第二十一話 北都

「もう駄目だ。疲れた……」


 ふかふかのベッドに仰向けの僕はぼやく。首を横に傾けると壁一面が窓だった。

 僕はいま地上三十階にいる。窓からは正午を迎えた北都の街並みが一望できる。素晴らしい景観だ。

 にもかかわらず、僕はそれに何も感じない。午前の出来事だけでお腹一杯だ。驚き過ぎてくたびれていた。

 しかも、最後に出くわした一人の男。そいつの事が心に重くのしかかっていた。



     ***


 入都手続きを終えて向かった先は地下高速歩道ステーションだ。地下に降りると黒い二つのレーンがあった。それぞれが反対方向に、ゆっくりと動いていた。


「翔くん、あのレーンに乗って」

「西壁方面行? 俺らの目的は中央の行政区だよな」


「うん、そうだよ。現在地は街の東端なんだよ。だから西行きのレーンに乗って途中で降りるのさ」

「ああ、なるほど」


 僕らを乗せたレーンが少しずつ加速していく。


「うお、なんてでかいトンネルだ。しかも、凄い人だし」


 定速になると隣にメインレーンという広い歩道が合流した。秀人の指示に従いメインレーンへと移動する。


「しかし、これどうなっているんだ。かなりのスピードが出ているんじゃないのか」

 

 視界の端を高速に通り過ぎる壁。驚き疲れて反応したくないのに反応せずにいられない。やたらと高度な技術が憎らしい。


「メインレーンの公称速度は時速六十キロだね。速度は常に一定に保たれているんだ。ステーションレーンがメインレーンと同じ速度まで加速してから合流しているんだよ」


 エリカは手で頭を押さえていた。浅く被った帽子が風で飛ばされないようにだろう。北都内は原則ビニックの着用が義務だ。着用していないとこの高速歩道にも乗れない。


「あ、エリカちゃん。帽子を押さえなくても大丈夫だよ」

「え……」

「この通路は風圧を受けない設計になっているからね」


 何気なく帽子から手を下ろすエリカ。どうやら恥ずかしかったようだ。鼻の穴が少し膨らんだのを僕は見逃さなかった。互いの癖は知り尽くしている。


「横移動は自由。前後の移動は一定範囲内は自由だけど、それ以外は所定の場所を通らないといけないんだ」

「なんで風を受けないんだ」


 普通だったら高速で動く物に乗れば、当然強い風圧がかかるよな。


「エアカーテンだよ」

「なんだよ。それ」


「レーンの両端やレーン上から風が噴き出されているさ。横風よりもとっても強い風がね」

「ふーん。確かになにか噴き出し口のようなものが見えるな」


 噴出し口の手前や周辺には立ち入り禁止ラインが描かれている。


「あそこに行くと危ないってことか」

「かなりね。でも大丈夫だよ。近づきたくても近づけないから」

「どういうことだ」

「ビニックを被っていると、あのラインよりも外に出ることができないように仕組まれているのさ」

「なんか操られているみたいで怖いな」


 クーが胸元から顔を出し左右を忙しなく確認していた。


「なんだお前、動く歩道が気になるのか。降りてみるか?」


 クーは小刻みに首を横に振ると、再び服の中に潜り込んだ。どうやらすぐに興味を失ったらしい。

 秀人は自分の役割を淡々とこなしていた。


「目的のステーションが近づくと隣にレーンが現れるから」

「行政区だっけか」


「そう、それに乗り換えればあとは乗ったときと逆。メインストリームと離れてゆっくりと減速し、最終的に歩く速度と同じになるよ。あとは降りるだけ」

「ふむふむ」

「この地下高速歩道は――」


 北都の地下高速歩道は三つのメインレーンから構成される。中心部から外壁へと向かって伸びる東西レーンと南北レーン。そして内壁の街よりを、ぐるりと一周する内周レーンだ。これらは北都で暮らす人々の主要な移動手段となっていた。


