第二十三話 変貌

 北都北西部に低所得者層の集まる地区がある。治安は決して良くない。都市が近代化してもスラム街は無くならなかった。むしろ一か所に隔離した方が政府も管理もしやすかったのだ。


 その一角の雑居ビル。そこが新人類解放グループのアジトだった。


「小僧、何のつもりだ? どうしてここがわかった」

 

 黒衣の男が剣呑な目で少年に問いかける。二人の間には金色に輝く机。金貨の山だった。

 

「いえ、ささやかな活動資金の提供です。あと僕に紹介してもらいたい方がいるんです」

「なんだと」


 その言葉に男の発する圧力が高まる。が、それを気にも留めずに少年は笑いかけた。


「あなた達のリーダーにお会いしたいんです。色々とお願いしたい事がありまして」

「素性もわからない餓鬼にそう易々とそれを教えると思うか」

「そうですか」


「とりあえず、この金は有り難く頂戴しよう。また出直すんだな。何度か顔を見せれば考えてやらんこともない」


 話はもう終わりだと告げ、男は椅子から立ち上がろうとした。


「ちょっと待ってもらえますか」


 男は急に背筋に寒気を覚えた。口調は変わっていないが、明らかに少年の雰囲気が変わったのだ。頭が警鐘を鳴らしているが膝に力が入らない。


「お前っ。いつの間に」


 机の反対側にいたはずの少年が隣に立っていた。そしてゆっくりと男へ顔を近づける。


「どうしても知りたいんですよ。リーダーの居場所を、教えてもらえますか?」


 見つめ合う二人の瞳はどちらも深緑色。目を逸らせずにいた男の瞳孔が急に大きくなった。


「あ、あ、リ、リーダーはここにはいない。彼は基本的に州都の本部にいる」


 黒衣の男はそれしか答えることができなかった。しかし少年は満足そうな笑みを浮かべる。


「ありがとうございます」


 恐怖に震える男の耳元にそう優しく囁いた。


少年の去った室内。黒衣の男は虚ろな視線を天井に彷徨わせ呻く。


「瞳が紫に変わっただと……。なんで、あいつは堕ちていないんだ」


 蓮夜は最寄りのステーションに向かって歩く。口元が緩むのを抑えられない。やっとここまで辿り着いた。必要な情報が入手できことに大いに満足していた。


   ***


 静香が居なくなってからの二年間。


 蓮夜は勉学と厳しい剣道の修練に勤しんだ。以前と比べて口数は極端に減った。周囲の者とは、必要最低限の会話しかしない。


 当然、人前で声をあげて笑うことは皆無だ。無言で口元を歪めるだけ。使用人達も旦那様より不気味だと噂していた。


 蓮夜はそんな事は気にも留めない。時間の許す限り自室に篭っていた。


「坊ちゃん、いったい毎日、何をしていらっしゃるのですか?」


 青白い顔が蓮夜の背後から声をかける。第一秘書の沖田だ。


「部屋に入るにはノックするのが礼儀じゃないのか」


 座っていた蓮夜は後ろを振り向きもしない。ただ不機嫌そうに抗議した。


「しましたが、反応がございませんでした。なので勝手にお邪魔させて頂きました」

「ふん。邪魔はするなよ」


「それはビニックですか?」


 蓮夜の正面の机の中央に黒い帽子が載っていた。

 Brain Network Interface Cap

 通称ビニックと呼ばれる通信インターフェースだ。


 ビニックから伸びる複数の電線。それらが机の左右に置かれたシルバーの電子機器へと接続されていた。


「こいつの仕組みは解析し終わったから、今度は改造しているところだ」


 この街ではビニックを介した通信は本来できない。唯一可能なのが彼の家。つまりは市長邸だ。それでも、リビングと学習室の二か所からしか接続できない。


 逆にいうと他の場所は通信網の外にあった。ビニックに電源を入れても誰からも監視されることはない。解析や改造は自由なのだ。北都でこれが発覚したら直ちに投獄されるほどの重犯罪である。


