第六話 軍用列車
目の前で、何かが、小刻みに動いていた。
クーの耳だった。僕の首元から、顔を覗かせていた。しかし、怯えたように僕の胸の中へと潜ってしまった。
ん、何か聞こえる。一定間隔で、鳴る甲高い音。それが冷気を震わせながら次第に近づいて来る。
「なんの音だ?」
僕は、気になり、庇の下から身を乗り出した。音の鳴る方角へと目を凝らす。
「お、おい。なんなんだよ、あれは――」
黒色の大きな塊だった。線路に降り積もった雪を吹き飛ばしながら、こちらに向かって来る。
「あ、あれが軍用列車だよ……」
秀人が、どもりながら答えた。しかし、その声は恐怖で震えるというより、興奮して上ずっているようだった。
近づくにつれて、その異様さが際立つ。銀黒色の分厚い装甲。そして、厳つい砲身が進行方向である僕らの方を向いていた。
「口径は二十八センチ、砲身長は十一メートルにも及ぶんだ」
「いや、あれは列車というよりも砲台そのものだろ」
「汽笛とともに迫って来る姿は、圧巻だよねー」
「いや、威圧感が半端ないだろ」
現に、ホームのあちこちから人々の悲鳴があがっていた。小さな子供は、あまりの恐怖に泣きだしている。
ホームの手前で大きく減速する、軍用列車。目の前を巨大な砲台が悠然と通り過ぎていく。
「俺らは、こんなのに乗るのか?」
砲台の後続に続く車両。小さな明り取り用の窓が、等間隔に並ぶ。とてもじゃないが、客車には見えなかった。
「あー。これは貨物車両かな。避難する人が多いから、これにしたんだろうね」
「あの車両は?」
貨物車両の三両おきに物々しい車両が接続されていた。その上部には、小ぶりながらも二基の砲台が左右対称に聳えている。そして、車両の両側面には、大きな金属の筒がついていた。
「これは、戦闘兼駆動車両だね。側面についているのは、ロケットエンジンだよ」
「は、空でも飛ぶのか?」
「違うよ。あれが、駆動のための推進装置さ」
列車の最後尾は、先頭と同じ砲台の車両だ。ただ、その砲身の向きは、進行方向と逆向きであったが。
「良かった。ここ数時間は、戦闘には巻き込まれていないみたいだよ」
「なんで、そんなことわかるの?」
エリカが、秀人に問いかける。お前いたのか。ずっと喋らないから、存在を忘れていたわ。
「どの砲身も、うっすらと雪を被っているでしょ」
「うん」
「いちど使用すると、熱を持って、暫く冷えないんだよ」
「なるほど」
「しかし、なんというか、凄いな。噂では聞いたことがあったけど」
「北都の技術、凄く進んでいるって、ほんとなのね」
僕とエリカは、ただただ圧倒されていた。
「僕も実物を見るのは初めてだよ! それよりも翔くん。技術って言うなら。もっと凄いことがあるよ。音が、おかしいと思わない?」
「え、音か。いや、汽笛が煩いしいとしか思わないけど」
「逆に、汽笛しか聞こえていないってことだよ。車両と線路の間を見て何か気づかない?」
僕は、ずっと圧倒的な存在感の砲台を見上げていた。秀人の言葉に目線を下げる。
車両と線路のあたりを見て驚愕した。
「おいおい、まじかよ」
「浮いてる……」
二十両を超える長編成の車両。それが線路上をゆっくりと進んでいたが、一切接地していなかった。二十センチほど浮いていたのだ。
「車両の底面の赤いラインが見える?」
「ああ、線路と垂直に、一定間隔で光っているやつだろ」
「そう。あそこで磁力をコントロールして、浮いているんだよ」
「でも、タイヤもついている」
「いや、普通、ついているべきなのは車輪だろ」
「エリカちゃんが言っているのは、メンテナンス用のタイヤだね」
確かに、整列しているタイヤは、下まで降りずに空を噛んでいた。緊急時やメンテナンス時に使用される陸上走行用のタイヤらしい。レールから離脱する際に、タイヤが降りてくる仕組みのようだ。
