるんでしょ?」

「うん。たぶん、これじゃないかな」

「わざわざ、手間のかかるマカロン作るなんて……昨日の事、よっぽどヤバかったんだね」

「そうだね……あんまり思い出したくないかも」


 遠い目をしながら、昨日の事をこれ以上聞かないで欲しいのポーズをとった。

 絵里子は苦笑いを浮かべて、マカロンを口にする。

 穏やかな流れで笑いあっていると、隣のキャットファイトの声が熾烈を極め始めている。


「前々から言おうと思ってたけど千花ちゃんに付きまとうの止めてよね!紀子の千花ちゃんなんだから!」」

「残念でしたぁ!ずっと前から千花ちゃんの隣は俺が予約してんだよ」

「はあ!?妄想も大概にしてよ!頭の中、開国してくだサーイ!文明開化してくだサーイ!」

「うっざ!!千花ちゃんは将来、俺と結婚するんですゥ!俺の作ったウェディングドレスを着た世界一、いや宇宙一綺麗な千花ちゃんと俺は結婚するんですゥ!」

「そんな約束した覚えない上に、私は私だけのものだよ」

「千花は、相変わらず冷静だね!!」


 絵里子は指を指して大笑いを決めている。何がそんなにおもしろいのだ、巻き込まれた千花は大迷惑だ。


「エリちゃんは身内ネタで笑いすぎ!」

「アンタ達、おもしろすぎて全然飽きないんだもん」

「誉められてるのか貶されてるのかわかんない」

「褒めてるって気付いてる癖に」


 不適に微笑む絵里子にはいつになったら叶うのだろうと、子どもの思考で考えた。





「千花ちゃん、商店街の奥にアイス屋さん出来たの知ってる?」

「知ってるよ、まだ行ったことないけどね」


 副担任の先生が終業の合図を出した瞬間、千花に話しかけるのは決まって紀子か雪路だ。

 今日声をかけてきた紀子は誰もがとろけるような甘い表情で、精一杯の上目遣いで千花を誘惑する。この誘惑は男女関係なく、効き目は抜群かもしれない。

 紀子が言っているアイス屋は買い物途中によく見かけた。

 商店街からすこし外れた所にあるヨーロピアン風の外観が印象的なお店だった。

 何回か寄り道しようか悩んだが、外観から雰囲気がオシャレすぎるのでいつも立ち寄るのを躊躇していた。買い物帰りで所帯染みているエコバックを持っている千花には不釣り合いに思えたのだ。


「絵里子も誘って一緒にいこ?お店の雰囲気がね、すごく可愛いんだよ!」

「知ってる外国の映画みたいで、すっごく可愛いとこだろ?千花ちゃんもきっと好きだと思うなぁ」

「諏訪は誘ってないし!アンタは一人寂しく鞄のクマちゃんと会話してなさいよ!」


 というか、いつのまに来たんだ。

 平然と慣れたように対応している紀子は、雪路が来ればとりあえず言い返すことが決まりになっているのだろう。

 それにしては罵倒のレパートリーが多い気がしないでもないが、彼女たちのキャットファイトを気にしたら負けなので、気にしないことにした。

 紀子の罵倒を流して、雪路は地団太を踏んで駄々をこねる。


「いいじゃん!俺、今日部活休みだし!今日ちょっと暑いしアイス食べたい!アイス食べてる千花ちゃんも見たい!」


 人に食べている様を見せる趣味は千花にはない。

 雪路の発言にドン引きしつつも、ここまで言い募る雪路を仲間外れするのも後味が悪い。


「たまにはいいんじゃない?今日はアイス食べるだけなんだし……」

「千花ちゃんは諏訪に甘すぎるよ!!だから調子にのるんだよお!」

「いや、千花はこれ以上無いくらいに塩対応してるって……それで、今度は何で揉めてるの?」

「コレをアイス屋さんに連れていくか否か」

「紀子が折れてやりな。どっちにしても、コイツは勝手に付いてくるんだから」


 確かに……的を得すぎている。

 絵里子の一言と千花の采配で、雪路も同行することが決定した。

 確かに以前も来るなと言っても雪路は勝手に付いてきている。そしてサラッと、寄り道先で、千花にプレゼントを渡してくるのだ。将来はキャバクラのお姉ちゃんに貢ぎに走ったりしないか、少しだけ懸念している。


「諏訪のストーカー気質が腹立たしいよ!早く千花ちゃんに通報されちゃえ!」

「うるせえ!お前も大概だろうが!」


 今まで気に留めていなかったが、今、冷静に考えると雪路は結構危ない人かもしれない。

 それでも、事なかれ主義は深くため息を吐き出すだけで、考えることを放り出したのだった。



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