「さすがですね。そんな簡単な代物ではないと思うのですが。して、どんな風に改造されているのですか?」

「それはお前のような奴が気に留める話ではない」


 重犯罪を沖田に見られているのに気にした風もなかった。何しろ、この違法機器類は全てこの男を通じて手に入れたのだ。いわば共犯扱い。むしろ大人の沖田の方が重い罪に問われる。


 二年前のあの日もそうだ。


 

 蓮夜は翌朝になって張り裂けるような思いで玄関を訪れた。自ら手にかけてしまった最愛の人の姿を見るのが怖かった。


「え、なんで……」


 しかし、二つの死体はそこには無かった。血痕の一つさえ残されていなかった。


「もしかして、あれは夢だったの」


 昨日までの積み重ねもあった。状況に精神が混乱をきたす。そして耐えきれなくなった蓮夜はその場で崩れ落ちた。


 気づいた時にはベッドの上。枕元に誰かが立っていた。


「し、静香っ!!」


 一瞬、抱きつきそうになった。


「いえ、誠に申し訳ありませんが」


 しかし、そこにいたのは秘書の沖田。


「坊っちゃん、とりあえずこれをお飲みください。気が落ち着きますよ」


 精神安定剤だった。

少し落ち着きを取り戻す。


「自分が後始末をしておきました。なので、坊っちゃんはご安心ください」


 沖田はそう告げた。普段は血色が悪く陰気な沖田だか、この日ばかりは違った。倒れた蓮夜を気遣ってか頬を上気させ明るく振る舞っていた。


 使用人達も二人は駆け落ちして居なくなったと信じているようだった。この男が完全に闇に葬り去ったのだ。


 静香の代わりに教育を引き継いだのも、この沖田だ。蓮夜はある程度はこの男の事を信用してはいる。が、信頼は全くしていない。そもそも蓮夜は今後は誰にも心を開くことはないだろう。