衆目環視のなか、列車が停車した。
ホームの上、軍服の係員が貨物車両へと近寄る。分厚い装甲板の中央部には取っ手があった。それに手をかけると、手前に強く引っ張った。
貨物車両のこちら側の側壁全体が、上部にスライドした。車両の中が露わになる。
何もないただ広い空間だった。それを見たホームの人だかりが車両へと群がる。
我先にと他人を押しのけ、車両内へ乗り込もうとする。
生死の境に追い詰められた人々。老人や子供などの弱者を優先するような心の余裕がある者は少なかった。むしろ強者優先の無法地帯と化していた。
「ありゃ酷い。あんなんで俺ら乗れるのか」
「確かに、みんな焦り過ぎだよね。貨物列車の容積と数から考えるに、ここにいる人達が全員乗れるのなんて直ぐにわかるよね」
秀人は眼鏡のブリッジを抑え、冷静に判断を下す。
「いや、さすがに、そこまでは、普通わからんぞ……」
喧噪の飛び交うホームに、十人ほどの屈強な黒服の男達が現れた。彼らは円陣を組み、人々を押しのけて進んでいく。
「貧民ども! 邪魔だ! どけ!」
「なんだ、あいつ」
黒服の囲いの中から、甲高い罵声が上がっていた。円陣の隙間から、高級スーツを身に纏う中年男性が垣間見えた。
背は低い。が、背と同じ位に横方向が伸びている。醜く膨れ上がったその腹は、今にもスーツのボタンを弾き飛ばしそうだ。そして、後頭部まで禿げあがった頭。
真冬の寒さとか、関係ないのな。男は、粘性の高そうな脂ぎった汗を顔一杯に浮かべていた。
そんな中年男の隣を、黒ずくめのコートが歩いていた。身長は百五十センチ程度。顔はフードで良く見えないが、わずかに覗く顔から、少年のように思えた。
二人は黒服に守られながら、まだ側壁の開いていない貨物車両の前へと進む。そして、車両の前に佇んでいた軍服の係員に声をかける。
一体、何をするのだろうか。気になり、成り行きを注視した。
しかし、すぐにその周りを黒服たちが固めてしまい見えなくなった。 その数分後。
「あっ、野郎!」
一瞬の出来事だった。中年男と黒づくめの少年、そしてボディガードの黒服達が、一斉に車両へと消えたのだ。
「なるほど、本来は人だけのときは、あそこから乗り降りするんだ」
「納得してる場合じゃないだろ」
車両の側壁に現れた小さな扉。避難民が、後に続く間もなく、その乗降口は分厚い鋼製の扉で再び閉じられてしまった。その身勝手な行為に人々は激高する。罵声をあげながら、車両の係員へと押し迫る。
暴徒化しそうな勢い。それは、突然の発砲音により
軍服の係員の両手に握られた、自動小銃。銃口は空を向いていたが、先端から微かに硝煙の煙があがっていた。
その銃口が、ゆっくりと降ろされ、避難民へと向けられた。
「静まれ!」
高圧的な命令だった。それでも、銃の抑制力は大きかった。ホーム上が一斉に静まりかえる。
「これより随時、他の貨物車両の扉を開けていく! 皆が乗り込む余裕は十分にある。焦る必要は無い。秩序を乱す輩には発砲する事になる。落ち着いて避難するように!」
次第に落ち着きを取り戻す、避難民。全員が乗り込むスペースがあるとわかったことが大きかった。無暗に暴れて撃たれる方が、余程リスクが高かった。
「さっきのあいつ。神崎ね……。係員に賄賂渡してた。自分一人だけ助かればいいと思ってる」
中年男の乗り込んだ貨物列車を、エリカは睨みつけていた。
「そうか、あれが巷で噂の我が町の市長さんか。ほんと肥えた豚そのものだったな。しかし、何であんな奴を住民たちは選んだんだよ」
確か市長は、市民の選挙で選ばれるはずだ。少なくとも、本にはそう書かれていた。この当然ともいえる疑問に、秀人が答える。