「でもこれって最終的にどうなっているんだ。先端までいくとレーンが消えるのか?」

「あ、それは……。向こう側にもレーンが見えるでしょ」


「ああ、俺らとは反対方向に進んでいるよな」

「あれと繋がっているんだ。先端まで行くと折り返すのさ」


「要するにレーンは一つの輪になっているってことか」

「そうそう。あ、内周レーンはそれぞれの方向別に二重の輪だけどね。レーン下部に一定間隔で磁性ブロックがあって、レーン裏面に塗布した磁極反転素子の磁力によって駆動しているんだ」


「そっか……」


 とりあえず、ぐるぐる回るのか。深く考えるのは止そう。

 乗ってから五分程で目的のレーンが隣に現れた。ステーションレーンの床に緑色で大きく行政区と文字が点滅していた。僕らは無言で秀人の後をついていく。もう横になって休みたい。



 首に鈍い痛みを感じて我に返った。行政区ステーションの三番口から地上に出てから暫く経っていた。

 隣では、エリカもまた上空を見上げたままだ。普段はきつく結ばれているはずの凜花々しい唇。それがだらしなく開いていた。


「はぁ、もう、いい加減にして欲しいな」


 目の前で超巨大な高層ビルが天を突いていた。真下から見上げてもその先端部は見えなかった。


「こ、ここに、北部防衛軍の中央施設が入っているはずだよ。街の中央に位置していることから、セ、セントラルタワーと呼ばれているんだ」


 さすがの秀人もその迫力には圧倒されたようだ。我に返ると、どもりながらも歩く辞書の職務を全うする。

 地上二百階、高さ八百五十メートル。北都最高峰の建物だ。下層域には案内所、防衛学校、そして多くの商業施設が入居する。中層部は行政関連施設だ。高層部は陸海空およびセイジ軍が入居。さらに、軍上層部と北都政府高官の居住区があった。

 屋上には、監視塔がある。そこには軍用航空機とセイビー特殊飛行隊の発着場が併設されていた。


「おい、なんか天辺の方に巨大な筒状のものが見えるけど、あれは?」


 秀人の説明に再び空を見上げていた僕はそれに気づき指さした。


「あれこそが北都防衛の要、タワーキャノンだよ」


 セントラルタワーの頂上部から東西南北に長い砲身が伸びる。射程距離は三十キロを超える。北都に接近するシェイドはまず監視棟で補足される。地上型のシェイドは外壁の砲台やセイビーによって迎撃される。しかし、高高度から襲来するシェイドの撃退はさすがに困難を極めた。その際にこの主砲が活躍するのだ。

 このタワーの竣工後、飛行型のシェイドが北都上空で確認されたことはない。全て外壁の数キロ手前で打ち墜とされていた。


 ああ、首が痛い。右手で首裏を押さえて上を見上げていた。複数の笑い声を耳に拾った。そちらを振り向く。見慣れない制服を来た男女学生達だった。

 僕らを見てクスクスと笑いながら通り過ぎていく。おそらくここではよく見かける光景なのだろう。田舎者丸出しで恥ずかしくなった。


「とりあえず、ここでずっと眺めていてもらちが明かない。とりあえず行こうぜ」


 二人を促して足早にタワーの中へと入る。


「うわー」

 

 一階から五階までが大きな吹き抜けだった。正面に噴水とベンチ。吹き抜けを囲うようにレストランやショッピングモールが立ち並ぶ。

 人で溢れかえっていた。故郷では決して味わうことのない賑わいだ。圧倒された僕は周囲を忙しなく見回す。秀人も立ち止まって嬉々として何かを調べはじめる。


「何、やっているの。はやく、いこ」

「ちょ、おい!」

 

 エリカが僕の腕を掴み左へと誘導する。というよりも強い力で引きずられていたというのが正しい。軍施設の受付は左の奥の方にあった。


「恥ずかしい」


 エリカは先ほど笑われた失態を忘れてはいなかった。気づくと周囲の人からまたしても多くの視線が注がれていた。これ以上、目立つのは恥ずかしいから止めろということらしい。