「おい、次はそうだな。孤児院から一人ここに連れて来れるか?」

「かしこまりました。男女の希望はございますか?」


 沖田は心の中で蓮夜を蔑んだ。とうとう自分よりも弱い女児を虐げるほど精神が蝕まれたか、と。男女の希望をあえて聞いたのは単なる皮肉だ。


「いや、男女は問わない。ただ、気の弱そうな奴を連れて来い」


 予想外の回答に沖田は首を傾げる。単に気の弱い人間を虐げたいだけか、と納得した。

 翌日、蓮夜の自室から小さな少年の悲痛な声が響きわたった。沖田はやり過ぎないように戒めるために蓮夜の部屋に入る。


 そこに生気を失った少年がいた。腕をだらりとぶら下げ、力なく椅子に座っていた。少年の頭には予備のビニックが被せられていた。


 その傍らに蓮夜が立っていた。頭には先日改造していたビニックを着けていた。


「坊ちゃん、一体なにを――」


 問いただそうとした沖田は蓮夜を見て息を呑む。彼はただ笑みを浮かべていた。しかし、それは沖田ほどの男でもぞっとするほどの醜悪さだった。


「実験は成功だ!」


 蓮夜はそう叫び、高笑いを始めた。静香を亡くしてから、初めて声をあげて笑ったのかもしれない。


 その後も、何人かの孤児が犠牲となり、実験が繰り返された。最終的には街の浮浪者も拉致された。成人に対する有効性を検証するためだった。


「坊ちゃん。精神が壊された人間を処理する身にもなってください」

「仕方ない。実験に犠牲はつきものだ」


「はあ、では、そろそろ何をやっているか、ご教授頂けないでしょうか」

「ふん。しょうがないな。沖田、お前、ビニックについてどの程度知っている?」


「無学な私の知識で僭越ですが……。ライティングとはその名の通り――」


 有能な秘書は流石に博識であった。淀みなくビニックの情報について答えていく。


 人は通常、目や耳などで得られた五感情報を脳の各領域に送っている。ライティングとは、デジタル情報をビニックを介して脳にダイレクトに伝達する仕組みである。


 五感情報の全てが対象だ。映像や音だけでない。匂いも味も、触感さえも感じることができるのだ。


 リーディングはその逆だ。脳内の情報をダイレクトに読み出す。身体を動かすことや会話、表情などは脳から送られる信号に基づいている。

 さらにいうと人の記憶や感情もそうだ。ただ、記憶や感情を勝手に読み出すのは明らかな人権侵害にあたる。

 

 このため市販のビニックではリーディングの機能は極一部に限定されている。


「市販品は幾重にもわたる強固で高度なブロックがかけられ――」

「俺はそのセキュリティを外すプログラムの開発に成功した」


 沖田の説明を遮って発した蓮夜の言葉。それは驚愕の事実だった。


「なっ! まさか、そんな……」

「なかなか骨が折れたよ」


「本当に一人でクラックしたんですか! セキュリティチームは広範囲の分野に跨る世界中の専門家集団ですよ。常に監視もされているんですよ!」


「まあ、環境も良かったからな。この屋敷の二部屋以外では何をやってもその監視ネットワークの外だからな」


「確かに、だ、だからといって」


「そもそも、こういうのは守る方が明らかに不利なんだ。隙一つ作れないからな。こっちは僅かな綻びさえ見つければいいんだ」


 蓮夜は事もなげに言う。


 しかし、ネットワークの外だとしても、そう簡単に破れるものではない。彼の高度な知能と執念。そして偶然が結びついて事は成し遂げられたのだ。


「そうしますと……」


 沖田が上目遣いで蓮夜を窺う。


「なんだ?」

「いえ、坊っちゃんはビニックを被っている相手から自由に記憶や知識を奪えると。むしろ操ることも可能ということですか」

 

 少し怯えた表情で沖田が訊く。


「さすがにそう簡単にはいかない。相手が正常な状態ではクラックが成功しないんだ」

「というと」


「極度に怯えるなど精神に混乱を生じさせないと無理だ。その時に通常だと抜けられない僅かなシステムの穴が広がるのさ。そうなればこっちのものだ」


「そうですか、逆に取り乱さなければそれは防げるということですね」

 

