第四十三話 決着

「やっと見つけた!」


沖田が最期の余韻に浸っていたとき背後から声が聞こえた。こんなときに無粋な奴め。後ろを振り返ると何者かが斬りかかってきた。


「くっ!」


 不意を突かれた沖田。それでも体をのけ反らして紙一重でそれを躱した。相手は全身が朱色のパワードスーツ。州都陸軍の白兵戦用の装備だ。


「オリジナルごときが! セイジに、いや、獣堕ちのこの俺に傷をつけることができるとでも思ったか!」


 いつの間にか沖田の両の瞳がともに紫色に怪しく輝いていた。


「やはりね。その顔、その瞳。しっかりと覚えているわよ。私はあなたをずっと探していたのよ。お前を殺すためにね!」


 そう叫ぶと陸軍兵は沖田に再び斬りかかる。沖田のブラッドと兵士のブラッドがぶつかり合い赤い閃光が迸る。


「お前のその速さ! いやそれよりもそのブラッド。お前オリジナルじゃないな!」

「そうね。私の見た目はオリジナルよ。でも体は違うわね」


「ふん、成りそこないか。その割にこの力は――」

「そんな事どうだっていいわ。私はあなたが憎いだけ」


 鍔迫り合いの一瞬の隙を突き、朱色の兵士が左足で沖田の腹を蹴りあげる。後ろに吹き飛ぶ沖田は空中で体勢を整え、ゆっくりと地面に着地した。彼は黒いコートの中にスカイムーブを着用していたのだ。


「なぜお前はそれほどまでに俺を憎む」

「心当たりがないとでも!」


「正直あり過ぎて何の話か絞れんな」

「許さない。大好きなお兄ちゃんを奪ったお前が! 絶対にここで殺す!」


 朱色の兵士は凛花だった。



 彼女は州都に入ると病院に直行した。この眼を移植して欲しいと。医者は移植の必要はないといった。ビニックと義眼でことが済むと。義眼に映る映像を脳に送ることができるし、脳から瞳の挙動も操作できると。しかし、彼女はそれを断固拒否した。お兄ちゃんのこの瞳を移植したいんだと切望したのだ。医者は嘆息した。今更ローテクな手術をするとは思わなかったと。


 移植の済んだ凛花は地下に潜った。翔たちと一緒に訓練校には入らなかったのだ。義務であったが凛花は気づかれずに済んだ。彼女の両瞳はとも黒色となっていたからだ。

 彼女には、やり遂げなければならない事があった。最愛の兄を殺した相手を見つけ出し仇を討つ。そのために彼女は裏稼業に手を染めた。そのネットワークを利用しながら仇の存在を追跡していった。



「しかし、なぜ俺がここに現れるとわかった」

「ふん、簡単よ。獣堕ちの遠名の事を調べたわ。第一症例だったしね」


「それは俺が処理したはずだ」

「そうね。軍のデータからも画像データが完全に抹消されていたから不思議に思ったわ」


「ならどうやって」

「でもね、殺された研究者の家族が遺品として研究データを持っていたわ。バッテリも切れてたからネットワークには接続されていなかったのよ。だからあなたに抹消されずに済んだ」


「ちっ、そんなものが」

「当時の写真を見つけた時は、さすがに驚いたわ。お兄ちゃんを殺した奴と同じ顔だったから。それにシェイドの北都大襲来のあの日の記録よ。北都駅のホームの映像が残っていたわ。あなたがある市長の秘書であった事も掴んだわ」


「まだ当時の映像が残っていたとはな。まあ今更関係ないがな。しかしなぜここに来るとわかった? 大臣補佐官と言っても、俺は一切メディアに顔を出していない。政府のデータベースには名前すら載せていないはずだ」


「馬鹿ね。あなたの周りは常に奇妙な殺人事件ばっかりじゃないの。吸血鬼事件を追えばあなたの居場所はおおよそ検討がついたわ。後は周辺の人達にあなたの写真を見せていったのよ。あなたの出自とここ最近の行動から、狙いはすぐに読めたわ。だから今日は絶対にここに顔を出すと思っていたのよ」