「俺らの所為じゃないと思うけどな」


 しかし今回は彼女の誤解だ。それを理解していたが、あえて訂正はしなかった。

 ホールで、こちらに向けられていた多くの視線。それは正しくは僕らではない。ほぼエリカ一人に集中していた。故郷の街でも同様の視線をよく集めていたのを僕は知っている。ただ、当人は一切気づいていなかった。


 しかし、ここは故郷の田舎とは違う。比較にならないほど人の密集した都会だ。入都してから同様の視線が急増していた。セントラルタワーはそれに輪をかけて人が多い。しかも若者中心だ。あまりに多くの視線がエリカに集中した。鈍い彼女でもさすがに視線に気づいたようだ。


「世の男性は見目麗しければ、中身は気にしないのかね。つーか、女もかよ」


 男だけじゃなかったよ。周囲の女性からも黄色い声が上がっていた。中身を知っている僕としては、そんな周囲の反応が残念でならなかった。


「翔、何か言った?」


 瞳が釣り上がっていた。


「なんも言ってない。ほら、受付に着いたぞ」」


 鈍い癖にこういうのは鋭いんだよな、と内心で冷や冷やした。

 北都防衛軍の受付窓口は軍部ごとに分かれていた。


「一番は総合受付。二番は陸軍、三番が海軍か。お、あった」


 順に目をおっていくと六番窓口に第二世代軍の受付を発見した。カウンター脇に混雑時のための予約機があった。ボタンを押すと順番がビニックに送られるようだ。

 待合椅子を見ても誰も座っていない。受付の女性に直接話しかければいいか。


「お姉さん」

「あら、いらっしゃい。可愛らしい子供達ね。何の用かな」


 受付の若いお姉さんが愛らしいスマイルで迎えてくれた。


「今日、入都審査を受けて北都に来たばかりなんです。これからどうしたらいいですか?」

「あら、そうなの。じゃあ、先に身元を確認させてもらうわね」


 彼女は視線を落としモニタで内容を確認する。どうやらビニックを被っているだけで僕らの身元を確認できるようだ。


「火鷹翔様、兵藤エリカ様、新井秀人様で宜しいですか?」

「はい。間違いありません」


「入都審査の結果が確認できました。それでは明日の午前九時までに受付にお越しください」

「明日?」


「はい。九時十五分から、当館三十五階の第二世代軍の会議室にて説明会がありますので」

「なるほど」


「ところで宿泊施設は手配できていますか」


 僕は首を振る。


「ご安心ください。軍ご用達のホテルに無料で宿泊ができます。中央商業区のグランドホテルです。宿泊予約はこちらで手配しておきますね」

「ありがとうございます!」


 ホテルという言葉に心が躍った。これまでそんな大層な所に泊まった経験は当然ない。興奮気味にホテルの詳細な位置と行き方を尋ねる。そんな僕に対し窓口のお姉さんは丁寧に応対してくれた。笑顔を絶やさない素敵な女性だった。


「また明日来ます!」


 頭を下げて窓口を後にした。お姉さんはにこやかに手を振って送り出してくれた。


「あー、窓口の人が親切で優しい人で良かったなー」

「そう、良かったね……」


 高速地下道へと軽やかな足取りで戻る。背中に何かが突き刺さるのが気になった。 

 わかっている。これはエリカの視線だ。しかし、さすがに今回は憎まれ口を叩いた覚えは一切ないぞ。僕は首を傾げる。やはり、最近になって彼女の目つきがさらに悪くなったのかもしれない。