 安堵する沖田に蓮夜は口角を上げる。


「現状はそういうことだ。ビニックの動力源のコアが小さいからな。ただ、かなり大きなコアを使えば例え小さな隙間でも力技でこじ開けれるだろう」

「そうですか……。いやはや坊ちゃんは恐ろしい人だ」


「まあ、それ以外も色々と改造したけどな。そこまでお前に話すつもりはない」


 蓮夜はセイジについてのあらゆる情報を改造ビニックで調べ上げていた。おもての内容から軍や政府がプロテクトしている裏の情報まで全てだ。


 紫色の瞳の存在。それを政府が執拗に隠そうとしていることもわかった。そして彼らがオリジナル人類とセイジの両方から恐怖の対象となっていることも。


 これは使えると直感した。自分の瞳の色を変える位なら簡単だ。相手のビニックに僅かに干渉するだけだ。あとはどのような色にも見せることができる。


 そして最も知りたかったことを突きとめた。オリジナル人類に敵対する第二世代の勢力があることだ。それは小さいながらも確かに存在した。

 蓮夜は何とかしてこの勢力とコンタクトをとりたいと考えていた。


 そんな時にあの襲来が起きた。沖田から政治経済について習っていた時だった。


「おい、沖田! 今すぐ家の貴重品を全てまとめてこい。市庁舎に向かうぞ!」


 蓮夜は唐突にそう命じた。


「き、急に、何を――。いえ、かしこまりました。十分ほど時間をください」


 そう言って足早に部屋を出て行く、沖田。理由を聞かずに迅速に行動に移る。まさに優秀な秘書であった。

 沖田は理解していた。蓮夜がすでに常人の理解の範疇を超えた存在である事を。そして意味なくそのような指示を出さないことも。


「市庁舎には五分もあれば着きます。ところで何が起きているのでしょうか?」


 黒塗りのセダンで市庁舎に向かう。全ての準備を終えた沖田は蓮夜に状況を確認する。


「軍の通信を傍受した。現在、この街は複数のシェイドに襲撃されている」

「そんな!」

「おそらくこの街はもう長くは持たない」


 沖田はあまりの内容に驚愕する。が、すぐに冷静さを取り戻す。


「では避難ルートを確保しましょう」


 沖田は車内の無線を手に取る。避難用の車両の手配など、軍を含めた街の有力者に次々と根回しを始めた。


「なんで儂がこの街を離れないといけないのだ!!」


 一番の困難は市庁舎の父親だった。彼は既得権益を捨て去ることに猛烈に反発した。


「しかし旦那様。このままこの街に残っても破滅しかありません」

「そうです、父上。持ち運べる貴重品は全て車に積み込みました」

「それらの財産を全て貨物車両に積み込む手配も完了しています」


 二人がかりで、丸一時間。何とか説き伏せ軍用列車への避難に成功したのだ。



「ひぃいいい。ば、化け物!! 儂は、も、もう終わりだ!」

「旦那様、落ち着いてください。この列車は大丈夫です」


 列車の中で頭を抱えて床に蹲る父親。初めて目の当たりにしたあまりにも巨大なシェイド。列車に襲いかかる怪鳥の姿を目にして半狂乱に陥っていた。


 一方、蓮夜は取り乱す素振りすら見せなかった。父親の醜態をただ冷ややかに見下ろす。蓮夜はこれまで幾度となくシェイドと遭遇してきたのだ。

 

 ビニックから得られる軍の機密情報。その中には身を挺してシェイドと戦うシーンも数多くあった。脳内に送られる五感情報は実際に体感したのと遜色なかった。


 巨大なシェイドが駅へと墜ちていく。街のあちこちから火の手が上がっていた。真っ赤に染まる故郷の街。

 それを窓際で静かに眺める蓮夜。彼は一人おぞましい笑みを浮かべていた。唇が僅かに動いていた。


「そうだ、全て破壊しろ、破壊しろ、破壊しろ……」


 繰り返される怨嗟の言葉は音を発しない。狂気に囚われた少年。父親もボディガードもそれに気づく事はなかった。


     ***


「北都の反乱軍のリーダーともあろう者が、随分な醜態を晒しているな」

「だ、だれだ! 貴様、さてはお前も奴の仲間だな!」


 放心していた黒衣の男。その前に紫のロングコートに包まれた男が立っていた。顔の部分が黒のフェイスマスクとサングラスで隠されている。

 どうみても怪しい風体だ。


「ミスターT。そう名乗ればわかるか」

「なんだと! お前が……。しかし、これまではずっと北都の外だったはず。連絡員を通してしか接触してこなかったはずだ。それがなぜ今になって北都に」


「ふん。事情があって来たくはなかったんだが、今回は入らざるを得なかったからな」

「まあ、そんな些細な事はいいか。上客様なら歓迎だ。今回もあれの購入か?」


「いや、残念ながらもう必要なくなった。今回は――」

「お前、本気で言っているのか! それは駄目だ。さすがに危険すぎる」


 あまりに無謀な依頼に黒衣の男は青褪める。


「大丈夫だ。俺が奴らの陽動をする」

「なんだと。そんなこと――」


「警備が居なくなった隙を見計らって手に入れろ」

「確約はできん。現場に待機はするが、警備が一人でも残っていたら撤収させてもらうからな」


「それで問題ない」


 ミスターTは顔を歪めて笑った。踵を返すとスラム街の雑踏の中へと消えて行った。

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