「そうか……。見事な捜査だ。俺も反省する点が色々とあったようだな。まあ少し遅かったようだが。もうすぐ全てが終わる。すっきりしたところで、礼と言っては何だが苦しまないように一太刀で切り伏せてやろう。今は時間が惜しいのでな」


 沖田はブラッドをゆっくりと上段に構える。ひりひりとした殺意が凜花の肌を刺す。これまでと違って彼が本気なのがよくわかった。距離を開けたまま睨みあう二人。

 先に動いたのは凛花だ。ジグザグに走りながら沖田へと近づく。そして急に向きを変えるとブラッドを突き出し一直線に突っ込んだ。彼女の動きはオリジナルよりも数倍も俊敏。そして横から縦方向への急な転換も一瞬錯覚を覚える。


「ほう、戦略としては悪くないな。が……」


 獣堕ちの首魁ともいえる沖田の実力は他の者とは比較にならないほど高かかった。彼女の動きを完全に見切っていた。

 しかし、凛花もそんなことは織り込み済みだった。射程距離に入る直前にブラッドの出力を一気に上げる。


「食らえっ!」

「ぬっ」


 赤い刀身が勢いよく伸び沖田を突く。意表をついた攻撃だった。しかし沖田はそれすら見切る。僅かに体をずらすしてそれを躱した。体当たりするように突っ込んでくる凛花。沖田それにタイミングを合わせてブラッドを振り下ろした。彼女の体が引き裂かれる――。


「なにっ!」


 パワードスーツの全面から勢いよくガスが噴出する。驚きに目を見張る沖田。陸軍の装備にはそんな機能はついていなかったからだ。彼女のパワードスーツは陸軍の正規品ではなく改造品だった。身の危険を察知した凛花のまさに奥の手だった。

 それでも紙一重だった。彼女のヘルメットとパワードスーツの前面が切裂かれる。真っ二つになったヘルメットが地に落ちた。


「これで終わりよ!」


 凛花は急停止すると同時にブラッドを振りかぶっていた。一方の沖田はいま正にブラッドを振り下ろしたばかりだ。凛花は勝ちを確信した。

 しかし、沖田の斬り返しは流れるような動きだった。彼女が振り下ろすよりも数倍早かった。実力が違い過ぎたのだ。防具を失った丸裸の凛花の首へと赤い刀身が襲いかかる。

 ああ、お兄ちゃんごめんね。仇討てなかったよ。


 最後の一瞬。勝ち誇った顔で凛花を見つめる――。


 ブラッドを振り下ろした体勢で固まる、凛花。向かいには胸から腹にかけて切裂かれた黒いスカイムーブ。切口からは多量の鮮血が噴き出していた。沖田の両手からブラッドが滑り落ちる。彼はブラッドを振り切らなかったのだ。


