終章 結末

第四十話 黒と青

 澄みわたる青空に無数の小さな閃光が飛び交っていた。対空砲火だ。地上から狙う対象の動きは不規則で速くなかなか当たらない。

 銃弾の嵐の中をかい潜るようにして、一つの黒い人影が上空に迫る。そして、その人影の手から何かが零れ落ちた。緑色に輝く小さな物体だ。それが地に接した瞬間に赤い閃光が走る。そしてその大きさからは想像できないほどの莫大なエネルギーを解放した。


 爆発と爆風で地上にひしめいていた兵士達が吹き飛ばされる。物体が落ちた地面の周囲数百メートルが円形に抉れていた。その中には生存者は一人も見当たらない。肉片すら残っていなかった。


 それを皮切りに、黒い人影が次々と上空に躍り出る。手には先ほどの緑色の爆弾。それを地上へと相次いで投下していく。爆炎と立ち昇る黒煙で覆いつくされる地上。如何ほどの兵士が犠牲になっているのかもはや想像もつかない。


「あいつらは何をしているんだ! なにがオリジナルの俺達に任せておけば良いだ。陸軍は対空砲火部隊を早く下げさせろ! このままでは陸上部隊は全滅だ。これよりセイジ特殊飛行隊を出撃させる!」


 州都の中心には高層ビル群が立ち並ぶ。なかでも一際目立つのが地上三百階建ての巨大な塔。そこに世界政府軍の日本州統合軍事本部があった。いまその最上階の最高作戦会議室に日本州の政府高官と各軍のトップが一同に集っていた。


 大きな円卓をはち切れんばかりの腹が囲む。小ぶりな椅子からは尻の贅肉が食みでていた。お偉方は一様に脂ぎった汗を浮かべ青褪めていた。戦況が芳しくないからだ。自らが築いた地位と財産。それらがもうすぐ塵と化すかもしれない。まさに瀬戸際だった。


 そんな中で机を強く叩いて立ち上がった男。彼だけその場に浮いた存在だった。髪と立派な顎鬚には白髪が目立つ。が、見る者には年寄りというよりも風格を感じさせる。肉体は未だ健在で全身が筋肉で盛りあがり胸も張り裂けそうなほどだ。瞳も生気に満ち爛々と輝いていた。


「山縣元帥。セイビーなら奴らに対抗できるとでも言うのですか。貴軍は対シェイド専用の軍じゃないですか。あれは知能のないただの獣とは違うんですよ」


 脂汗を拭きながら、陸軍のトップが苦言をていす。自分達の軍が使えないと言われたからだ。


「何を言っておるか! そもそも奴らは元をただせばセイビーだ。それぐらい周知の事実だろう」

「それはそうですが……」

「こちらの装備は最新式だ。数も問題ない。我々だけで制圧は可能だ」

「セイビーだけで戦うと」

「ああそうだ。ただし条件がある。奴らを倒した時にはこちらの要求を必ず通してもらうぞ」


「例の法案の改正ですか?」


 山縣にそう尋ねたのは円卓の最奥の人物。この州の最高権力者だ。


「勿論だ。奴らが居なくなれば必要ないだろう」

「わかりました。我々だって好き好んであの政策を実行している訳じゃありません。皆を守るための苦汁の決断なんです。反乱軍の脅威が去れば喜んで取り下げましょう」


 彼は両手を広げてわざとらしく山縣に応えた。それを忌々しげに睨みつける、山縣。約束を違えないように念押しすると部下へ命令を送る。


『特殊飛行師団、出撃準備に入れ!』

『了解。準備はすでに完了しています。ロクマル秒後に出撃させます!』


 その声に山縣は全体通信から個別通信へと切り替える。


『お前には辛い思いをさせてばかりで済まない。樹稀』

『大丈夫です。山縣のおじ様。こんなこと早く終わらせましょう』

『ああそうだな。いま知事に例の約束をとりつけたからな。もうひと踏ん張りだ』


 山縣と通信を終え正面を向く。丘の上に立つその姿は凛々しかった。下から吹きつける風がその長く艶やかな髪を揺らし、うなじに緑のアクセサリが光る。

 もはや通信やスカイムーブの制御にはヘルメットのような仰々しい作りは必要なかった。両目と後頭部の三点で脳を前後に挟むだけで良いのだ。目に付けるのはゴーグル派とコンタクトレンズ派に分かれるが、彼女はゴーグルを好んでつけていた。