「現市長は、元々は商社の社長なんだ。確か、武器や石炭で大儲けをしたんだよ。お金に物をいわせて市長の座を買ったって揶揄されているね」
「最低……」
エリカの目つきが、やばい。
「まぁ、そんな豚野郎の事は放っておいて、俺らもそろそろ車両に乗り込まないと。置いて行かれたらたまらん」
避難民収容のための貨物車両は、全部で二十両。ホームに溢れていた人だかりが、どんどんと車内に吸い込まれていく。
僕らは、ホームの先端まで行くと地面へと降り立った。小さな町のホームには、この長大な軍用列車は収まりきらなかった。
「どこも、一杯そうだな」
「端の方の車両は、まだ空いていると思うよ」
列車の脇を歩きながら、車内を覗き込んでいく。
「お、あそこにするか」
『14』と大きく書かれた貨物車両には、未だ余裕があった。
僕らは、その車両に乗り込むと、最後部の小さな窓際に身を寄せあって座った。
「ねっ、一車両あたり二百人は乗れるんだよ」
「そりゃ、椅子すら無いからな。それより暖房もなくて大丈夫なのか。みんな、疲れ切っているのに。これから何時間も寒さに耐える体力なんか残ってないぞ」
車両内にひしめく、人々。家族や知り合い単位で固まり、床に座り込んでいた。
乗り込んで少しすると、車両の側壁がゆっくりと上から降りてきた。
「なんか、辛気臭いな」
分厚いで壁で閉ざされ、暗くなった。光源は小さな窓と室内灯だけ。閉塞感を感じるのは当然だな。
長い汽笛が鳴り響く。
「あ、そろそろ出発だ!」
秀人は急に立ち上がり、車両の小窓へと、しがみついた。外の様子を覗く、その瞳はキラキラと輝いていた。
「ヒデ、お前、何をそんなに、そわそわしているんだ」
「え? だって、夢にまで見た軍用列車に初めて乗るんだよ。そりゃ、みんな興奮するよね」
「いや、しないが」
「ええ!? だって、磁極反転素子とGⅡ型推進エンジンを搭載した最新鋭の浮上式軍用列車だよ」
「いや、何言ってるか、わからんけど」
「要は、一両あたり数百トンもの列車が、振動すら感じさせなく、滑らかに走るってことだよ。これって浪漫だよね!」
「はぁ、皆が疲れきって焦燥感に沈んでいるっていうのに。相変わらずのマイペースっぷりだな」
「でも、それがヒデの持ち味。だからいい」
人と異なる視点で興奮する、秀人。呆れる僕に対しエリカがフォローする。これも、最近、お決まりのパターンと化しているな。
列車がゆっくりと前進を始めた。その直後、車内が大きく振動した。
「おい、全然滑らかな発車じゃないじゃないか!」
秀人に、突っ込む。が、無反応だった。ただ、外を凝視していた。
車窓から見えていた視界が、急に暗転した。列車が振動を繰り返す。そして、停車してしまった。
あろうことか、進行方向と逆方向に歪な挙動で進み始めた。
おいおい、どういうことだ? なんで逆に進むんだよ。これには、さすがの僕も不審に思った。
何が起きているんだ? 僕は立ち上がり、秀人の傍へと向かう。外を覗き見ようと、窓へと顔を近づける。
「あ、痛っ! おいこら、クー! お前、大人しくしてろ!」
急に服の中で、クーが暴れだした。それを押さえつけながら暗がりに目を凝らした。軍服を来た係員数人がホームを全力疾走していた。
「どうもこっちに近づいて来るようだな」
係員が僕たちの窓の前を走り過ぎた。一瞬で後方へと消え去るが、すぐに車両後部の窓にその姿を現す。
僕らの乗車している車両と後続車両との連結部。そこに制御パネルのようなものがあった。彼らは、慌てたようにそこで何かの作業を始めた。
「おい、ヒデ、あいつら一体何をしているんだ?」
「車両の連結を外そうとしているんだと思う」