 セントラルタワーを後にした僕らは商業区へと向かう。


「さっきのステーションから、南北レーンの南壁方面行きに乗るんだよな」

「うん。今度は直ぐだよ。二つ目のステーションだからね」


 秀人の言う通りすぐに着いた。商業区に出た瞬間、目が眩んだ。


「こ、これは……」

「う、うん……」


 行政区は人が多かったが、どちらかというと少し硬い雰囲気だった。しかし、ここは違った。街全体が煌びやかに輝いていた。

 建物は全て二十階以上の高層ビル。白い外壁を埋め尽くすように鮮やかな広告が入れ替わりで流れていた。


「凄いよ。ビルの外壁そのものがスクリーンになってるんだ」

「こんなに人が住んでいるのか」


 ビル群の間は二十メートルの幅広な道路。そこが色とりどりの華やかな服装で埋め尽くされていた。頭に被るビニックの色やデザインも様々だ。車両は一切走っていない。歩行者専用道路のようだ。

 活気に満ちるその光景は、街全体が生きているのかと錯覚してしまう。


「ねえ、ほんとに、ここ、同じ世界?」


 エリカの言う通りだ。僕らには場違いな街だった。


「いくら何でもかけ離れて過ぎている」


 故郷や北都外壁の厳しい暮らしは何だったのだろう。これまで何とか保持してきた僕の世界観。それがここにきてとうとう崩壊した。

 放心状態の僕は、突然の衝撃に我に返った。正面から来た人がぶつかったのだ。僕らはひしめき合う雑踏の中で呆然として立ち止まっていた。誰かが衝突するのは当然のことだったのかもしれない。

 目の前に全身が紫に包まれた人が立っていた。身長は僕よりも随分と高い。大人であることは確かだ。フードで顔は見えないが服装からすると男のようだ。そいつは舌打ちして僕の脇を通り過ぎようとした。


「おい、待てよ。ぶつかってきておいて何もないのかよ」


 正直、僕は精神的にかなりまいっていたのだろう。自制心が普段よりも働かなかった。気づくと、すれ違い様にフードの男の左腕を掴んでいた。フードに隠れた顔がゆっくりとこちらに向いた。

 フェイスマスクとサングラス姿で顔が隠れていた。明らかに怪しかった。男は腰を折ると僕の顔へと自らの顔を近づける。そしてサングラスを僅かに下へずらした。


「あっ――」


 男と視線が合った瞬間、体が硬直した。フードを掴んでいた腕が力なく落ちる。

 男は僕の耳元で何かを囁いた。そして何事もなかったかのように歩き去っていった。


「翔、どうしたの。いま、あいつに何、言われたの?」


 繁華街に圧倒され放心していたエリカ。しかし、僕の異変にいち早く気づき自分を取り戻したようだ。


「だ、大丈夫……」


 その一言を紡ぐので精一杯だった。その後の記憶があまりない。 



「その後、大変だったんだよ」


 秀人がその後について教えてくれた。

 僕はその後、黙り込んでしまった。何を話しかけても答えなかった。半ば放心状態の僕をエリカが引きずるように歩かせた。宿泊施設までの道は秀人が誘導してきたようだ。


 繁華街を、東に七分ほど歩くとホテル街があった。宿泊するホテルはその中でも一際大きく、高さは四十階建て。当ホテルのエントランスの華美さは北都でも有名のようだ。一度見ると忘れないとさえ言われている。


「すまん。まったく記憶にないわ」


 僕にはそんな記憶は一辺も残っていなかった。頭に強く焼き付いているのは紫色のフードの男の瞳。あれは狂気の塊だった。直近に目を合わせただけで、その世界に引き込まれそうになった。

 薄笑いを浮かべ僕に囁きかけた言葉。それがいまも心に重くのしかかっていた。


「翔くん、大丈夫? そろそろエリカちゃんとの約束の時間だよ」

「ん、ああ……」


「体調が悪いなら無理して昼食を食べない方がいいよ」

「いや、もう大丈夫だ。朝飯も食べてないんだ。さすがに腹が減ってしょうがないぞ」


 僕は頭を強く振ると無理に明るい声をあげた。そして、自らを奮い立たせるように勢いよくベッドから体を起こす。僕の背後からあの声が迫ってくる。


『出来損ないの同類よ。ここに堕ちて来るのを楽しみに待っているぞ』


 紫の瞳の呪詛。それを振り切るかのように僕は足早に部屋を後にした。

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