 樹稀が右手を上げる。出撃の合図だ。青い人影が次々と飛び立ち空に同化していく。その数は数百にも及んだ。この決戦のためだけに日本州のセイビー特殊飛行隊の九割を掻き集めたのだ。残りの一割は三大都市に残した。最低限の都市防衛のためだ。


 空を駆けるセイビーの瞳はなぜか虚ろだった。とても戦士の顔には見えない。自分たちの街を守るための決戦にもかかわらずだ。

 空の至るところで黒と青の人影が交錯し赤い火花を散らす。青い人影は飛行速度や旋回性能が明らかに黒のそれよりも高かった。それもそのはずで黒いセイビーが装着しているのは十年以上前のスカイムーブ初期型。これに対して青いセイビーは最新式のスカイムーブⅢだ。さらに黒いセイビーの数は青の半分にも満たなかった。明白な戦力差だ。誰が見ても勝負がつくのは時間の問題に思えた。



 その空戦の遥か上空に二つの黒い影が浮かぶ。青年と中年の組み合わせだった。


「とうとう本命が出てきたか。ふんっ、装備は良くてもそれを生かす技能がなければ大した脅威ではないな」


 青年は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。確かに青い人影の動きは速いが単調で精彩に欠けた。一方の黒い人影は俊敏さに劣るが経験を感じさせた。統一感の無い個性的な動きながらも己より速い相手に十分に対応できていた。


「蓮夜様。しかしあちらさんは圧倒的な数ですぞ。物量で押され始めました」


 中年の男は現在の戦況を的確に指摘する。


「お前は獣堕ちしても変わらず冷静だな。さすがはかつて州都で反乱軍のリーダーをしていただけはあるな。だが問題ない。餌を撒いておいた」

「なんと! まさか、奴らを呼び寄せるつもりですか! 立ち昇る黒煙の意味がやっと私にも理解できました。煙は出ないはずの爆弾でしたので不思議に思っておりました」


「あれを奴らから引き出すのにもちょうどいいインパクトだしな」

「噂をすれば早速やって来ましたな。さて、お手並み拝見といきましょうか」


『お前ら! 水素ブーストで上空に急上昇だ! 敵には一切構うな。いいものが見れるぞ』


 蓮夜は全軍にそう命令する。その視界の先、遠くの空から無数の漆黒の群れが姿を現した。


『シェイド襲来! 反乱軍の背後から来ます! 鯨型が多数! その周りには未確認の鳥影! 数は測定不能! 空を埋め尽くすほどの夥しい数です!』


 統合軍事本部に参集していた首脳陣の脳にそれの拡大映像が送られる。


「な、なんという大きさ! あの群れは一体……」

「おい! あ、あれは鳥じゃないぞ!」


 本部がざわめきだす。鳥だと思っていたのは翼竜の群れだった。翼長は数百メートルにも及ぶ。言葉の綾ではなくまさに漆黒の闇で覆いつくされた空が州都に迫っていた。二、三キロメートル級の大きさの鯨が数十体。翼竜にいたっては少なく見積もっても数千はいるのではないか。統合本部の高官達は完全に恐慌状態に陥っていた。


 そして、誰かがそれを言ってしまった。


『ウォールキャノン、シェイドに向かって全門斉射しろ!』


「ば、馬鹿野郎!? セイビーを撤収させてからだろうが!」


 あまりにも愚かな命令。山縣はそれを阻止しようと立ち上がる。が、よろめき机に手をついた。床が強く揺れたのだ。州都全体が振動していた。


「な、なんてことを……」


 窓を見つめる山縣の声は震えていた。それは肉眼でも確認できた。州都からシェイドに向かって赤色の筋が無数に伸びていく。そして空が真っ赤な閃光に染まった。眩しくてとてもじゃないが直視できないほどだ。


