ラスト・シャーマン

長緒 鬼無里

序幕 誕生

 その女はもう若くなかった。

 苦しみに噛み締められ、きりきりと鳴るその歯は列が乱れ、処々欠けていた。

 睫の濃い瞳の下に刻まれた一筋の皺はあまりにも深く、彼女を実際の年齢より一層老いて見せていた。


「ああっ!」


 女は首を左右に激しく振りながら、声をあげて悶えた。

 脂汗が額に吹き出し、松明の炎にぬらぬらと光を放った。


「これが最後よ。これが!」


 女にとってこれは六度目の出産だった。

 長女は既に嫁ぎ、次女も適齢期はとうに過ぎている。

 続けて男児を三人もうけたが、先の戦に出向いたまま、ついに一人も帰還しなかった。

 以後、女が我が子を失った悲しみから立ち直り、今日の出産に至るまでに、七年の時を要したのである。

 若かった女も四十を越え、彼女の夫や医師達は口を揃えて子を産むことに反対した。

 このような高齢での出産は、命取りになりかねないというのがその理由であった。

 しかし、それでも産みたいと言い張る女の意志の強さに、皆渋々ながらも認めざるを得なかったのである。

 彼女をこよなく愛する夫は、今も天幕の外でいらいらしながら、産声が聞こえてくるのを待ち続けているであろう。


「夜風にあたって、風邪でも召されないかしら」


 それが彼女の最後の優しさであった。

 再び激しい痛みが襲ったとき、女は絶叫した。

 天幕の向こうから自分の名を呼ぶ夫の声が聞こえた。

 夜空を貫いた女の声が不意に途切れ、一瞬の静寂があたりを包み込んだ。




 やがて、その静寂を打ち破って元気な産声が高々と闇に響き渡りはじめた。


「おめでとうございます。お元気な皇子様でございますよ」


 産婆が全身を真っ赤にして泣き叫ぶ赤ん坊を、女の顔に近づけた。

 女は大きく息をつきながら、震える手で我が子の頬を撫でた。


「産まれたか!」


 産声を聞きつけて夫が天幕の中へ飛び込んで来た。

 女は赤ん坊の頬から離した手を愛する夫の方へと伸ばした。

 夫もまた、妻のそばへ駆け寄った。

 そして二人の指先が触れる寸前、女の手がぱたりと落ちた。

 狂ったように女の名を呼ぶ夫の声と、生を受けたばかりの我が子の声が、彼女の中で遠退いていった。

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