「は? 何のために」
「たぶん、トカゲの尻尾切りだと……」
「トカゲ? なんでこんなときに、トカゲが出てくるんだ?」
秀人の言う事が、さっぱり理解できなかった。さらに詳細な説明を求める。
しかし、秀人がそれに回答するよりも先に答えが目の前に示された。車両間の連結が外れたのだ。後続の貨物車両が、勢いよく離れていく。距離が離れるにつれて、後方の窓からの視界が広がる。僕を含め、窓の外を窺っていた乗客は、一様に絶句した。
後続車両の、僕らと反対側の端が、上方に持ち上がっていた。さらに後ろの車両が、同じ角度で空へと伸びていく。
それはまるで、空に向かって飛び立つための線路が、そこに敷設されているかのようであった。
天高く伸びあがる列車の先端。そこに、ソレがいた。
フォルムはまさに雄大な鷲もしくは鷹。しかし、明らかにその大きさが異質だった。体長は五十メートルを超していた。翼開長は、百五十メートルにも及ぶ。
全身は黒一色で、不気味さが際立っていた。地上の獲物を見つめる、その瞳は燃えるように赤かった。
巨大な怪鳥には、四本の足があった。その爪が、しっかりと掴んでいた。『18』と描かれた車両を。
その怪鳥は大きな翼をはためかせる。さらに上空へと、上昇しようとしていた。
十八号車を頂点にして、『へ』の字型に浮かぶ七両の車両。
そこに閉じ込められた乗客は、千人を超すだろう。車両内は、恐怖と絶望に支配されているに違いない。
ここまで届くはずのない助けを求める叫び。それが聞こえるような気がして、僕は両手で耳を塞いだ。
「あ、あれは、まずい。完全にステージⅤに進行している」
「ステージⅤって、最終形態だろ。あそこまで馬鹿でかくなるのか」
「いや、僕らを襲ったイソギンチャク型のシェイド。あれも進行ステージは高かったんだ。でも、今のアイツと比べたら比較にならない」
「どういうことだ?」
「オリジナルの
「それは、シェイド化する前の動物ってことだよな」
「うん、いまの学説だとそうなるね。進行ステージが低いほど、元の生物に類似した特性を示すんだ」
秀人がブリッジに手を当てる。スイッチの入った証拠だ。
「普通に生息していた動植物が、何らかの原因でシェイド化すると言われている。そして、時とともに進行し、元のオリジナルとはかけ離れた存在となる。ステージⅤともなると、その大きさも、元のサイズの数十倍から数百倍だね。そして、体表の全てが、カーボンシェルに覆われる」
「カーボンシェル?」
「分厚い鋼のような硬さの漆黒の表皮のことだよ」
「要するに、進行すると、でかくなって、固くなるってことか」
「うん。あと、大きさは倍率なんだ。だから、元の生物が大きかったら、シェイドもより大きくなるってことだね」
「あー。イソギンチャクは、そもそも小さいもんな」
「そして、何よりやっかいなのは、シェイド化の進行に伴い、狂暴さが増すことなんだ。これもオリジナルが獰猛なほど顕著になるんだよ」
「そうか。お蔭で、あれが相当やばい奴だという事がわかった」
「オール異常なし!」「すぐに発車しろ!」
車外では、係員の怒声に近い声が飛び交っていた。連結部を切り離す作業にも従事していた係員達だ。
ホームを必死に走り、先頭車両へと駆けていった。
列車が再び動き出す。
先ほどとは異なり、今度は揺れを一切感じさせない。滑らかに加速していく。ものの数分で、列車は駅から数キロメートル先まで離れていた。
巨大な怪鳥は、いまや上空二百メートルを超える高度に達していた。列車という蛇を捕まえて大空を羽ばたく。
その姿は、まさに天空の王者の威容だった。
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