ライ麦畑をとびおりて

ゆきの

001

 透明人間の話、といったらきみはどんな話を思い浮かべるかな。


 クラスのタナカくんがある日突然消えてしまった、だとか。

 ある日、透明人間になってしまって誰にも気づかれなくなっちゃった、だとか。


 そんな、神隠し的な話だろうか。


 それとも。


 透明人間になったら女湯に入りたい、だとか。

 透明人間になれたら世界の秘密だって手に入れられるのになぁ、だとか。


 そんな、くだんない理想の話だろうか。


 僕の話はどっちでもないし、どっちでもあった。


 簡潔に言ってしまおう。


 ある日、突然のことだ。


 世界中の人間が透明人間になったんだよ。


 ◆


 引きこもりのぼくが世界中の人間が消えたことに気がつくのはそんなにおかしいことじゃなかった。


 なんせ、人がいないんだから。


 インターネットで気づくこともできただろうし、テレビでも気がつけたはずだ。


 部屋に引きこもってたって外に人がいるかどうかが簡単にわかるんだから、世の中ってのは便利になったものだよ。


 便利じゃない頃なんて知りゃしないけどさ。


 ぼくがそれに気がついたのは、ラジオのおかげだったんだ。


 ちょっと古くさいかもしれないけれど、ぼくはラジオというものが心底好きなんだ。


 まず、その古くささが非日常を思い起こさせてくれる。

 ラジオというと、自然災害時のお供だってイメージもあるだろうけれど、またそのイメージもラジオをいっそう、非現実的な存在に押し上げてくれる。


 ラジオというものは本当に素敵な発明で、素敵な発展を遂げてくれたと思うよ。


 その日、ぼくはラジオで十年かそこら昔のJ-POPを聴いていたんだ。


 古くさい洋楽なんかも、言語から何から、日常に根差していないぶんそれなりに非日常的なものなんだろうけどさ、ぼくはちょうど小学生や中学生の頃に流行っていたようなJ-POPのノスタルジーがこれまた、たまらなく好きだった。


 そういう音楽が聴きたいなら、ラジオ番組のオーディエンスの年齢層を考えるといい。


 リクエストするような人間の年齢層が自分と近いもの、もしくはもう少しだけ上のものを聴くと、流行の音楽に混じって、時折そんな音楽が流れるんだよ。


 きっとぼくやきみが思ってるよりずっと、この世界は懐古的な人間に溢れているんだと思う。


 思い出ってのはね。最も手の届かない最も身近なファンタジーなんだよ。



 さて、ぼくがそんなくだんないラジオを聴いていたときのことだ。


 春先なもんだから、出会いとか別れだとか、そういう懐古趣味を極めながらも、ぼくには縁遠いようなあれそれの音楽ばかりが流れていて、その絶妙な距離感にとても気分がよかったときのことだったな。


 前触れもなく突然、音が消えたんだ。


 ノイズは何故か入らなかった。


 試しにいくつか、登録してある電波局にダイヤルを合わせてみたんだけど、どれも無音を貫くばかりで、人の声も軽快な音楽もなんにも流れてきやしなかった。


 むしろ回している途中の方がノイズを垂れ流すくらいだから、おかしなもんだったな。


 最初はラジオが壊れたのかな、と思ったよ。


 でもぼくにとってラジオはささやかな現実逃避的なものでしかなかったから、気にしないことにして、それを愚痴ってしまおうとスマートフォンを取り出して、Twitterを開いたんだ。


 何の問題もなくつぶやいたんだけど、その後が問題だった。


 いくら更新しようと、タイムラインに新たなつぶやきがひとつものぼってこなかったんだ。


 それから一日、いくつかぼくが使っているSNSや掲示板の類いを辿ってみたんだけど、どれも最後の投稿の時間はバラバラながら、ひとつも更新されることはなかった。


 流石にこれはおかしい、と思ったよ。


 ◆


 それから数日、世界は沈黙を守ったままだった。


 でもね、妙なことがいくつかあったんだ。


 電気も、水道も、ガスも止まらないし、コンビニに出向いてみると、コンビニの弁当の賞味期限は毎日毎日、日付が更新されている。


 もっと言えば、車やバイクは町を走りはしなかったけれど、電車は人を失っても時刻表に沿って動き続けていた。

 いや、むしろ人身事故がないぶんそれまでの現実的な現実よりも時刻表に忠実に走っていたんじゃないかな。皮肉なもんだよ。


 全世界から人が消えたなら透明人間よりも人類消滅の方が言い得て妙なんじゃないか、なんてきみは思うかもしれないけれど、それはそういうことなんだ。


 つまりね。


 人間がいなくても社会は、世界は。

 何の問題もなく、平然と回り続けていたんだよ。


 そう、まるで、ぼく以外の人間が全員透明人間になってしまったみたいに、ね。


 人間はいなくなったわけではなく、消えてしまっただけ、らしい。


 これにはまるで、ぼくを社会の歯車から名実ともに追い出そうとしているような感覚を覚えたな。


 元々世界と噛み合っている歯車であった自負や自覚なんてもの、これっぽっちもありゃしないけどさ。



 しかし、そこはそれはそれで居心地のいい世界だった。


 そうだな。小学生の頃に、風邪を引いて家で寝込んだときの感覚。

 あれが近いかもしれない。

 ルーティンをなぞって回り続ける世界の中でつまはじきにされているような、独特の居心地のよさ。そんな感覚だな。


 当然、ぼくを咎めるような人間も、ぼくを鬱陶しがるような人間もいないわけだから、ぼくはその狂った世界を大いに楽しむことにした。


 コンビニ弁当同様、毎日並び続けるお高いケーキの部類に手を出してみたり。

 近所のTSUTAYAで手当たり次第にCDやDVDを持ってきて、時間をつぶしたり。


 ぼくは最高の非日常の真っ只中で、最高の日常を繰り広げ続けた。


 人間ってのは不思議なもんでさ、一人じゃ何もできやしないだとか一人じゃ退屈だなんて錯覚しちゃいるけれど、その実、この世界には素敵な暇潰しがいくらでも転がっているものだよ。


 まぁ、そんなことは世界が透明になる前からわかりきっていたことなんだけどね。

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