第78話出立の朝

 出発の直前、やはりというかルルも見送りにやって来た。彼女は本性を露わに巨大な姿を晒しているブケファラスを優しく撫でると、ザインの正面に立った。


 「あ、あのザイン様。今日、行かれるのですよね?寂しくなります…。」

 「そ、そうか?」


 ルルの潤んだ瞳にはザインしか映っていないのだろうが、ザインとその周囲は違う。ヤー族の連中は固唾を飲んで見守り、その他はいやらしくニヤニヤしている。


 「気が利かないな~!男なら別れのチュー位やってやれよな!」

 「ちゅ、チューなんて!そそそんな、ははははしたないこと…!」

 「外野は黙ってろ。握り潰すぞ、羽虫。」

 「むっきー!いい加減名前で呼べ!オイラにはピットって立派な名前があるんだ!」


 ピットとはルルと初めて出会った時に彼女と共にいた妖精の名である。あの時はバタバタしていて名を聞いていなかったが、翌日に聞きもしないのに名乗ってくれた。今の彼はルルの恋を成就させるべく動く者の筆頭で、色々とお節介を焼いている。ザインからすれば鬱陶しいことこの上ない存在だった。

 一方で赤面しながらあたふたしていたルルがようやく正気に戻った。そして慌てて懐から、より正確に言えば豊満な双丘の谷間から何かを取り出してザインに差し出した。


 「それで、その、これ!受け取って下さい!」

 「これは…。」


 真っ赤な顔をしたルルが差し出したのは一本のブレスレットだった。紐が無数のビーズに通してあるという形状としては普通の品だが、一つ一つの素材も細工も相当凝っている。紐は艶やかな魔獣の毛を丁寧に編んだ逸品で、ビーズも母木の端材や磨き上げられた天然石、さらに中央の一個はおそらく宝石だ。それらにさり気ない、しかし華のある彫刻が為されている。さらには精霊魔術が付与された魔具であり、装着者の傷を徐々に癒やす効果まで持っている。それに掛けられた費用もそうだが、何よりも費やした手間がザインへの強い想いを象徴しているようだった。

 そんなルルの想いの結晶を突き返すことなどザインには出来なかった。それを素直に受け取ると、ザインはすぐにそれを右の手首に通して見せる。不純物の一切無い大粒の宝石は、ザインがプレゼントしたグリフォンの羽根と同じ色を放っていた。


 「ありがとう。大切にするよ。」

 「はい!その…お、お気をつけて!」


 ザインは一度だけ頷くとブケファラスの背に飛び乗った。それを合図にギドンとフューを乗せたゴンドラをぶら下げたブケファラスは、勢い良く空を駆け上がる。どんどん小さくなる彼らを、エルフ達は激励と共に見送るのであった。




 みるみるうちに遠ざかっていく大森林を空の上から眺めていたフューは深い溜め息をついた。


 「あぁ…短い帰省だった…。」

 「何をブツクサ言っておるのじゃ。下らん事を言う暇があったらしっかり故郷の姿を目に焼き付けろ。」


 対するギドンは既に流れていく空の景色を肴に酒を楽しんでいる。そして悪そうな顔をするとフューの動揺を誘う一言を放った。


 「これが見納めになるかも知れんのだからな。」

 「嫌な事言わないで下さいよ、ギドン翁!里心が着いてしまいましたよ…まだ出発して一時間も経っていないのに!」


 恨めしげに睨み付けるフューと、若者をからかって豪快にわらうギドン。正反対の二人だが、案外上手くやっているようだ。

 二人の仲の良い(?)口喧嘩を聞き流しながら、ザインはブケファラスの背で風に吹かれていた。正直寒いので彼もゴンドラに入りたいのだが、ザインを背に乗せたいブケファラスの為に彼に跨がっている。ブケファラスの俊足を以てしても、一日二日で着く距離ではないのでザインは無聊をかこつ為にアンネリーゼに話し掛けた。


 「アンリ、今いいか?」

 「何ですか、色男さん?」

 「ヒデェ言われ様だな。」

 「否定出来ませんでしょ?さっきだってあの娘の胸を見て鼻の下を伸ばしていたクセに。」


 竜の頭では鼻の下がほとんどないのでは、と言い返したいのを我慢したザインは疲れたようにアンネリーゼを説得した。


 「勘弁してくれよ…俺が本当の意味で腹割って話せる相手はアンリしかいねぇんだ。」

 「…これを狙って言った訳じゃ無いんだから質が悪いんですよ、あなたは。」


 憎まれ口を叩きながらも、アンネリーゼは上機嫌だ。よくわからないが何かが彼女の琴線に触れたらしい。突っ込んで聞くと藪蛇になる可能性があるので、ザインは強引に話題を変えた。


 「そう言えば前に頼んでいたマンセル村の調査は終わったのか?俺の故郷が今どうなってるか、情報はあるか?」

 「ああ、そのことですか…。」


 アンネリーゼの声のトーンが一気に下がる。そのことに猛烈な不安を覚えたザインは声を荒げて詰問した。


 「何があった?いや、言い方を変えるぞ。あそこは今、何が行われている?」

 「マンセル村、という村は今や存在しません。あそこの住民は十年前に魔王の軍勢に虐殺されて全滅したことになっていますから。そしてその後、その土地は魔王領方面守備隊が接収。そして新たな砦が築かれたのです。その実態は…亜人を使った強制労働所兼魔術実験所。あそこは…ファーナンが生温く感じる程の地獄と化していますよ。」


 非情な事実をザインは黙って聞いていた。それは決して冷静だった訳ではなくて臨界点を突破した激怒によって絶句していたのだ。彼は掌から血が滴るほどに拳を握り締め、牙が砕けんばかりに食いしばる。彼の激情はブケファラスを怯えさせ、使い魔越しのアンネリーゼでさえ額から一筋の冷や汗を流す程強烈だ。彼女はそう遠くない内に実験場が消し炭になることを確信するのだった。

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