 自分の死を悟っていた凛花は何が起きたかわからなかった。沖田を見やる。彼は驚愕したように眼を見開き凛花を見つめていた。まるで痛みすら感じていないようだ。


「な、なんで……。ち、千春が――」

「お前! 何で母さんの名前を知っているのよ!」

「母さん? まさか千春の子供なのか! いや、確かにあの頃の千春と瓜二つだ――」


「だから! 何であなたが知っているのよ!」


 声を荒げる凛花にもかかわらず、沖田はひとり安堵していた。千春の娘を殺さ

なくて良かった。しかし、彼はある事に気づいてしまった。


「ああぁぁああ!」


 壊れたように叫び声をあげる沖田。


「あなた一体なんなのよ!」


 そう、彼女は言ったはずだ。兄の仇を討つと。これまで殺した人間の数は数えきれない。オリジナルだけではない。時には邪魔なセイジも殺してきた。その中にいたというのか。

 沖田は自分の手の平を見下ろした。彼の目にはその手が血に染まって見えた。


「お、俺は千春の息子を殺したのか――」

「そうよ! 望夢を殺した貴方を私は絶対に許さない!」


 沖田はその名を聞きたくはなかった。絶対にあってはならない可能性が脳を掠めてしまった。夢を望む。その名前は――。


「ああ駄目だ……。俺はしてはいけないことを……」


 虚ろな目で沖田はぼそぼそと呟く。凛花は戸惑っていた。兄の仇が母の知人のような振る舞いを見せたからだ。


「もう、何もかも終わりにしよう。全てを消して俺も無に還ろう――」


 沖田は自爆キーを転送しようとする。同時に乾いた音がした。沖田は目を見開いたまま前のめりに地面へ崩れ落ちた。彼は既に事切れていた。後頭部には小さな穴が開いていた。

 沖田、いや遠名の永年の悲願は叶えられることはなかった。地に伏した沖田は地面に指立て息を引き取っていた。その姿はまるで何かを必死に掴もうとしているかに見えた。紫の瞳から垂れた一筋の涙が草の葉を濡らしていた。


 沖田の背後で樹稀が上半身を起こしていた。周りに硝煙の匂いが漂う。彼女の手に握られていたのは旧時代の象徴。彼女の兄である徹の遺留品だった。樹稀は祖父の代から続く兄のお気に入りの品を形見として選んだ。そしてそれを肌身離さずに胸の中に入れていたのだ。


 皮肉なことだった。旧時代の象徴たる拳銃はシェイドを破壊することには何の役にも立たない。しかし、それによって望夢も静香も殺された。そして犯人たる当人も同じように拳銃で命を落とすこととなった。


「お…兄ちゃ…ん……あ…く…は…滅び…た…よ……」


 力尽きたように仰向けに倒れる樹稀。空のあちこちで赤い火花が散っていた。未だ反乱軍とセイジは争っているようだ。お兄ちゃん、私はどうしたら良かったのかな。色々と選択を間違えたかな。でも奴を葬ったのは正しかったと自信が持てるよ。だから天国に行ったらそれは褒めてよね。彼女は心の中で兄に呼びかける。最後は彼女本来の清々しい表情だった。



 凛花は左目にそっと手の平をあてて目を瞑る。最期は決して納得のいくものではなかった。沖田と母の関係も良くわからなかった。おそらく知らないままで良かったんだと思う。全てはもう終わったのだ。復讐を遂げるために十数年も費やした。これまで抑え込んでいた感情がどっと押し寄せてくる。


「お兄ちゃん。私やっと仇を討てたよ。お兄ちゃんはこんな事を望んでいなかったのかもしれないね。でも、私にはどうしてもけじめが必要だったの。大丈夫だよ。もう終わったから。」


 彼女は左目に手を当てたまま目を開く。右の瞳には憎しみが消え去り穏やかな光を湛えていた。


「私ね。もうこれで憎むのは最後にしようと思うの」


 十数年前、故郷の街で受けた多くの屈辱。彼女はオリジナル人類に対して強い憎しみを抱いていた。兄の仇を討った後にはオリジナル人類へ復讐する。当時の彼女はそう心に決めていた。しかし、この十数年でその想いは薄まった。


 ずっとオリジナル人類の中に紛れて暮らしていたからかもしれない。確かに腐った奴もいるが皆がそうというわけでもなかった。逆に腐ったセイジもたくさん見て来た。結局は人それぞれなのだろうと思う。

 オリジナル人類だからといって殺戮していたら、私もこの沖田と同じになってしまうだろう。そんな生き方は虚しかったし、兄が望むはずもない。これまでは自分の復讐を満たすために生きてきた。だから今度は望夢のために生きよう。左目にあてていた手を降ろす。


「だから……。世界中の甘いものを一緒に食べてまわろうね。お兄ちゃん」


 

 凛花の左の瞳がうれしそうに輝いていた。

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