 赤い光が収束した時、漆黒だった空は元の青色を取り戻していた。空を埋め尽くしていたシェイドはまさに一瞬で跡形もなく消失したのだ。


「ふふふふ、あはははっ! 州都ウォールキャノン。噂に違わぬ威力だな」


 遥か上空で高笑いする蓮夜。


「そ、そうですな。一斉砲撃は州都建設以来、初めてかと思います。しかし奴らは良い噛ませ犬でしたな。何もできずに一瞬で塵と消えてしまいました。少し可哀想な気さえしてしまいますが」


「まあな。でもお蔭で邪魔なセイビーは一掃できたぞ」


 無数の黒い人影が州都を目指し急降下していく。それを妨げる者は最早いない。反乱軍は水素ブーストの急上昇により砲火を逃れた。しかしセイビーは瞬時の判断ができなかった。彼らはシェイドと同様に空からその姿を一瞬にして消していた。



「ひ、酷い……。あいつら命を何だと思っている! 私たちは虫けらじゃない!」


 怒りに震える、樹稀。州都の防壁を睨む彼女。壁の向こうで豚のように肥えた高官達の笑う姿が思い浮かぶ。


 空を見上げると隊列を組んだ反乱軍が州都へと牙を剥いて迫って来る。このままでは州都は奴らの手に落ちるだろう。


「まだよ。未だ終わっていない!」


 樹稀は再び手を上げ頭の中で叫ぶ。


『セイビー特殊飛行隊、全軍出撃!』




「何だと! あれで全てじゃなかったのか。なんでまだあんなにセイビーがいるんだ! たったの十年であんなに増えたというのか」


 陸上から新たな青い群れが飛び立ち、黒いセイビーを取り囲んだ。想定外の展開に狼狽える蓮夜。


「どうやら当てが外れましたな。きっと碌でもないことをしていたに違いありません」


 その言葉にある可能性が蓮夜の頭を過った。


「まさか、あの研究を実用化したというのか!」

「それは?」


「俺が訓練学校に未だ在籍していた時だ。ある政府の高官がセイジI型に研究させていた。セイジの成人女性への妊娠促進剤の投与および胎児への成長促進剤の直接注入。これによるセイジの効率的増加手法の研究開発だったか。しかしあんな非人道的なものは流石に採用されるとは思えなかったが」


「恐らくはそれでしょう。そうでもしないとあのような数をこの短期間で揃えることは不可能です。オリジナルにとって我々は人以下の家畜だったのでしょう」


 反乱軍の前に立ちはだかる青い群れは先程の数倍にも及んだ。圧倒的な戦力差だった。


「く、糞っ! 十年だ。十年かけてここまで辿り着いたんだ! こんなところで終わってたまるか!」


「誠に遺憾ですがすでに雌雄は決したかと。蓮夜様、これまでお世話になりました」

「何を言っている! 俺は未だ諦めていないぞ!」

「私は半ば無理やり獣に墜とされましたが、いまとなっては感謝しております。あのまま州都で活動していてもすぐに制圧されていたでしょうから。ここまできたら奴らに一太刀浴びせるまで足掻いてやりますか。久々に血が滾って来ました。では、さらば!」

「おい! 待てよ!」


 我慢できなくなった側近の男が蓮夜の元を離れて州都に向かって降下していく。

 蓮夜はそれを呆然と見送るしかなかった。眼下では青の包囲網が狭まり見る間に黒を押し包んでいく。まさに一方的な戦いだった。

 そして上空に一人佇む蓮夜を見つけた青い一団が彼へと襲いかかる。


「畜生ぉぉおおお!!」


 蓮夜は最期にある人の顔が思い浮かんだ。裏切ったはずの女性、自分がこの手にかけてしまった最愛の女性の顔だった。なぜだろう。その顔は自分に優しく笑いかけていた。

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